映画「ボヘミアン・ラプソディ」

  • 2018.12.06 Thursday
  • 22:40

 

観てしまった。

今、話題の映画「ホヘミアン・ラプソディ」

オットと二人、夢中で観てしまった。

 

Queenというバンドに、フレディ・マーキュリーという稀有な才能の大スターに、特別の興味を持ったことがない。

好きだとか嫌いだとかも考えたこともない。

それが不要であると思うほどに、意識したときにはもう本当にスターで、その音楽は歌声は、あまりにも深く日々の暮らしに浸透していたから。

もはやとやかく言える存在ではない。

ただ受け入れるのみ、認めるのみ。そしてときに思わず口ずさむ。歌う。その音楽に乗って体を揺らす。

そうせずにはいられないほどのパワーを持った存在だった。

 

リアルでいうなら、私の学生時代に、ミュージックビデオが全盛になり、そこで観た最初のクイーンが「レディオ・ガガ」だったかなという気がする。

当時はラジオを聴きながら勉強したり、日記や漫画を書いていたので、この曲が久しぶりだとか復活だなどと語られるのを聴きながら、いろんなクイーンのヒット曲を聴き、ああ、これもあれもそうだったんだ!と素直に驚き、感心したものだ。

 

当時はまだ、同性愛者の権利は今よりはるかに認められていなくて、申し訳なく振り返るほど、差別的な用語であふれていたし、ギャグでよく扱われてもいた。少女漫画の世界ではお耽美な倒錯の世界として描かれることが多かったし、それをキャーキャー言いながら読む友達に合わせて、わたしも笑ったりびっくりしたりしていたような、そんな時代だったと思う。

だから、クイーンのフレディも同性愛者なんだよと聞いても、驚かなかったような気がするけれども、信じてもいなかった。

 

エイズという病が世界に蔓延し出した頃、いろんなスターさんがその病にかかっているのではないかと噂を立てられていたように思う。フレディもその中の一人だったし、当時の私はまたデマでしょうと信じていなかった。

だから彼がそれを発表し、そして亡くなったこと、本当に同居人でパートナーは同性の人だったということを知ったときにはとても驚いた。

 

彼の歌声、芸術に性的なものは関係ない。

ましてや現代、彼の人生を、クイーンの成り立ちを振り返る映画に、差別的な気持ちでみるひともそうはいないんじゃないかなと思いつつ、そこに物語がフォーカスされすぎるないかな、と事前に、脳裏を横切るものはあった。

愛には色々な形があり、幸せというものは本当に人それぞれなものなのだから、他者を傷つけ破壊するものでない限り、ノーマルだとかアブノーマルだとか批判するべき筋合いはない。けれど、それをどう描くのか。描き用によってはやはり居心地悪いものになりそうだ。

いや、こういう名声を得た人たちの人生をなぞるドラマは大抵の場合、無名で、栄光と権力から遠い場所にいたところから、一点キラリと光るもの(才能、美貌などなど)が見出され、機会をつかんで劇的に表舞台、大舞台に立ち、大変な成功を収めるけど、酒やドラッグ、俗的な人間関係にまみれ、飲み込まれて、知力と判断力を鈍らせ、結果、大切な人を傷つけたり悲しませたりして失い、やがて自身も大きな裏切りや失敗を経て、失くしたものの大切さに気づき、再生を図る・・・的な物語になりがちだと思う。

そうじゃないといいよねえ、と言いながら映画館に足を運んだのだが、その通りの物語だった。

でも!素晴らしかった。

飲み込まれたのは私の方。圧巻のパフォーマンス、演じ手さんたちの演技力。佇まいがすごい。

ブライアン・メイにしか見えない、本当にディーコンみたい、ああ、ロジャーだ。そう思いながら映画を観た。私的にはやはり、実際のフレディよりはるかに目が大きいラミ・マレックさんに一番違和感を感じたのだけれど、それでもやっぱりフレディを演じるその力はすごくて、結局ずっと魅了されっぱなしだった。

 

フレディの孤独を悲しいと思う。

なぜ彼はあんなにも孤独でいたのか、と。たくさんの愛に恵まれているようで、彼の核にもっとも寄り添い、その空白を埋め、孤独から解放してくれるものは、長らく彼の人生に現れなかった。

それが、同性愛者であったからのように映画からは感じられた。メアリーという恋人をずっと愛し、大切に思えていたのも間違いないのに、悲しいかな、メアリーがのぞむ恋人として添えないことで、孤独が深まっっていったように見えた。

だからジム・ハットン氏に出会えたことでほっとした。

今なら。その愛の形に全くゼロだとは言えないまでも、大きな差別を受けることはなく、彼も幸せになれたのに。

何より、エイズへの治療も飛躍的に伸びている今なら、まだ彼は生きていたかもしれない・・・など、とりとめもなく、映画を観ながら、いや、観終わったあとも、なんとか彼が幸福になる姿を考えてしまった。

 

クイーンのメンバー、ブライアンにフレディ、ディーコンが皆、頭がよくて、普通に良い人たちで素敵だなとも思った。

家族として、バンドのメンバーで思いやりあっているところがとても素敵で、ありのままに互いを受け入れあい、ささえる姿は本当に素晴らしいと感じた。

 

あのライブエイドでのライブ。

あれがそんなにもクイーンにとって大切なものだったなんて、今までしらなかった。

 

帰り道からネットでクイーンのあらゆることを調べ、メンバー一人一人について描かれていることを読み、フレディの人生を文字で表記されている分だけなぞった。

そしてずっと、夫婦でクイーンを聴きっぱなしなのは言うまでもない。

そういう方、本当に増えているそうだ。

それも当然の、本当にすごい映画でした。。。

映画 「ファンタスティックビーストと黒い魔法使いの誕生」

  • 2018.12.01 Saturday
  • 21:25

 

決めつけてしまうのは早計だが。

私はハリー・ポッターよりニュート・スキャマンダーの物語の方が好きかもしれない。

2時間以上に渡る上映時間の間に、ふとそう思った。

 

最初の作品「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」を観てからもう2年経つんだなあ、とため息が出るのはさておいても、その割には、割と私の中で記憶に鮮明だなあと思うのである。何しろ近頃はめっきり物忘れがひどくて、一度観たくらい、読んだくらいのものは昔と比べてびっくりするほど綺麗に忘れている。おかげで二度目三度目でも新鮮な気持ちで楽しめることも本気であって、妙に得したような喜んでいるべきではないと思う悲しみのようなものも感じるわけだが(あ、これも余分な話だ。余分な話をするのも年寄りの特徴のひとつよね、や〜ね〜・・・)そんな私が以外に鮮明に、前作の映像や物語を覚えていて、2作目の公開を子供たちと一緒に楽しみにできていたのだ。

そこへ持ってきて、絶妙のタイミングで昨夜、金曜ロードショーで前作が地上波放送されたから、バッチリそれを観て復習、そして今日、朝1番の上映を家族で観て楽しんだのだった。

 

エディ・レッドメインさんの眼差しを印象的に思う。どれだけ才能のある素晴らしい演じ手さんであるかは知識として十分に持っていたけれど、相変わらずアンハッピーエンドが苦手な私が(のめり込むたちなので、疲れるのかな・・本当に心から喜びが萎み、消えていくような余韻でしばらく不幸になってしまうので)選ぶ映画の中に、あまりこの方がいたことがない。早い話が「レ・ミゼラブル」くらいだったかと思う。でもこの肩の代表作の紹介などをテレビで観ていて、その目線、雰囲気の力を十分に感じてはいたつもりだ。

今回、ハリーが生まれる前の、ハリーが教科書に使う本を書き上げる人物として現れたニュートの、その佇まいと言葉よりもずっとはるかに気持ちを伝えるようなもの問いたげな、時に連りつくような眼差しに引き込まれた。

前回は古き良きアメリカ、ニューヨークの街並み、今回はパリ、ロンドンと1920年代の文化の豊かさ、そのロマンチックな造形(街も衣装も車も家具も全て)を存分に目で楽しみながら、冒頭から迫力ある映像美と共に、物語の中に引き込まれた。

友情の素晴らしさ、すれ違う思いの切なさ、犯した過ちへの取り返しのつかない思いが恐怖にすらなること、大切なものをなくす、奪われる怒りと悲しみと。

ジョニー・デップ。満を辞してここで、ハリーの世界に登場なのね、と思わず唸る。アルバス・ダンブルドアなんでジュード・ロウだ。世界でもっとも美しい顔の男性に選ばれた人ではなかったかしら?若き日のダンブルドアを、飄々としているようで油断のならない、穏やかなようで猛々しさをひめた理知的な、先を見通す力に非常に優れている男性として演じられていて素晴らしい。ダンブルドアがこんなに端正な人だというのはまずいんじゃないかなと笑えてしまう。ちらっとしか出ないマグゴナガル先生にももっと見せ場が欲しかった気がする。

ニュートをニューヨークで助けた仲間たちとの再開が嬉しかったのに、それが変わっていったことが悲しく、リタの弟のことも悲しく。

幼児虐待から生まれる怪物オキュスプラスのこともただただ悲しくて。

どうしてそんなにも悲しい怪物を、J・K・ローリング氏は紡ぎ出したのだろうと、前作もひどくそれが辛く思われたけれど、今回もその痛みを感じる。

 

(私がずっとブログをかけずにいたのは、日々の忙しさがもちろんだけれど、頻繁に起きる幼い子供を巻き込む事件や事故、虐待のニュースに、打ちのめされてしまうからで・・・辛すぎて、どの事件のことも語りたくない、思い出したくない、でも忘れられず。

そんな気持ちで文を書くことが、なぜかどうしても私にはやりにくかったのだ。)

 

その悲しい怪物を体の中に飼い慣らし、底知れない深い絶望と孤独をもって、クリーデンスが登場する。

これがエズラ・ミラーだとは。

ラストで、ああ、この役に無駄にエズラ・ミラーが配役されたわけでなかったんだなあと思わされる。

物語の中の家系図を頭の中で整理する方に忙しくて、その感動にゆっくり浸ったのは、満足して映画館を後にした後だったけれど。

 

家族でお気に入りの最近の映画館は新宿歌舞伎町のTOHOシネマズさんで、映画を観た後はいつも1階の板前寿司さんで美味しいお寿司のランチを頂くことが多い。

今日もそんな時間に、美味しい鉄火丼に舌鼓をうちながら、映画のパンフレットを家族で回し読みしつつ、ああだこうだと感想を話し合った。

とにかく面白かったね、ということは全員一致。オットは綺麗に前作の話を忘れていて観たことさえ記憶になく、なんと生まれて始めてニュートたちに会ったつもりだった、というから子供たちと呆れて苦笑してしまった。

いや、それくらい綺麗に忘れていた方がいっそ清々しく、初心で楽しめていいくらいのものだろう。

とにかく言えるのは、この話は短くないよね、相当続きそうだね、ということ。

それでよくよくパンフレットを読んだら全5作らしい。2年に1作としてあと3作で6年。6年後かぁ・・・その頃の私はもう還暦目前。シルバーゲートが見えてます、という感じだろうけど、きっと今と同じく楽しんで観ているだろうと思う。

娘も息子も20代後半かあ。孫はきっとまだいないんだろうな。いたら嬉しいけれどねえ。

 

そんなこんなの12月の幕開けである。

今年ももう終わるのだ。早い。早いけれども充実していた。楽しかったと言えるからよかった。

いつもバタバタ忙しい。その忙しさには無駄があるのかも知れないけれども私なりの精一杯であり、自慢にまではできなくても恥じるほどのことも何もない。

つまりちょうどいい感じでの1年だったとしみじみ思う。

後悔しているのはこのブログのこと。もっとその時その時の感動や嬉しさ、がっかりや落ち込みなんかをリアルタイムで綴りたかったしアップしたかったなあと、反省ばかり。

くじけずこれから頑張ります。まだまだ一応、これからがあるつもりではいるので。

こっそり終活のことも進めていこうと思ってもいるお年頃だけれどね。

 

 

『DESTINY 鎌倉ものがたり』

  • 2017.12.15 Friday
  • 21:30

いい加減、「時間ができたら・・・」という言い訳を自分にするのはやめることにした。

今更である・・・というか、今頃、と言うべきなのだろう。

時間なんてきっとずっとできない。できる時、それはもう相当に高齢者になってからだと近頃本当に自覚した。

だったら今度ゆっくりと、本当に気持ちが落ち着いた時にじっくり精査しながら楽しみにブログを書こう、なんて小さな欲望を温めておくのはやめにした。

どうしたって私のおっちょこちょいさは変わらないだろうし、バタバタし続けたまま平気で時は1年2年と時は過ぎているのだ。

この分だと高齢者になるまでブログは書けない。

それは悲しい。

自分のために記録はしておこうとやっぱり思う。

バタバタだけど、それなりに幸せと言えなくもないこの大事な日々のことを。

 

そんな訳で、家族と久々に観た映画の話である。

家族で、というのはちょっと正確ではなくて、愛する息子が欠けている。

そもそもその息子が本日、就活の一旦として東京都教育委員会のチャレンジ雇用の第一次選考というものを午後受けに行くことになったのだ。

それに付き添うために私は休みをとり、送迎をオットが引き受けてくれて、娘は授業が午後からだし、ということで、たまたま空いた午前中を埋めるために映画でも見よう、ということになった。

選んだのは、CMで気になっていた堺雅人さんと高畑充希さん主演の「DESTINY 鎌倉ものがたり」。提案したら、娘は一も二もなく飛びついて来て、オットはまあいいよ、という答え。

でもそのオットが前々日、いそいそとネット予約をしてくれたのだった。

原作の漫画が人気があるのは前から知っていたのにちらっとしか読んだことがない。いつか・・・と思っていた作品の一つである。

でも原作をほとんど知らない、その状態で観る方が映画はいいのかもしれないと思った。

大好きな鎌倉の景色が多少なりとも見られるなら、それだけでいいとも思ったし、ファンタジーというカテゴリーが私も娘も好きだし。

それ以上の期待はなく、気負わず気楽に観初めて、だからとてもよかったのだと思う。

 

正直、私たちはもうかなりファンタジー慣れしてしまっている。大概の設定にも驚かないし、何をどう持ってこられても、そう意表もつかれない。

パラレルワールド、どんと来い。

鎌倉だけど鎌倉じゃないよ、という設定も全然オーケーである。

時代設定の曖昧さも喜んで受け入れます。

なんとなくレトロだけど古すぎず、でも携帯電話やPCはなくて、テレビもない感じくらいのちょうどよくぼやけた感じ、いいんじゃないかな。

主人公二人がそもそももう出会って恋して結婚した直後なので、面倒臭い恋愛部分(こう思うようになった時が年とった証拠かしらね)が割愛されているのがありがたいしね。

こんな甘く緩い認識で観れば良いお話で、余計なツッコミはせずただ楽しむべし。

 

死というものがテーマなんだ、と気が付いた、それが一番意外だったかもしれない。

妖ものが普通にいるより、身近な人が死んでも普通に触れて、霊体なのに気づかれず暮らせている状態が、そう多くはないけれど稀でもないという、それが当たり前だという物語の中の鎌倉という町。

主人公たちには普通に霊が見え、妖怪が見え、死神も見えて会話もこなす。

その上で身近な人に死が訪れる。心残りがないわけがなく、当然霊体として残ろうと死神に交渉するも、実は死神世界でそれをやりすぎて破綻しているため、身近な人から生気を吸い取るか、魔物に転生するしか残る道がないという。

それが軸になり、物語は展開していくのだけれど、美しく楽しい画像に目を奪われてとても楽しい。

貧乏神役の田中泯さんも素晴らしかった。

堺雅人さん、高畑充希さんは大きなスクリーンでドアップになっても全く問題のない、本当に美しいお顔立ちなのだなあと単純に感心したし、作り込まれたセットや小物に見とれ続けて、映画が終わってからももう一度、あのセットや小道具をゆっくり見直したいなあと思ったほどで、とても楽しい時間を過ごした。

死神役の安藤サクラさん、いつもは凄みある役所を怖いほど迫力を持って演じられているイメージだけれど、今回はあくまで軽妙に可愛くおしゃれで理解ある死神を素敵に演じられていることが新鮮で。

いつか私もこんな風に案内してもらって、江ノ電で黄泉の世界に行きたいなあと憧れるような気持ちになった。

 

やっぱり鎌倉に住みたかったとつくづく思う。一時は本当にそれを計画し、実行に移すべくオットと色々話し合っていたのだけれど、家族の予定はそうは運ばなかったんだよね、と少なからず残念な思いも噛みしめる。

そろそろまた鎌倉行こう、と思いながら映画館の席を立った。

素敵なひと時だった。

 

撮影法は昔から色々すごいと思っているけど、近頃はもっともっとすごいものらしい。

俳優さんたちはほとんどブルーやグリーンのシートの中で架空のものを相手に演技をされていて、そこに感情を込めるのだから大変だという。この映画もそういう意味でのネタバラシを色々テレビなどでも紹介されていて、それを知るのもなかなか楽しい。

今年話題になった「美女と野獣」ではエマ・ワトソンがその特殊なブルーシートの中で何もない中、ひたすら座って表情だけの演技をし続けなければならず、今まででもっとも退屈な撮影だったとコメントされているとか。

「美女と野獣」も素敵な映画だった。ひと時の夢に酔いしれることができた。

あのハーマイオニーが、これほどに美しい女性になったということも嬉しかったりして。

 

ここのところ、凍てつくように寒くて少し歩くと耳が痛くなる。

暖かいストールや帽子、イヤーマフなど徐々に身につける小物が増えて行く。

そんな中、最寄りの駅なんてどこからも遠いような息子の学校に車で迎えにいける幸せを感じる。

我が家から息子が通う学校へは区を縦断する感じで最寄りの沿線、バスをどう利用しても、降りたところからたっぷり歩く。

今日の息子の就活も、いっそ学校を丸っと休ませていただいて、自宅から出向いた方がはるかに楽な具合なのだが、そうもいかず、学校からまた時間をかけて都心に出るよりは、車で全て移動する方が楽だとオットにお願いしたのだ。

おかげさまでイメージ通りに予定をこなせてよかった。

見慣れぬ教職員研修センターに行けたのも良い経験。

昔、娘の進路のために調べて憧れた水道橋の都立工芸高校の建物の隣にある。

息子が健常だったらこの学校に通わせたかったなあ、なんてちらっと思ったりした。

自閉症で、精神年齢10歳くらいの今の息子が大好きだけれど、たまには普通の少年としての彼を想像することもある。(だからといて別に胸は痛まないので大丈夫)

 

選考は、読み上げられた文章を聞き書きし、その中から誰とどこへ行ったかなど部分的な質問をされたり、文書の中の個人情報はどれかと尋ねられたり、色や形によっての選別、封入作業???などであったようである。

何しろ知的障害あるお子さんたちが先生にどんな試験だったかを聞かれて話しているのをそっと聞いて知る状態なので曖昧だ。

息子はそういう作業は全て得意でよくできる。が、それを言葉で報告するのが得手ではない。そういう障害なのだ。

それでもかなりコミュニケーションはとれるので、今年繰り返した実習ではどこでも高評価で、人との関係づくりも困らなかったようである。

 

そう、今年私がほとんどブログを書けなかったことの理由の一つは、いよいよ息子が高等部3年生になり、進路のために様々な面談があり、実習に4度に渡って出かけるほどに多忙だったということがある。

実習にはその前の面談と、初日の挨拶、中日の見学、最終日の振り返りがあり、その後お礼状を書くという作業がある。

どの親御さんも必死で、大変大変とお互いに言い合い、励ましあって切り抜けるのだが、我が家はその回数が殊の外多かった。

さらにまだ年が明けてからも行く予定で、おそらく学年ピカイチかと思う。

これで息子も私も将来どういう生活をしていくのか、かなり明確にイメージを持てたし、次第に気持ちも固まってきたので必要な体験だったと思う。

 

さらに息子の美術分野の趣味を活かすために、月に1〜3回ほどアトリエに通うようにもなった。

だからというわけではないけれど、アートプロジェクト展という東京都の特別支援学校の生徒の作品の中から選ばれる展覧会に息子の作品が選ばれて今年展示して頂けたのは、高等部での良い思い出になった。

皆がとても喜んでくれて、学校の先生方はもちろん、お友達の皆さんまでわざわざ外苑前の伊藤忠アートスクエアまで足を運んで見てくださったので、本当にありがたかった。

 

そして私は5年ぶりに仕事もはじめて、月14日程度だけれども、要はそれで大変忙しくなったのだ。

けれどとても楽しい。

単純なアシスタント業務だけれど、本当にお忙しい職員の皆さんのお手伝いを、私なりに心を込めてさせて頂く。

お仕事を頂けるのがとてもうれしい。

家から近い、でも普段はそう行かなかった町が職場になり、ちょっとしたバスでの通勤も始発から終点までなのが快適で楽しく、オフィスがまたバス停の真ん前な上、そのバス停の隣にスーパーがあるので、日々快適至極で・・・ああ、ありがたい。

 

ありがたくも忙しい日々に追われ、その中で実に面白い不思議なこともたくさんあって、それらをちゃんとブログに書き残さずにきてしまったことが今年もっとも悔やまれる。

来年はもう、こんな反省はしないようにしたい。

 

年はとるけど悲しくはない。楽しくみっちり過ごしているから、過ぎ去る年月も納得して見送れる。

そしてアラフィフ過ぎてもまだ、未来は十分あると思っているのだ。

 

能天気は最強かもしれない。

 

 

ファンタジックビースト

  • 2016.12.15 Thursday
  • 09:23

少し前のことになるのだが、日曜日に家族で映画「ファンタジックビースト」を観てきた。

 

ハリー・ポッターの世界の、

ハリーが生まれる少し前の魔法使いのお話で舞台はアメリカ。

そう聞いただけでも、へえ!どんなお話だろうと思う。

作者の脚本デビュー作でもあるというから、それでは世界観に矛盾があるはずがなく、

きっとかなりしっかりしたお話なんだろうな、という期待もわく。

子供ではなく大人の魔法使いたちの冒険、ということもそういえば新鮮。

しかも主役は、ハリーが教科書としてダイアゴン横丁でそろえていた本の中の一冊、

「幻の動物とその生息地」の作者、ニュート・スキャマンダーだというのが

ぜひ観ようと思う決め手になった。

きっとJ・K・ローリングさんの心の中には、

ハリーの世界の中ででてきた多くの名前、

その一人一人の物語がしっかりあるのだろう。

 

 

子供達のために、3Dで日本語吹き替え版で観た。その吹き替えの声が、主人公ニュートは宮野真守さんだと娘が喜ぶ。

きっと3Dでなくてもそうだったと思うのだが、とにかく画面が美しい。

冒頭の、主人公であるニュートの背中、エディ・メインが来ている明るいネイビーとターコイズの中間のようなコートの背中、やわらかな彼の栗色の髪、白い肌、振り返った目の、戸惑うような、怯えたような、それでいてしっかりとすがってくるような目の色に引き込まれる。

とても有名で実力者の彼なのに、私はエディ・レッドメインの出演作は「レ・ミゼラブル」しか観ていない。

すごい役者さんなんだろうなと思っていたが、実際に自信たっぷりにではなく、気弱げに、それでいてじっとこちらに見入ってくるような視線が独特の魅力かなと思ったりする。

絵に描いたようなイケメンさんではないのに、なんだかすっと美しいような。

ま、それは人それぞれの好みだろうか。

 

CGだから架空の不思議な生物たちのリアルな感じと動きはすごい。わかっているから、逆に、実際にはそれが見えていない俳優さんたちの演技って大変だろうなあと思ったりもする。

どたばたと息もつかせず、観ているこちらも、あらあら大変と焦らされてしまうような出来事が続いて主要人物たちが出会い、物語は膨らみ、転がりだしていく。

楽しく、どんどん主人公とその仲間たちが好きになっていく。

 

あの美少年の極みのようなエズラ・ミラーが、全然美形っぽくなく演じるクルーデンスの運命に涙が出た。

愛に飢え、虐待された人の話はいつも辛い。

それがあるともうその作品に2回は触れたくなくなってしまう。

これはどうだろう・・・。救いがあるかどうかによるのだけれど・・・。

 

息子は途中で眠ってしまい、オットは寝なかったけど、面白さは普通じゃない?と言った。

私と娘はとても面白かった。

それが、ハリーの世界をよくは知らない人、とても知っていて受け入れきっているファンとの温度差なのかもしれない。

 


 


最近、我が家がよく行く映画館はTOHOシネマズ新宿。

歌舞伎町の真ん中にあり、それが面白くもあり、子供達は「ここが歌舞伎町なんだー。すごい」とつぶやきながら歩く。

ビルの最上階に巨大なゴジラがいて、歌舞伎町を見下ろしているのだが、そのゴジラのすぐそばに、最上階のカフェにはいればいくことができる。

ホテルのカフェなので、コーヒー一杯のお値段もそれなり。

ランチしたくらいのお金がかかるけれど、たまにはいいかな、と。


正午から1時間ごとに、ゴジラのパフォーマンスあり。

 

 

今日はこれから息子の学校の保護者会あり!

またぞろ、行ってきます。

アントワネット!

  • 2016.12.02 Friday
  • 22:00

六本木ヒルズ森タワー52階の、森アーツセンターギャラリーに行ってきた。

『ヴェルサイユ宮殿監修 マリー・アントワネット展』のためである。

 

どうしてこの人はこれほどに多くの人の心を掴むのだろうと、自分自身もしっかり心掴まれていることを考えながら、足を運んだ。

私の場合は単純ではっきりしている。

小学生の頃、空前のベルばらブームを経験しているからだ。

 

ほとんど何もわかっていなかったなと今にして思う幼い頃であったとしても、ロココの女王マリー・アントワネットと、池田理代子先生の創作ながらその美しい王妃の傍にかしずく男装の麗人、近衛隊長のオスカル・ド・フランソワ女伯爵の存在は眩くて、生涯忘れられないものとなった。

神戸に育った私にはさらにタカラヅカはすごく身近に感じられる世界だったし、実際、ベルサイユのばらの舞台も母や妹と何度か観に行き、テレビでも放映されるたびに見た。

原作ももちろん読み、それでは足りずに以来ずっと、アントワネットの本が出れば買って読んでいるし、映画も見る、とにかく知らずにはいられない、という感じである。

 

そういえば10年前のソフィア・コッポラ監督、キルスティン・ダンスト主演の「マリー・アントワネット」を一緒に観に行った友人と、今日も一緒に出かけたのだった。

 

入場料1800円はそれがアントワネットだろうがなかろうが、高いと主婦感覚で思えてしまう。

2階の入り口から高速エレベーターで52階に登り、ふわりと開けたヴェルサイユ宮殿のような空気の中に足を踏み入れながらも、まだ最初はそう思っていた。

けれど次第に彼女を取り巻く世界、多くの人々の肖像や当時の品々、実際に彼女が見聞きし、触れていたのかと思える非常に多くの品々を見て感じているうちに、これだけのものを運び、管理し、運営してくのだから、1800円は安いでしょうと思えるようになった。

主婦にそう思わせてくれるなんて大したものだと思う。



唯一、写真撮影が許可されていたアントワネットの居室として設えられたコーナー。

 

アントワネットはブルーが好きだったのかなと思う。

恥ずかしながらオットとハネムーンで行ったベルサイユ宮殿でみたアントワネットの私室(の一つ?)は

もっとクリアな、美しいブルーだった印象がある。

(ハネムーンはウィーン〜ヴェルサイユ、パリともろにアントワネットの人生を追ったものだった・・・!)

肖像でも淡い色にブルーのリボンが効いたドレスを着ているものが何点かあったし、

娘にもそのようなドレスを着せていた。

そして丸みを帯びた可憐なピンクの薔薇を持っているような。

 

展示は彼女の近親者、中でもオーストリア女帝のマリア・テレジアにも多く触れられていたけれど、偉大な女帝に不遜かもしれないが、母として、この方の気持ちを思って胸が痛んだ。

母としてより国を第一として生きられた方だろう。

けれど恋愛結婚をして、その相手との子を十何人も産み、育てながら、戦争をして多くの勝利を収めているものすごい方である。

次々と利益ある結婚を我が子たちに課し、中でもアントワネットにはフランスの王妃という運命を背負わせる決断をした。

仕方なさによるものとたくさんの本で読んだけれど、アントワネットの気質を見極め、ゆえに案じ、嫁がせる日まで自室に寝泊まりさせて教え諭したというお話に身をつまされる。

14歳の娘をである。

国の運命、責任を背負わせ嫁がせる母親の思いが軽いはずはない。

その後も娘を案じ続け、こまめに長い手紙を書き送り続け、本当の意味での幸せを、アントワネットが掴めますようにと願って止まなかったこの方の思いに心が震えるのだ。

 

残念ながらその思いはアントワネットには届かなかった、すぐには・・・と多くの本で書かれていた。

そして彼女がアントワネットの運命を知らずに死ねたのは幸運だったと。

本当にそうだと思いながら絢爛豪華な展示場内を歩き進む。

 

『きっと誤解に気づく』

ともこの展示会のキャッチコピーにあるが、

これはかの有名な、アントワネットが言ったとされる言葉、

「パンが無いですって。じゃあお菓子を食べればいいじゃない』

に代表される彼女の無知ぶり、解ってなさぶりを指しているものだろう。

その言葉は現在では間違いだったともう多くの人が認識していると思う。

が。

彼女が好んで作らせたもの、取り寄せたもの、購入したものをみていると

「うーん、誤解じゃなかったかな〜」と思えてしまう。

享楽。贅沢。

それに彼女が溺れたことは事実だ。

それを案じ、嗜める人たちの声を聞かなかったことも。

 

フェルセンの肖像は一点しかなかった。

ほとんど彼の存在感が出ていなくて、返って少し気になった。

ベルばらに染まった日本人には大重要人物のフェルゼンだけれど、ヴェルサイユ宮殿的にはそうでもないのかな・・・

でもヴァレンヌの逃亡はフェルセンなしではなかったこと。

そのヴァレンヌ逃亡がなければ、ルイ16世とアントワネットの処刑はなかっただろう、とさえ言われると聞いた。

つまりフェルセンはアントワネットを救おうとして返って追い込んだ、大きく運命を変えすぎた人だと思うけれど。

 

ちなみに誰もがフェルセンの肖像の前では

「・・・・・・・・」

だった。

私と友人もそう。

まあ、人のことはよく分かりませんが・・・。

 

 

アントワネットの人生から何を読み取るかは人それぞれのこと。

私は何度もツワイクが書いていた「彼女は非常に普通の女性だったにすぎない。王妃という地位にさえなければ、一生善良で、人に愛され、家族を愛して穏やかに人生を遅れたに違いない人」という言葉を思い出し、それがやっぱり一番の幸せだったなあとため息をつく。

アントワネットの人生に及ぶべくもないが、それでも私なりに大切な日常を守り、時折浮かぶ享楽や贅沢への誘惑には負けずに、おだやかに暮らしを愛して生きて生きたい、と。

 

こられている方の多くは女性で、それもかなり上の方が多いように感じた。

私よりさらに大人の女性として、ベルサイユのばらという作品にふれた年代の方達だと思う。

 

展覧会出口にあったグッズ販売店は人であふれかえり、心惹かれるものもいくつもあった。

その中で私が選んだのは、お値段も手頃なこちら。

縦53ミリ横40ミリの

ブランが描いたマリー・アントワネットの肖像をマグネットにしたもの。

<ゴール・ドレスを着たマリー・アントワネット>

<王妃マリー・アントワネット>

一生の記念品になる、と思う。

 

 




 

お気に入りの贅沢

  • 2016.09.08 Thursday
  • 23:39

先代のiPhone3もそうだったのだが、今、愛用しているiphone5sも使い始めて2年を過ぎたあたりから調子が悪くなった。

先代は急にタッチしてからの反応が悪くなって、使いづらくて、新型に買い替えるまで本当に苦労したのだが、今回はバッテリーがあっという間に落ちるのだ。

たった今充電100パーセントだったはずなのに、一瞬で電源が落ち、真っ暗な画面のまま、充電し始めてもしばらく復活しない。

これが非常に厄介で、手を焼くこと過去最高ランクな感じである。

それでも充電し続けてていればまあ普通に動いてくれるので、症状がひどくなってからちょうど夏休みに入ったこともあり、母たちの活動が止まったからスマホを持ち歩いてどうこうということがないため、なんとかこの夏をしのいできた。

充電器に固定されているスマホ・・・そこから動けないスマホ・・・携帯という最大の特性を全く殺されている形だがそれでもなんとかなった。

その辛い時期を乗り越えられたのは、おそらく秋早々に新型iphoneが発売されるから、それまで頑張れ、というオットの励ましを受けてのことだった。

固定スマホをなんとか使い勝手良くするため、大昔、実家の固定電話のコードをうんと長くしてもらって自室に引き込んで友達としゃべっていたことを思い出しながら、長めの充電コードを購入した。

夏休み中はそれでなんとかなった。

が昨日から、充電していても、ちょっとアプリを操作しただけで落ちる、写真を一枚撮っても落ちる、というふうに症状が進んでしまった。

もはやこれまで。

使い始めて2年と11ヶ月。最強の不具合に突入している。

そして新型発売の知らせ。

待ちかねたぜ・・・!!

 

 

と、iphoneでは苦労している分、今日までは私、家にいていい日で、そのことに安らいでいた。

 

のんびり家の中を拭き掃除し、心地よさに一人満足の吐息を吐きながらソファに座って、熱い紅茶とクッキーを楽しむ。

そしてhuluで何か好きな映画を見ようと決める。

そう決めただけでワクワクしすぎて困ってしまう。

いつも子どもが観るものを私も一緒に楽しむ感じなので、私だけの好みのものを見る時間は多くないのだ。

オットがほぼほぼ歴史物を好きではない。たまにピントが合えばそれなりに楽しみ面白がってくれるのだが、いつもではない。

横でつまらなさそうにされているのもなんだかちょっと気持ちがよろしくないので、基本、面白そうと思う番組は録画しておいて、昼間、家族がいない自分一人の時間に、アイロン掛けなどをしながら観る。

これが楽しい。ここ数日は「ぶっちゃけ寺」とか林修先生の番組などを楽しんだが、これが映画やドラマになるとやはり集中してみたいのだ。

その集中できる時間がそうはないので、2時間弱は必要な映画を観る機会はないのだが。

今日は、基本の家事プラスα分くらいまでしたし、子供の学校関係メインに必要な書類だの調べ物だのもないし・・・あら?夕食の支度を始めるべき時間までに映画1本観られるかも?と思えたのだ。

 

過去にもwowowやスカパーなど試してきたけれど、今の我が家にはhuluが一番合っているように思う。

好きな時間に好きなものを観るという自由度の高さが私にはありがたくて、今日の貴重な時間はまさに、いろんな映画のタイトルを見ながらワクワクしてしてしまった。

そうして選んだのが「繕い裁つ人」という映画である。

 

原作の漫画を1、2巻分だけネットで読ませていただいたことがある。

映画化されること、ヒロインを中谷美紀さんが演じられると知って、「あ、とても良いかも」と思えた。

物静かで、確固とした価値観、世界を持ち、譲らないながらも柔らかな心と温かな視線で人と繋がっていくヒロイン市江の佇まいは、拝見するとやはり中谷さんにぴったりだった。

そして市江の作る服に惚れ込み、デパートでの商品化を目指すデパート企画部の青年、藤井役の三浦貴大さんもとてもぴったりはまっていらした。

こういうときの片桐はいりさんもほぼ絶対安定な感じのハマり感があっておかしかったけれど。

大きな激しい流れはない。ある意味淡々としている。

なので私はこれを一人で観たかったのだ。家族は淡々系に少々弱いからである・・・でも。これはやっぱり一緒に観たかったかなと思えた。

舞台が神戸に設定されていて、映り込む神戸の景色がとても美しく、懐かしく、誇らしく・・・私の中に深い愛情を呼び起こしてくれたからだ。

大丸元町店のあの美しさ。街角から眺めるあの建物の様子を今更ながら素晴らしかったなあとしみじみ感じた。

小さな頃から、何か少し特別な買い物に、両親と、祖父母と、友人たちと度々足を運んだ、いろんな記憶がぱあっと思い出される。

地元の岡本、坂道を下り、登り、向こうに見える海、港、山々。

この作品の世界観にピタリとはまっていた神戸。着るものにこだわり、自分に合うおしゃれを追求する気持ちはまさに私の地元の人たちに共通するもの。

本当に、市江さんが住んでいるなら神戸はぴったりな街だったなあと実感した。

 

気がつくと日が暮れていて、部屋の中は暗かった。

明かりをつけると現実感が戻る。ということは、やはりまたしばしの間、私は夢の中に引き込まれていたのだろう。幸せな時間、贅沢な時間を過ごせたと思う。

現実に戻って家族が喜ぶ夕食を作った。

夢みたあとは現実も楽しい。

ことに、日々の時間を愛しむ、そんな人たちの物語を観た後には。

タートルズ

  • 2016.09.04 Sunday
  • 22:35

娘がもう何年も前から大好きな作品の一つが「ミュータント・ニンジャ・タートルズ」だ。

同調するにはしばらく時間がかかった私。

かっこいいでしょ!と娘は言うが、「だって・・・亀じゃん・・・」と思ってしまう。

が、確かにずっと見ているうちに、主人公の、科学者たちの実験での突発的な事故によって異常進化した彼ら4人組の可愛いキャラクターに親しみが湧き、だんだん馴染んできた。

 

なので、今回も映画鑑賞である。

 

『ミュータント・ニンジャ・タートルズ2

影 シャドゥ』

 

映像は凄いし、アクションも凄い。終始とてもスピーディーで息もつかせぬ展開。

彼ららしさもすごく出ていていい。

のだけれど、面白かったのかな・・・?と私にはよくわからない。

前作ではとても彼らのことを好きになった。

いかにも長男気質で冷静だけど優しい理知的なリーダー、レオナルド。

怒りっぽくてタフガイだけど情には厚いラファエロ。

とにかく明るいムードメーカーで、茶目っ気たっぷりの可愛いミケランジェロ。

ものすごく優秀な頭脳を持ち、文字通りその知識で皆を支えているドナテロ。

その個性はそれぞれとっても出てて可愛いのに、なんだかやっぱり面白さが前ほどではなかったように思う。

だからなのか、8月末から公開されたばかりなのに、どこの映画館でも1日1本くらいしか上映していなくて、今回ちょうどいい時間のものを見るのに、結構な遠方まで来た。

早い時間のものだったからか、お客さんもまばらだった。

彼らの外見がやっぱりちょっとエグすぎると思うの。

アニメくらいがちょうどいいんじゃないかな。

娘はこれもいいと言い張って大満足だったからまあいいのだけど。

 


 

本当は「君の名は」が観たかった・・・。

映画「ペット」

  • 2016.08.21 Sunday
  • 20:00

テレビCMで観て「面白そう!」と家族で言い合っていた映画「ペット」を観てきた。

 

 

 

 

明るく、元気で、テンポが良くて、思わずクスッと笑ってしまうドタバタっぷりが繰り広げられるであろうアニメ・・・というのは、誰もが予想のつくところだろうと思う。

まさにその通りの展開だった。

捨てられていた小型犬マックスが飼い主のケイティと幸せに暮らしていたところ、犬への愛溢れるケイティが保健所から大型犬のデュークを引き取ってきて・・・・

で騒動が始まる。

ニューヨークの街がとても綺麗にカラフルに描かれ、思わず本当にニューヨークに行きたくなる。

たくさんの人が住むいろんなアパートメント、そしてそこに住むペットたちの日常が、生き生きと描かれていてとても楽しい。

勤めに出る飼い主たちがいない間、ペットたちはこんな風に暮らしていて交流していて・・・という、まあよくありそうなファンタジーなのだが、わかっていても十分に楽しめる。

一つ家に飼われている動物たちの間に、最初はある緊迫した雰囲気が漂っていたけれど、だんだんに慣れて今では・・・というような話をよく聞くけれど、これもその経緯の物語だ。

一つ家に住むことになった2匹が親しむまでにとんでもない大冒険をすることになるのだけれど、飼い主からしたらほんの半日の出来事、という、まさかね、というお話。

主役のディークの気持ちもわかるし、一瞬、新参者の大型犬に主導権を取られそうになった彼が、うまくまたそれを取り返す手腕は良かったけれど(いや、よくないかな・・・)、彼はやりすぎる。当然デュークもやられっぱなしでいたいわけはなくて、加えてなぜかアパート中のペット10匹をセントラルパークに連れて行って運動させるというバイトの青年の怠慢がからみ、2匹は図らずも、「ペット」という庇護される立場から野良として追われ、さらには人間に恨みを持つ元ペットたちの地下組織にまで追われることになる。

CMで散々見たスタンダードプードルのレナードが、優雅なお部屋で優雅な飼い主の前でおすまししているのに、飼い主がいなくなった途端に鼻面でオーディオのスイッチを切り替えて大音量でヘヴィメタルを楽しむ・・・というシーンはほんの一瞬。彼の見せ場はそれほどなく、セリフすらもなかったと思う。CMであの部分を切り取ったセンスが素晴らしかったなあと感心した。それで観たくなったのだから。

 

さて、映画は良かったのだけれど、私的には隣席の母子が気になった。

すぐ隣にお母様が座られ、お膝に3歳ほどのお嬢さんを座らせて映画を観ておられた。その隣に5歳ほどのお嬢さん・・・とその構成はわかる。

大きなポップコーンを、よほど空腹でいらしたのか、お子さんよりお母様がもの凄まじい勢いで食べ続けておられたのも、上映時間8:50からという早めの時間に間にあわせるため、もしかしたらご自分は朝ごはんを召し上がる機会がなかったのかも、と理解もできる。なぜか席の前の通路にバッグを口を開けた状態で開いておかれ、帽子もその横にざざっと投げ出された、そこは理解できない。

小さなお子さんはママのお膝で安心だし嬉しいだろうが、子供というのは座れば足が開く。

足を閉じてじっとしていられるようになるのは、そこそこ大きくなってからである。それも椅子ならともかく、ママの膝の上という不安定な状態で足を開かず座っているのは、相当辛いでしょうと想像に難くない。

したがって私はそのお嬢さんの足が広がってこちらに来るのはまだ諦めたものの、自分が好きできているスカートに、お嬢さんの靴の裏が押し付けられるのは好ましく思えなかった。

なのでそっとスカートを避けた。

途端にお母様が「すみません」と謝られる。いえ、と私は答える。が、お母様がものすごい勢いと鋭さで小さなお嬢さんの足をひっぱたくのだ!!!

そんなことが2、3回あり、3回目には私は手振りで「やめて」としてしまった。

もっとも理解できないのは。

映画館がガラガラだったということである。

つまり、親子が私たち家族の隣にビッタリくっついてきたことが、何より理解できないのだ!

他のお客様方はみなさん、程よい距離を保って心地よさげに鑑賞しておられた。

しかるにこの親子は上映開始の寸前に飛び込んできて隣でしばらくバタバタしながら通路に荷物を撒き散らし、はにかむ様子もない音を立てながら大人の女性がポップコーンを食べつくし、お子さんの足をこちらにぶつけてきてはお子さんを折檻する、という・・・・

なんだかもう、私には理解しがたい非常識だった。

確かに私たちは素晴らしい席に座っていた。(だって昨夜のネットでの予約時点でガラ空きだったんだもの)

そのお母様もだから、せめて少しでも最上の席ににじりよりたいと思われたのか?とでも思うが、あいにく、良いご判断だったとは言えない。

なんでわざわざ不快指数を高める。せっかくの楽しい映画鑑賞の時間に。

そのお母様に育てられる女の子二人はこれからどうなるだろう。同じようなお母様が2倍に増える、ということだろうか。

嫌だな。

 

 

 

上映後、オットとそのことを話した後、すぐに話題は映画に切り替えた。

 


 

家族で、良心的なお値段のお店でお寿司を食べてから満足の帰宅。

人生、勉強。
 

アリス・イン・ワンダーランド 2

  • 2016.08.11 Thursday
  • 19:30

 

そろそろ、映画館も空いているかな?とやっと観に行った

「アリス・イン・ワンダーランド 2〜時間の旅〜」

 

息子がプールに行っているので、夫婦と娘で銀座に出ての映画鑑賞だった。

毎年びっくりするのだけれど、お盆の最中は都心にはびっくりするほど人が少ない。しかも上映時間の中で一番早い時間帯目指して出掛けたので、さらにさらに人がいないのが少し心地よかった。

人がたくさんいるところでは映画が見られない、というわけではないのだけれど、やはりあまり混んでいない方が、映画はより集中しやすいように思う。

 

勇ましい海の上で活躍するアリスの様子から物語が始まる。

アリス・・・だけれど、今回の作品はほぼほぼオリジナルな物語で、だからどんな風にお話が進んでいくのだろうとワクワクする。

出だしから個性的だった。

前作の設定をなぞりつつ、その後の現実の世界と、ワンダーランドでの問題がアリスを待ち受けていた。

 

スクリーンいっぱいに広がる映像の美しさは圧巻で、それだけでも映画館に足を運んだ価値はあるかなと思えた。

個性的なアリスの衣装を楽しみ、作り込まれたたくさんの小道具、背景、全体の色合いを目で楽しむ。

物語的には・・・どうなのだろう?

なんとなく私にはアリスのしたことがいいとはあまり思えなかったし、赤の女王と白の女王の対決・・・姉妹の争いも、善の象徴だったような白の女王に原因があり、はっきり悪いじゃん!と呆れたし、赤の女王は、それは理由があれば何をしてもいいというわけではないにしろ、最初の被害者じゃないかと思えてしまい、そうなると何だか前作の段階からも、今までのような気持ちでは赤の女王と白の女王を観られなくなってしまったような・・・気がするのだけど、どうしよう。

 

誰も私を愛してくれない、としきりに赤の女王は言うのだけれど、実際、今回の重要な登場人物である「時」は彼女をかなり愛しているわけで、その言い草はないんじゃないの、と思ってしまった。

前作で、ワンダーランドの支配権を失った赤の女王が寂れた場所に住んでいるのはわかる、でもそこが虫だらけの、不潔な場所である必要はないし、前作で赤の女王の側でいながら最後に彼女を裏切って刃すら向けた王子の朽ちた体が、その城の彼女の玉座の隣に座らされた状態になっているという設定も余計ではないか、と私には思えている。

そこまでにしなくても、と。

 

ハッターの悲しみはわかる。あの延々と繰り返されていたお茶会の理由もわかった感じでそこは面白かった。

 

家族を救い出すためにアリスとともに赤の女王の城に乗り込むハッターの帽子に巻かれていたリボンは日本の鹿の子で、そこにかんざしがささっているように見えたけれど、見間違いかな。

 

衣装だけでもじっくり見たい。

6月の衣装展に行きたかったなあ・・・と、映画を見終えて改めて思った。

出不精という自分の性格はかなり受け入れているつもりだけれど、時々やっぱり後悔するのだ。

ブリミュ

  • 2016.08.07 Sunday
  • 20:10

娘と二人、4年ぶりに行ってしまった。

『ROCK MUSICAL BLEACH 〜もう一つの地上〜』の舞台へ!

 

人気の漫画やラノベが実写化されるのは今に始まった事ではない。賛否の是非はともかくとしても、気になるものはやはり見てみたい気になる。総じて最近の実写化のクオリティは高いなと私はネットでちらほら見かけるだけでも感心しているのだけれど、それをものすごく実感させてくれたものが、2012年9月1日にしながらのステラボールで観た『新生 ROCK MUSICAL BLEACH RE prise』だった。

あの漫画のキャラクターを実際の俳優さんたちがどのように演じられて、どんな風にあの世界観が表現されるのだろうと、正直非常に疑わしい気持ちで出かけたのだった・・・当時は今よりもっともっと無知で、2.5次元という言葉もろくに知らず、ただ、『テニスの王子様』の舞台が素晴らしくて大変な人気だということを遠く聞き及んでいたくらい。

そして見事に心を奪われてしまった。

古くは幼い頃、宝塚の『ベルサイユのばら』で胸躍らせた、あの頃の感動と情熱が何十年ぶりかで蘇った感じ。

いや、それ以上。

大好きな原作の世界を、こんなに素敵に、素晴らしい俳優さんたちで再現してもらえてよかった、という喜びを感じた。

以来、この舞台に出演された方々全員のファンで、せめてネットだけででもとまめにブログなどをチェックさせていただくようになっている。どのかたもご活躍だけれど最近一際名をあげられたのは、NHK大河ドラマ「真田丸」で豊臣秀次を演じられた新納慎也さんだろうか。

 

是非また見たかったけれど、舞台のチケットって庶民感覚的にはお高い(いや、実際に拝見すると、このクオリティにはそれだけの価値がある!と勿論納得するのだけれど)。なのでもう一度行くということはできず(チラッと、娘を見捨てて私一人ででもと思ったけれど・・・)数ヶ月後に発売されたDVDをもう何十回も娘と観ている。

その中での今回の舞台である。

キャスト一新にはがっかりしたけれど、仕方ないのかなあとも思い、ただ楽しみに待っていて、今日という日を迎えたのだ。

 

4年前に見た舞台はオリジナルストーリーだったけれど、今回は原作を再現している。朽木ルキアが死神としての力を一護に譲渡するという掟に背いた行動を咎められ、処刑されることから救い出そうとする一護とそれを迎え撃つ死神たち、事件の真相に迫るという、BLEACHの中の最も人気を博したエピソードだ。

ざっと見ると登場人物が多い。なので護廷十三隊と言っても、1番隊、7番隊、8番隊、12番隊、13番隊はざっくりとカット。一護も仲間の雨竜や茶渡、織姫なしで、ただ夜一とだけ乗り込んだことになっている。浦原喜助さんも名前のみの登場。

私が最も好きな喜助さん・・・名前だけのご出演でも嬉しかったです・・・・同じく大好きな京楽春水さんや浮竹十四郎さんなんてお名前すら出なかったもの・・・。

と、まずでない人にがっかりする気持ちはあったのだが、それでも舞台は素晴らしかった。

もし私が、BLEACHという原作を知らずにこの舞台だけを見たとしても、とても楽しめたと思うのである。会場は満席だったけれど、中にはそういう方もいらっしゃったのではないか。役者さんが本当にかっこよくて素敵で、それぞれにかなりの数のファンの方がいらっしゃるようだったので、そう思った。

私のように原作しか知らず、役者さんのことに無知な人間から見れば、また、今日初めて拝見する役者さんの存在感、演じられる姿の素晴らしいこと。

またたくさんの出会いをもらったと思った。

最初は後ろの方の席だと思った席の列は舞台全体を見るのにちょうど良く、座席はちょうど中央に近かったので見やすくて、そのことでも恵まれたなと思っている。

貴重なくじ運をここで使えたのはかなり良かった・・・!

13時開演で終わって出たのは15時半。

苦手な真夏の炎天下に出て眩んだのは、必ずしも暑さと光のせいだけではなかった。

 

これでもう夏休みは穏やかに過ごせるわ〜。

良かった、良かった。

眼福でした!

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