2008.09.08 Monday
悩める保護者会
コンビニにはいったら目に飛び込んで来た銀さん。
これも何かの縁と思って購入。
我が家は、年齢的に見て当然と言われるかもしれないけれど、ここ数年ずっと漫画雑誌を買っていない。
もう少ししたら子らがハマって買い始めるのだろう。その時一緒に楽しもうと思っているのだけれど、逆にこれで子がハマったらどうしよう。。。親として問題あるなあ。。。
オットは週刊少年マガジン派だったので(土方と同じ)、私もマガジンしか読んだことないのだけれど、ジャンプに掲載されている漫画はアニメのタイトルとして聞いたことがあるものがほとんど…つまりすごい人気作品ばかりなんだなあと感心。
どれも全部途中だから、全然よく話が分からない。続けて買い、読み続ければハマるんだろうけれど、週刊誌を買うということを、いつもそんなに覚えていられない気がする。確かジャンプってすぐ売り切れるんだっけ(銀さんによれば)
これはたまたま気がついて、買えてよかった。カラー頁が新鮮で、嬉しい。
娘のクラスの保護者会に出席。長くて退屈。午後2時半から4時半って一番眠くなる時間だし!
でもこういうものは顔つなぎ。そしてちょっとした作品展示を見たり、人と会話することで、普段は知らない情報を収集できることも確かにあって、無益なわけではけしてない。
だるいだけで。でもがんばる。だって母だもん。
ただ、夏休みを振り返ってとそれぞれお母様方のお話があり、そこで、フルタイムのお仕事を為さっていて、本当に朝8時前から夜7時くらいまでお子さんを独り家にのこして、まったくの放置プレイ状態でしたとおっしゃる方が数名あり、その数名がそのものずばりの「弱いもの虐めグループ」で、なんだかその単純明快さに驚いたときだけ、目が瞬間的に醒めた。
お母様方はそれぞれ善良で真面目な方々であり、ご家庭の事情とご自分が信じられる所の人生の指針における判断から、大丈夫と我が子を信じて、そのような生活を選択をなさっている、もしくはどうしようもなく、そうしておられる。無論、そのことを罪科には思わないのだがではさてどうしたものか…その子らが起こした余計なひずみ、トラブル、傷害を思うと、笑って許せる気にもなれない。釈然としない、すっきりしない。
そのような子らを無償で(経済的な問題で働いていらっしゃる方がほとんどなので、高価な子守りは論外)受け入れてくれる場、見てくれる人がいない社会がよくないのだろうかとやはりおもってしまった。
私は、なんでも「社会が悪い」という論理が好きではない。
いやそれ、社会のせいじゃなくて個人のエゴです、責任ですよ?という問題までも「社会が悪い」と言ってしまっていることが多すぎると感じている。
しかし安定しない、危険も多いこの社会が死別や離別なしの人だけで成り立っているものではない以上…片親でも両親そろっていてもフルタイムで働かねば生きていけない状態である人を多数作り出している社会である以上、そういう人達へのサポートをもっと万全にしていかなくてはならないのに、できていないのは問題ではないだろうか。
やたらボランティアを募るという声も上がるが、ボランティアの人だって、大切な命を預かる責任があるから、給与はいらないというにしても、いざというときのための保険にくらいははいってもらわなくては怖くてできないというのも頷ける話である(ちなみにボランティアさんへの交通費は全く支給されないそうだ。それだけでも十二分にボランティアさんは持ち出しまですることになる。)その保険代が出ない、そして預かるための場所の確保ができない、もちろん適切な人材確保だって難しい、仮にそういう施設をつくっても巧く行く時行かないときのマニュアルづくりにまた人件費が、専門の部門が必要になるがそれはとうてい現状では実現できない…などなどのないないづくし…これはやはりもう、「社会が悪いんだよ!」という論理に行き着いても仕方ないなという気がする。
当然ながらその子たちは、お母さんの前では基本健気で良い子である。孤独に耐え、きちんとがんばる、それには確かに嘘がない。しかしストレスが全く生じていないわけなどなく、大人でも生じたストレスを持て余して未熟な言動として外に出す人頻発なのに、子がそれをしないわけがなく(高徳めざして修行中の僧じゃないんだから)ぶつける相手は、幼い仲間、弱気子らである。そう言う子達が弱い子を探り出す嗅覚はたいしたものだ。生存本能にでもかかわっているのだろうかと思うくらいである。
こんなにいたらぬ親の私でほったらかしですのに、子は文句も言わずに一生懸命やってくれて、有り難い良い子だと思います…で、お母様方の話はしめくくられる。
そのお忙しいお母様方が仕事を休むか早退するなりしてこの場にくるのはアピールである。
ぎりぎりの線でも子供を気遣っています、信じています、良い子なんだと弁解します、文句を言わずにスルーしてください、という。そして素早く、生みっぱなしですみませんと平淡に謝る。
その一連の、共通する言動パターンに非常な女の生臭さを感じた。
あまり嗅ぎたくない臭いだと思ってしまって、そのことにまた自分の中の狭量さを感じ…余計に疲れた。
無論、全てのそういう境遇の子が同じではない。
ひねず、すれず、あっけらかんと明るかったり、ただただ優しくおとなしかったり、健気で勇敢ながんばりやさんもいる。
でもちょっとした心の支えや、気の持ち様が、そうはならないお子さん達とは違うように思う。
好きな人がいたり、好きなものをもっていること…それがどんなに小さく、ささいなことであっても、それがあるのとないのとでは大違いなようで、それはよく考えたらいい年した大人になっても確かに全然違うのだ。好きなことがある人と、そうでもない人とでは。
むしろ大人の方が自分の裁量でまあまあ生きられ、財力も子供よりはあるから、自分の責任範囲内で好きなものを持ち、追いかけられ、自由度は高い面もあるが、子らはそうそう自由がきかない。
子供は与えられた環境が全てであり、好きにどこかに行けるものでもないし、投資する財力をもっているわけでもない。限られた世界、そこから自ら道を切り開けるようになるにはまだ時間がかかって当たり前……小学生では難しい。
子に寄り添う時間がない親御さんにはせめて何か、お子さんの好きなもの探しを手伝ってあげてほしい、気晴らしというありふれた言葉以上の何か、きらっと心を煌めかせる何かをみつけることができるよう力添えしてあげてと思うのである、弱いものイジメ以外の何かを。(まず我が子の中の邪を誤摩化し無く見切ることから始めなければならないだろうから、それはかなり辛いだろうが)そういうお母さん方を手伝うのがやはり先生であり、PTA仲間でもあるだろう。
時と我が身を持て余す時、人はなぜか歪みがちになる。
寝てればいいのに、暇なときほど眠くなんかなれないもので、面白いけど皮肉な事実だ。
子供を学力向上という目標以外の何かで忙しくさせてあげたい、余計な闇を持つ暇がないようにしてあげたいと思ったら何がいいのだろう。
私がそういう立場だったらどうするだろう…。子供の性質、個性もあるだろうが、それは簡単には見えない答えである。物価の安い土地に引っ越し(これができない、嫌という人多し)、得られるだけの援助を探し(それが判らない、思いつかないという人多し)、加えて当然貧困にも耐えに耐えることになるだろう(これはもうどうしようもない)。
子供を見ながら働ける…子が、働いている親を見ながら遊んだり勉強したりできる…そんな世界があればいいのにと思うと、叶わない夢をみるときの常で、少し胸が痛くなった。そう願うことは「甘い」と批判されることになるのだろうか。
現状、教諭職にある人達さえ、子育てとの両立に困り、悩み、それこそ他人の子の面倒を見ながら我が子は放置、な状態である人がざらだという。
教育の最前線にある人達でさえそうなのだから、そうじゃない人達はなおさらである…この泥沼は簡単には埋まらない、渡れない、深い深い社会の闇に通じていそうだ。
ここで今さら税金の使い道について考える私はやはり愚かで馬鹿なんだろう。
自民党総裁選、今まであまり気にしたことがないんだけれど、最近気になりちょくちょく意識を集中してメディアに接することがある。
与党も野党もどっちでもいい、ただこんな市井の現状をリアルに直視、理解してくれてる人がどれほどいるのか。いるならその人をこそ応援したいが…日本のリーダーって国民が直接応援したり、選べたりできるシステムじゃないんだよね。
こう言う時、アメリカの大統領選の盛り上がりが羨ましいと、素直に思ってしまうのだ。
私達が持つ一票は、本当にどれくらいの力が込められ、発揮されているのだろうか。