運命の日だったかもしれない



少し曇っていたけれど、

心は軽く明るい気持ちで見上げた連休初日、2月10日土曜日の都庁。


こういう展示会があり、

息子の書道作品を、

学校の代表5人のうちの一人として出品して頂いていたので、

家族で見に行ってみた。


伸び伸びと屈託のない息子の文字。
親は進路指導に苛立ったけれども、

息子は楽しく、お友達や先生方に見守られ、

引き立ててもらって、

楽しく過ごせてたんだな、と作品を見て実感する。
有難いことだ。


その前日の2月9日金曜日。

私が居住する区で(もしかしたら都内は皆、そうだったのかもしれないけれど)福祉施設利用調整というものの発表がある日だった。
夜になって、公立保育園の入所決定についてもかなり大きくニュースになっているのを観たから、全体的に公的な施設利用の調整結果が出る日だったのかもしれない。

障害ある子を持つ親にとっても本当に大切な日で、

高校(中卒でも可)を卒業したあとの我が子の進路として、

昨年11月に所属の地区の保健福祉課に出した希望施設・・・生活介護施設、就労継続支援のB型施設、

ゆくゆくは企業への就労を目指すための就労移行支援施設、それぞれの希望に対して、答えが出される日であったのだ。

生活介護とB型は継続し続けて通う施設、極端な言い方をすれば引っ越しなどしない限り、一生そこへ通うことになるというくらいの場所になる。

だからというわけではないのだろうけれど、希望は3つまで出せる。

一方、我が家の息子がめざす進路は特例子会社などへの就労なので、そのための訓練施設ともいうべき就労移行支援で通常2年、延長1年をいれても最高で3年通うというものだ。

こちらは二つしか希望をだせない。

親たちの考えは色々で、この2年半あまり、皆、どれくらい悩んだかと思う。さまざまな噂や評判は子供がもっと小さい頃から聞くわけで、早くからうちの子は絶対あの施設以外は 嫌!と決めてしまわれる方もいる。

偉そうなことは言えないけれど、たまたま進路対策委員という会を担当する役員を昨年度したおかげで、ものすごく不精な私が色々な施設や企業を見学させていただく機会を得たが、百聞は一見にしかず、と心から思った。

噂が古い、10年くらい前の伝聞であることがある場合が、私の周りの方達だと考慮にはいっていなかった。

施設も、区の指導も日々変わっているのだ。昔すごく良いと大評判だったところが今は建物も古び、何より施設長さんが変わったり、スタッフが入れ替わったりして雰囲気が全く違っている、方針も変更されているということもある。

頑なな思い込みは禁物だと実感した。

その上で私も息子の進路決めに望んだのだが・・・誰もが良い良いと口々に言い、なんとかそこに我が子をいれたい、どうにかしたいと切望する就労移行支援施設は最初からあえて外すところから始めた。

そしてほとんど誰もまだ知らないというところから息子共々経験を積んで行った結果、あららやっぱりここか、と一番人気の施設を第一希望とするしかないという経験をしてしまった。

11月の利用申請手続の時には保健福祉課の窓口で担当のケースワーカーさんと課長代理の方に、ああまたか、というような苦笑をされ、何しろものすごく狭き門だと覚悟を求められた。

そこがダメで、第二希望のところでも受け入れてくださいね、と。

第二希望のところも人気の施設で、そこでの息子の実習は絶好調だった。スタッフの皆さんも好意的で、申し込みを出したことをとても喜んでくださって、受け付けましたとお電話をくださった。

だからそこに進めば息子がとても楽しく、長所を発揮して褒めてもらって、充実した生活を送れるだろうと想像できた。

ただ。こちらから将来就職をということになった時のその進路のほとんどは、工場t的なところで、都内のオフィスでの事務職としての就労をさせたことがないのだという。

郊外の工場で手先の器用さを生かした仕事をするのも息子にとってはとても良い人生だと思う。

が、せっかく事務をこなせる能力があるのだ。字の読み書きも計算も怪しく遅いし、PCはもちろんコピーもファックスもできないのに希望しているわけではない。申し訳ないけれど、他の方より若干得意なこの分野を1番に推したい気持ちが強い親としては、残念ながら・・・というのも変だけれど、激戦の難関校みたいなその施設を希望するしかなくなったのである。

そこが一番、息子の力を伸ばし、足りない部分(自閉症の子にとって宿命の社会性)を補い、希望の職種での就労を可能にする可能性が高い施設であることは間違いないと認めざるを得なかった。

学校の進路指導は相変わらずぱっとせず、あっちにかけあい、こっちに掛け合いしてみましたがダメでした、もう締めきったあとでした、みたいな返事ばかりがくるのでもう笑うしかなく、このままでは望まない進路に4月から行くしかなさそうですね、と嫌味をぶつけたい気持ちにもなる。

担任の先生方からは、謝って済むものではありませんが、本当に申し訳ありませんでした、全てのことをお詫びしますと心痛むお言葉が連絡帳に書かれ、実際、2年生の時から私が希望を伝えていたのにも関わらず、担任が進路指導主任にそれを伝えずにいたということもあるので、責任は大いにあると思っているけれど、そこを責めても私の気持ちはすっきりしない。

私がもっと学校の進路指導に疑問をなげかけ、攻撃的にがんがん前に出ればよかったと思うし、オットは私任せにせず、自分が率先していればもっと違う進路が開けたのに、と悔やむ感じ。

ただ昨年度までの先輩方の進路指導を見ていると、まさか今年度の先生がここまで適当で、無断で、何もしてくれない人だとは予想もしていなかったのだ。

疑り深い私がうっかりしていた。何より私自身のミスだと思った。

もはや就労はほぼ無理。どこでもいいというものではやはりないから、自宅から通いやすく、何より知的障害者をたくさん採用していているジョブコーチがいるような、知的への理解がしっかりあるところがいいと思うと、学校のいう通り、もうとっくに実習も採用も締め切られているのだ。

第二希望の良き施設に行き、工場就労も視野にいれつつ、なんとか事務職での就労もないかお願いしてみる道を模索しようか・・・それが昨年末からの、私とオットの結論だった。

息子の未来がはっきり見えない、最近では滅多にないほどの不安を抱えた嫌な感じの年越しだった。

まあこれは受験生がいるご家庭はどこも同じなのかもしれないけれど。

いよいよ結果が出るという日を間近に控えた先週からはもう気もそぞろ。

希望より不安の方が大きい割合のなんとも言えない塊が胸にズンとつかえている。

結果が出るまで、これはもうどうにもならないんだと諦め開き直って日々の生活をこなし、気晴らしに家族で鎌倉に行って、美しい海を眺めて風に吹かれて、どんな結果が出たとしても必ず良い未来に繋がっているんだと信じようと思ったりした。

結果は電話で、担当のケースワーカーさんから午後伝えられる。

9日金曜日には仕事も休みをとり、朝から普通に家事をしてやることがなくなったら娘と、Amazonプライム動画で、「まほうのレシピ」というとても面白いアメリカのドラマを楽しむことに没頭した。(この作品は本当におすすめ!子供向けのものだとは思うけれど、全然大人でもドキドキハラハラわくわくできるし、色々学ぶことは多くて、主役の女の子たちも可愛いし大好き作品)

娘と二人、美味しい昼食を作って食べて、良いお天気だなあと窓から空を眺めていた。

13時を3分過ぎた時に電話が鳴った。

とても頼もしいケースワーカーさんの声とは違い、渋い男性の声で、担当のケースワーカーさんが急な用で訪問に出ることになり、代わりに連絡をさせていただきましたという、なんと保健福祉課の課長様である。夏に私が学校の対応に対する不満をぶちまけ、よく聞いてくださった方だ。

思わずあの説は大変お世話になりました、と言ってしまったらいえいえ、と答えてくださり、息子の利用調整の結果は、第一希望の施設に内定ですと言ってくださったのだ。

ありがとうございます!!と電話だけれど、深々と頭を下げ、片手で拳を突き上げたら、横にいた娘が最良の結果と悟って飛び上がった。

よかったですね、と課長さんも言ってくださり、もう感謝の言葉をお伝えして、電話を切ったあと、娘としばし抱き合い、本当の嬉しさで涙が出てきてしまった。

オットに電話するも出ないので、親友にメッセージを送る。

親友から瞬発で大喜びのお祝いの電話があり、彼女も良いところに息子さんの行き先が決まったというので互いに本当に喜びあった。

のちにオットから大喜びの電話があり、次々に色々な方にご報告し、喜んでいただいて。

この3連休、とても楽しく明るい気持ちで過ごせた。

こんなに心が軽く明るかったことはなかった気がする、ということはこの数年、ずっと不安で心配だったんだなあと自分でも感心してしまった。

夜もなぜかよく眠れる。

これが枕を高くして、というやつかとおかしい。

これからも色々あるだろうけれど、分岐点としての現在は最良の結果を得られたと思っている。

これにて私と学校との長らくの戦いも終戦となる。

先生方もどんなにかお喜びだろう。
進路指導主任、きっと祝杯をあげたでしょうね。

おめでとうございました、と、最後まで心の中であっかんべー。


もう痛まない


スーパーの中で目が合い、思わずお迎えしてしまったドナルド・ダック。

 

断捨離思考が進んでいる今、

捨てるのを勿体無く思う可愛いパッケージ、困る。

でも冷蔵庫を開けるたび、ドナルドがいると嬉しい。



昨年春にも思わず、こんな可愛い人をお迎えしていた。

映画、美女と野獣がヒットしていた時だったからか。
こちらは詰め替えがきくからいいけれど、

ドナルドさんの中身のケチャップが切れたら、

普通のを買って来て、せっせと詰め替えなくちゃいけないかしらと、ふと迷う。

ドナルドさんを捨てたら、ゴミ箱の中からずっと睨まれていそうで・・・


個人的には庶民の味方、スーパーの西友さんのオリジナル牛乳、

この容器のデザインもすごく可愛いと思う。

全体にほどこされったホルスタイン柄、端から覗く仔牛。

「僕のご飯、飲むの?」みたいな。

 


キャラクターグッズ、というには少し語弊があるのかもしれないけれど、
オットが仕事の都合で鑑賞したスーパー歌舞伎「ワンピース」の、

幕の内弁当の包み。
家族に申し訳ないからせめて雰囲気だけでも、と

捨てずに持ち帰ってきてくれたもの^_^


オットは「ワンピース」をほぼなにもしらないのだけど、

演目は大変面白かったとのこと。
さすが!

次のスーパー歌舞伎は「NARUTO」とのお話を聞いたので、

それは是非、子供達と観たいと思っている。

(そうだ、今から貯金しておかなければ!)




ついでながら先日銀行で頂いた通帳ケース。
職務で近くのみずほ銀行さんによくお邪魔するのだけれど、

いつからか丁寧にご挨拶いただくようになって、

ついに「いつもお越し頂いているお客様にアンケートをお願いしています」と

お声掛けされてしまい。
いえ、私、違うんです、単なる会社のお使いなんです、

アルバイトなんですゥと固辞したものの、

法人様でも結構なんです、いつも来て頂けている方に是非!

とのことで、簡単なアンケートにお答えしたらくださった、という。


可愛くて嬉しい。


物を減らしていかなければと思っているけど、可愛いものが嬉しいのも事実。
これから上手にバランスをとりながら、スッキリとして、

でも好きなものに囲まれた暮らしを目指したいと思うこの頃。

いや、各種企業様には、商品は、

なるべく捨てやすいシンプルお洒落なパッケージにして頂けたらありがたいですぅ…(小声)



1月も今日で終わり。
今後こそすべての課題を終えて、今から4月までの丸2ヶ月以上の春休みに入った娘はともかく、
特別支援学校の高等部に通う3年生の息子は、卒業まであと1ヶ月半の学校生活となった。


本人は姉のように大学に行きたいなと言うのであるが、あいにく知的障害者の通える学校はなく、

就労か、その前段階としての訓練施設で2年ないしは3年過ごす、というのが今後の進路になる。


その就労において、学校側が私達保護者に一切自ら活動するな、見学にも行くな、当校からの沙汰を待て、と強固な足止めをしておいて、

こちらの意思の確認も了解もなく、勝手に就労移行支援施設でいいだろうと決め、

就活の手配をなにもしてくださらなかった、というのがこの夏の大バトルだった訳で、

私が火を噴く龍のごとく怒った時には、もう、

各企業の来年度4月からの新規採用は殆ど締め切られてるんです〜、すみません、こちらが間違っていました、全て反省してお詫びいたします!!
というのが学校側からの回答だった。

早い話がそこからなにも解決せず、もやついたままの年越しである。
それでまた、私に区を縦断して学校まで来いというのを、ニヒルな笑いでもって受け、出かけて行った。

区が日本一と誇る就労移行支援施設での息子の実習の結果が3ヶ月経ってやっと来たからとのこと。
評価数の最高は4。
仕事の進め方、仕上がりなどは4で、速さは3.5、支持の理解が2。

前の実習から1週間開けずにすぐに行った実習で、通常5日行くところを祝日があったために4日だけの実習。
その中で息子はとてもよくやった方で、支持理解も4日目にはよくできていたという。
自閉症なので、初めての場所、初めての人に馴染むのに時間がかかる。

指示が理解できないというより、相手に対してまず心も実際の耳も開かない。

それが障害の特性だが、その割にはそこは柔軟な対応ができる息子、3、4日目には指示を理解し、動いていたというから、

本当に頑張ったと思う。

今回は担任二人が進路指導主任にとても、息子のことを庇って言ってくれた。

同じクラスから同じ場所に実習にいったメンバーの中ではピカイチの出来の良さで、指示にもちゃんと即座に反応できていた、と。

進路指導主任は、ああ、と唸る。
もはや時間切れなのはわかっているが、あまりに進路指導の役割を果たしていないではないか、という不満が私達夫婦の中に燻っている上、他にも何人も同じ思いの方がいると分かっているので、これはもう教師個人の資質の問題を越えた、学校としての体質の問題であると思い、後輩達のためにもここで、きっちりしっかり、意見しておこうと思う。

くだんの進路指導主任は学園生活も残り1ヶ月半ですし、貴重な学園生活を○○君にゆっくり味あわせてあげたいと、我々教師としては思うんですが、と切り出して来た。
私の口から、もう就活は諦めます、もういいです、と言ってほしい訳だが、結局これが夏(のバトル)からわかっていた落とし所でしたよね、と私はうっすら笑う。
夏には、その時の私のあまりの怒りぶりに、教師は慌てて、今からでも手はある、ギリギリまで努力します、と言ったのだ。
ま、無理だろうとわかっていたけれど。
経験して分かったこと…渋る教師から引き出した情報によると、
知的障害のある18歳が新卒で就労するためには、17歳である2年生の時にある程度、企業に実習に行って目星を付け、

では本当に就労するかどうかの見極めとして3年時に実習に行く、という形でなければならなかった。

それがセオリーだったのだ。(法律でそう決まっている訳ではなく、慣例的なもの?らしいけれど)
遅くとも3年の1学期が勝負だった。
そこまで何もなかった時点で、未来への道は閉ざされ、強制的に施設を選ばされることになっていた訳である。

なぜそうしなかったのか。
息子がまだ幼くて、色々課題があって就労には向かないと判断したから。

が、実際に企業は愛の手帳2度の人らまで採用するところが増えている。
何ができるできないだけを重視していない、ということだと思う。

 

っていうか息子、かなりできる方である。

教師の手伝いやお友達との助け合いなどでも大人びた配慮を見せているし、体育祭でも学園祭でも見せ場をもらって活躍し、美術では絵が大きな展覧会に選ばれ、最近では書道の作品も都の総合文化祭に出展されることになっている。

多くの先生が息子を認め、盛り立ててくださっているのだ。

息子は能力が低いから、と進路指導主任は言った言葉に、他の先生方が違を唱えてくださっているように思う。

クラスを4段階にわけ、もっとも障害が軽く就労に向いていると入学時に判断した生徒優先に就労をすすめたく(入学後、その実力とやらに陰りが見えても、そこは最後までごまかし通す)、とりあえず上から2番目類型の息子には、保護者に無断で足かせをかけた。
学校による学校のため区別・仕分けにより、息子の進路は親の私に何の断りもなく決められたとやはり思う。

これが障害者差別解消法の結果だろうか。

普通の子ならとことん希望を聞いて、現状と擦り合わせて、合意の上で進路を決めて行くはず。

自分がどこに進みたいか見学にも行くでしょう。

ノーマライゼーション?ちゃんちゃらおかしいとは、夏に校長に言ったとおり。


結局今回もそこを厳しく糾弾し、 ギリギリまで就労に向けた活動をしていただき、どうしても御縁がなければ就労移行支援施設に行きますが、決定権は施設にあり、学校側からは申し入れることしかできないというのなら、その申し入れとやらをとびきり強くしておいてくださいよね!!と言い切り、わかりました、と頭を下げられて、面談は終わった。
昨年の夏はこの教師とやりあった後、胃けいれんでひどいめにあったけれど、もはや胃も痛くならない。

先生の方はやつれて、変なシャツを着ていたりする。

進路指導の責任者だから企業に行くはずなのに、とてもそれに向いた服装ではない、あの人もうやる気がないよと少し前から別の保護者の方から聞いていた。

その方も、もう就活はここらで手打ちにしていいんじゃないですかね、と言われて激怒し、最後まで努力してください!と言ったそうだ。

親たちは少なからず不愉快な念を学校に持っているが、子供達は元気で、毎日楽しく、色んなことを褒めてもらってキラキラしながらくらしている。

虐待はされていなくてせめてよかった・・・なんて、そんなレベルのことを有り難がりたくない。
最終的にはどうなるにせよ、息子にとっての幸せだけはちゃんと得ようと決意している。

 

最初に理不尽ではなく、無断ではなく。

普通に誠意ある相談を進めていただき、理解しあって協調できる関係を築けていれば。

こんなにこじれはしなかったのに。


息子アート

昨秋から月に2、3回、息子をアトリエに連れて行くようになった。
特別支援学校の高等部を卒業したら、もう息子には自宅以外で美術ができる場所がない。

それより少しでも外で、美術を楽しめる場が有ればと思って、障害の有る無しに関係なく受け入れてくれる場所を見つけて、通い始めたのだ。

最初は恐々だった親に比べて息子はすんなりその場に入って、その場の画材で絵を描き始めた。

が、それがどうにも大味なのである。

家では与えられないような大きな立派な画用紙に、とても素敵な色鮮やかな何十色もの絵の具、たくさんの筆、水入れバケツにたっぷりの雑巾。

なんでも自由に描いていいと、いつも優しく言ってもらうのだが。


なんか雑。

それは可愛いけど。




そして今日はさらに大味。

ものすごく大きくて適当・・・にすら見える。


家ではこういう感じの絵を描いているのだ。

幼い頃から好きなのはアンパンマンとドラゴンクエスト、

つまりやなせたかし先生と鳥山明先生をリスペクトしている。


これは昨年、特別支援学校の生徒の作品を集めた展覧会と、

そこに選んでもらえた息子の作品。

紙粘土で作った「ユキヒョウ」は、

ポスターやチラシ、幟旗や横断幕にまで載せていただいていて、

とても誇らしく思った。

 

単純化された図案と鮮やかな色彩。アトリエでのみ描く息子の絵も悪くない、可愛いと言われる。

でもやっぱり、日頃の彼の作品を見慣れた私やオットの目にはあまりにも大味に見えて、なんとなくしっくりこない。

「好きに描いていいよ」

声をかけたら、次に大きな猫の絵を描きかけていた手を止めてリュックから、いつもの落書き帳とボールペンを取り出し、細かくて生き生きとした絵を描き出した。

何か明るい物語がある、それが息子の中では生きて動いている、それを息子は紙に映し出して楽しんでいる・・・そんないつもの姿が見えて、優しい、可愛い、素直な絵が生まれてきた。

通りかかる人が足を止め、微笑みながら見入っていく。息子が無心に絵を描く。

無理して大きな画用紙に描かなくていい、無理に絵の具を使わなくていいよと息子に言ったら、息子はちょっと笑った。

 

大きな画用紙も綺麗な絵の具も嫌いなわけではないのだろう。

いつかそれで、またしっくりくる絵を描くのかもしれない。

そういう日が来てもいいし、こなくてもいい。

ただ息子が楽しんでいてくれたらいいのだ。

 

その幸せがずっと彼の中で続きますように。


少しだけゴースト


係長(すごくチャーミングな女性)が、美味しいたい焼きを差し入れてくださった。
いつも行列のできているお店が、たまたま通りかかったらそれほど並ぶ人がいなかったので、事務所に残っている皆に食べさせてあげよう、と思ってくださったそうだ。
外がパリッと焼けていて香ばしいのがすごい。
しっとり蒸気を含んで重たいほどのたい焼きも、それはそれで美味しいと思うが、パリッとしたものを食べると抜群に美味しい!と思う。
しかも尻尾の先、隅々まできっちり餡子が入っている。
その餡子がまたなんとも言えず程よい甘さ、くどくなく、それでいて身も心も優しさでとろけそうな、ふんわりとした甘さ。
包み紙も可愛くて、少し疲れていた夕暮れ前のオフィスで、本当に美味しく、皆でひとときワイワイ言いながら楽しく頂いた。
そんなに喜んでくれるなら、もういつでも買ってきてあげると言ってくだはる係長。
係長が言ってくださればもうなんでもします、と思う私。
見事に餌付けされてます。



さて。
成人式と5つの舞台を終え、ようやくホッとできると思っていた娘の様子に、おや?そうでもないの?と違和感を覚えた今週初め。
気のせいかな〜と思っていたら、どうやら本気でテンパっている。
なんでも課題の締め切り間近で、でもその課題がさっぱり進んでいないと言うのだ。
嘘でしょ、やめてよ、と顔を背ける私。
それはもう自己責任で自分の努力でやって頂くしかないことだ。
そして、しばらく様子を見ていたが所々、課題の内容ではなくwordの扱いで苦労しているので、そこは見兼ねて手伝っているうち、つい、ここは日本語として変だよ、とか、テーマと繋がってないじゃない、など口出ししてしまう。
もうどう書けばいいのかさっぱりアイデアがわからないと途方に暮れている娘に、例えばこうこう、こうだから、ああいう感じでああなって…なんてアドバイスを口走ったら、ムスメは必死でそれを打ち込む。
いやいや、あなた、自分で考えて書きなさいよ…とは言ったものの、頑張って身悶えしながら進めているのに、課題提出時間を過ぎてしまった。
まさに、シンデレラタイムである。
固まるムスメに私は声をかけ続けた。
とにかく最後まで仕上げなさい、あと少しだから、と。
真夜中を40分過ぎて、娘の必死のレポートは出来上がったけれど、課題提出フォームは時間切れで閉じられていた(当然である)
しかし、だめを承知で先生のメールアドレスに課題添付で送信させて頂く。
翌朝、もう締め切りは過ぎています、と一言だけお返事が来た。
また固まる娘を叱咤して、丁寧にお詫びし、必死でがんばったけれども時間には間に合わなかった、でも最後まで仕上げられたので見て頂けないか、もう一度チャンスを与えて頂けないか、懇願のメール内容を伝えた。
必死でそれを打ち、送信した娘。
半日後、教授からレポートを見て、後ほど返信します、とお返事が来た。
良かった!受け入れてもらえそう!
娘と二人喜びあったのが一昨日である。

それで私は忘れていたし、娘もようやく一息ついているかに見えたが、今日の夕方、2日ぶりにPCを立ち上げたら、まるでチェックされていない手付かずのメールの中に、教授からの細かな課題の手直し内容を返してくださったものと、それを直して至急最提出しなさいとのご指示のメールが届いていた。
それを見もしないで娘は羽根を伸ばしていたのである。

心から愛する大切な娘であるが、さすがになぜもっと気にしない、提出したものに対しての教授からのレスポンスがあるかどうか気にもしないとはどういあことよ、と叱りとばしてしまった。
その上でみっちり課題の手直しをさせる。
文章苦手な娘のゴーストライターを長年務めて来たけれど、もういい加減卒業させて欲しいと、本当に心から思う。
にもかかわらず、今回もちょっとまたゴーストしてしまった…あとはこの2日間、娘の方から先生にお返事しなかったことの、とても切実な内容を書き、お許しを求めなくてはならない。
母のプチ・ゴースト状態は続く。

ちょっとあまりに親不孝じゃないですか、娘よ…


オバケと息子

可愛いものは好き。

それがお安いとありがたい。
コスメもそんなにこだわりないので、

長いこと、それなりの良いお値段のものは買ってない私。
ドラッグストアのキラキラした可愛いコスメ空間が好きで、
何か足りないものがあると、いそいそと出かけて、
色々眺めて選ぶのを楽しみます。

このコンシーラーも三色パレットの可愛さ、

気が利いている使い分け仕様が気に入って購入。
大雑把な私は

そんなに細かく丁寧に使い分けしないんだけれども、

持っているだけでなんだか嬉しい。

 

 

子供もおおきくなったとはいえ、日々、子供らのことばかり考えて生きてる感じがまだまだ抜けず、進路がまだふわっとしか決まっていない息子のことは特に今、色々考えることがあるのだけれども。

とにかく今の息子の課題は社会性をもっと身に付けること。

社会性・・・そういう先生、あなたが全然身についてないでしょ、というツッコミはこの際おいておいても、実際に障害あることへ配慮をお願いするとはいえ、できる限り、健常に近い状態にもっていけることへの努力は日々必要なことはもちろんなのだ。

きちんと挨拶する、わからないことを質問する、報告する、ちゃんと並んで順番を待つ、などなど日常のそういうことはまあまあできていて、敬語も一生懸命使い分ける努力を周囲の人が感じてくれているのでなんとかなりそうなのだが、

そういう配慮で補いきれない弱点がある。

 

一般に障害ある人はそれぞれになにかこだわりを持つことが多いと言われていて(でも健常な人でもこだわって譲れない人は多いとおもうけれど)、息子についてもよく聞かれるのだが、

たとえば上着は全部きちんとボタンやファスナーを閉めないと気が済まない、着崩す、という観念を嫌がる、などの他に、鳩を非常にこわがることと、昼間であっても、一人になるのをとても怖がる、ということがある。

だからどんなに窓の多い明るい部屋であっても一人でそこで作業をする、などはできないかもしれない・・・と先方にお伝えして、配慮をお願いする。

これは小さい頃からそうで、学校でも更衣室に一人だと入れなかったり、教室に忘れ物をして、一人で取りに行くよう支持されても、できなくて廊下をずっと「困ったな、どうしよう」と呟きながらさまよっていたりすることがあった。

そのことを先生とお話していたところ、実は今年になってから学校でそれがないという。

教室で一人になっても平然としているというのだ。

去年はすさまじく怯えて大変だったのに。

年相応の成長ですかね、やっと大丈夫になったのかなと笑った私は、前に区のケースワーカーさんにもその息子の弱点をお話したとき、

「もしかしたら何か視えているのかもしれませんよ・・・じつは、そういう子、多いみたいなんです」

と真顔で言われ、きゃー、こわい、なんて盛り上がったんですよ、知的障害で心が純粋な分、犬や猫や赤ちゃんなんかが視ているらしいものが視えていることが多いんですって、とお話したら、担任の先生が奇妙な顔をなさった。

実はもう一人、クラスメイトの女の子が、去年の教室ではずっと

「オバケがいるよ。オバケがいるの」

と言い続けていたのが、今年、教室が変わってからは全く言わなくなったそうなのだ。

先生と無言で見つめあった後、ふたりできゃー!!と騒いでしまった。

学校は古く、周囲を二つの大きな病院に囲まれている。もう、何がでてもおかしくない環境ですよね、やっぱり何か、あの教室にはいたんだ、と私と先生とで納得してしまった。

 

息子は今年度、3箇所の就労移行支援施設と企業に1度、実習に行かせて頂いたのだが、そのうちの企業も含めた3箇所では、鳩も出現しなかったし、トイレも更衣室も一人で平気ではいっていて、問題ありませんでしたよ、と言って頂いたのだが、ある施設でだけは実習期間中終始、一人で更衣室やトイレに行けず、指導員の方を呼びに来て、一緒に来てくださいとお願いして付き添って頂いたそうだ。

綺麗で明るい、建物は新しい施設なのだけど・・・何かいたのか。

 

今後、たとえば引っ越しなどの予定が入るときには、とりあえず息子にお伺いを立てようと密かに思い始めている。


昨年の夏、戦ったことについての長いお話

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娘がお土産に頂いてきた可愛いお菓子。

小さなお多福のお面が可愛い!

そうか、次の行事は節分か・・・ちゃんと豆まきしよう・・・!

 

 

 

会社に行くと、日頃、事務所の要として全てを知り尽くし、采配している方がぎっくり腰になりかけたと腰をさすり、困っていらっしゃった。

私も経験者。あれの辛さはよく知っている。

「ノーモアぎっくり腰」

その方が頼りにしてかかっていた整体の医師が行方不明になって困っているというので、ご夫婦で腰痛持ちで、腰痛治療医に詳しい友人にラインで、最寄りの名医を尋ねたら電話で返事があったので、昼休みに折り返し電話をして、おしゃべりしたら、とても楽しかった。

 

同じ地域で、障害を持つ同年齢の子を育て同じ学校に通って、一緒に役員をするってかなりのご縁なのだと思う。

しかも今年、私たちの息子の学年では、明らかに進路指導の先生に恵まれていないのだ。

就労を希望している生徒になんのリアクションもなく1学期を終え、問い合わせに、デタラメでトンチンカンな回答をしてきた進路指導の先生のこと、それを許す校長のことなど彼女の怒りに私も激しく同意で、盛り上がる。

その先生は知的障害ある子供達にも影でひどい毒舌を吐いているのを入学当初から私自身が目撃し、それがうちの息子に対したものでなくても不快で、非常に不信を抱いていた人だった。

それで色々注意していたら他にもあちこちから不穏な噂が聞こえてきて、これはいけない、近寄らないようにしようと思っていたのだ。

そうしたら大切な3年になって突然、担任からはずれて進路指導専任になった。

大丈夫なの!?と案じていたら全然大丈夫でなくて、保護者の希望を全く聞かない、尊重してくれない。

まずは志望調査表に色々気持ちを書いたのを読んでいただいたと思うが、なぜお返事がないのかと問い合わせることから昨年の夏の戦いの幕が切って落とされた。

 

不可思議な微笑を浮かべた進路指導教諭は
「ああ、志望調査書は保護者のお気持ちを知るために頂いてるので、いちいちお返事をしないことにしているんです」
としゃらっと言われた。

私は言葉を失った。

 

私たち保護者は、障害ある我が子の未来を思って必死で進路のことを考える。

夢が大きく現実とかけ離れていることもあるだろう。けれど何らかの可能性があるならそこにかけたい気持ちもあるし、でも我が子の負担になって苦しめることはしたくない、そこのあたりの落とし所としてどのような方針がいいのか、とにかく希望と不安の間を行きつ戻りつしながら、そのことで指標を頂きたくて先生に相談を、志望調査書をお出しするのだ。

それに返事はいちいちしないことにしてる、と笑顔で言われては。

みんなずっと返事を待っていたのに。


なんて、私達親の、切ないような気持ちに寄り添ってくださる気のない先生なのだろう、といっそはっきり思い切ることができるほどだ。

何も1学期が終わって、良くできる子ならまだしも、あれ?あの人全然何もできないのに、どうしてあの企業に実習に行ってるの?先生の選択基準がわからない、どうしてうちは何も声をかけてもらえないの?と1学期の終わりにざわついていた訳で。

 

呆れた私が親友に吐露したことから、このことは即座に保護者に知れ渡り、皆、気色ばんで騒然となったが、中でも私とオットは容赦しなかった。

 

この教師はいろんな保護者の要望に、面談の場で冷静にそれぞれのお子さんの短所をあげ、能力がない、故に希望に応えられないと追い詰め、諦めさせるのだという。

これだけ証拠が並んでもまだそれを希望されますか?というような会話の流れだったそうだ。

(親友から事細かに聞いた)

 

傷つけて撃退する・・・そういう人であるのかと私は考えて面談に望んだ。

 

手前味噌とわかっているから恐縮だけれど、

我が子は確かに知的障害者だから、健常な年相応なお子さんと比べれば理解できていないことはたくさんあるけれども、その障害の中でも精一杯良く育ってくれている方だと私もオットも自負している。

 

息子に障害があるとわかった時から私が心を砕いてきたことは、たとえ障害があるにしても精一杯、社会性を身につけ、モラルに反しない言動の人になれ、マナーを身につけ、絶対守れということだった。

人に預ける時も徹底してそれをお願いし、悪いことは悪いときちんと叱ってくださいと伝えてきた。

皆さんすごく共感してくださって、おかげさまで息子はいろんな方に教えていただき訓練されて、穏やかに落ち着いて成長できていると思うのである。

もちろん、完全ではない。失敗もするし、反省点は多々ある。でも素直でまっすぐなので、うまく行かない時もストレートであり、陰険ではない。

自閉症ではあるが人と合わせてやっていくことがそう苦手ではない。

 

しかし進路指導教諭は息子に就労はすすめないとおっしゃった。。

例えばある日、息子は終わりのホームルームでクラスメイトに伝えるべく、国語教諭を探して明日の持ち物を聞いてくるよう担任に仰せつかった。

息子が探し出した国語教諭はくだんの進路指導主任と対話中で、息子はちょっと待っていたのだけれど時間の経過にどうしていいかわからず、結局二人の教諭の話の腰をおって「○○先生、明日の持ち物はなんですか?」と聞いてしまったそうだ。

もちろんそれはいけない。

家でも家族の会話で人の話の途中で割って入らない、急ぐ時にはごめんねと声をかけて、とは教えるが、それはそう多いことではないから、十分に身についていなかったのだろう。

「そこで先生が注意されたら息子はどうしましたでしょうか?」

「すみません、と言いましたね」

「それ以降どうですか」

「気をつけているようです」 

「学べたのですね」

「そうですね」

「だけどその一度のことがあるから就労には適さないと先生は判断されて、私の志望調査書を無視して就労移行支援施設への入所に向けて指導をすすめられているということですか、私の了解なく?」

「そういうわけでは・・・」

「そういう会話のマナーで、D類型

(息子の学校は障害の特性で類型分けされていて、重度の方がAで3人の生徒さんに2人の担任がつき、

B、C、D類型で8人の生徒に二人担任という構成になっている。

類型により授業内容が変わってくるので、ちゃんと合っていることが大切だし、

Dに近づくほど能力が高いという通念がある)

のお子さんは完璧なんですか?」

「いえいえ!できない子が多いですよ」

「ではうちの子ができなかったことはそれほど極端にひどい訳ではないんですか」

「もちろんです」

「でしたら、うちの子が就労に適さないと今おっしゃったことはなんですか?Dのお子さんと比べて○○が何かひどくご迷惑をおかけしたことはないと思います。電車やバスでご迷惑をおかけしたこともないですし、登校拒否もしていません(Dの方には両方多い)」

「そうですね。きちんとしてますねえ」

「勉強も・・・Dの方で、うちの子より読み書き計算ができない状態の方、わりといますよね」

「そうです。ただ喋れるだけで何もできない、という生徒も多いです」

突っ込むと否定しない。肯定されると、だったらどうして?とやはりどうしても訝しさが募ってしまう。

 

類型分けによるクラス編成にも前から疑問があったのだ。

学校は何ができなくてもとりあえず喋れて(多弁症でも構わないらしい。すさまじく喋る人は会話ができない人よりもっと周囲を困らせることがあるけれども)、

一人で通学できるという人を最初にとにかく高めに評価するように思えていた。

その通学の仕方を知りもしないで・・・年相応のマナーが身についていない状態のお子さんはもちろん、中には一人で通学できると申告しておいて、実は親御さんが隠れて送迎している方もいて、ちょっと詐欺だなと感じていたのだ。

類型によって受けられる授業に非常に差ががあるので(極端な話、A・B類型の生徒さんは古い学校の中でもっとも築年数があたらしく綺麗な校舎で授業を受けるチャンスは一度もない)、そこにこだわらないではいられなくて私も辛いところだけれど、興味があるからつい他の方の様子もみてしまうし、そうすると色々気が付いてしまうことがあって、そのことと学校の指導のズレににずっと違和感を覚えていた。

 

年相応に物事が理解できていて振る舞えないからうちの息子はだめなんだというように、教師は話を展開した。

が、それで私にダメージを与えることはできない。

「十八歳の年齢として当然という理解力があれば、それは知的障害者ではないです。特別支援学校に来ていません」

と私はキッパリ答える。

彼はぐっと言葉に詰まった。

学校ではしばしば指摘されることに「それがやりたくてもできない、だから障害なんじゃん!!」と、これ、どのお母さんもみんな言ってることなんですけどね。

 

特別支援学校とは、障害ある子の特性を理解して、伸ばせるところを伸ばし、短所を補い抑制する訓練をする場所であって、

健常ならこうだけどあなたの子はこう、つまりあなたの子は健常じゃないですよ、と

わざわざ保護者に再確認させ、子供の未来を思い描くことを諦めさせるところではないはずだ。

それがわかっていない保護者は我が子を特別支援学校に通わせませんからね。

 

息子は小さな頃からは読み書きが得意でルールに外れることはしなかった。間違ったことをしてしまう時は、それがよくないことだと知らない時で、いけないと教えると大方しない(女性好きで女性に近寄りたがるという癖だけは幼い頃から治りにくい。とほほ・・・)

つまり基本的なルールは普通に理解し守れて、共同生活を幼稚園や学校で送れており、言葉は幼稚園の時で2語文、小学校3年生くらいの時で3語ほどしか話せなかったけれど、家庭や学校でコミュニケーションはよくとれていた。

知らない人、信頼関係が築けていない人の前では無表情になるが、基本は表情豊かで自分の気持ちを伝える動作や表現がうまく、愛嬌がある。

それが小学校5年くらいから文章として話せることが増え、今ではかなり会話ができ、敬語も一生懸命場に応じて使おうと努力している。

綺麗に字がかけ、辞書やスマホを使って文字を調べたり、PCの入力も得意で、最低限度の計算もでき、カレンダーや時計もしっかり理解して、生活に使っている。

これらはすべて今まで学校側からも報告されてきたし、私自身もよく知っている。

運動神経が良く(足、早い)、手先がものすごく器用であることは全ての先生が認めてくださっているし、美術が得意なので小学生時代から今に到るまで学校で画伯と先生方に呼ばれている。

そして、なにより、性格温厚だ。冗談もわかって面白く、柔軟な反応ができることも多い。自閉症の割にはコミュニケーション能力が高いほうなのだ。

他害、自害一切なし。

正直に言ってしまうととても自慢の大切な息子。

頑張って育ててきたのだ。いろんな方に頭を下げ、お詫びとお礼を何万回も言いながら。

 

違うというならどうぞ否定を、と私は教諭に迫り、横で無言でただメモだけ撮り続けていた(これも異様で、他のお母さんがたも、横で担任の先生が何もフォローしてくださらなかった、と嘆いていた。進路指導主任に一切口をだすなと言われているのは明白な様子)担任も大きく、こくこくとうなづいていた。

私はその担任に

「○○はそんなにダメな生徒ですか?C類型最低の子でしょうか」

と伺うと、担任の先生は大きく息を吸い込んだ後、

「いえ。○○くんは勉強も運動もよくできて、何よりお友達にものすごくやさしいです。○○くんの気遣いにみんな助けられています。」

と、進路指導主任をじっと見ながら言ってくださった。

追い詰められた進路指導主任は、椅子を後ろにひいた。

そしてとても歪んだ妙な笑いをうかべ、1学期のある就労移行支援施設での実習時に、息子はできないことに苛立ち、施設を飛び出したことがある、そんな生徒には就労を進められないんです、と言って勝ち誇ろうとしたのだった。

 

その施設は、実習にくる生徒すべてにまず折り紙の折り図を渡すのだった。

それを見て、いかに折り紙をできるかで、知的にどの程度か判断し、手先の使い方も見るとのことだった。

息子はヤッコや箱、風船など綺麗に折れた。が、鶴でつまづいたらしい。

施設としては助けを借りず、そこまで折れたことでもう十分すごいと思っていてくださったそうだが、息子は完璧主義。

できない自分にイラだち、「僕はもうここをやめます。家に帰ります」とすねたらしい。

「とても面白かったです!わーっとパニックになるのではなく、プライド高くグレた。でも、『まあまあそんなこと言わないでさ、次はこれをやろうよ』って話して別の作業を促したら気分を変えて、おちついて最後まで過ごせましたからね」

と施設の指導員さんに後に言われた。

 

その日帰宅した息子は「ママ、鶴を折る」と私に言ってきて、5回ほど折って習得し、翌日の実習で指導員に「僕は鶴を折ります」と声をかけ「お!やってみるか!よし』と気持ちよく指導員さんが応じてくれた目の前で鶴を折り、すごいなとほめられてニッコリ笑ったそうだ。

この顛末を私は実習最終日の反省会の時に、良いお話、褒め言葉としていただいたのだ。

できなかったことを練習してきてもう一度してみせてくれた気持ち、本当にすごいと思いました、立派でした、と。

横で担任も聞いていたことで、その話をなんと、この進路指導主任は「改悪」したのである。

怒り心頭。大爆発。

それまで自制していた私の気の強さが奔流となって流れ出た。

私は外見的に大人しそうに気弱そうに見えるそうで、そのギャップがいつも必要以上のインパクトを人に与えるのに我ながら困っているのだが、この日の効果は高かった。

進路指導主任は立ち上がってその場で机の上に深々と頭を下げ、

「非常に申し訳ありません、他の生徒のことと勘違いしていました。○○くんのことではありませんでした!」

といい、○○くんのことは教師皆が認めています、私も認めています、今後は○○くんのの進路のために努力します、、足を引っ張りません、邪魔しませんという、実に珍妙な約束をなさったのだった。

じゃ、今までやっぱり足をひっぱてたのかい、邪魔してたのかい、と突っ込みたくなるのは仕方ないんじゃないかしら・・・。

 

このことは録音していて、オットと聞き直し、要点を整理して校長と面談。

同じくトンチンカンな校長の答えを切って捨てる。

そもそも私たち保護者は、子供をなんとか企業就労させたいと望んでいても、企業に見学に行かないでくださいと言われている。

親が勝手にアクションを起こして企業が疎ましく思い、学校全体の印象が悪くなることを懸念してのことなのだが、見学しないでどこを私たちは希望すればいいのだろう?

そうやって不安を覚えつつも待っていたら、何もしてくれなかった。

一度も企業での実習をさせてもらえないまま1学期が終わってしまった。

障害者差別解消法、ノーマライゼーションが聞いて呆れる。

見学できないで、進路を決めることができるわけがない。親は動くな、学校が動くと言われて動きを封じられて結果、何もしてもらえない、この状態こそは差別そのもの、いつの時代のどこの国なのか。

この学校こそが障害ある子供達を差別し、いいように適当に扱っているのだ、と私たちは校長と副校長に詰め寄った。

校長先生はなんとかこの学校の体質を変えたいと念願しているのだが、なかなか難しんですとおっしゃった。

何がどう難しいのかは話してくださらなかった。

 

2学期にはお手紙が配布され、保護者の方で企業見学をされる場合は、学校にもその予定をお知らせいただけるようお願いします、とやんわり方針変更が通達された。

 

 

いずれにしても以来、私はすっかりモンスターペアレントの仲間入りを果たした。

可愛い優しいお母さんとして卒業させてよ!と吠えたいところだが、もうこうなったらなんだって構わない。

今では私が行くと校長先生以下、全ての先生に緊張が走る状態で、校長先生なんか廊下でばったり会うと後ずさりし、どもりながら挨拶される。

フン。

 

そして進路指導の先生はやつれはじめた。

毒舌は自分だけの専売特許ではないと実感したことが応えたのだろう。

私の職場の方達も私とその進路指導の先生および学年主幹、校長・副校長とのバトルを知っている。

なぜならバトルのあったその夏の日、私が胃けいれんに倒れたからである。

 

その長い面談の帰りには小雨が降っていた。

ひとり、人気ないグランドを横切り帰ろうとする私の後ろから走ってくる人の足音が聞こえ、名前を呼ばれて振り向くと、他のクラスの担任で若い先生が「○○さん!雨が降っています、これをどうぞ!」と折りたたみ傘をさしだしてくださった。

それから別の、美術の先生がまた走ってきて、○○くんの絵がすごく良いので・・・・展に応募したいのですが、いいですか?よろしかったら僕が写真を撮って、書類を書いて応募しますと声をかけてくださり、私は両方の先生にお礼を言った。

暖かさを感じてうれしかった。

多分、他の先生方は心配してくださっていた、私の気持ちをもわかってくださっていたのだと思えた。

救われた気持ちがした。

したけれども、もうその時点で胃がひどく痛かった。

やばい、胃けいれん起こしてる。私もヤワだなあと情けなく思いながら、自宅までの30分の運転を必死でこなし、帰宅するなり寝込んでソファで呻いた。

子供達がオットに私の以上を伝える電話をして、帰ってきてくれたオットに時間外の救急外来に運ばれる。

しかしその時点で私はなんとかもう落ち着いており、胃薬だけもらって帰った。

翌朝、出勤前に前日の時間外診療の清算をしにいこうと乗ったバスの中で再び激しい胃痙攣に襲われた。

激しい  気性は自覚しているが、だからといって人とやりあうことが好きな訳ではない。面倒ごとは嫌いだし、できれば平和な一生を希望しているわけで、それが本気でやりあったのだからストレスにならない訳はなく・・・つまりは本当は気弱な人間なのだ、私は。

人前で呻くのが嫌で必死でこらえたが、どうにも痛みは激しく呼吸すら苦しく、バスからおりた後、這うようにして病院に行き、たどり着いた受け付けで、くずおれてしまった。

恥ずかしいことにそこから数十分、しばし記憶曖昧である。ただ会社に連絡しなければ、私が行かないと皆がどれほど心配するかということだけ強く強く思い続けていた。

ブスコパンを投与され、オットがまた呼び出され、きてくれたオットに職場に欠勤の連絡を頼んだ。

後に事の顛末を職場で話し、

「○○さん、お子さんのためにがんばったんですね!」

「それはでも戦っちゃいますよね」

と慰めていただいた。同日、学年主幹から「今までのこと、全て深く反省し、心よりお詫びもうしあげます」と謝罪の電話があり、問題の進路指導主任が体調を崩して休んでいるとその時聞いたことを伝えると、職場の上司に

「○○さん、見事、刺し違えてるじゃないっすか!」

と笑われたものだ。

 

おかげでいつも以上に暑苦しい夏を送った後の秋は、学校側が急遽手配した実習の嵐だった。

大変なのは当の息子だが、息子は状況を理解し、落ち着いて、全てをちゃんとこなしてくれた。

こんなにも成長していたんだ、と親の私が驚くほどに。

 

しかしながら、全ては手遅れの感は否めない。

就職をするならもっと早いうちから企業に打診し、実習を重ねて秋には結果をだしていないといけなくて、学校側は清掃での就労ならいくつか当てはあるが、事務補助での就労は少ないとどうしていいかわからぬ様子。

私がネットで調べた特例子会社の名をだすたびに、そこに連絡してみて、「すみません。もう締め切られたあとでした・・・」と私の怒りの再燃を怯える様子で電話してくる、ということが何度も続き、結局、何も決まらぬまま年を越した。

親がネットで調べて、学校がそれを後追いしてダメで、あとはもうリアクションがない。これが進路指導なの?

私もオットもはや、呆れるのを通り越して笑ってしまえるほど。

もとより、就労でなければならないというつもりはない。

企業に実習に行ってみて、どれくらい息子ができるか様子をみて、気が済んだら就労移行支援施設を希望しようと思っていた。

実際、区内には就労していない20才過ぎの障害ある方が大勢いらっしゃるので、行政的にどうしても高卒の子はひとまず訓練施設へ、その訓練施設をもう出る段階の人を優先的に就労へ、という思惑があるのかなとも理解できるし、先輩方に聞くと、就労移行支援施設の進路指導は素晴らしくて、見学会も実習もばんばん開催・実施してくださり、就労への道が開けやすいそうだ。

なおかつ、楽しいよ、と。

息子も就労移行支援施設での実習が一番気楽で楽しかったように見える。

なので、ひとまず必ずは申し込まなければいけないという区内の就労移行支援施設には利用希望をだしているのだけれど、どうにもすっきりしない。

そういうご家庭が今年の息子の学校の3年生にはたくさんあるのだ。

 

そんな訳で友人と愚痴をこぼしあってうさを晴らし、職場で、最近進路指導の先生が順調に痩せてきてると評判なんですよね、と話すと

「ちゃんと痩せるくらい応えててよかったっすよね」

と笑われたのである。

「しかも最近は妙に派手な変なシャツをきてくるようになっていて、夏祭りではギターかき鳴らして尾崎豊歌ってたし、変なんですよ。でも一番尾崎に嫌われるタイプの先生なんですけどね、どういうつもりなんだか」

というと、それはもうかなり危ない精神状態になってるんじゃないっすか、と大笑い。

先生には申し訳ないけど、せめて馬鹿話のネタくらいにはなっていただかないと気が済まないわ。

 

以上のようなこともあって、私は何ヶ月もブログを打つ気になれなかったのだ。

入学した時からなんだかがっかり、これで本当に日本一なの???と不可思議な学校だったが、もう卒業まで2ヶ月ほどだ。

いっそ早く卒業したいなと楽しみですらある。

4月からはどうなるのか、今もよくわからなくて、実は他にもそういう方がたくさんいらっしゃることにもう驚き呆れているしかない状態なのだけれど、こんな中途半端な宙ぶらりんからは少なくとも解放されているはずなのだ。

 

くだんの教師は今、息子の評価をあげ、きっと就労移行支援施設にはいっても半年も通いませんよ、3ヶ月くらいで就労が決まると思いますと妙にもちあげる。

校長と相談して誉め殺し作戦に転じたんだな、きっと、・・・と思っている私である。
 


今日もまた…

疲れた・・・いや、まだ頑張ろう!そうだよ!

と夫婦で声を掛け合った本日は

娘の日本舞踊の会。

大学では昨年はバレエの授業を選択した娘、今年度は日本舞踊をチョイス。

それは良いことと応援、着て欲しい着物もある。


和裁士だった私の祖母は中振袖が好きで

私にも2枚、縫ってくれていた。

そのうちの1枚、縮緬の、黒地に小花模様のものを気に入って身につけた娘。

天国の祖母(娘からすれば会ったこともない曽祖母)は

今、どんなにか喜んでこの様子を見てくれているだろうと思った。

踊りや三味線、お琴に唄などが大好きな人だった。

 

小さな頃から踊りは得意な娘、日舞もとても上手ではないかと夫婦で親バカに浸ってたくさん写真や動画を撮ってきた。

音大なので日本舞踊の会とは言っても皆さんそれぞれ専攻の、ピアノやフルート、時にドラムまで演奏される。

斬新でかっこよくてとても素敵。

もちろん声楽専攻生徒たちの歌もありで、2時間超と長いながらも飽きのこない、とても楽しい会だった。

そのまま打ち上げに行くという娘を置いて、夫婦で夕食用の買い物をして地元へ。

息子は移動支援のヘルパーさんにお願いして神田のアトリエに出かけていたのを、ちょうどうまく駅で拾って帰宅。

楽しかったけど、疲れた。

 

先週、成人式という一大イベントを済ませたのだから本来ならそれでホッとできるところを、1週間立たぬ昨日今日で、声楽と日舞の発表会。

また週末の金曜日には娘が師と仰ぐ声楽の先生の門下生の発表会が横浜であり、その翌日の日曜日には藤沢の教会での合唱発表もあるのだが、同日、高校生最後の息子の学園祭があって彼も劇やら第九でのソロ歌唱やらあるため、藤沢へは残念ながら行けないのだが、息子の晴れ姿もしっかり観なくてはならない。

気が抜けない。

直視しないようにしていたけど、新年早々予定ぎっしりで、なんだかなあと思っていたのだ。

 

神戸の実家で一人暮らしをしていた母が、調子を崩して昨年4月から施設に入所していたのだが、そこで非常に元気を回復したため、要介護1が取り消され、また実家での一人暮らしに戻ることになったという妹からの連絡にも戸惑い、思い悩むことがいっぱい。

息子の進路のこともある。

 

ああ。

ゆっくりしたい。

今はとにかく目の前のことを一つ一つ頑張るのみ。

でもなるべく賢く、先のことも考えていかないと・・・なのだ。

やれやれ。

 


娘の成人式

本日無事に、成人式を迎えた娘。

 

初めての子供で、待望の女の子で、

私もオットもじいじもばあばも親戚も、

みんなみんな夢中だった。

この子を無事に安全に育てるために

どれほどの時間を送迎に費やしたことかとオットと二人感無量。

いや、まだこれからだってするんだけれど・・・。


赤がいいというので簪は新調したけれど、

(つまみ細工で、ゆらゆらと揺れる先に小鈴というのは私のこだわり)

あとは全て私のおさがり。

和裁士だった私の祖母が長襦袢から帯から着物まで、

全て縫ってくれたもの。

私が十九歳の夏に、祖母と一緒に呉服店に行って、

反物から襦袢の生地も帯も着物も選び、

帯揚げ帯締め半襟、草履にバッグと一緒に選んだ。

私の祖母・・・この娘のひいおばあちゃんが見たら

どんなに喜んでくれたかしら、と何度も思う。

きっと、私の祖父母もニコニコで、この娘を見守ってくれているだろうと確信がある。

 

たくさんの、本当にたくさんの新成人たち。

みんな輝いていて、うちの娘もキラキラして。

私たち親も万感の想いで。

 

毎年成人の日はすっきり晴れないそうだけれど、

今日はギリギリ雨が持ってくれた。

 

朝、早くから優しく素敵な美容師さんたちが、

腕によりをかけて娘を綺麗にしてくださった。

そこから歩いていく道すがら、

見知らぬいろんな方がお祝いの声をかけてくださってうれしかった。

私もこれからいつも、見知らぬ人でもちゃんとお祝いしようと思った。

 

誰も自分の力だけ、

一人だけでは幸せになれない。

いろんな人に助けられ、生かされて幸せがある。

与えられてばかりではいけない、

与える側になって。

 

・・・いえ、いろんな理屈はさておいて。

 

とにかく元気で。

そしてなんとかうまく(人を傷つけることだけはしないで)幸せになってください。

 

我が家の娘にだけではなく、

新成人の方に言いたい気持ちはただそれだけ。

 

とにかく、おめでとう!!


まさかの息子

先週、5日間の息子の実習が無事に終わった。

 

 

大丈夫だろうと思いながら、やはりどうしても不安な実習の始まりだった。

夏休みが終わって、9月1日金曜日の始業式に出た翌週から早速の実習だったので、わかってはいたけれど親子ともになにか夏休みの余韻が残っている状態。いわゆる夏休みボケである。

そして、夏休みだろうがなかろうが、なにしろずっと箱入り息子に育ててきたから、一人きりの往復に(30分だけど)何か問題があるかもしれない、と心細くてならない。

天災はもとより突然の事故のニュースも最近頻繁に聞くように思うし、それにやっぱり・・・人が怖い。

 

が、なんのトラブルもなく、息子は実習を終えることができた。

 

とはいえ、やはり障害者の自立、といういかにも美しげな言葉に疑問が湧く。

自分さえ無事ならいいというものではなく、障害者を身内に持つ者の一般論としてなのだが。

 

国は障害者の自立を声高に叫び、生活介護ではない=自力通所、通学が基本です、と極端なシステムを障害児とその保護者に押し付けてくる。

けれど、障害の度合ってそんなにパキッと綺麗に線を引いて分けられるものではない。

たいていの人がその間で困惑・当惑して手段のなさに悩むことになる。

大方の日本の福祉に関する取り決めがそうであるように、自立という良さげな言葉の本質は放置に等しいことが多く、要は予算削減、人員削減の言い訳のひとつでもあろう。

語彙豊富で七色のニュアンスを含ませることも可能なな日本語は、事実を曖昧にぼかしてさも実態を事実よりそう悪くもなさそうに表現する時にその力を発揮するものだなあ、といつも感心するのだが、こと障害者に関して言えば、自立という言葉で見放すほどには周囲の環境が整えられていないことが大問題である。

健常な人ですら、突然の災害時や事故、人災を切り抜けられずに危険な目に合うことがあるというのに、身体や知的に障害を抱えていて、どうしてその場を切り抜けられるだろうか。それが一人でできるなら世話はない。

何が本当の障害者差別の解消なのか、ノーマライゼーションなのかを、ちゃんと現場で多様なモデルを見聞きしした上で、ルールなり制度なりを発信していただきたいものだと常々思う。

言いたいことは山ほどあるが、私一人の力で今すぐ良い制度を実施できる力があるはずもなく、とりあえず交通機関に関係する方々への理解と配慮への啓蒙が制度としては近年かなり浸透しているはず、ということを頼りに、私も息子を送り出した。

実は、私のような極端に心配性な人間にとっては実に幸いなことだけれど、息子はどうやら、お上の理想の標準ケースに当てはまるタイプなのだと思う。(だからいいっていうものではないのだ、繰り返し言うけれど)

バスに乗車する時、愛の手帳を見せる、運転手さんが了解してくれる、それから乗る・・・という普通のことを普通にこなして毎日通所する・・・それはつまり、障害ある人の中では比較的障害の度合が軽度でしっかりしているということになる。

とはいえ、常に支援が必要であることには変わりはない。

いっそ重度の障害なら、もう文句のつけようもなく物理的にも精神的にもん完璧な保護の繭に包み込んでしまえるのに、という思いすら内心過ぎることがある。不遜で本当に申し訳ないことだけれど。

 

 

そんな私の心配をよそに、息子は一人で移動し、職場で与えられた仕事をこなすという日々を緊張しつつも楽しんだようだ。

順当に、就労に向けての力をつけ、前回のPC作業メインの事務補助型とはまた違う、ものづくり系の今回の現場でも、とてもよく評価していただいた。

一人で放置するのは怖くてできない。

でも支援を受けながらであれば、勤勉に丁寧に多くの仕事をこなすことができる。

性質が穏やかで、自閉症のわりにはコミュニケーション能力が高いのは、本当に小さな頃から、たくさんの人のご厚意に包まれ、支援を受けてこれたからだなと思う。

人との関係の築き方をゆるやかに優しく学んでくることができたからか、と。

 

とりあえず、9月最初の修行はクリアできたかとホッとした。

だがもう10月には2回の実習が決まっている。次は企業での実習だ。

その社屋の場所を確認し、親としてどのように息子に通勤の訓練をするか夫婦で考えはじめた週末を過ごして。

日曜日の朝、気がつくと息子がトイレにこもっていた。

下痢をしているようで、熱も相当に高い。

ああ、と胸が痛くなった。

やはり実習は息子には大きなストレスだったのだ・・・・・・と、思ったけれどオットも下痢をしているという。

いやいやパパはそんなにストレスないよね!断言しきったところで疑惑が心をよぎった。

下痢や発熱は体が体内の異分子を戦い、毒素を排出するための働きなので、無理に薬で抑えようとしない方がいいという。

だから1日様子を見ていて思ったが、これは風邪とかストレスからくる何かではない。私は娘は全くなんともないけれど・・・

 

翌朝、医師に下された診断は「軽い食あたり」。

我が家の男たちは、一体何を食べたのだろう・・・確かに倒れる前日の土曜日、嬉しそうに二人であれやこれやを買い食いしていたのは間違いないのだけれど。

 

もともと体力があるので、熱がさがると息子は大変元気になった。

しかしトイレに行く感覚はまだ30分おきである。

これでは明日も登校させることはできないだろう。

今日は私が仕事を休めず、夫に1/3有給をとってもらって病院に付き添ってもらい、奇跡的に娘の授業が午後休講になったので早めに帰宅してずっと看病してもらっていたのだが、明日は息子一人で養生しつつ留守番していることになった。

実習中も家族の誰よりも早く帰宅し、一人で鍵を開けて家に入って戸締りし、私が会社から戻るまで実に立派に留守番していてくれた息子なので(自発的に、朝洗って乾いている食器を片付けてくれたり、掃除機をかけたりしてくれていた)、それも大丈夫なのだろうと思う。

 

大きくなった。

本当にそう実感する。

 

 

 


ドレスに着物に色々と

タイトルとかけ離れた写真ですみません。

(まあ、いつものことですが)

ウルトラセブンとゼロがかっこいいでしょ。

我が家はみんなセブンファン。

息子のゼロも大好きです。

(特に娘が)

ご多聞にもれず、宮野真守さんが大好きよ。


私はいつも、ゼロ、あなたのお母さんはどこの誰なの!?

と、それが気になって仕方ない。

 


あ、ちなみにこれは、オット愛用のビールジョッキ。

確か、どこかのウルトラショップで見つけて購入したもの。

スカイツリーでだったかな?

ビールの冷えた状態が長くキープされることをオットは喜び、

けして割れないことを私は喜んでおります。

 

 

今日も息子の一人通所練習を朝から実施。

色々注意して、一人で出掛けさせた後を、オットが尾行し、私は先回りして現地で待つ・・・みたいな、

笑ってしまうしかないやり方なのだが、大マジメにやる。

しかし何の問題もなく、やすやすと息子は往復してのけた。当たり前なのだけれど。

かねてから周囲に、○○○君はもう全部一人で大丈夫よ、あなたが大丈夫じゃないだけよ!と言われ続け、

移動支援のヘルパーさん達にすら、新宿も渋谷も代々木も何も問題ないんで、

本当は僕ら要らないかと思いますが・・・、」と言われるのだけど、

いえ、心配ですから!と見守り続けてきた。

それも社会人になったら卒業かと思う。

心配で不安な気持ちはもちろんあるけれど、よくここまで育ってくれた、大きくなってくれたなあと思う気持ちの方が強い。

子供の成長で、本当に今まで頑張ってきてよかったなあ・・・と思う。

 

成長しているのは息子ばかりではなかった。

娘が来年、成人式である・・・!

私にはまだ、生まれたての小さな娘の息づかい、ほにゃんと柔らかで、くったりと暖かい重みある体を抱き上げた時の感覚を、まざまざと思い出すことができる。

本当に、心から愛おしくて大切で、なんだか辛いと思うほどだった。

ずっと子供のいない人生を歩んできて、それで十分幸せだったのに、もうこの子なしではいられない、この子なしの人生は考えられないと本気で思った。

オットの可愛がりようも半端ではなくて、新生児室から幼稚園、小中学校、高校、そして大学でまで、非常に熱心なお子さん想いのお父さん、としての存在感を出し続けている。

 

夢中で子育てしてきた。

私もオットも、娘の送迎に費やした時間はどれほどのものか計り知れない。

下手したらまだ送っているし・・・

今、放映中のドラマ「過保護のカホコ」はかなり我が家の状態に近く、ヤバいねえと笑いながら夫婦で見ている。

いや、我が家はカホコより一足早く、自立の道を促して、色々一人ではやらせているつもりなのでちょっと自信あるんだけれど、根本的なところはもう、はい、本当にすみませんと訳もなく謝りたくなるぐらい、子離れできない親の心理と行動パターンを突かれていると思う。

でも、昨日も一人で二つに学校に行くと言った娘に、いいから、いいから、私たちもちょっとドライブしたいからさ〜、なんて言って大学まで送ってしまったし。

 

しかしもう成人式なんだなあ。

まだ幼く見えるところもカホコと似過ぎている娘は、おそらくきっと、「ハチミツとクローバー」の中のはぐちゃんのように、

成人式の写真のはずが七五三の写真のようになる可能性も否定できないと思いながら、今日は地元の、すごく可愛いセットのある写真館に電話をかけた。

成人式の前撮りをお願いするためである。

先日、それこそ娘の幼稚園時代のママ達(皆それぞれ、街を離れ、小平市や茅ヶ崎市に引っ越されているのだが)が久しぶりに今の街にやってきてくれて、とても楽しいランチ会をしたのだが、

中の一人のお嬢さんがもう成人式の写真の前撮りをなさっていたのである。

それで私は内心焦った。

しまった、そういうものがあるのを忘れていた。昨年、別の友人にそのことを言われて、うちも早めにしなくちゃとおもっていたのに、と。

気がつけば成人式まであと4ヶ月。うかうかしていたら、こちらは良くても写真館の都合で撮れなくなるかも、とおそるおそる電話をかけた。

結果、10月で日にちが空いていた。

忘れていたけど、本当に七五三もまもなくあるわけで、予約はそこそこ埋まっており、祝日土日曜日は休日料金で6千円も高くなる。

娘の大学生活はストイックで、月〜金までぴっちり授業があり、アルバイトもできないほどだ(なので代わりに私がアルバイトに出てるわけだが・・・)が、奇跡的に平日、1日だけ休みがあった。

それが写真館の空きと一致。

やった!と心から神に感謝しながらその日を抑え、事前の打ち合わせの日も娘のスケジュールを確認しつつ決めた。

やれやれ、である。

来月半ばには七五三もどきの成人式写真が撮れるようだ。

七五三の時の娘は可愛かった。

その時の着物も私がきたものだけれど、成人式にも私の振袖を着てもらう。

当時なかなか値の張る古風な着物を私が気に入ってしまって、「よりによって絞りを選ぶか」と呻かれ、祖母には「さすが、私の孫や」と変な喜ばれ方をしたものだ。

しかも23で結婚してしまったからほとんど袖を通していない。

(妹は妹で、どうしても自分用に新しいものを買うと言ってきかなかったのである。ちなみに妹の子供は二人とも男の子なのだが、どうするのだろう。上の子が中1、下の子が小1なので、孫娘誕生に期待するにしても相当な未来ということになりそう)

娘が着てくれて、これから何度か袖を通してくれれば、やっとなんとか元がとれた気がするというものだ。

 

それでホッとしていたら、娘が10月にはさらに声楽のステージがあり、その後もあちこち教会などに歌いにいくので、また衣装が、ドレスがいると言ってきた。

う・・・

ドレスに着物に、小物もいろいろ。

女の子に必要なものは華やかで楽しい。

だけどその分お金もすごく、しっかりかかる。

とにかくきちんとバイトに行こう。

そう思うしかない私だった。

 


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