人形姫の視る夢は…

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管理人かりんの日々のつぶやきです。
コレクションしているお人形のこと、育児のこと、主婦業のこと…
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もう笑っちゃえ

セリアで見つけたハンカチ。

息子にいい!と即、買った。

価格破壊の昨今だけれど、

若い男子向けのリーズナブルな服、

雑貨って女性向けほど多くはないな、といつも感じていて。

トップスにしろボトムスにしろ靴やバッグや小物にしろ、

見かけたら買っておく、を心がけている母の私。

 

その愛しい息子は自閉症スペクトラム。

小さな頃は可愛いままで、ずっと時が止まっていてくれればと思うこともあった。

でもうれしい成長を遂げてくれて、

たくさんの温かな手厚い支援もいただけて

(そう甘くはない世の中だけれど、多分とても恵まれている方)

企業就労をめざす施設に通えている今日この頃である。

 

企業就労がゴールではない。

就職が決まることは嬉しいことだけれども、

就職してからがまた長く、要は定着していくことがまた大変な道のりなのだ。

故に施設は、就労後も長く手厚く、定着支援をしてくれることになっていて、

親も子も長い長いおつきあいとなっていく。

 

そういうコミュニティにはやはり当然、保護者会というものがあって、

そういう会にはもれなく「役員」というものがついてくるのだった。



昨年、私は息子が入所したばかりのその施設の初日に、

役員を引き受けることになった。

書記なら今までもしていたし、

会長・副会長・経理と上にいてくださる下っ端である。

気楽なものだ。

 

今年度はもうお役御免かなあと、4月の集まりの日にうきうきと考えていた。

その日、新元号が発表される日で、

11時すぎとのことだったので、

その頃にはもうお役目を解き放たれて気楽に、

友らと楽しいランチを駅前あたりでしていることだろうと、

呑気に出かけたのだった。

 

今年度の新たな役員極めとして、1年目のお母さんがたに

昨年、私が受けたように、仕事を受けていただくことをお願いするのはわかっていた。

2年目のものから重い役目を選ぶのも仕方ないだろうと。

就労移行支援施設に通えるのは原則2年、特例として3年である。

昨年度会長だった方は私の家の近所で、

娘の幼稚園時代からのおつきあい。

ご縁があって仲良くしていただき、

その方が今年度も残って会長をしてくださるのだろうと思っていたら、

3年目に入ってしまっていつ就労が決まるかわからないので、今年はできないという。

一人の方は親御さんが大変重いご病気で介護があり、

そうでなくても女医さんでいらして、冗談抜きで多忙だけれど、

昨年に引き続きて会計をしてくださるという。

なんとご立派な。本当にごめんなさい、ありがとうと皆で頭を下げる。

もう一人の方は、ただ一人の子がこういう知的障害ある子なので、

残りの人生で少しでも自分が働いて将来に備える経済力をつけるため、

これから正社員として就職予定だという。

おお、それは確かに。

もうお一方は本当に心身不調で通院中でなんとか今までやってきたため、

今年度は解放していただきたいという。

それも確かに。ご無理なさらず。

あれ?

私だけ、なにも、ないの?

あれ。私って幸せだったの!?

「お願いします」

と皆に頭をさげられて、え、あ、う、はい・・・と頷いてしまった。

 

まさかの会長。

年に4回くらいスピーチがあるという。

うち1回はかなり大きな行事で、区長も来られるようなお式でのスピーチだ。

昨年、先輩がされているのを大変だなあと心から同情してみてましたよ。

あれを私にやれってか!!

 

おかげさまで駅前の小さなイタリアンでの素敵なランチも

あんまり味がよくわからなかったし、

新元号が令和と発表された時もほろ苦い気持ちでききましたとも。

 

GW中は忘れておくことに専念していて、

今日、息子が持ち帰った施設のお便りに、

新会長としての私の名がプリントされているのを見て、

冷水を浴びせかけられたかのように現実感を覚えたところ。

もう笑うしかない。

なんとか腹はくくれると思うけれど。

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のんびり看病

昨夜、息子の熱は下がる一方だった。

夕方の38度4分から上がる一方になることを予想して覚悟を決めていたのだが、服薬もしていないのに38度を切り、37度台になっていた。

熱はむやみに下げない方がいいという。体が戦っているその力を妨げないように、でもあまり高熱なら熱さましをと思っていたのだけれど。

そして今朝は36度6分。深く眠っていて、大変な食いしん坊なのに、まだ食欲を示さないのだから、まだ正常ではない。

当然休ませることは決定しているけれど、旅行のキャンセルはギリギリまで見合わせることにした。息子自身は行きたいと言っているのだけれど、今日はもちろん、明日の様子も見てみたい。

したがって、明日まで通わせるつもりだった施設も、もう今日からお休みに入らせていただくことにして、大変申し訳ない。

施設にそう電話をして、今年一年の感謝と、こんな形で早々に休みに入ってしまうお詫びをさせていただいた。

 

いつもは大丈夫なのかと心配になる程食べる息子が、なんとか食欲を見せたのは本日の昼食のみだった。

普段の息子なら1分で食べ終わるくらいの量のものをゆっくりと食べ、少し絵を描き、にこにこして私に甘え、そのあとまたソファに横になった。一見、シュッとした美青年になってきたけれど、中身はまだ小さな男の子なのだ。

私もオットも娘も、彼をどれほど愛していることか。

この子のために家族一致団結して、安定した幸福を作り上げていくのだと固く心に誓い合っている。

叶うことなら私は、この子が無事に平穏に生涯を終えるその時まで、ずっと守り続けたい、そばにいてあげたいと願わない日はないのだけれど。

 

けれど我が家の中心は娘だと思っている。

娘は素晴らしい中和剤の役目を果たし、私を精神的に支えてくれるだけでなく、物理的にもすごく助けになってくれているのだ。

オットは娘に社会勉強としてのアルバイトをもっとすべきだというし、私もそれに反対ではないのだけれど、娘が我が家のためにしてくれている家事手伝いは、かなりのアルバイトではないかと思っている。

障害ある弟に寄り添い、支援している力も素晴らしい。

娘が幼稚園時代からのママ友たちとお話すると、娘のお友達は皆、積極的にバイトに明け暮れているそうで、素晴らしいと思ったが、家の手伝いは全くしなくて、家事のことは理解しておらず、母親たちに完璧な食事作りと洗濯とアイロンかけ、クリーニングだしと引き取り、買い物、お風呂の準備、車での送迎などなどと期待しているそうだ。

それはちょっと嫌だなあ。

私は厳しい母親すぎたのだろうか。

本来、それくらい自由でわがままでよかった娘に、とても窮屈な思いをさせてしまっているのかな、と考えたけれど、娘は普通に家のことが好きなようだ。

しかしその娘も年末年始だけアルバイトをする。

今年も今日から、大学近くの神社で巫女のアルバイトを始めている。

 

息子が3時間以上も眠っている間にクリスマスの飾りをすっかり片付けた。掃除もしながらで大変な作業だった・・・。でも、お正月飾りを出すところまでくると、とてもさっぱりした気持ちに。

 

息子の顔色も良く、平熱のまま変わらない。

 


そんな息子のために新しいiphoneのケースを買った。

今まで使っていたピーターパンのものが好きだったので同じものを探したけれど、

見当たらず。

でもこれを見つけて気に入ってしまった。

スウェット素材のグレーにブルーのパイピング、

印象的で、でも控えめな(笑)スパイダーマン。


私と子供達はMARVEL大好き。

スパイダーマンは特にお気に入り。

内側に赤、というところがにくい。

ただ、ストラップホールがないのは痛かった。

息子には欠かせないものなのだ。


新品に穴を開けるのは勇気がいるけれど、

頑張ってハトメを付けた。

これで、息子的に無敵のスパイダーマン。

 

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息子、発熱

なんだかんだで、オットからもらって嬉しい、

そして処分に困らない贈り物はアクセサリーだ今でも思っている。

バッグや服や靴のように劣化しなくて、

捨てるべきだけど、捨てにくいなあ・・・という悩みがない。

うっかり者の私が欲しいアクセサリーなんて、

ちょっとした服や靴やバッグくらいの値段のものなのだ。

(失くしたくないけど、失くしてまった時のことを考えると、

それくらいの高価すぎないジュエリーがいいので)

でも先々月の誕生日に、指輪を二つもらったので、

クリスマスは遠慮したのだった。

 


人差し指用に、

ずっと欲しかったオニキスを薔薇の形に刻んだ指輪。

銀とオニキスで魔除けだなあ、と。

薔薇を囲んでいるのは小さな蛇。

ゴシック感が好き。


小指用にもオニキスのリング。

これはオニキスを囲む銀の台座が薔薇の形。


私にとって一番新しい、お気に入りの指輪達。

 

穏やかなクリスマス。

家族が皆出かけて行き、一人ガスコンロやレンジ周りの掃除に励み、キッチンを磨き上げてとてもスッキリ。

それからずっと心の負荷になっていた、スマホのカメラロール内の整理にとりかかる。

 

撮りためていた画像を、iCloudやGooglePhotoのアルバムに整理して振り分ける作業。

数が多いので結構大変だ。目が疲れ、肩が凝り、頭が痛くなる。それが億劫で、ずっと手をつけられなかったのだ。

家族で共有する家族の写真、私だけの個人的な記録としての写真。

初めて見るとやはり大変で疲れる作業だったけれど、この数年を振り返るとても良い機会になった。

今からもう、写真を溜め込むことなく、きちんと整理しながら日々を過ごそうと決める。

キッチンの掃除をしていても、クローゼットの整理をしていても、粗大ゴミを処分していても、そう思うのだけれどね。

溜めないこと。これが大事なようだ。

ズボラだからこそ、その瞬間瞬間に片を付けていかないとダメ、私はそういう人間なんだと、今年は本当に認識しました・・・。

 

そうして、元気に帰ってきた子供達・・・と思ったら、息子がソファにけだるげに横たわっている。

おやつが、クリスマスケーキの残りで、少ないだろうなあ、もっと何か欲しがるだろうなあと夕食の支度をしていて、ふと気がついたら、息子が空腹意を訴えることなく、いつものようにゲームや絵を描くことを楽しむ様子もなく、ただ横たわっているのだ。

息子がまだ小さくて、今よりもっと動きが活発だった頃も、稀にソファでじっと横たわっていることがあった。

熱がある時である。

あらあらまさかね、と言いながら熱を測ったら、38度4分あった!

今も同じなんだね、とおかしく思いつつも、不安がどっと高まってくる。

インフルエンザの予防注射をしたのは10日前。息子が通う施設ではインフルエンザを発症した方がいるという。二日前には娘が強い吐き気を訴えたことがあり、ノロウイルスかと心配したけど、こちらは発熱も下痢もなく、今日はもうなんともないというので、安心したところだけれど、やはりウイルスはあったのか。

三日後に我が家恒例の年末の家族旅行で那須へ行く予定だけれど、キャンセルした方がいいかもしれない。

 

我が家の子供達は健康で、熱はほとんど年一回くらいしか出さない。

その年一回の発熱を、年末にだすことが多い息子。

なんども、この那須旅行の直前に倒れるという経験をしているのだが、それはたぶん、息子なりに1年めいっぱい頑張っていて、もうすぐその年が終わるね、という時期に、心底ほっとして気が抜けるからだろうと思うのだ。

数年前にはクリスマスに寝込んで、その息子の横で家族でシャンパンで乾杯したっけ。

ケーキを食べる時だけよろよろっと起きてきて、根性でケーキを食べ、またよろよろとソファに倒れこむ息子に、かわいそうだけれど笑ってしまったことがある。

その翌年はクリスマス前にインフルエンザにかかり、その翌年はノロウイルスだった。

いずれも旅行に出かけるぎりぎり前日になんとか外出許可が出る、というパターンで乗り切ってきた。結構なスリルである。

去年ひさしぶりに何事もなく年末の旅行にでかけられたけど、今年もやはり息子パターンは健在か。

 

愛する息子の体以上に大切なものはない。私や娘、オットにも感染るかもしれないし、いつも親切にしてくださる那須の方々に病気を移すことがあっては断じてならない。

決断が必要な夜になりそうだ・・・。

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セレモニー


街中の、大きなクリスマスツリー。

 

街のいたるところにある、いろいろなクリスマスツリーを眺めるのが好きだ。

 

雨が少し降った後の晴れ間の空が綺麗。

物干し竿越しに見えるこの空の色が、竿についた雨の雫が綺麗で可愛くて、

そのまま画像に写しとりたかったのだ。

でも水滴の綺麗さを捉えられなかったな。

 

息子の通う施設でのビックイベントが今日、区内の大学のキャンパス内のホールを借りて行われた。

歩きなれない街を20分ほど、てくてく息子と二人歩く。

オットに車の送迎をお願いしたかったけれど、お歌仲間に頼まれたステージのお手伝いで、私たち親子より早く出かけてしまったので、グーグルマップをみながら、歩く。

道の向こうから、華やいだ明るい声をかけられた。

見ると、息子の幼稚園時代の先生だった。

すごい偶然でお会いできたのがうれしくて、気持ちがとても明るくなった。

 

セレモニーはとても盛大で、区長さんもいらしたほどで、息子の通う施設に、天皇陛下皇后陛下が視察にお出ましになられた時のお話を伺った。

障害がある身ではあるが、それぞれの特性を生かし、受け入れてくださったそれぞれの職場で働いていらっしゃる様子を見聞きし、息子の将来への希望も持った。

たくさんのお友達にあえて楽しかった。

 

出不精。それは私の生涯の性に違いないけど、出るべき時はちゃんと出ます。

そしてやっぱり出ると、割と楽しい。

 

出かけて、家に戻った時の安堵感、一気にくつろげる気持ちも好き。

だからもっとお家の中をすっきりさせて、居心地の良さをアップさせようと思いながら、白いソファに寝転んでしばし目をつむる。

幸せな気がする。

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運命の日だったかもしれない



少し曇っていたけれど、

心は軽く明るい気持ちで見上げた連休初日、2月10日土曜日の都庁。


こういう展示会があり、

息子の書道作品を、

学校の代表5人のうちの一人として出品して頂いていたので、

家族で見に行ってみた。


伸び伸びと屈託のない息子の文字。
親は進路指導に苛立ったけれども、

息子は楽しく、お友達や先生方に見守られ、

引き立ててもらって、

楽しく過ごせてたんだな、と作品を見て実感する。
有難いことだ。


その前日の2月9日金曜日。

私が居住する区で(もしかしたら都内は皆、そうだったのかもしれないけれど)福祉施設利用調整というものの発表がある日だった。
夜になって、公立保育園の入所決定についてもかなり大きくニュースになっているのを観たから、全体的に公的な施設利用の調整結果が出る日だったのかもしれない。

障害ある子を持つ親にとっても本当に大切な日で、

高校(中卒でも可)を卒業したあとの我が子の進路として、

昨年11月に所属の地区の保健福祉課に出した希望施設・・・生活介護施設、就労継続支援のB型施設、

ゆくゆくは企業への就労を目指すための就労移行支援施設、それぞれの希望に対して、答えが出される日であったのだ。

生活介護とB型は継続し続けて通う施設、極端な言い方をすれば引っ越しなどしない限り、一生そこへ通うことになるというくらいの場所になる。

だからというわけではないのだろうけれど、希望は3つまで出せる。

一方、我が家の息子がめざす進路は特例子会社などへの就労なので、そのための訓練施設ともいうべき就労移行支援で通常2年、延長1年をいれても最高で3年通うというものだ。

こちらは二つしか希望をだせない。

親たちの考えは色々で、この2年半あまり、皆、どれくらい悩んだかと思う。さまざまな噂や評判は子供がもっと小さい頃から聞くわけで、早くからうちの子は絶対あの施設以外は 嫌!と決めてしまわれる方もいる。

偉そうなことは言えないけれど、たまたま進路対策委員という会を担当する役員を昨年度したおかげで、ものすごく不精な私が色々な施設や企業を見学させていただく機会を得たが、百聞は一見にしかず、と心から思った。

噂が古い、10年くらい前の伝聞であることがある場合が、私の周りの方達だと考慮にはいっていなかった。

施設も、区の指導も日々変わっているのだ。昔すごく良いと大評判だったところが今は建物も古び、何より施設長さんが変わったり、スタッフが入れ替わったりして雰囲気が全く違っている、方針も変更されているということもある。

頑なな思い込みは禁物だと実感した。

その上で私も息子の進路決めに望んだのだが・・・誰もが良い良いと口々に言い、なんとかそこに我が子をいれたい、どうにかしたいと切望する就労移行支援施設は最初からあえて外すところから始めた。

そしてほとんど誰もまだ知らないというところから息子共々経験を積んで行った結果、あららやっぱりここか、と一番人気の施設を第一希望とするしかないという経験をしてしまった。

11月の利用申請手続の時には保健福祉課の窓口で担当のケースワーカーさんと課長代理の方に、ああまたか、というような苦笑をされ、何しろものすごく狭き門だと覚悟を求められた。

そこがダメで、第二希望のところでも受け入れてくださいね、と。

第二希望のところも人気の施設で、そこでの息子の実習は絶好調だった。スタッフの皆さんも好意的で、申し込みを出したことをとても喜んでくださって、受け付けましたとお電話をくださった。

だからそこに進めば息子がとても楽しく、長所を発揮して褒めてもらって、充実した生活を送れるだろうと想像できた。

ただ。こちらから将来就職をということになった時のその進路のほとんどは、工場t的なところで、都内のオフィスでの事務職としての就労をさせたことがないのだという。

郊外の工場で手先の器用さを生かした仕事をするのも息子にとってはとても良い人生だと思う。

が、せっかく事務をこなせる能力があるのだ。字の読み書きも計算も怪しく遅いし、PCはもちろんコピーもファックスもできないのに希望しているわけではない。申し訳ないけれど、他の方より若干得意なこの分野を1番に推したい気持ちが強い親としては、残念ながら・・・というのも変だけれど、激戦の難関校みたいなその施設を希望するしかなくなったのである。

そこが一番、息子の力を伸ばし、足りない部分(自閉症の子にとって宿命の社会性)を補い、希望の職種での就労を可能にする可能性が高い施設であることは間違いないと認めざるを得なかった。

学校の進路指導は相変わらずぱっとせず、あっちにかけあい、こっちに掛け合いしてみましたがダメでした、もう締めきったあとでした、みたいな返事ばかりがくるのでもう笑うしかなく、このままでは望まない進路に4月から行くしかなさそうですね、と嫌味をぶつけたい気持ちにもなる。

担任の先生方からは、謝って済むものではありませんが、本当に申し訳ありませんでした、全てのことをお詫びしますと心痛むお言葉が連絡帳に書かれ、実際、2年生の時から私が希望を伝えていたのにも関わらず、担任が進路指導主任にそれを伝えずにいたということもあるので、責任は大いにあると思っているけれど、そこを責めても私の気持ちはすっきりしない。

私がもっと学校の進路指導に疑問をなげかけ、攻撃的にがんがん前に出ればよかったと思うし、オットは私任せにせず、自分が率先していればもっと違う進路が開けたのに、と悔やむ感じ。

ただ昨年度までの先輩方の進路指導を見ていると、まさか今年度の先生がここまで適当で、無断で、何もしてくれない人だとは予想もしていなかったのだ。

疑り深い私がうっかりしていた。何より私自身のミスだと思った。

もはや就労はほぼ無理。どこでもいいというものではやはりないから、自宅から通いやすく、何より知的障害者をたくさん採用していているジョブコーチがいるような、知的への理解がしっかりあるところがいいと思うと、学校のいう通り、もうとっくに実習も採用も締め切られているのだ。

第二希望の良き施設に行き、工場就労も視野にいれつつ、なんとか事務職での就労もないかお願いしてみる道を模索しようか・・・それが昨年末からの、私とオットの結論だった。

息子の未来がはっきり見えない、最近では滅多にないほどの不安を抱えた嫌な感じの年越しだった。

まあこれは受験生がいるご家庭はどこも同じなのかもしれないけれど。

いよいよ結果が出るという日を間近に控えた先週からはもう気もそぞろ。

希望より不安の方が大きい割合のなんとも言えない塊が胸にズンとつかえている。

結果が出るまで、これはもうどうにもならないんだと諦め開き直って日々の生活をこなし、気晴らしに家族で鎌倉に行って、美しい海を眺めて風に吹かれて、どんな結果が出たとしても必ず良い未来に繋がっているんだと信じようと思ったりした。

結果は電話で、担当のケースワーカーさんから午後伝えられる。

9日金曜日には仕事も休みをとり、朝から普通に家事をしてやることがなくなったら娘と、Amazonプライム動画で、「まほうのレシピ」というとても面白いアメリカのドラマを楽しむことに没頭した。(この作品は本当におすすめ!子供向けのものだとは思うけれど、全然大人でもドキドキハラハラわくわくできるし、色々学ぶことは多くて、主役の女の子たちも可愛いし大好き作品)

娘と二人、美味しい昼食を作って食べて、良いお天気だなあと窓から空を眺めていた。

13時を3分過ぎた時に電話が鳴った。

とても頼もしいケースワーカーさんの声とは違い、渋い男性の声で、担当のケースワーカーさんが急な用で訪問に出ることになり、代わりに連絡をさせていただきましたという、なんと保健福祉課の課長様である。夏に私が学校の対応に対する不満をぶちまけ、よく聞いてくださった方だ。

思わずあの説は大変お世話になりました、と言ってしまったらいえいえ、と答えてくださり、息子の利用調整の結果は、第一希望の施設に内定ですと言ってくださったのだ。

ありがとうございます!!と電話だけれど、深々と頭を下げ、片手で拳を突き上げたら、横にいた娘が最良の結果と悟って飛び上がった。

よかったですね、と課長さんも言ってくださり、もう感謝の言葉をお伝えして、電話を切ったあと、娘としばし抱き合い、本当の嬉しさで涙が出てきてしまった。

オットに電話するも出ないので、親友にメッセージを送る。

親友から瞬発で大喜びのお祝いの電話があり、彼女も良いところに息子さんの行き先が決まったというので互いに本当に喜びあった。

のちにオットから大喜びの電話があり、次々に色々な方にご報告し、喜んでいただいて。

この3連休、とても楽しく明るい気持ちで過ごせた。

こんなに心が軽く明るかったことはなかった気がする、ということはこの数年、ずっと不安で心配だったんだなあと自分でも感心してしまった。

夜もなぜかよく眠れる。

これが枕を高くして、というやつかとおかしい。

これからも色々あるだろうけれど、分岐点としての現在は最良の結果を得られたと思っている。

これにて私と学校との長らくの戦いも終戦となる。

先生方もどんなにかお喜びだろう。
進路指導主任、きっと祝杯をあげたでしょうね。

おめでとうございました、と、最後まで心の中であっかんべー。

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もう痛まない


スーパーの中で目が合い、思わずお迎えしてしまったドナルド・ダック。

 

断捨離思考が進んでいる今、

捨てるのを勿体無く思う可愛いパッケージ、困る。

でも冷蔵庫を開けるたび、ドナルドがいると嬉しい。



昨年春にも思わず、こんな可愛い人をお迎えしていた。

映画、美女と野獣がヒットしていた時だったからか。
こちらは詰め替えがきくからいいけれど、

ドナルドさんの中身のケチャップが切れたら、

普通のを買って来て、せっせと詰め替えなくちゃいけないかしらと、ふと迷う。

ドナルドさんを捨てたら、ゴミ箱の中からずっと睨まれていそうで・・・


個人的には庶民の味方、スーパーの西友さんのオリジナル牛乳、

この容器のデザインもすごく可愛いと思う。

全体にほどこされったホルスタイン柄、端から覗く仔牛。

「僕のご飯、飲むの?」みたいな。

 


キャラクターグッズ、というには少し語弊があるのかもしれないけれど、
オットが仕事の都合で鑑賞したスーパー歌舞伎「ワンピース」の、

幕の内弁当の包み。
家族に申し訳ないからせめて雰囲気だけでも、と

捨てずに持ち帰ってきてくれたもの^_^


オットは「ワンピース」をほぼなにもしらないのだけど、

演目は大変面白かったとのこと。
さすが!

次のスーパー歌舞伎は「NARUTO」とのお話を聞いたので、

それは是非、子供達と観たいと思っている。

(そうだ、今から貯金しておかなければ!)




ついでながら先日銀行で頂いた通帳ケース。
職務で近くのみずほ銀行さんによくお邪魔するのだけれど、

いつからか丁寧にご挨拶いただくようになって、

ついに「いつもお越し頂いているお客様にアンケートをお願いしています」と

お声掛けされてしまい。
いえ、私、違うんです、単なる会社のお使いなんです、

アルバイトなんですゥと固辞したものの、

法人様でも結構なんです、いつも来て頂けている方に是非!

とのことで、簡単なアンケートにお答えしたらくださった、という。


可愛くて嬉しい。


物を減らしていかなければと思っているけど、可愛いものが嬉しいのも事実。
これから上手にバランスをとりながら、スッキリとして、

でも好きなものに囲まれた暮らしを目指したいと思うこの頃。

いや、各種企業様には、商品は、

なるべく捨てやすいシンプルお洒落なパッケージにして頂けたらありがたいですぅ…(小声)



1月も今日で終わり。
今後こそすべての課題を終えて、今から4月までの丸2ヶ月以上の春休みに入った娘はともかく、
特別支援学校の高等部に通う3年生の息子は、卒業まであと1ヶ月半の学校生活となった。


本人は姉のように大学に行きたいなと言うのであるが、あいにく知的障害者の通える学校はなく、

就労か、その前段階としての訓練施設で2年ないしは3年過ごす、というのが今後の進路になる。


その就労において、学校側が私達保護者に一切自ら活動するな、見学にも行くな、当校からの沙汰を待て、と強固な足止めをしておいて、

こちらの意思の確認も了解もなく、勝手に就労移行支援施設でいいだろうと決め、

就活の手配をなにもしてくださらなかった、というのがこの夏の大バトルだった訳で、

私が火を噴く龍のごとく怒った時には、もう、

各企業の来年度4月からの新規採用は殆ど締め切られてるんです〜、すみません、こちらが間違っていました、全て反省してお詫びいたします!!
というのが学校側からの回答だった。

早い話がそこからなにも解決せず、もやついたままの年越しである。
それでまた、私に区を縦断して学校まで来いというのを、ニヒルな笑いでもって受け、出かけて行った。

区が日本一と誇る就労移行支援施設での息子の実習の結果が3ヶ月経ってやっと来たからとのこと。
評価数の最高は4。
仕事の進め方、仕上がりなどは4で、速さは3.5、支持の理解が2。

前の実習から1週間開けずにすぐに行った実習で、通常5日行くところを祝日があったために4日だけの実習。
その中で息子はとてもよくやった方で、支持理解も4日目にはよくできていたという。
自閉症なので、初めての場所、初めての人に馴染むのに時間がかかる。

指示が理解できないというより、相手に対してまず心も実際の耳も開かない。

それが障害の特性だが、その割にはそこは柔軟な対応ができる息子、3、4日目には指示を理解し、動いていたというから、

本当に頑張ったと思う。

今回は担任二人が進路指導主任にとても、息子のことを庇って言ってくれた。

同じクラスから同じ場所に実習にいったメンバーの中ではピカイチの出来の良さで、指示にもちゃんと即座に反応できていた、と。

進路指導主任は、ああ、と唸る。
もはや時間切れなのはわかっているが、あまりに進路指導の役割を果たしていないではないか、という不満が私達夫婦の中に燻っている上、他にも何人も同じ思いの方がいると分かっているので、これはもう教師個人の資質の問題を越えた、学校としての体質の問題であると思い、後輩達のためにもここで、きっちりしっかり、意見しておこうと思う。

くだんの進路指導主任は学園生活も残り1ヶ月半ですし、貴重な学園生活を○○君にゆっくり味あわせてあげたいと、我々教師としては思うんですが、と切り出して来た。
私の口から、もう就活は諦めます、もういいです、と言ってほしい訳だが、結局これが夏(のバトル)からわかっていた落とし所でしたよね、と私はうっすら笑う。
夏には、その時の私のあまりの怒りぶりに、教師は慌てて、今からでも手はある、ギリギリまで努力します、と言ったのだ。
ま、無理だろうとわかっていたけれど。
経験して分かったこと…渋る教師から引き出した情報によると、
知的障害のある18歳が新卒で就労するためには、17歳である2年生の時にある程度、企業に実習に行って目星を付け、

では本当に就労するかどうかの見極めとして3年時に実習に行く、という形でなければならなかった。

それがセオリーだったのだ。(法律でそう決まっている訳ではなく、慣例的なもの?らしいけれど)
遅くとも3年の1学期が勝負だった。
そこまで何もなかった時点で、未来への道は閉ざされ、強制的に施設を選ばされることになっていた訳である。

なぜそうしなかったのか。
息子がまだ幼くて、色々課題があって就労には向かないと判断したから。

が、実際に企業は愛の手帳2度の人らまで採用するところが増えている。
何ができるできないだけを重視していない、ということだと思う。

 

っていうか息子、かなりできる方である。

教師の手伝いやお友達との助け合いなどでも大人びた配慮を見せているし、体育祭でも学園祭でも見せ場をもらって活躍し、美術では絵が大きな展覧会に選ばれ、最近では書道の作品も都の総合文化祭に出展されることになっている。

多くの先生が息子を認め、盛り立ててくださっているのだ。

息子は能力が低いから、と進路指導主任は言った言葉に、他の先生方が違を唱えてくださっているように思う。

クラスを4段階にわけ、もっとも障害が軽く就労に向いていると入学時に判断した生徒優先に就労をすすめたく(入学後、その実力とやらに陰りが見えても、そこは最後までごまかし通す)、とりあえず上から2番目類型の息子には、保護者に無断で足かせをかけた。
学校による学校のため区別・仕分けにより、息子の進路は親の私に何の断りもなく決められたとやはり思う。

これが障害者差別解消法の結果だろうか。

普通の子ならとことん希望を聞いて、現状と擦り合わせて、合意の上で進路を決めて行くはず。

自分がどこに進みたいか見学にも行くでしょう。

ノーマライゼーション?ちゃんちゃらおかしいとは、夏に校長に言ったとおり。


結局今回もそこを厳しく糾弾し、 ギリギリまで就労に向けた活動をしていただき、どうしても御縁がなければ就労移行支援施設に行きますが、決定権は施設にあり、学校側からは申し入れることしかできないというのなら、その申し入れとやらをとびきり強くしておいてくださいよね!!と言い切り、わかりました、と頭を下げられて、面談は終わった。
昨年の夏はこの教師とやりあった後、胃けいれんでひどいめにあったけれど、もはや胃も痛くならない。

先生の方はやつれて、変なシャツを着ていたりする。

進路指導の責任者だから企業に行くはずなのに、とてもそれに向いた服装ではない、あの人もうやる気がないよと少し前から別の保護者の方から聞いていた。

その方も、もう就活はここらで手打ちにしていいんじゃないですかね、と言われて激怒し、最後まで努力してください!と言ったそうだ。

親たちは少なからず不愉快な念を学校に持っているが、子供達は元気で、毎日楽しく、色んなことを褒めてもらってキラキラしながらくらしている。

虐待はされていなくてせめてよかった・・・なんて、そんなレベルのことを有り難がりたくない。
最終的にはどうなるにせよ、息子にとっての幸せだけはちゃんと得ようと決意している。

 

最初に理不尽ではなく、無断ではなく。

普通に誠意ある相談を進めていただき、理解しあって協調できる関係を築けていれば。

こんなにこじれはしなかったのに。

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息子アート

昨秋から月に2、3回、息子をアトリエに連れて行くようになった。
特別支援学校の高等部を卒業したら、もう息子には自宅以外で美術ができる場所がない。

それより少しでも外で、美術を楽しめる場が有ればと思って、障害の有る無しに関係なく受け入れてくれる場所を見つけて、通い始めたのだ。

最初は恐々だった親に比べて息子はすんなりその場に入って、その場の画材で絵を描き始めた。

が、それがどうにも大味なのである。

家では与えられないような大きな立派な画用紙に、とても素敵な色鮮やかな何十色もの絵の具、たくさんの筆、水入れバケツにたっぷりの雑巾。

なんでも自由に描いていいと、いつも優しく言ってもらうのだが。


なんか雑。

それは可愛いけど。




そして今日はさらに大味。

ものすごく大きくて適当・・・にすら見える。


家ではこういう感じの絵を描いているのだ。

幼い頃から好きなのはアンパンマンとドラゴンクエスト、

つまりやなせたかし先生と鳥山明先生をリスペクトしている。


これは昨年、特別支援学校の生徒の作品を集めた展覧会と、

そこに選んでもらえた息子の作品。

紙粘土で作った「ユキヒョウ」は、

ポスターやチラシ、幟旗や横断幕にまで載せていただいていて、

とても誇らしく思った。

 

単純化された図案と鮮やかな色彩。アトリエでのみ描く息子の絵も悪くない、可愛いと言われる。

でもやっぱり、日頃の彼の作品を見慣れた私やオットの目にはあまりにも大味に見えて、なんとなくしっくりこない。

「好きに描いていいよ」

声をかけたら、次に大きな猫の絵を描きかけていた手を止めてリュックから、いつもの落書き帳とボールペンを取り出し、細かくて生き生きとした絵を描き出した。

何か明るい物語がある、それが息子の中では生きて動いている、それを息子は紙に映し出して楽しんでいる・・・そんないつもの姿が見えて、優しい、可愛い、素直な絵が生まれてきた。

通りかかる人が足を止め、微笑みながら見入っていく。息子が無心に絵を描く。

無理して大きな画用紙に描かなくていい、無理に絵の具を使わなくていいよと息子に言ったら、息子はちょっと笑った。

 

大きな画用紙も綺麗な絵の具も嫌いなわけではないのだろう。

いつかそれで、またしっくりくる絵を描くのかもしれない。

そういう日が来てもいいし、こなくてもいい。

ただ息子が楽しんでいてくれたらいいのだ。

 

その幸せがずっと彼の中で続きますように。

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少しだけゴースト


係長(すごくチャーミングな女性)が、美味しいたい焼きを差し入れてくださった。
いつも行列のできているお店が、たまたま通りかかったらそれほど並ぶ人がいなかったので、事務所に残っている皆に食べさせてあげよう、と思ってくださったそうだ。
外がパリッと焼けていて香ばしいのがすごい。
しっとり蒸気を含んで重たいほどのたい焼きも、それはそれで美味しいと思うが、パリッとしたものを食べると抜群に美味しい!と思う。
しかも尻尾の先、隅々まできっちり餡子が入っている。
その餡子がまたなんとも言えず程よい甘さ、くどくなく、それでいて身も心も優しさでとろけそうな、ふんわりとした甘さ。
包み紙も可愛くて、少し疲れていた夕暮れ前のオフィスで、本当に美味しく、皆でひとときワイワイ言いながら楽しく頂いた。
そんなに喜んでくれるなら、もういつでも買ってきてあげると言ってくだはる係長。
係長が言ってくださればもうなんでもします、と思う私。
見事に餌付けされてます。



さて。
成人式と5つの舞台を終え、ようやくホッとできると思っていた娘の様子に、おや?そうでもないの?と違和感を覚えた今週初め。
気のせいかな〜と思っていたら、どうやら本気でテンパっている。
なんでも課題の締め切り間近で、でもその課題がさっぱり進んでいないと言うのだ。
嘘でしょ、やめてよ、と顔を背ける私。
それはもう自己責任で自分の努力でやって頂くしかないことだ。
そして、しばらく様子を見ていたが所々、課題の内容ではなくwordの扱いで苦労しているので、そこは見兼ねて手伝っているうち、つい、ここは日本語として変だよ、とか、テーマと繋がってないじゃない、など口出ししてしまう。
もうどう書けばいいのかさっぱりアイデアがわからないと途方に暮れている娘に、例えばこうこう、こうだから、ああいう感じでああなって…なんてアドバイスを口走ったら、ムスメは必死でそれを打ち込む。
いやいや、あなた、自分で考えて書きなさいよ…とは言ったものの、頑張って身悶えしながら進めているのに、課題提出時間を過ぎてしまった。
まさに、シンデレラタイムである。
固まるムスメに私は声をかけ続けた。
とにかく最後まで仕上げなさい、あと少しだから、と。
真夜中を40分過ぎて、娘の必死のレポートは出来上がったけれど、課題提出フォームは時間切れで閉じられていた(当然である)
しかし、だめを承知で先生のメールアドレスに課題添付で送信させて頂く。
翌朝、もう締め切りは過ぎています、と一言だけお返事が来た。
また固まる娘を叱咤して、丁寧にお詫びし、必死でがんばったけれども時間には間に合わなかった、でも最後まで仕上げられたので見て頂けないか、もう一度チャンスを与えて頂けないか、懇願のメール内容を伝えた。
必死でそれを打ち、送信した娘。
半日後、教授からレポートを見て、後ほど返信します、とお返事が来た。
良かった!受け入れてもらえそう!
娘と二人喜びあったのが一昨日である。

それで私は忘れていたし、娘もようやく一息ついているかに見えたが、今日の夕方、2日ぶりにPCを立ち上げたら、まるでチェックされていない手付かずのメールの中に、教授からの細かな課題の手直し内容を返してくださったものと、それを直して至急最提出しなさいとのご指示のメールが届いていた。
それを見もしないで娘は羽根を伸ばしていたのである。

心から愛する大切な娘であるが、さすがになぜもっと気にしない、提出したものに対しての教授からのレスポンスがあるかどうか気にもしないとはどういあことよ、と叱りとばしてしまった。
その上でみっちり課題の手直しをさせる。
文章苦手な娘のゴーストライターを長年務めて来たけれど、もういい加減卒業させて欲しいと、本当に心から思う。
にもかかわらず、今回もちょっとまたゴーストしてしまった…あとはこの2日間、娘の方から先生にお返事しなかったことの、とても切実な内容を書き、お許しを求めなくてはならない。
母のプチ・ゴースト状態は続く。

ちょっとあまりに親不孝じゃないですか、娘よ…

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オバケと息子

可愛いものは好き。

それがお安いとありがたい。
コスメもそんなにこだわりないので、

長いこと、それなりの良いお値段のものは買ってない私。
ドラッグストアのキラキラした可愛いコスメ空間が好きで、
何か足りないものがあると、いそいそと出かけて、
色々眺めて選ぶのを楽しみます。

このコンシーラーも三色パレットの可愛さ、

気が利いている使い分け仕様が気に入って購入。
大雑把な私は

そんなに細かく丁寧に使い分けしないんだけれども、

持っているだけでなんだか嬉しい。

 

 

子供もおおきくなったとはいえ、日々、子供らのことばかり考えて生きてる感じがまだまだ抜けず、進路がまだふわっとしか決まっていない息子のことは特に今、色々考えることがあるのだけれども。

とにかく今の息子の課題は社会性をもっと身に付けること。

社会性・・・そういう先生、あなたが全然身についてないでしょ、というツッコミはこの際おいておいても、実際に障害あることへ配慮をお願いするとはいえ、できる限り、健常に近い状態にもっていけることへの努力は日々必要なことはもちろんなのだ。

きちんと挨拶する、わからないことを質問する、報告する、ちゃんと並んで順番を待つ、などなど日常のそういうことはまあまあできていて、敬語も一生懸命使い分ける努力を周囲の人が感じてくれているのでなんとかなりそうなのだが、

そういう配慮で補いきれない弱点がある。

 

一般に障害ある人はそれぞれになにかこだわりを持つことが多いと言われていて(でも健常な人でもこだわって譲れない人は多いとおもうけれど)、息子についてもよく聞かれるのだが、

たとえば上着は全部きちんとボタンやファスナーを閉めないと気が済まない、着崩す、という観念を嫌がる、などの他に、鳩を非常にこわがることと、昼間であっても、一人になるのをとても怖がる、ということがある。

だからどんなに窓の多い明るい部屋であっても一人でそこで作業をする、などはできないかもしれない・・・と先方にお伝えして、配慮をお願いする。

これは小さい頃からそうで、学校でも更衣室に一人だと入れなかったり、教室に忘れ物をして、一人で取りに行くよう支持されても、できなくて廊下をずっと「困ったな、どうしよう」と呟きながらさまよっていたりすることがあった。

そのことを先生とお話していたところ、実は今年になってから学校でそれがないという。

教室で一人になっても平然としているというのだ。

去年はすさまじく怯えて大変だったのに。

年相応の成長ですかね、やっと大丈夫になったのかなと笑った私は、前に区のケースワーカーさんにもその息子の弱点をお話したとき、

「もしかしたら何か視えているのかもしれませんよ・・・じつは、そういう子、多いみたいなんです」

と真顔で言われ、きゃー、こわい、なんて盛り上がったんですよ、知的障害で心が純粋な分、犬や猫や赤ちゃんなんかが視ているらしいものが視えていることが多いんですって、とお話したら、担任の先生が奇妙な顔をなさった。

実はもう一人、クラスメイトの女の子が、去年の教室ではずっと

「オバケがいるよ。オバケがいるの」

と言い続けていたのが、今年、教室が変わってからは全く言わなくなったそうなのだ。

先生と無言で見つめあった後、ふたりできゃー!!と騒いでしまった。

学校は古く、周囲を二つの大きな病院に囲まれている。もう、何がでてもおかしくない環境ですよね、やっぱり何か、あの教室にはいたんだ、と私と先生とで納得してしまった。

 

息子は今年度、3箇所の就労移行支援施設と企業に1度、実習に行かせて頂いたのだが、そのうちの企業も含めた3箇所では、鳩も出現しなかったし、トイレも更衣室も一人で平気ではいっていて、問題ありませんでしたよ、と言って頂いたのだが、ある施設でだけは実習期間中終始、一人で更衣室やトイレに行けず、指導員の方を呼びに来て、一緒に来てくださいとお願いして付き添って頂いたそうだ。

綺麗で明るい、建物は新しい施設なのだけど・・・何かいたのか。

 

今後、たとえば引っ越しなどの予定が入るときには、とりあえず息子にお伺いを立てようと密かに思い始めている。

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昨年の夏、戦ったことについての長いお話

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娘がお土産に頂いてきた可愛いお菓子。

小さなお多福のお面が可愛い!

そうか、次の行事は節分か・・・ちゃんと豆まきしよう・・・!

 

 

 

会社に行くと、日頃、事務所の要として全てを知り尽くし、采配している方がぎっくり腰になりかけたと腰をさすり、困っていらっしゃった。

私も経験者。あれの辛さはよく知っている。

「ノーモアぎっくり腰」

その方が頼りにしてかかっていた整体の医師が行方不明になって困っているというので、ご夫婦で腰痛持ちで、腰痛治療医に詳しい友人にラインで、最寄りの名医を尋ねたら電話で返事があったので、昼休みに折り返し電話をして、おしゃべりしたら、とても楽しかった。

 

同じ地域で、障害を持つ同年齢の子を育て同じ学校に通って、一緒に役員をするってかなりのご縁なのだと思う。

しかも今年、私たちの息子の学年では、明らかに進路指導の先生に恵まれていないのだ。

就労を希望している生徒になんのリアクションもなく1学期を終え、問い合わせに、デタラメでトンチンカンな回答をしてきた進路指導の先生のこと、それを許す校長のことなど彼女の怒りに私も激しく同意で、盛り上がる。

その先生は知的障害ある子供達にも影でひどい毒舌を吐いているのを入学当初から私自身が目撃し、それがうちの息子に対したものでなくても不快で、非常に不信を抱いていた人だった。

それで色々注意していたら他にもあちこちから不穏な噂が聞こえてきて、これはいけない、近寄らないようにしようと思っていたのだ。

そうしたら大切な3年になって突然、担任からはずれて進路指導専任になった。

大丈夫なの!?と案じていたら全然大丈夫でなくて、保護者の希望を全く聞かない、尊重してくれない。

まずは志望調査表に色々気持ちを書いたのを読んでいただいたと思うが、なぜお返事がないのかと問い合わせることから昨年の夏の戦いの幕が切って落とされた。

 

不可思議な微笑を浮かべた進路指導教諭は
「ああ、志望調査書は保護者のお気持ちを知るために頂いてるので、いちいちお返事をしないことにしているんです」
としゃらっと言われた。

私は言葉を失った。

 

私たち保護者は、障害ある我が子の未来を思って必死で進路のことを考える。

夢が大きく現実とかけ離れていることもあるだろう。けれど何らかの可能性があるならそこにかけたい気持ちもあるし、でも我が子の負担になって苦しめることはしたくない、そこのあたりの落とし所としてどのような方針がいいのか、とにかく希望と不安の間を行きつ戻りつしながら、そのことで指標を頂きたくて先生に相談を、志望調査書をお出しするのだ。

それに返事はいちいちしないことにしてる、と笑顔で言われては。

みんなずっと返事を待っていたのに。


なんて、私達親の、切ないような気持ちに寄り添ってくださる気のない先生なのだろう、といっそはっきり思い切ることができるほどだ。

何も1学期が終わって、良くできる子ならまだしも、あれ?あの人全然何もできないのに、どうしてあの企業に実習に行ってるの?先生の選択基準がわからない、どうしてうちは何も声をかけてもらえないの?と1学期の終わりにざわついていた訳で。

 

呆れた私が親友に吐露したことから、このことは即座に保護者に知れ渡り、皆、気色ばんで騒然となったが、中でも私とオットは容赦しなかった。

 

この教師はいろんな保護者の要望に、面談の場で冷静にそれぞれのお子さんの短所をあげ、能力がない、故に希望に応えられないと追い詰め、諦めさせるのだという。

これだけ証拠が並んでもまだそれを希望されますか?というような会話の流れだったそうだ。

(親友から事細かに聞いた)

 

傷つけて撃退する・・・そういう人であるのかと私は考えて面談に望んだ。

 

手前味噌とわかっているから恐縮だけれど、

我が子は確かに知的障害者だから、健常な年相応なお子さんと比べれば理解できていないことはたくさんあるけれども、その障害の中でも精一杯良く育ってくれている方だと私もオットも自負している。

 

息子に障害があるとわかった時から私が心を砕いてきたことは、たとえ障害があるにしても精一杯、社会性を身につけ、モラルに反しない言動の人になれ、マナーを身につけ、絶対守れということだった。

人に預ける時も徹底してそれをお願いし、悪いことは悪いときちんと叱ってくださいと伝えてきた。

皆さんすごく共感してくださって、おかげさまで息子はいろんな方に教えていただき訓練されて、穏やかに落ち着いて成長できていると思うのである。

もちろん、完全ではない。失敗もするし、反省点は多々ある。でも素直でまっすぐなので、うまく行かない時もストレートであり、陰険ではない。

自閉症ではあるが人と合わせてやっていくことがそう苦手ではない。

 

しかし進路指導教諭は息子に就労はすすめないとおっしゃった。。

例えばある日、息子は終わりのホームルームでクラスメイトに伝えるべく、国語教諭を探して明日の持ち物を聞いてくるよう担任に仰せつかった。

息子が探し出した国語教諭はくだんの進路指導主任と対話中で、息子はちょっと待っていたのだけれど時間の経過にどうしていいかわからず、結局二人の教諭の話の腰をおって「○○先生、明日の持ち物はなんですか?」と聞いてしまったそうだ。

もちろんそれはいけない。

家でも家族の会話で人の話の途中で割って入らない、急ぐ時にはごめんねと声をかけて、とは教えるが、それはそう多いことではないから、十分に身についていなかったのだろう。

「そこで先生が注意されたら息子はどうしましたでしょうか?」

「すみません、と言いましたね」

「それ以降どうですか」

「気をつけているようです」 

「学べたのですね」

「そうですね」

「だけどその一度のことがあるから就労には適さないと先生は判断されて、私の志望調査書を無視して就労移行支援施設への入所に向けて指導をすすめられているということですか、私の了解なく?」

「そういうわけでは・・・」

「そういう会話のマナーで、D類型

(息子の学校は障害の特性で類型分けされていて、重度の方がAで3人の生徒さんに2人の担任がつき、

B、C、D類型で8人の生徒に二人担任という構成になっている。

類型により授業内容が変わってくるので、ちゃんと合っていることが大切だし、

Dに近づくほど能力が高いという通念がある)

のお子さんは完璧なんですか?」

「いえいえ!できない子が多いですよ」

「ではうちの子ができなかったことはそれほど極端にひどい訳ではないんですか」

「もちろんです」

「でしたら、うちの子が就労に適さないと今おっしゃったことはなんですか?Dのお子さんと比べて○○が何かひどくご迷惑をおかけしたことはないと思います。電車やバスでご迷惑をおかけしたこともないですし、登校拒否もしていません(Dの方には両方多い)」

「そうですね。きちんとしてますねえ」

「勉強も・・・Dの方で、うちの子より読み書き計算ができない状態の方、わりといますよね」

「そうです。ただ喋れるだけで何もできない、という生徒も多いです」

突っ込むと否定しない。肯定されると、だったらどうして?とやはりどうしても訝しさが募ってしまう。

 

類型分けによるクラス編成にも前から疑問があったのだ。

学校は何ができなくてもとりあえず喋れて(多弁症でも構わないらしい。すさまじく喋る人は会話ができない人よりもっと周囲を困らせることがあるけれども)、

一人で通学できるという人を最初にとにかく高めに評価するように思えていた。

その通学の仕方を知りもしないで・・・年相応のマナーが身についていない状態のお子さんはもちろん、中には一人で通学できると申告しておいて、実は親御さんが隠れて送迎している方もいて、ちょっと詐欺だなと感じていたのだ。

類型によって受けられる授業に非常に差ががあるので(極端な話、A・B類型の生徒さんは古い学校の中でもっとも築年数があたらしく綺麗な校舎で授業を受けるチャンスは一度もない)、そこにこだわらないではいられなくて私も辛いところだけれど、興味があるからつい他の方の様子もみてしまうし、そうすると色々気が付いてしまうことがあって、そのことと学校の指導のズレににずっと違和感を覚えていた。

 

年相応に物事が理解できていて振る舞えないからうちの息子はだめなんだというように、教師は話を展開した。

が、それで私にダメージを与えることはできない。

「十八歳の年齢として当然という理解力があれば、それは知的障害者ではないです。特別支援学校に来ていません」

と私はキッパリ答える。

彼はぐっと言葉に詰まった。

学校ではしばしば指摘されることに「それがやりたくてもできない、だから障害なんじゃん!!」と、これ、どのお母さんもみんな言ってることなんですけどね。

 

特別支援学校とは、障害ある子の特性を理解して、伸ばせるところを伸ばし、短所を補い抑制する訓練をする場所であって、

健常ならこうだけどあなたの子はこう、つまりあなたの子は健常じゃないですよ、と

わざわざ保護者に再確認させ、子供の未来を思い描くことを諦めさせるところではないはずだ。

それがわかっていない保護者は我が子を特別支援学校に通わせませんからね。

 

息子は小さな頃からは読み書きが得意でルールに外れることはしなかった。間違ったことをしてしまう時は、それがよくないことだと知らない時で、いけないと教えると大方しない(女性好きで女性に近寄りたがるという癖だけは幼い頃から治りにくい。とほほ・・・)

つまり基本的なルールは普通に理解し守れて、共同生活を幼稚園や学校で送れており、言葉は幼稚園の時で2語文、小学校3年生くらいの時で3語ほどしか話せなかったけれど、家庭や学校でコミュニケーションはよくとれていた。

知らない人、信頼関係が築けていない人の前では無表情になるが、基本は表情豊かで自分の気持ちを伝える動作や表現がうまく、愛嬌がある。

それが小学校5年くらいから文章として話せることが増え、今ではかなり会話ができ、敬語も一生懸命場に応じて使おうと努力している。

綺麗に字がかけ、辞書やスマホを使って文字を調べたり、PCの入力も得意で、最低限度の計算もでき、カレンダーや時計もしっかり理解して、生活に使っている。

これらはすべて今まで学校側からも報告されてきたし、私自身もよく知っている。

運動神経が良く(足、早い)、手先がものすごく器用であることは全ての先生が認めてくださっているし、美術が得意なので小学生時代から今に到るまで学校で画伯と先生方に呼ばれている。

そして、なにより、性格温厚だ。冗談もわかって面白く、柔軟な反応ができることも多い。自閉症の割にはコミュニケーション能力が高いほうなのだ。

他害、自害一切なし。

正直に言ってしまうととても自慢の大切な息子。

頑張って育ててきたのだ。いろんな方に頭を下げ、お詫びとお礼を何万回も言いながら。

 

違うというならどうぞ否定を、と私は教諭に迫り、横で無言でただメモだけ撮り続けていた(これも異様で、他のお母さんがたも、横で担任の先生が何もフォローしてくださらなかった、と嘆いていた。進路指導主任に一切口をだすなと言われているのは明白な様子)担任も大きく、こくこくとうなづいていた。

私はその担任に

「○○はそんなにダメな生徒ですか?C類型最低の子でしょうか」

と伺うと、担任の先生は大きく息を吸い込んだ後、

「いえ。○○くんは勉強も運動もよくできて、何よりお友達にものすごくやさしいです。○○くんの気遣いにみんな助けられています。」

と、進路指導主任をじっと見ながら言ってくださった。

追い詰められた進路指導主任は、椅子を後ろにひいた。

そしてとても歪んだ妙な笑いをうかべ、1学期のある就労移行支援施設での実習時に、息子はできないことに苛立ち、施設を飛び出したことがある、そんな生徒には就労を進められないんです、と言って勝ち誇ろうとしたのだった。

 

その施設は、実習にくる生徒すべてにまず折り紙の折り図を渡すのだった。

それを見て、いかに折り紙をできるかで、知的にどの程度か判断し、手先の使い方も見るとのことだった。

息子はヤッコや箱、風船など綺麗に折れた。が、鶴でつまづいたらしい。

施設としては助けを借りず、そこまで折れたことでもう十分すごいと思っていてくださったそうだが、息子は完璧主義。

できない自分にイラだち、「僕はもうここをやめます。家に帰ります」とすねたらしい。

「とても面白かったです!わーっとパニックになるのではなく、プライド高くグレた。でも、『まあまあそんなこと言わないでさ、次はこれをやろうよ』って話して別の作業を促したら気分を変えて、おちついて最後まで過ごせましたからね」

と施設の指導員さんに後に言われた。

 

その日帰宅した息子は「ママ、鶴を折る」と私に言ってきて、5回ほど折って習得し、翌日の実習で指導員に「僕は鶴を折ります」と声をかけ「お!やってみるか!よし』と気持ちよく指導員さんが応じてくれた目の前で鶴を折り、すごいなとほめられてニッコリ笑ったそうだ。

この顛末を私は実習最終日の反省会の時に、良いお話、褒め言葉としていただいたのだ。

できなかったことを練習してきてもう一度してみせてくれた気持ち、本当にすごいと思いました、立派でした、と。

横で担任も聞いていたことで、その話をなんと、この進路指導主任は「改悪」したのである。

怒り心頭。大爆発。

それまで自制していた私の気の強さが奔流となって流れ出た。

私は外見的に大人しそうに気弱そうに見えるそうで、そのギャップがいつも必要以上のインパクトを人に与えるのに我ながら困っているのだが、この日の効果は高かった。

進路指導主任は立ち上がってその場で机の上に深々と頭を下げ、

「非常に申し訳ありません、他の生徒のことと勘違いしていました。○○くんのことではありませんでした!」

といい、○○くんのことは教師皆が認めています、私も認めています、今後は○○くんのの進路のために努力します、、足を引っ張りません、邪魔しませんという、実に珍妙な約束をなさったのだった。

じゃ、今までやっぱり足をひっぱてたのかい、邪魔してたのかい、と突っ込みたくなるのは仕方ないんじゃないかしら・・・。

 

このことは録音していて、オットと聞き直し、要点を整理して校長と面談。

同じくトンチンカンな校長の答えを切って捨てる。

そもそも私たち保護者は、子供をなんとか企業就労させたいと望んでいても、企業に見学に行かないでくださいと言われている。

親が勝手にアクションを起こして企業が疎ましく思い、学校全体の印象が悪くなることを懸念してのことなのだが、見学しないでどこを私たちは希望すればいいのだろう?

そうやって不安を覚えつつも待っていたら、何もしてくれなかった。

一度も企業での実習をさせてもらえないまま1学期が終わってしまった。

障害者差別解消法、ノーマライゼーションが聞いて呆れる。

見学できないで、進路を決めることができるわけがない。親は動くな、学校が動くと言われて動きを封じられて結果、何もしてもらえない、この状態こそは差別そのもの、いつの時代のどこの国なのか。

この学校こそが障害ある子供達を差別し、いいように適当に扱っているのだ、と私たちは校長と副校長に詰め寄った。

校長先生はなんとかこの学校の体質を変えたいと念願しているのだが、なかなか難しんですとおっしゃった。

何がどう難しいのかは話してくださらなかった。

 

2学期にはお手紙が配布され、保護者の方で企業見学をされる場合は、学校にもその予定をお知らせいただけるようお願いします、とやんわり方針変更が通達された。

 

 

いずれにしても以来、私はすっかりモンスターペアレントの仲間入りを果たした。

可愛い優しいお母さんとして卒業させてよ!と吠えたいところだが、もうこうなったらなんだって構わない。

今では私が行くと校長先生以下、全ての先生に緊張が走る状態で、校長先生なんか廊下でばったり会うと後ずさりし、どもりながら挨拶される。

フン。

 

そして進路指導の先生はやつれはじめた。

毒舌は自分だけの専売特許ではないと実感したことが応えたのだろう。

私の職場の方達も私とその進路指導の先生および学年主幹、校長・副校長とのバトルを知っている。

なぜならバトルのあったその夏の日、私が胃けいれんに倒れたからである。

 

その長い面談の帰りには小雨が降っていた。

ひとり、人気ないグランドを横切り帰ろうとする私の後ろから走ってくる人の足音が聞こえ、名前を呼ばれて振り向くと、他のクラスの担任で若い先生が「○○さん!雨が降っています、これをどうぞ!」と折りたたみ傘をさしだしてくださった。

それから別の、美術の先生がまた走ってきて、○○くんの絵がすごく良いので・・・・展に応募したいのですが、いいですか?よろしかったら僕が写真を撮って、書類を書いて応募しますと声をかけてくださり、私は両方の先生にお礼を言った。

暖かさを感じてうれしかった。

多分、他の先生方は心配してくださっていた、私の気持ちをもわかってくださっていたのだと思えた。

救われた気持ちがした。

したけれども、もうその時点で胃がひどく痛かった。

やばい、胃けいれん起こしてる。私もヤワだなあと情けなく思いながら、自宅までの30分の運転を必死でこなし、帰宅するなり寝込んでソファで呻いた。

子供達がオットに私の以上を伝える電話をして、帰ってきてくれたオットに時間外の救急外来に運ばれる。

しかしその時点で私はなんとかもう落ち着いており、胃薬だけもらって帰った。

翌朝、出勤前に前日の時間外診療の清算をしにいこうと乗ったバスの中で再び激しい胃痙攣に襲われた。

激しい  気性は自覚しているが、だからといって人とやりあうことが好きな訳ではない。面倒ごとは嫌いだし、できれば平和な一生を希望しているわけで、それが本気でやりあったのだからストレスにならない訳はなく・・・つまりは本当は気弱な人間なのだ、私は。

人前で呻くのが嫌で必死でこらえたが、どうにも痛みは激しく呼吸すら苦しく、バスからおりた後、這うようにして病院に行き、たどり着いた受け付けで、くずおれてしまった。

恥ずかしいことにそこから数十分、しばし記憶曖昧である。ただ会社に連絡しなければ、私が行かないと皆がどれほど心配するかということだけ強く強く思い続けていた。

ブスコパンを投与され、オットがまた呼び出され、きてくれたオットに職場に欠勤の連絡を頼んだ。

後に事の顛末を職場で話し、

「○○さん、お子さんのためにがんばったんですね!」

「それはでも戦っちゃいますよね」

と慰めていただいた。同日、学年主幹から「今までのこと、全て深く反省し、心よりお詫びもうしあげます」と謝罪の電話があり、問題の進路指導主任が体調を崩して休んでいるとその時聞いたことを伝えると、職場の上司に

「○○さん、見事、刺し違えてるじゃないっすか!」

と笑われたものだ。

 

おかげでいつも以上に暑苦しい夏を送った後の秋は、学校側が急遽手配した実習の嵐だった。

大変なのは当の息子だが、息子は状況を理解し、落ち着いて、全てをちゃんとこなしてくれた。

こんなにも成長していたんだ、と親の私が驚くほどに。

 

しかしながら、全ては手遅れの感は否めない。

就職をするならもっと早いうちから企業に打診し、実習を重ねて秋には結果をだしていないといけなくて、学校側は清掃での就労ならいくつか当てはあるが、事務補助での就労は少ないとどうしていいかわからぬ様子。

私がネットで調べた特例子会社の名をだすたびに、そこに連絡してみて、「すみません。もう締め切られたあとでした・・・」と私の怒りの再燃を怯える様子で電話してくる、ということが何度も続き、結局、何も決まらぬまま年を越した。

親がネットで調べて、学校がそれを後追いしてダメで、あとはもうリアクションがない。これが進路指導なの?

私もオットもはや、呆れるのを通り越して笑ってしまえるほど。

もとより、就労でなければならないというつもりはない。

企業に実習に行ってみて、どれくらい息子ができるか様子をみて、気が済んだら就労移行支援施設を希望しようと思っていた。

実際、区内には就労していない20才過ぎの障害ある方が大勢いらっしゃるので、行政的にどうしても高卒の子はひとまず訓練施設へ、その訓練施設をもう出る段階の人を優先的に就労へ、という思惑があるのかなとも理解できるし、先輩方に聞くと、就労移行支援施設の進路指導は素晴らしくて、見学会も実習もばんばん開催・実施してくださり、就労への道が開けやすいそうだ。

なおかつ、楽しいよ、と。

息子も就労移行支援施設での実習が一番気楽で楽しかったように見える。

なので、ひとまず必ずは申し込まなければいけないという区内の就労移行支援施設には利用希望をだしているのだけれど、どうにもすっきりしない。

そういうご家庭が今年の息子の学校の3年生にはたくさんあるのだ。

 

そんな訳で友人と愚痴をこぼしあってうさを晴らし、職場で、最近進路指導の先生が順調に痩せてきてると評判なんですよね、と話すと

「ちゃんと痩せるくらい応えててよかったっすよね」

と笑われたのである。

「しかも最近は妙に派手な変なシャツをきてくるようになっていて、夏祭りではギターかき鳴らして尾崎豊歌ってたし、変なんですよ。でも一番尾崎に嫌われるタイプの先生なんですけどね、どういうつもりなんだか」

というと、それはもうかなり危ない精神状態になってるんじゃないっすか、と大笑い。

先生には申し訳ないけど、せめて馬鹿話のネタくらいにはなっていただかないと気が済まないわ。

 

以上のようなこともあって、私は何ヶ月もブログを打つ気になれなかったのだ。

入学した時からなんだかがっかり、これで本当に日本一なの???と不可思議な学校だったが、もう卒業まで2ヶ月ほどだ。

いっそ早く卒業したいなと楽しみですらある。

4月からはどうなるのか、今もよくわからなくて、実は他にもそういう方がたくさんいらっしゃることにもう驚き呆れているしかない状態なのだけれど、こんな中途半端な宙ぶらりんからは少なくとも解放されているはずなのだ。

 

くだんの教師は今、息子の評価をあげ、きっと就労移行支援施設にはいっても半年も通いませんよ、3ヶ月くらいで就労が決まると思いますと妙にもちあげる。

校長と相談して誉め殺し作戦に転じたんだな、きっと、・・・と思っている私である。
 

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