ムスコ、初出勤
小さな頃からあまり、ぬいぐるみと一緒に寝るタチではなかった。
手に触れて寝ていたのは本、というのがほとんどで、
私の子供たちが、特に教えていないのに小さな頃から、
それぞれお気に入りのぬいぐるみを抱いて寝る姿にびっくりした。
可愛かった。
そんな私が最近、ぬいぐるみをそばに置いて眠っている。
それがこの子。
小さなオオカミのぬいぐるみ。
これは秩父の三峰神社の売店で売られている、
言わば秩父神社のご神使さまの形代、特別なぬいぐるみなのだ。
スピリチュアル、神社仏閣参拝のブログなどで有名な
AnnieKさんを通して、お迎えさせていただいたもの。
可愛くてすぐ好きになり、子供たちになんて名前にしたらいい?と聞いたら、
水無月、という名前になった。
来てくれたのが6月だったから。
私の子供たちは二人とも6月生まれて、私が結婚したのも6月だし、
我が家にとって6月はとてもスペシャルな月だから。
この可愛らしい凛々しさ。
水無月くんは私の夢の番人。
悪夢を追い払ってくれている。
あっという間に息子の初出勤の日になった。
一般の人の就職と違うのは、事前に実習期間が5日以上合って、
職場の人と気心が知れ、社内の細かなルールもある程度わかっていて、
初日にどこから入ってどう挨拶して、どこに自分の持ち物を
かけたり置いたりすればいいかわかっているということ。
それで気持ちは随分、送り出す方も楽である。
そういう意味では実習初日の方が何も知らない、
すべてが始めてなので緊張するのだが、
手厚い就労サポートのある区のこと、
初日は必ず所属施設の担当者も付き添ってくれているので、
一人ぽつんと途方に暮れることはそうないのだ。
まして今回、正式契約として私たち親もすでに先方の方たちとお会いし、
お顔もお声もお話のされ方も判っていて、
場所や雰囲気を知っているから、本当に安心というか。
これが健常なお子さんの親と、
障害を持つ子供を送り出すときの親の違いだろうか。
健常な子ならもう高卒時点で本人に任せて大丈夫、と信じることができる。
障がいある子供にはそこまでの自信は持てない。
(持てる方もいるのかもしれないけれど)
自治体によってこの対応には差があるのかもしれず、
どうしてそんなことがあるのかなあ、と思うが、
(同じ日本なのだから、全国一律、誰もが同じ対応をして頂けるべきではないか)
とりあえず、今の支援に感謝する気持ちで一杯になる。
きちんと清潔感のある身支度をさせて持ち物に気をつけて。
送り出したらあとできることは祈ることだけだ。
2歳上の娘の時も緊張したけど、やっぱり子供が大人になる瞬間の、
一番大きな、決定的瞬間のような気がする。
ムスコのハレの節目を、家族以外に誰が喜んでくれるだろうと思うと、
やはり幼稚園時代の先生、特別支援学校時代の先生方の顔が真っ先に思い浮かんだ。
それで一生懸命ご報告のメール、すごく長々しくなったものをお送りしたら、
すぐに大喜びのお返事をくださった。
この方たちの愛と慈しみに包まれて息子は育った。
未熟なバカ母の私までも。
本当にただ有難いと今日も思えた。
それにしても。
18で大学進学などのために家を離れる人も多くいるのだろう中で、
いかに私の子離れの遅いことか。
なんだったらもうずっと離れる気もなかったりしてね。
自分は結婚で家を離れた。
就職した時も全然子供じゃなくなるなんて意識がなかった。
そう思ったのは結婚の時で、さすがに戸籍が代わることで意識を持った。
(23歳)
ということはそれまで自分が子供じゃなくなる意識を
もっていなかったということか。
確かに、我が子たちは全然そこまで思っている風はない。
はっきりさせないまま、このままゆるゆると過ごしたい、
なにごともないまま、穏便に穏やかに過ごしたいなあと
なんとなく夢見る先に結婚する子供の姿や孫の姿を想像するのは、
まだまだ私の頭が固いせいなのかもしれない。
頭が固いにしろ柔らかいにしろ
(価値観はその時代の感覚や経験によって変わるから)
生きていくつもりなので、やはり先の事を考える。
一応、周りの人の事も参考にする。
孫がいる人とかそうでない人とか、幸せはそれぞれ。
私も孫がいたらいいなと思いはするけれど、
結婚とか出産が幸せへの通行手形では全然ないから
子に強要する気持ちがない、ということ、
それは別に私のなかで矛盾しない。
どちらに転がってもいいのだ。
どちらも面白がって体験したい。
踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損、損、
という。
節目節目に思うことは、
じゃあまあ一つ、私なりに踊ってみようか、ということだ。
人からやる気なさそうに見えても、
本人、案外、全力です。
- 子育てちゃん
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