2008.09.09 Tuesday
たぶん子供嫌いだから
知り合いの方から北海道のお土産を頂いた。
その地限定のスナック菓子に、可愛いタオルハンカチ。
すずらんの刺繍が可愛い。すずらんの香りもするそうで、しばらくは洗っても消えないそうだ。
嬉しいので、早速明日、使うことにする。
朝、集団登校の付添というお役目に従事した。
近所に住む子同志をグループ分けし、まとめて一緒に歩かせ、登下校する・・・はっきり言って、かえって危険な感じである。現代事情にそぐわないのだ。犯罪者の質も昔とは変わってきているし、単純に道路事情が、交通量が、違ってしまっている。
子らがつるんで長い行列になって歩いていると、かえってとっさのときに逃げ場が無い。自己防衛が必要なときの瞬発力に欠ける。
変質者に突っ込まれたら一網打尽じゃないの?ともうひとりの付き添いの人と話しながら歩いた。
しかも子らのマナー悪っ!
周囲のことが何も見えていない。
天井天下唯我独尊、常識知らずの厚顔無恥。挨拶一つまともにできない、どころか、するものだとすら思っていない。
そうそうたる豪邸のお坊ちゃまお嬢ちゃまたちがこれかよと非常に嘆かわしく、あとで久しぶりに会った友人に愚痴を垂れ流したら、そういう苦情がすごく多いと頷かれた。
行事があるごとに、学校の在り方うんぬんより、各ご家庭のしつけ力みたいなものが思いやられて、首を傾げることになる。暗澹たる判断をせざるをえないのだが、親の前ではまあまあいい子が、親がみてないときこそ地を出して、世間の常識なんか知ったこっちゃない、善悪の境界線も気にしない、優しくより狡賢くふるまえたほうが勝ち・・・という、独特の子供世界のルールに興じる表情は寒気がするほど悪気に満ちており、自分で自分を操作して、表の顔と裏の顔を使い分けているんだな、としか理解のしようがないのだ。そういう子にとっては親の前だけが表の顔で他の子供のお母さんなどは恐くない・・・自分の母親の親友であるような人以外は。
果たしてこれを、本当に親が知らないでいられるものだろうか?と疑問が湧く。薄々知っていて、知りたくないと心にブロックをかけているのは?・・など、子は親を写す鏡として見ればそんな流れで思考してしまう。
日常のささいなマナー、思いやりの中でこそ人間性は培われる。マナーをきちんと守りましょうといえば、そのマナーや決まりをふりかざし、幼さとなんらかの不可抗力ゆえにその規範から外れてしまった子を、決まりを破った異端者として痛めつけ、いじめる権利がここで生じたと曲解する子もいる。それもまた、相手のことを考えないというマナー違反を犯しているわけだが、そういう子はたとえば家庭でどのような扱いを受けているのだろうか?何か、家庭で禁じられていることをうっかり犯してしまった場合、理由のいかんを問わず怒鳴られ、突き飛ばされ、足蹴にでもされているのだろうか?
むろん、人や動物を故意に傷つけたり、ましてや命をうばったり、なんらかの苦痛を与える行為が、理由があれば許されていい、という社会であってはならないのだが、それほどのことに繋がる何かが家庭であり、容赦なく厳しい躾(?)をたたきこみ、結果、そうされた子供はそれを外に持ち出して自分より弱い相手がうっかり何か間違ったり、決まりを知らずに破るのを虎視眈々と狙うことになるのだろうか・・・まさかなあ、と不思議である。
こういったことをお母さん方や先生方と話すと必ず出てくる言葉が「甘やかされた子供」『親もまた甘やかされた人種』などなどである。
甘やかす・・・愛するわが子を愛して甘やかして蜜のようなひと時を持ってはいけないのだろうか。この幸福のためにいきているのに。その蜜のような思いが毒になるのだろうか。
わからない・・・子育ては迷いだらけである。
私も私の愛が恐い。子供をダメにしてしまうのではといつも不安を抱えている。子らは毎日どの瞬間にも、私と目が合うと必ず最初にびくっとおびえた表情を浮かべ,自分が何か悪いことをしていないか自己採点するようなのだけれど。(私の母はそれを非常に哀れがる)
息子が幼稚園のとき、先生に、「すぐに一生懸命謝るのでかわいそうです。そんなに謝ってくれなくていいのになあと思うんですよ」といわれてしまった私である。娘の担任にもお母様のことが世界で一番恐いようですといわれた。子らにはママが見えないところで人に迷惑かけたら許さない、それくらいならママに迷惑かけて、もし外で人に迷惑かけたと思ったらすぐそれをママに教えて、ママはお礼を言ったり謝ったりしなくちゃいけないんだから!と本当に口の中がすっぱくなるほど言い聞かせてきた。
おかげさまでここ数年、人生でこんなに他人にありがとう、ごめんなさいと言い続けてきたことはないという日々を送らせていただいている。
それでもまだ足りないかもしれない。うちの子がかけている迷惑を、誰かが黙って耐えてくれているのかもしれない。
先生にはいつも確認できるが他のご父兄全てには確認できず、総括して保護者会の時にでもいつも皆さん、すみません、ありがとう、というしかできないのだが・・・子育ては自分育てという言葉の重みを実感しない日はないのである。
こんなに色々考えるのは、基本私が子供嫌いだからだ。
子供嫌いな人間がわが子に深入り、愛しすぎると、いっそ子供好きな人より暴走傾向があるんではないかと思う。暴れる機関車のごとき母にならぬよう、常にクールダウンを心がけるのだが。
育児には馬鹿馬鹿しいほどのお金と時間がかかり魂の増減は3歩進んで2歩下がる状態である。それで将来子供がすごく優秀な才能でなにかしら頭角を現し、名誉と達成感を味あわせてくれる・・・というような見返りはほぼ、あまり期待できない(もし期待するならば)穏当に、真っ当に成長してくれれば御の字である。
夢のある人であってほしいな。でも現実が見えない状態の人は嫌だな・・・親として最低限の理想を描くと、色々欲がやっぱり出てきて収集がつかない。縮めて言うとまあ、ほどほどバランスの取れた人になれ、自分の芯はしっかり持て、ということになるのだろうか。
子供嫌いは結局自分がいつまでも子供・・・ということが往々にしてある。
私も間違いなくその口である。