うまく泣けない

オットの実家へと向かう。曇天も魅力的。

あの日から1年経った今日、オットの両親含めた家族でともに過ごせる時間をただただありがたいと思う。

以前はそれほどとは思わなかった「津波」という言葉に、今はものすごい恐怖を感じるようになり、うかつに、ものの例えにしても使いたくない言葉になってしまった。
たくさんの方々のあの日のお話を聞き、映像で見るたびに胸が詰まって目元や鼻の周辺が熱くなってくる。
だけどうまく泣けないのだ。
あまりにも、悲劇の度合いが深すぎて。
どうしてどうしてどうして!?と聞きたい言葉があふれすぎて。
これほどの無力感、ただただ悼み、悲しみ続けるしかないという状況をかつて夢にも思ったことがあっただろうかと本当に思う。

忘れない。
それしかないといつも思うのだ、悲劇に際しては。
犠牲になった方々のことを忘れないこと。
そうして次にはどうすれば少しでも同様の悲劇を防ぎ、食い止めることができるか考えること。ずっとずっと覚えて、語り継いでいくことでまだ、少しでも、亡くなられた方々は報われるのでは、と勝手なことを考えている。

毎回、帰省すると必ず行くオットの家の墓地にはいくつか代々の石があって、オットの祖父が建てた最新の墓石にはその母、オットの曾祖母にあたる方のお名前が刻まれている。
享年41歳。
亡くなられたのは大正12年9月1日。
あの関東大震災の日だ。
友人の家で地震に合い、家に残した子供たちを案じて戻る途中で津波にさらわれ亡くなった。
1週間後、とあるお宅の軒下に流れ込んでいた遺体を中1だった息子・・・オットの祖父が発見して、ようやく弔えたという。
ご冥福を祈る。
せめて、貴女のお子さんたちは皆それぞれ立派に、幸せにお過ごしになりましたよね、良かったですよね、貴女のひ孫も曾ひい孫まで今元気に、それぞれ頑張っていますよ、と話しかけながら。

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