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2021.10.12 Tuesday

ムスコ、初出勤

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    小さな頃からあまり、ぬいぐるみと一緒に寝るタチではなかった。

    手に触れて寝ていたのは本、というのがほとんどで、

    私の子供たちが、特に教えていないのに小さな頃から、

    それぞれお気に入りのぬいぐるみを抱いて寝る姿にびっくりした。

    可愛かった。

     

    そんな私が最近、ぬいぐるみをそばに置いて眠っている。

    それがこの子。

    小さなオオカミのぬいぐるみ。

    これは秩父の三峰神社の売店で売られている、

    言わば秩父神社のご神使さまの形代、特別なぬいぐるみなのだ。

     

    スピリチュアル、神社仏閣参拝のブログなどで有名な

    AnnieKさんを通して、お迎えさせていただいたもの。

    可愛くてすぐ好きになり、子供たちになんて名前にしたらいい?と聞いたら、

    水無月、という名前になった。

    来てくれたのが6月だったから。

    私の子供たちは二人とも6月生まれて、私が結婚したのも6月だし、

    我が家にとって6月はとてもスペシャルな月だから。

     

    この可愛らしい凛々しさ。

    水無月くんは私の夢の番人。

    悪夢を追い払ってくれている。

     

     

    あっという間に息子の初出勤の日になった。

    一般の人の就職と違うのは、事前に実習期間が5日以上合って、

    職場の人と気心が知れ、社内の細かなルールもある程度わかっていて、

    初日にどこから入ってどう挨拶して、どこに自分の持ち物を

    かけたり置いたりすればいいかわかっているということ。

    それで気持ちは随分、送り出す方も楽である。

    そういう意味では実習初日の方が何も知らない、

    すべてが始めてなので緊張するのだが、

    手厚い就労サポートのある区のこと、

    初日は必ず所属施設の担当者も付き添ってくれているので、

    一人ぽつんと途方に暮れることはそうないのだ。

    まして今回、正式契約として私たち親もすでに先方の方たちとお会いし、

    お顔もお声もお話のされ方も判っていて、

    場所や雰囲気を知っているから、本当に安心というか。

    これが健常なお子さんの親と、

    障害を持つ子供を送り出すときの親の違いだろうか。

    健常な子ならもう高卒時点で本人に任せて大丈夫、と信じることができる。

    障がいある子供にはそこまでの自信は持てない。

    (持てる方もいるのかもしれないけれど)

    自治体によってこの対応には差があるのかもしれず、

    どうしてそんなことがあるのかなあ、と思うが、

    (同じ日本なのだから、全国一律、誰もが同じ対応をして頂けるべきではないか)

    とりあえず、今の支援に感謝する気持ちで一杯になる。

     

    きちんと清潔感のある身支度をさせて持ち物に気をつけて。

    送り出したらあとできることは祈ることだけだ。

    2歳上の娘の時も緊張したけど、やっぱり子供が大人になる瞬間の、

    一番大きな、決定的瞬間のような気がする。

     

    ムスコのハレの節目を、家族以外に誰が喜んでくれるだろうと思うと、

    やはり幼稚園時代の先生、特別支援学校時代の先生方の顔が真っ先に思い浮かんだ。

    それで一生懸命ご報告のメール、すごく長々しくなったものをお送りしたら、

    すぐに大喜びのお返事をくださった。

    この方たちの愛と慈しみに包まれて息子は育った。

    未熟なバカ母の私までも。

    本当にただ有難いと今日も思えた。

     

    それにしても。

    18で大学進学などのために家を離れる人も多くいるのだろう中で、

    いかに私の子離れの遅いことか。

    なんだったらもうずっと離れる気もなかったりしてね。

    自分は結婚で家を離れた。

    就職した時も全然子供じゃなくなるなんて意識がなかった。

    そう思ったのは結婚の時で、さすがに戸籍が代わることで意識を持った。

    (23歳)

    ということはそれまで自分が子供じゃなくなる意識を

    もっていなかったということか。

    確かに、我が子たちは全然そこまで思っている風はない。

    はっきりさせないまま、このままゆるゆると過ごしたい、

    なにごともないまま、穏便に穏やかに過ごしたいなあと

    なんとなく夢見る先に結婚する子供の姿や孫の姿を想像するのは、

    まだまだ私の頭が固いせいなのかもしれない。

     

    頭が固いにしろ柔らかいにしろ

    (価値観はその時代の感覚や経験によって変わるから)

    生きていくつもりなので、やはり先の事を考える。

    一応、周りの人の事も参考にする。

    孫がいる人とかそうでない人とか、幸せはそれぞれ。

    私も孫がいたらいいなと思いはするけれど、

    結婚とか出産が幸せへの通行手形では全然ないから

    子に強要する気持ちがない、ということ、

    それは別に私のなかで矛盾しない。

    どちらに転がってもいいのだ。

    どちらも面白がって体験したい。

     

    踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損、損、

    という。

    節目節目に思うことは、

    じゃあまあ一つ、私なりに踊ってみようか、ということだ。

    人からやる気なさそうに見えても、

    本人、案外、全力です。

     

     


    2021.10.11 Monday

    ありがとう、と伝えたくて

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      惜しげもない夕暮れの空の輝き。

      圧巻。

      正面に霞むシルエットは富士。

      電線の張り巡らされた空は分断されていても輝いている。

      その後、鳳凰が翼を広げて空を翔んだ。

      空にはいろんなメッセージが浮かんでいる。

       

       

      今日は祝日ではありません、と朝からいろんな番組が伝えていた。

      カレンダーのほとんどが今日をスポーツの日として赤字にしているので、

      中には本気で3連休だと信じている人がいるらしい。

      悲しいよね、祝日が減ってるのって。

      (正確には減っていなくて、8月に多かっただけなのだが)

      私はなんやかんやで今日、休日をとっていたので3連休です。

      ふふふ。

      嬉しかった。

       

      しかし休みは普段できないことをし、なんだかんだで忙しく、じっと座っていることがない。

      ほとんどは普段手が回らない部分の掃除で、

      チョコチョコやるだけだからすぐ済むと自分に言い聞かせながらやったのだが、

      気がつくと正午近く。

      あらあら。

      しかも今日も私は出かけなくてはならなかった。

      休みは一歩も外に出ず、誰にも会わないからこそ休みなんだ、というのが私の主張。

      でもここのところ3連続で休みがほんとの休みじゃなくなっている。

      仕方ないことなのだけれど。

       

      今日は息子の施設通所、最後の日だった。

      3年半も通わせていただき、いろんなことを教わった大切なありがたい場所である。

      そこをさるのに親がなんの挨拶もなしとはいきますまい。

      午後、熱暑の中を日傘をさして歩き出し、駅前の洋菓子店でクッキーの詰め合わせを作ってもらって、

      電車とバスに揺られて息子の施設にいきましたとも。

       

      行ってよかった。

      やっぱりいろんな方に感謝のお気持ちを伝えられて、

      何より私自身が名残を惜しめて、

      ちゃんとお別れの挨拶をしている息子の姿を見られてとても良かった。

      不思議と行きの電車もバスはもちろん、

      帰りの息子と一緒のバスと電車も全てスムーズで座れて、

      流れるように楽に移動できたのだ。

      こういう時はこれが正しい、良かったということ。

      神仏が加護、応援してくださっているのだ。

      そう思っている。

      だから帰りの夕焼けはこんなに綺麗で鮮やかなのかととても胸に染み入った。

       

       

      明日から新しい章が始まる息子の物語。

      忙しなくも感じるけれど、

      でも始まりは楽しく嬉しい。

      ありがたい。

       

      まだこれから息子のこの幸せな区切りを報告しなくてはならない方達がいる。

      メール作成、がんばらなくては。


      2021.10.07 Thursday

      神様に ありがとう

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        大好きなスピリチュアリストまさよさんの香水。

        女神様の香り。

        まさよさんがいつも神様においでいただく時に、

        とても良い香りがするという、それを出来る限り再現されたという、

        懐かしい、心地よい、昔のおしろいの香りのような。

         

        ずっと生産販売されているものではなくて、

        もう手に入らないので、もったいなくてあまり使えなくなったけれど、

         

        その後さらにまさよさんがだしてくれた男神さまの香り。

        神様への奉納香として

        神社へ参拝の折にお使いくださいとのもの。

        加藤美樹さんの絵が、女神様と同じくらい美しくて素敵すぎる。

         

        爽やかな美しい青い色。

        こちらももったいなくて、良き日に使おうと思っている。

         

        今日はそんな秘蔵の二つの香りを使いたい素晴らしい日になった。

         

         

        息子が来週火曜日から就労することになった。

        我が家が望んだ好条件が全て備わった夢のような良縁である。

        本日そちらのご好意で、

        ご両親にも職場の見学をしていただき、契約を結びに伺わせていただいたのだ。

         

        大きな、非常に社会的信用の高い企業さまである。

        その会社の社会貢献の一つとして立ち上げられた就労支援部署に、

        入れていただくことになって、

        その部署の部長様にご挨拶できるだけでありがたいこと、感謝すべきことなのだ。

        なのに。

        総務課の部長様や人事部の部長様と専務さんまで。

        目が回りそうになってしまった・・・・

         

        いただいた言葉は暖かさと優しさのこもったもの。

        実習期間中のムスコの礼儀正しさ、素直さ、優しさを褒めてくださる

        嬉しい幸せな言霊。

        思いが溢れて胸がいっぱいになった。

        さらには実習期間中のお昼休みの息子の落書きが、

        社の、ご利用者さまのお子様方や近隣の幼稚園などに配布する

        ノベルティの自由帳の表紙に使わせていただいてもよろしいでしょうか?と聞いてくださる。

        びっくり!

        とても可愛い、ぬくもりのある絵柄で、これはいいと思ったんです、

        と、とても熱心にいってくださり、ひえ〜っと驚く私とオット。

        願ってもないこと。

        さらには年末年始にお客様にお渡しするぽち袋にも

        ムスコが描いた虎の絵がもう印刷されているとのことで

        謝られたけど、とんでもない、嬉しくて有り難くて。

        こんなにありがたくていいの?幸せでいいの?と怖くなってしまうほど。

         

        とてもきれいな恵まれた社内。

        何より社の方皆さんのお人柄が素晴らしすぎる。

        なんて、なんて良い会社なんだ。

        ムスコはさらにやっていた。

        会社役員一覧の顔写真を見て、それをつらつら似顔絵にしていたらしい。

        それがまた社内にまわり、みんなとっても気に入ってるんですよ、と

        言っていただいて泣きそうになった。

         

        支援し続けてくれていた施設の担当の方も最後に、

        一緒に帰る道すがらおっしゃっていた。

        3年半、本当にいいところを見つけると待った甲斐がありました、

        絵の才能のこともこんなにとりあげてもらえるなんて、

        としみじみ。

        親の私たちの次にそれを喜んでくれる人のひとりなのは間違いない。

        本当にお世話になりました。

        お別れなんて寂しい、信じられない。

        この後も定着支援は続きますから、と言ってくださったのが救い。

         

        そう、ムスコと私たちの生活は続き、この先もずっと何かが変わっていくのだけれど。

        節目節目の区切りがめでたく、

        良いゴールで、良いスタートにまた繋がるものならば、

        それはやっぱりとても幸福に感じていい瞬間だと思うのだ。

        希望いっぱいの気持ちに浸れていいんだと。

         

        神様に感謝したい。

        ムスコを見守り、一生懸命教え導いてくださった先生方、

        お友達とお母さんたち、

        みんなみんなに感謝したい。

        息子が温和で優しく育ち、

        幸せそうで暖かな可愛い絵を描けるのは、

        皆さんからの愛いっぱいのおかげなのだから。

         

        誰も一人ではいきていけない。

        育児も一人だけではできない。

        ダメな私を本当に、たくさんの方が助けてくれてここまで来れた。

        感謝したい。

        ただそれだけ。

         

         

        帰宅後、ついに私はぐっすり眠った。

        この日のことも私の意識の奥底で緊張感になっていたものなのかもしれない。

         


        2021.06.19 Saturday

        感謝の誕生日

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          娘の誕生日の朝を迎えた。

          なんと24年目である。

          なんて・・・深い日々だったことだろう。

          あっという間だったということもできるけれど、

          私にはやっぱりひどく、1年1年が重く、かけがえのないものだったように思える。

           

          にこにこふわふわ、笑ってばかりの日々でした、とは言えないけれど、

          それでも総じて考えれば、まあそれなりに順調な人生だったと言えること、

          それにとても感謝したい。

          そして何より生まれてきてくれたことに、私もオットも感謝の気持ちでいっぱいなのだ。

          娘が生まれてきてくれるまでの、夫婦だけの7年間もそれは、

          それなりに楽しかった。

          もしかしてこのままずっとこうかも、それもいいかな、、、と、

          今で言うほど長く辛い不妊治療をしたわけではないけれど、

          不妊治療の難しさを感じて思うことも度々あった。

           

          まさかの妊娠をした時には本当に、お医者様も看護師さんも喜んでくれ、

          でも逆子の全前置胎盤で2ヶ月以上の入院をし、

          かなりの人にお世話になって生まれてきた。

          横浜の、海の近くの病院で、入院中に港で開かれた打ち上げ花火を見たし、

          たくさんの人と知り合って、病院ドラマみたいな経験もした。

          そしていよいよ出産の時は、結局かなりの大出血で九死に一生を得る形になって、

          無事に母子ともに24年前の朝を迎えた時には婦長さんが嬉し泣きしてくれた。

          そんな娘の誕生だった。

          私の母がどれだけ私に付き添い、何年間も神戸と東京を行き来して、

          私たち家族を助けてくれたことか!

          幼稚園の先生、小学校、中学校、高校の先生、大学時代の先生に至るまで、

          私はずっと覚えているし、感謝もしている。

          小児科・内科の先生、歯科医の先生も。

          私一人では到底育てられなかった。

          同志と呼べるママ友たちにも。

          娘を通して社会に参加し、知り得たこともたくさんあった。

          どれもみんな貴重な体験経験で、無駄なことはひとつもなかった。

          (面倒すぎる付き合いですらも)

          もう一度は繰り返せる気は全くしないが、それでもよかったと心から思える。

           

          早朝から出勤した娘と夕方、家族で落ち合って、

          娘が子供の頃から好きなお店で食事をした。

          薄暗くなり始めた店内に灯る明かりが優しく眩しくて、

          24年前の新米ママすぎた自分のあれこれを泣き笑いで思い出す空気にちょうどよかった。

          この可愛い、よく雑貨店などでみかけるステンドグラスをバーテーションにしているアイデア、

          とても素敵!とときめいてしまった。

           

          娘の大好物は私の大好物でもある。

          クリームソースにたっぷりのたらこ、海老、ほうれん草、

          そして特別オーダーのいくらのトッピング。

          美味しすぎる〜!

           

          24年もの幸せな日々に感謝。

          まあこれからもなるべく、サポートします。守ります。

          だから頑張って、幸せになって。

          母として祈るのはそれだけ。

           

          自分なりのしあわせの形を見つけてくれれば、それでいいから、と。


          2019.05.09 Thursday

          もう笑っちゃえ

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            セリアで見つけたハンカチ。

            息子にいい!と即、買った。

            価格破壊の昨今だけれど、

            若い男子向けのリーズナブルな服、

            雑貨って女性向けほど多くはないな、といつも感じていて。

            トップスにしろボトムスにしろ靴やバッグや小物にしろ、

            見かけたら買っておく、を心がけている母の私。

             

            その愛しい息子は自閉症スペクトラム。

            小さな頃は可愛いままで、ずっと時が止まっていてくれればと思うこともあった。

            でもうれしい成長を遂げてくれて、

            たくさんの温かな手厚い支援もいただけて

            (そう甘くはない世の中だけれど、多分とても恵まれている方)

            企業就労をめざす施設に通えている今日この頃である。

             

            企業就労がゴールではない。

            就職が決まることは嬉しいことだけれども、

            就職してからがまた長く、要は定着していくことがまた大変な道のりなのだ。

            故に施設は、就労後も長く手厚く、定着支援をしてくれることになっていて、

            親も子も長い長いおつきあいとなっていく。

             

            そういうコミュニティにはやはり当然、保護者会というものがあって、

            そういう会にはもれなく「役員」というものがついてくるのだった。



            昨年、私は息子が入所したばかりのその施設の初日に、

            役員を引き受けることになった。

            書記なら今までもしていたし、

            会長・副会長・経理と上にいてくださる下っ端である。

            気楽なものだ。

             

            今年度はもうお役御免かなあと、4月の集まりの日にうきうきと考えていた。

            その日、新元号が発表される日で、

            11時すぎとのことだったので、

            その頃にはもうお役目を解き放たれて気楽に、

            友らと楽しいランチを駅前あたりでしていることだろうと、

            呑気に出かけたのだった。

             

            今年度の新たな役員極めとして、1年目のお母さんがたに

            昨年、私が受けたように、仕事を受けていただくことをお願いするのはわかっていた。

            2年目のものから重い役目を選ぶのも仕方ないだろうと。

            就労移行支援施設に通えるのは原則2年、特例として3年である。

            昨年度会長だった方は私の家の近所で、

            娘の幼稚園時代からのおつきあい。

            ご縁があって仲良くしていただき、

            その方が今年度も残って会長をしてくださるのだろうと思っていたら、

            3年目に入ってしまっていつ就労が決まるかわからないので、今年はできないという。

            一人の方は親御さんが大変重いご病気で介護があり、

            そうでなくても女医さんでいらして、冗談抜きで多忙だけれど、

            昨年に引き続きて会計をしてくださるという。

            なんとご立派な。本当にごめんなさい、ありがとうと皆で頭を下げる。

            もう一人の方は、ただ一人の子がこういう知的障害ある子なので、

            残りの人生で少しでも自分が働いて将来に備える経済力をつけるため、

            これから正社員として就職予定だという。

            おお、それは確かに。

            もうお一方は本当に心身不調で通院中でなんとか今までやってきたため、

            今年度は解放していただきたいという。

            それも確かに。ご無理なさらず。

            あれ?

            私だけ、なにも、ないの?

            あれ。私って幸せだったの!?

            「お願いします」

            と皆に頭をさげられて、え、あ、う、はい・・・と頷いてしまった。

             

            まさかの会長。

            年に4回くらいスピーチがあるという。

            うち1回はかなり大きな行事で、区長も来られるようなお式でのスピーチだ。

            昨年、先輩がされているのを大変だなあと心から同情してみてましたよ。

            あれを私にやれってか!!

             

            おかげさまで駅前の小さなイタリアンでの素敵なランチも

            あんまり味がよくわからなかったし、

            新元号が令和と発表された時もほろ苦い気持ちでききましたとも。

             

            GW中は忘れておくことに専念していて、

            今日、息子が持ち帰った施設のお便りに、

            新会長としての私の名がプリントされているのを見て、

            冷水を浴びせかけられたかのように現実感を覚えたところ。

            もう笑うしかない。

            なんとか腹はくくれると思うけれど。


            2018.12.26 Wednesday

            のんびり看病

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              昨夜、息子の熱は下がる一方だった。

              夕方の38度4分から上がる一方になることを予想して覚悟を決めていたのだが、服薬もしていないのに38度を切り、37度台になっていた。

              熱はむやみに下げない方がいいという。体が戦っているその力を妨げないように、でもあまり高熱なら熱さましをと思っていたのだけれど。

              そして今朝は36度6分。深く眠っていて、大変な食いしん坊なのに、まだ食欲を示さないのだから、まだ正常ではない。

              当然休ませることは決定しているけれど、旅行のキャンセルはギリギリまで見合わせることにした。息子自身は行きたいと言っているのだけれど、今日はもちろん、明日の様子も見てみたい。

              したがって、明日まで通わせるつもりだった施設も、もう今日からお休みに入らせていただくことにして、大変申し訳ない。

              施設にそう電話をして、今年一年の感謝と、こんな形で早々に休みに入ってしまうお詫びをさせていただいた。

               

              いつもは大丈夫なのかと心配になる程食べる息子が、なんとか食欲を見せたのは本日の昼食のみだった。

              普段の息子なら1分で食べ終わるくらいの量のものをゆっくりと食べ、少し絵を描き、にこにこして私に甘え、そのあとまたソファに横になった。一見、シュッとした美青年になってきたけれど、中身はまだ小さな男の子なのだ。

              私もオットも娘も、彼をどれほど愛していることか。

              この子のために家族一致団結して、安定した幸福を作り上げていくのだと固く心に誓い合っている。

              叶うことなら私は、この子が無事に平穏に生涯を終えるその時まで、ずっと守り続けたい、そばにいてあげたいと願わない日はないのだけれど。

               

              けれど我が家の中心は娘だと思っている。

              娘は素晴らしい中和剤の役目を果たし、私を精神的に支えてくれるだけでなく、物理的にもすごく助けになってくれているのだ。

              オットは娘に社会勉強としてのアルバイトをもっとすべきだというし、私もそれに反対ではないのだけれど、娘が我が家のためにしてくれている家事手伝いは、かなりのアルバイトではないかと思っている。

              障害ある弟に寄り添い、支援している力も素晴らしい。

              娘が幼稚園時代からのママ友たちとお話すると、娘のお友達は皆、積極的にバイトに明け暮れているそうで、素晴らしいと思ったが、家の手伝いは全くしなくて、家事のことは理解しておらず、母親たちに完璧な食事作りと洗濯とアイロンかけ、クリーニングだしと引き取り、買い物、お風呂の準備、車での送迎などなどと期待しているそうだ。

              それはちょっと嫌だなあ。

              私は厳しい母親すぎたのだろうか。

              本来、それくらい自由でわがままでよかった娘に、とても窮屈な思いをさせてしまっているのかな、と考えたけれど、娘は普通に家のことが好きなようだ。

              しかしその娘も年末年始だけアルバイトをする。

              今年も今日から、大学近くの神社で巫女のアルバイトを始めている。

               

              息子が3時間以上も眠っている間にクリスマスの飾りをすっかり片付けた。掃除もしながらで大変な作業だった・・・。でも、お正月飾りを出すところまでくると、とてもさっぱりした気持ちに。

               

              息子の顔色も良く、平熱のまま変わらない。

               


              そんな息子のために新しいiphoneのケースを買った。

              今まで使っていたピーターパンのものが好きだったので同じものを探したけれど、

              見当たらず。

              でもこれを見つけて気に入ってしまった。

              スウェット素材のグレーにブルーのパイピング、

              印象的で、でも控えめな(笑)スパイダーマン。


              私と子供達はMARVEL大好き。

              スパイダーマンは特にお気に入り。

              内側に赤、というところがにくい。

              ただ、ストラップホールがないのは痛かった。

              息子には欠かせないものなのだ。


              新品に穴を開けるのは勇気がいるけれど、

              頑張ってハトメを付けた。

              これで、息子的に無敵のスパイダーマン。

               


              2018.12.25 Tuesday

              息子、発熱

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                なんだかんだで、オットからもらって嬉しい、

                そして処分に困らない贈り物はアクセサリーだ今でも思っている。

                バッグや服や靴のように劣化しなくて、

                捨てるべきだけど、捨てにくいなあ・・・という悩みがない。

                うっかり者の私が欲しいアクセサリーなんて、

                ちょっとした服や靴やバッグくらいの値段のものなのだ。

                (失くしたくないけど、失くしてまった時のことを考えると、

                それくらいの高価すぎないジュエリーがいいので)

                でも先々月の誕生日に、指輪を二つもらったので、

                クリスマスは遠慮したのだった。

                 


                人差し指用に、

                ずっと欲しかったオニキスを薔薇の形に刻んだ指輪。

                銀とオニキスで魔除けだなあ、と。

                薔薇を囲んでいるのは小さな蛇。

                ゴシック感が好き。


                小指用にもオニキスのリング。

                これはオニキスを囲む銀の台座が薔薇の形。


                私にとって一番新しい、お気に入りの指輪達。

                 

                穏やかなクリスマス。

                家族が皆出かけて行き、一人ガスコンロやレンジ周りの掃除に励み、キッチンを磨き上げてとてもスッキリ。

                それからずっと心の負荷になっていた、スマホのカメラロール内の整理にとりかかる。

                 

                撮りためていた画像を、iCloudやGooglePhotoのアルバムに整理して振り分ける作業。

                数が多いので結構大変だ。目が疲れ、肩が凝り、頭が痛くなる。それが億劫で、ずっと手をつけられなかったのだ。

                家族で共有する家族の写真、私だけの個人的な記録としての写真。

                初めて見るとやはり大変で疲れる作業だったけれど、この数年を振り返るとても良い機会になった。

                今からもう、写真を溜め込むことなく、きちんと整理しながら日々を過ごそうと決める。

                キッチンの掃除をしていても、クローゼットの整理をしていても、粗大ゴミを処分していても、そう思うのだけれどね。

                溜めないこと。これが大事なようだ。

                ズボラだからこそ、その瞬間瞬間に片を付けていかないとダメ、私はそういう人間なんだと、今年は本当に認識しました・・・。

                 

                そうして、元気に帰ってきた子供達・・・と思ったら、息子がソファにけだるげに横たわっている。

                おやつが、クリスマスケーキの残りで、少ないだろうなあ、もっと何か欲しがるだろうなあと夕食の支度をしていて、ふと気がついたら、息子が空腹意を訴えることなく、いつものようにゲームや絵を描くことを楽しむ様子もなく、ただ横たわっているのだ。

                息子がまだ小さくて、今よりもっと動きが活発だった頃も、稀にソファでじっと横たわっていることがあった。

                熱がある時である。

                あらあらまさかね、と言いながら熱を測ったら、38度4分あった!

                今も同じなんだね、とおかしく思いつつも、不安がどっと高まってくる。

                インフルエンザの予防注射をしたのは10日前。息子が通う施設ではインフルエンザを発症した方がいるという。二日前には娘が強い吐き気を訴えたことがあり、ノロウイルスかと心配したけど、こちらは発熱も下痢もなく、今日はもうなんともないというので、安心したところだけれど、やはりウイルスはあったのか。

                三日後に我が家恒例の年末の家族旅行で那須へ行く予定だけれど、キャンセルした方がいいかもしれない。

                 

                我が家の子供達は健康で、熱はほとんど年一回くらいしか出さない。

                その年一回の発熱を、年末にだすことが多い息子。

                なんども、この那須旅行の直前に倒れるという経験をしているのだが、それはたぶん、息子なりに1年めいっぱい頑張っていて、もうすぐその年が終わるね、という時期に、心底ほっとして気が抜けるからだろうと思うのだ。

                数年前にはクリスマスに寝込んで、その息子の横で家族でシャンパンで乾杯したっけ。

                ケーキを食べる時だけよろよろっと起きてきて、根性でケーキを食べ、またよろよろとソファに倒れこむ息子に、かわいそうだけれど笑ってしまったことがある。

                その翌年はクリスマス前にインフルエンザにかかり、その翌年はノロウイルスだった。

                いずれも旅行に出かけるぎりぎり前日になんとか外出許可が出る、というパターンで乗り切ってきた。結構なスリルである。

                去年ひさしぶりに何事もなく年末の旅行にでかけられたけど、今年もやはり息子パターンは健在か。

                 

                愛する息子の体以上に大切なものはない。私や娘、オットにも感染るかもしれないし、いつも親切にしてくださる那須の方々に病気を移すことがあっては断じてならない。

                決断が必要な夜になりそうだ・・・。


                2018.12.16 Sunday

                セレモニー

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                  街中の、大きなクリスマスツリー。

                   

                  街のいたるところにある、いろいろなクリスマスツリーを眺めるのが好きだ。

                   

                  雨が少し降った後の晴れ間の空が綺麗。

                  物干し竿越しに見えるこの空の色が、竿についた雨の雫が綺麗で可愛くて、

                  そのまま画像に写しとりたかったのだ。

                  でも水滴の綺麗さを捉えられなかったな。

                   

                  息子の通う施設でのビックイベントが今日、区内の大学のキャンパス内のホールを借りて行われた。

                  歩きなれない街を20分ほど、てくてく息子と二人歩く。

                  オットに車の送迎をお願いしたかったけれど、お歌仲間に頼まれたステージのお手伝いで、私たち親子より早く出かけてしまったので、グーグルマップをみながら、歩く。

                  道の向こうから、華やいだ明るい声をかけられた。

                  見ると、息子の幼稚園時代の先生だった。

                  すごい偶然でお会いできたのがうれしくて、気持ちがとても明るくなった。

                   

                  セレモニーはとても盛大で、区長さんもいらしたほどで、息子の通う施設に、天皇陛下皇后陛下が視察にお出ましになられた時のお話を伺った。

                  障害がある身ではあるが、それぞれの特性を生かし、受け入れてくださったそれぞれの職場で働いていらっしゃる様子を見聞きし、息子の将来への希望も持った。

                  たくさんのお友達にあえて楽しかった。

                   

                  出不精。それは私の生涯の性に違いないけど、出るべき時はちゃんと出ます。

                  そしてやっぱり出ると、割と楽しい。

                   

                  出かけて、家に戻った時の安堵感、一気にくつろげる気持ちも好き。

                  だからもっとお家の中をすっきりさせて、居心地の良さをアップさせようと思いながら、白いソファに寝転んでしばし目をつむる。

                  幸せな気がする。


                  2018.02.13 Tuesday

                  運命の日だったかもしれない

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                    少し曇っていたけれど、

                    心は軽く明るい気持ちで見上げた連休初日、2月10日土曜日の都庁。


                    こういう展示会があり、

                    息子の書道作品を、

                    学校の代表5人のうちの一人として出品して頂いていたので、

                    家族で見に行ってみた。


                    伸び伸びと屈託のない息子の文字。
                    親は進路指導に苛立ったけれども、

                    息子は楽しく、お友達や先生方に見守られ、

                    引き立ててもらって、

                    楽しく過ごせてたんだな、と作品を見て実感する。
                    有難いことだ。


                    その前日の2月9日金曜日。

                    私が居住する区で(もしかしたら都内は皆、そうだったのかもしれないけれど)福祉施設利用調整というものの発表がある日だった。
                    夜になって、公立保育園の入所決定についてもかなり大きくニュースになっているのを観たから、全体的に公的な施設利用の調整結果が出る日だったのかもしれない。

                    障害ある子を持つ親にとっても本当に大切な日で、

                    高校(中卒でも可)を卒業したあとの我が子の進路として、

                    昨年11月に所属の地区の保健福祉課に出した希望施設・・・生活介護施設、就労継続支援のB型施設、

                    ゆくゆくは企業への就労を目指すための就労移行支援施設、それぞれの希望に対して、答えが出される日であったのだ。

                    生活介護とB型は継続し続けて通う施設、極端な言い方をすれば引っ越しなどしない限り、一生そこへ通うことになるというくらいの場所になる。

                    だからというわけではないのだろうけれど、希望は3つまで出せる。

                    一方、我が家の息子がめざす進路は特例子会社などへの就労なので、そのための訓練施設ともいうべき就労移行支援で通常2年、延長1年をいれても最高で3年通うというものだ。

                    こちらは二つしか希望をだせない。

                    親たちの考えは色々で、この2年半あまり、皆、どれくらい悩んだかと思う。さまざまな噂や評判は子供がもっと小さい頃から聞くわけで、早くからうちの子は絶対あの施設以外は 嫌!と決めてしまわれる方もいる。

                    偉そうなことは言えないけれど、たまたま進路対策委員という会を担当する役員を昨年度したおかげで、ものすごく不精な私が色々な施設や企業を見学させていただく機会を得たが、百聞は一見にしかず、と心から思った。

                    噂が古い、10年くらい前の伝聞であることがある場合が、私の周りの方達だと考慮にはいっていなかった。

                    施設も、区の指導も日々変わっているのだ。昔すごく良いと大評判だったところが今は建物も古び、何より施設長さんが変わったり、スタッフが入れ替わったりして雰囲気が全く違っている、方針も変更されているということもある。

                    頑なな思い込みは禁物だと実感した。

                    その上で私も息子の進路決めに望んだのだが・・・誰もが良い良いと口々に言い、なんとかそこに我が子をいれたい、どうにかしたいと切望する就労移行支援施設は最初からあえて外すところから始めた。

                    そしてほとんど誰もまだ知らないというところから息子共々経験を積んで行った結果、あららやっぱりここか、と一番人気の施設を第一希望とするしかないという経験をしてしまった。

                    11月の利用申請手続の時には保健福祉課の窓口で担当のケースワーカーさんと課長代理の方に、ああまたか、というような苦笑をされ、何しろものすごく狭き門だと覚悟を求められた。

                    そこがダメで、第二希望のところでも受け入れてくださいね、と。

                    第二希望のところも人気の施設で、そこでの息子の実習は絶好調だった。スタッフの皆さんも好意的で、申し込みを出したことをとても喜んでくださって、受け付けましたとお電話をくださった。

                    だからそこに進めば息子がとても楽しく、長所を発揮して褒めてもらって、充実した生活を送れるだろうと想像できた。

                    ただ。こちらから将来就職をということになった時のその進路のほとんどは、工場t的なところで、都内のオフィスでの事務職としての就労をさせたことがないのだという。

                    郊外の工場で手先の器用さを生かした仕事をするのも息子にとってはとても良い人生だと思う。

                    が、せっかく事務をこなせる能力があるのだ。字の読み書きも計算も怪しく遅いし、PCはもちろんコピーもファックスもできないのに希望しているわけではない。申し訳ないけれど、他の方より若干得意なこの分野を1番に推したい気持ちが強い親としては、残念ながら・・・というのも変だけれど、激戦の難関校みたいなその施設を希望するしかなくなったのである。

                    そこが一番、息子の力を伸ばし、足りない部分(自閉症の子にとって宿命の社会性)を補い、希望の職種での就労を可能にする可能性が高い施設であることは間違いないと認めざるを得なかった。

                    学校の進路指導は相変わらずぱっとせず、あっちにかけあい、こっちに掛け合いしてみましたがダメでした、もう締めきったあとでした、みたいな返事ばかりがくるのでもう笑うしかなく、このままでは望まない進路に4月から行くしかなさそうですね、と嫌味をぶつけたい気持ちにもなる。

                    担任の先生方からは、謝って済むものではありませんが、本当に申し訳ありませんでした、全てのことをお詫びしますと心痛むお言葉が連絡帳に書かれ、実際、2年生の時から私が希望を伝えていたのにも関わらず、担任が進路指導主任にそれを伝えずにいたということもあるので、責任は大いにあると思っているけれど、そこを責めても私の気持ちはすっきりしない。

                    私がもっと学校の進路指導に疑問をなげかけ、攻撃的にがんがん前に出ればよかったと思うし、オットは私任せにせず、自分が率先していればもっと違う進路が開けたのに、と悔やむ感じ。

                    ただ昨年度までの先輩方の進路指導を見ていると、まさか今年度の先生がここまで適当で、無断で、何もしてくれない人だとは予想もしていなかったのだ。

                    疑り深い私がうっかりしていた。何より私自身のミスだと思った。

                    もはや就労はほぼ無理。どこでもいいというものではやはりないから、自宅から通いやすく、何より知的障害者をたくさん採用していているジョブコーチがいるような、知的への理解がしっかりあるところがいいと思うと、学校のいう通り、もうとっくに実習も採用も締め切られているのだ。

                    第二希望の良き施設に行き、工場就労も視野にいれつつ、なんとか事務職での就労もないかお願いしてみる道を模索しようか・・・それが昨年末からの、私とオットの結論だった。

                    息子の未来がはっきり見えない、最近では滅多にないほどの不安を抱えた嫌な感じの年越しだった。

                    まあこれは受験生がいるご家庭はどこも同じなのかもしれないけれど。

                    いよいよ結果が出るという日を間近に控えた先週からはもう気もそぞろ。

                    希望より不安の方が大きい割合のなんとも言えない塊が胸にズンとつかえている。

                    結果が出るまで、これはもうどうにもならないんだと諦め開き直って日々の生活をこなし、気晴らしに家族で鎌倉に行って、美しい海を眺めて風に吹かれて、どんな結果が出たとしても必ず良い未来に繋がっているんだと信じようと思ったりした。

                    結果は電話で、担当のケースワーカーさんから午後伝えられる。

                    9日金曜日には仕事も休みをとり、朝から普通に家事をしてやることがなくなったら娘と、Amazonプライム動画で、「まほうのレシピ」というとても面白いアメリカのドラマを楽しむことに没頭した。(この作品は本当におすすめ!子供向けのものだとは思うけれど、全然大人でもドキドキハラハラわくわくできるし、色々学ぶことは多くて、主役の女の子たちも可愛いし大好き作品)

                    娘と二人、美味しい昼食を作って食べて、良いお天気だなあと窓から空を眺めていた。

                    13時を3分過ぎた時に電話が鳴った。

                    とても頼もしいケースワーカーさんの声とは違い、渋い男性の声で、担当のケースワーカーさんが急な用で訪問に出ることになり、代わりに連絡をさせていただきましたという、なんと保健福祉課の課長様である。夏に私が学校の対応に対する不満をぶちまけ、よく聞いてくださった方だ。

                    思わずあの説は大変お世話になりました、と言ってしまったらいえいえ、と答えてくださり、息子の利用調整の結果は、第一希望の施設に内定ですと言ってくださったのだ。

                    ありがとうございます!!と電話だけれど、深々と頭を下げ、片手で拳を突き上げたら、横にいた娘が最良の結果と悟って飛び上がった。

                    よかったですね、と課長さんも言ってくださり、もう感謝の言葉をお伝えして、電話を切ったあと、娘としばし抱き合い、本当の嬉しさで涙が出てきてしまった。

                    オットに電話するも出ないので、親友にメッセージを送る。

                    親友から瞬発で大喜びのお祝いの電話があり、彼女も良いところに息子さんの行き先が決まったというので互いに本当に喜びあった。

                    のちにオットから大喜びの電話があり、次々に色々な方にご報告し、喜んでいただいて。

                    この3連休、とても楽しく明るい気持ちで過ごせた。

                    こんなに心が軽く明るかったことはなかった気がする、ということはこの数年、ずっと不安で心配だったんだなあと自分でも感心してしまった。

                    夜もなぜかよく眠れる。

                    これが枕を高くして、というやつかとおかしい。

                    これからも色々あるだろうけれど、分岐点としての現在は最良の結果を得られたと思っている。

                    これにて私と学校との長らくの戦いも終戦となる。

                    先生方もどんなにかお喜びだろう。
                    進路指導主任、きっと祝杯をあげたでしょうね。

                    おめでとうございました、と、最後まで心の中であっかんべー。


                    2018.01.31 Wednesday

                    もう痛まない

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                      スーパーの中で目が合い、思わずお迎えしてしまったドナルド・ダック。

                       

                      断捨離思考が進んでいる今、

                      捨てるのを勿体無く思う可愛いパッケージ、困る。

                      でも冷蔵庫を開けるたび、ドナルドがいると嬉しい。



                      昨年春にも思わず、こんな可愛い人をお迎えしていた。

                      映画、美女と野獣がヒットしていた時だったからか。
                      こちらは詰め替えがきくからいいけれど、

                      ドナルドさんの中身のケチャップが切れたら、

                      普通のを買って来て、せっせと詰め替えなくちゃいけないかしらと、ふと迷う。

                      ドナルドさんを捨てたら、ゴミ箱の中からずっと睨まれていそうで・・・


                      個人的には庶民の味方、スーパーの西友さんのオリジナル牛乳、

                      この容器のデザインもすごく可愛いと思う。

                      全体にほどこされったホルスタイン柄、端から覗く仔牛。

                      「僕のご飯、飲むの?」みたいな。

                       


                      キャラクターグッズ、というには少し語弊があるのかもしれないけれど、
                      オットが仕事の都合で鑑賞したスーパー歌舞伎「ワンピース」の、

                      幕の内弁当の包み。
                      家族に申し訳ないからせめて雰囲気だけでも、と

                      捨てずに持ち帰ってきてくれたもの^_^


                      オットは「ワンピース」をほぼなにもしらないのだけど、

                      演目は大変面白かったとのこと。
                      さすが!

                      次のスーパー歌舞伎は「NARUTO」とのお話を聞いたので、

                      それは是非、子供達と観たいと思っている。

                      (そうだ、今から貯金しておかなければ!)




                      ついでながら先日銀行で頂いた通帳ケース。
                      職務で近くのみずほ銀行さんによくお邪魔するのだけれど、

                      いつからか丁寧にご挨拶いただくようになって、

                      ついに「いつもお越し頂いているお客様にアンケートをお願いしています」と

                      お声掛けされてしまい。
                      いえ、私、違うんです、単なる会社のお使いなんです、

                      アルバイトなんですゥと固辞したものの、

                      法人様でも結構なんです、いつも来て頂けている方に是非!

                      とのことで、簡単なアンケートにお答えしたらくださった、という。


                      可愛くて嬉しい。


                      物を減らしていかなければと思っているけど、可愛いものが嬉しいのも事実。
                      これから上手にバランスをとりながら、スッキリとして、

                      でも好きなものに囲まれた暮らしを目指したいと思うこの頃。

                      いや、各種企業様には、商品は、

                      なるべく捨てやすいシンプルお洒落なパッケージにして頂けたらありがたいですぅ…(小声)



                      1月も今日で終わり。
                      今後こそすべての課題を終えて、今から4月までの丸2ヶ月以上の春休みに入った娘はともかく、
                      特別支援学校の高等部に通う3年生の息子は、卒業まであと1ヶ月半の学校生活となった。


                      本人は姉のように大学に行きたいなと言うのであるが、あいにく知的障害者の通える学校はなく、

                      就労か、その前段階としての訓練施設で2年ないしは3年過ごす、というのが今後の進路になる。


                      その就労において、学校側が私達保護者に一切自ら活動するな、見学にも行くな、当校からの沙汰を待て、と強固な足止めをしておいて、

                      こちらの意思の確認も了解もなく、勝手に就労移行支援施設でいいだろうと決め、

                      就活の手配をなにもしてくださらなかった、というのがこの夏の大バトルだった訳で、

                      私が火を噴く龍のごとく怒った時には、もう、

                      各企業の来年度4月からの新規採用は殆ど締め切られてるんです〜、すみません、こちらが間違っていました、全て反省してお詫びいたします!!
                      というのが学校側からの回答だった。

                      早い話がそこからなにも解決せず、もやついたままの年越しである。
                      それでまた、私に区を縦断して学校まで来いというのを、ニヒルな笑いでもって受け、出かけて行った。

                      区が日本一と誇る就労移行支援施設での息子の実習の結果が3ヶ月経ってやっと来たからとのこと。
                      評価数の最高は4。
                      仕事の進め方、仕上がりなどは4で、速さは3.5、支持の理解が2。

                      前の実習から1週間開けずにすぐに行った実習で、通常5日行くところを祝日があったために4日だけの実習。
                      その中で息子はとてもよくやった方で、支持理解も4日目にはよくできていたという。
                      自閉症なので、初めての場所、初めての人に馴染むのに時間がかかる。

                      指示が理解できないというより、相手に対してまず心も実際の耳も開かない。

                      それが障害の特性だが、その割にはそこは柔軟な対応ができる息子、3、4日目には指示を理解し、動いていたというから、

                      本当に頑張ったと思う。

                      今回は担任二人が進路指導主任にとても、息子のことを庇って言ってくれた。

                      同じクラスから同じ場所に実習にいったメンバーの中ではピカイチの出来の良さで、指示にもちゃんと即座に反応できていた、と。

                      進路指導主任は、ああ、と唸る。
                      もはや時間切れなのはわかっているが、あまりに進路指導の役割を果たしていないではないか、という不満が私達夫婦の中に燻っている上、他にも何人も同じ思いの方がいると分かっているので、これはもう教師個人の資質の問題を越えた、学校としての体質の問題であると思い、後輩達のためにもここで、きっちりしっかり、意見しておこうと思う。

                      くだんの進路指導主任は学園生活も残り1ヶ月半ですし、貴重な学園生活を○○君にゆっくり味あわせてあげたいと、我々教師としては思うんですが、と切り出して来た。
                      私の口から、もう就活は諦めます、もういいです、と言ってほしい訳だが、結局これが夏(のバトル)からわかっていた落とし所でしたよね、と私はうっすら笑う。
                      夏には、その時の私のあまりの怒りぶりに、教師は慌てて、今からでも手はある、ギリギリまで努力します、と言ったのだ。
                      ま、無理だろうとわかっていたけれど。
                      経験して分かったこと…渋る教師から引き出した情報によると、
                      知的障害のある18歳が新卒で就労するためには、17歳である2年生の時にある程度、企業に実習に行って目星を付け、

                      では本当に就労するかどうかの見極めとして3年時に実習に行く、という形でなければならなかった。

                      それがセオリーだったのだ。(法律でそう決まっている訳ではなく、慣例的なもの?らしいけれど)
                      遅くとも3年の1学期が勝負だった。
                      そこまで何もなかった時点で、未来への道は閉ざされ、強制的に施設を選ばされることになっていた訳である。

                      なぜそうしなかったのか。
                      息子がまだ幼くて、色々課題があって就労には向かないと判断したから。

                      が、実際に企業は愛の手帳2度の人らまで採用するところが増えている。
                      何ができるできないだけを重視していない、ということだと思う。

                       

                      っていうか息子、かなりできる方である。

                      教師の手伝いやお友達との助け合いなどでも大人びた配慮を見せているし、体育祭でも学園祭でも見せ場をもらって活躍し、美術では絵が大きな展覧会に選ばれ、最近では書道の作品も都の総合文化祭に出展されることになっている。

                      多くの先生が息子を認め、盛り立ててくださっているのだ。

                      息子は能力が低いから、と進路指導主任は言った言葉に、他の先生方が違を唱えてくださっているように思う。

                      クラスを4段階にわけ、もっとも障害が軽く就労に向いていると入学時に判断した生徒優先に就労をすすめたく(入学後、その実力とやらに陰りが見えても、そこは最後までごまかし通す)、とりあえず上から2番目類型の息子には、保護者に無断で足かせをかけた。
                      学校による学校のため区別・仕分けにより、息子の進路は親の私に何の断りもなく決められたとやはり思う。

                      これが障害者差別解消法の結果だろうか。

                      普通の子ならとことん希望を聞いて、現状と擦り合わせて、合意の上で進路を決めて行くはず。

                      自分がどこに進みたいか見学にも行くでしょう。

                      ノーマライゼーション?ちゃんちゃらおかしいとは、夏に校長に言ったとおり。


                      結局今回もそこを厳しく糾弾し、 ギリギリまで就労に向けた活動をしていただき、どうしても御縁がなければ就労移行支援施設に行きますが、決定権は施設にあり、学校側からは申し入れることしかできないというのなら、その申し入れとやらをとびきり強くしておいてくださいよね!!と言い切り、わかりました、と頭を下げられて、面談は終わった。
                      昨年の夏はこの教師とやりあった後、胃けいれんでひどいめにあったけれど、もはや胃も痛くならない。

                      先生の方はやつれて、変なシャツを着ていたりする。

                      進路指導の責任者だから企業に行くはずなのに、とてもそれに向いた服装ではない、あの人もうやる気がないよと少し前から別の保護者の方から聞いていた。

                      その方も、もう就活はここらで手打ちにしていいんじゃないですかね、と言われて激怒し、最後まで努力してください!と言ったそうだ。

                      親たちは少なからず不愉快な念を学校に持っているが、子供達は元気で、毎日楽しく、色んなことを褒めてもらってキラキラしながらくらしている。

                      虐待はされていなくてせめてよかった・・・なんて、そんなレベルのことを有り難がりたくない。
                      最終的にはどうなるにせよ、息子にとっての幸せだけはちゃんと得ようと決意している。

                       

                      最初に理不尽ではなく、無断ではなく。

                      普通に誠意ある相談を進めていただき、理解しあって協調できる関係を築けていれば。

                      こんなにこじれはしなかったのに。


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