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映画「仮面ライダーダブル&ディケイド MOVIE大戦2010」
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ディケイドは昨年の放映開始当初から大きく私の期待に外れ、好きになりきれないまま中途半端に終わってしまった、我が家にとっては残念なライダーだったのだが、最終回でさらにそのがっかり感は極まった。腹立たしくて、映画なんか観たくない!と本気で叫んでしまったほどだ。
夏の映画も観たけれど、それでさらにますます話が訳がわからなくなったという嫌な余韻もまだ消えていなかったのである。いやあれは、ある意味小さい男の子がごっこ遊びしている時のたわごとのようだというふうな、そういう意味では腑に落ちた映画でもあったのだが。童心を忘れないという言い方もあるが、物語の作り手としては今ひとつ成熟度にかける人たちが、ただライダーごっこしたくて作っちゃっただけ、みたいな印象を私は持ってしまった。
それでひどく引いたその挙句にテレビ放映の方も不完全な最終回。結末は劇場でという終わり方をされたことに、ものすごく神経を逆なでされてしまったのである。
しかしオットはそれでも一応結末は知りたいという。
そういうからといってオットが私とは反対意見を持つディケイド擁護派というわけではもちろんない。
むしろオットは彼の中で神聖に位置づけられている大切なライダー達がいきなりひどく軽い扱いにされ、弱弱しく描かれてしまったことに蒼白な顔色で打ちひしがれていたくらいなもの。
しかし、一度乗りかかった船、どんなに気に入らない設定でも、一応最後を見届けないと気になるというのだった。
それだけなら私はまだ拒否するのだが、まずいことに次にはじまった「ダブル」は面白くて、第一話から毎週楽しみに見ており、今回の映画ではその第一話以前のお話を紐解いて描くという。ううう。揺れる。
それでつらつら再考するに、実は私はディケイドの役者さん達は好きなのだった。
井上正大さんカッコ良し。彼の持つ独特の雰囲気、顔の表情、個性的な声・・・魅力があった。彼だけのことならもっとしばらく観ていたかった・・・そうあと半年くらいは。海東大樹も最初はなにこの人と冷たく見ていたのだが、あのストーカー的な士たちへの絡み方にも慣れ、来た来たと愛着すら沸いてしまい、最後の方で「僕のことみていてくれよ!」といわれたときには「やっぱ、まってちゃんだったの!?」と衝撃を受けるやら可笑しいやら。おかげで一思いに好きになれたというか、「もうしょうがないなあ」と受け入れる気持ちになったものだった。シナリオとの相性の悪さはさておいても、人物造形はつまり嫌いではなかった。だからもう一度彼らに会いたい気がしないでもない・・・昨年から持ち越していた一番のそれらの逡巡はしかし、オットの「え?もう映画館予約しちゃってるよ?」の一言で瓦解したのである。悩む必要もなかったようだ。

そういうわけで、それならそれで覚悟を決めるよと本日映画館に行ってきた。
ディケイドではまたカッカするかもしれないなあ・・・という覚悟だったのだが、あまりにも覚悟が深すぎたからか、そうでもなく済んでまずは一安心。
もちろん、突っ込みどころは満載である。
どのつまり、で?どう破壊者なの?その根拠は何?それがはっきりしてないのに戦うんだ?戦うことでしか向き合えなかったって、それはまたなんで?
色々意味の深そうな、なぞめいたような台詞がちりばめられている割にはそれらを思わせるエピソードを見た記憶は一切なく、それらがこの映画の中で描かれる気配もない。(尺が足りないのは一目瞭然)なので、そういうことがあるって設定で聴いててね、という感じが映画から伝わってくっる。いいのか、そんなので。
せめて、なぜ今ここでショッカーなのか、ネオだかなんだかしらないけれど、その存在意義をもっとわからせて欲しい。世界征服予定ありきで立ち上げたのだろうか。なつかしき幹部たちは皆記憶があるのかどうかすらも曖昧で、突如人格が入れ替わる精神病の一種でコスプレに走ってるだけのただのおじさん達なのではないかと心配になる。どうかそんなオチじゃありませんように、、、と半ば本気でいのったくらいだ。
、あ、成滝は成滝でいるよりゾル大佐の方がしっくりと様になっており、やっとこの俳優さんがキャストされた理由がわかったと、そこはなぜだかスッキリした。それとハチ女が、え?及川奈央さんだったんだ!?とびっくり。私、藤原紀香さんにちょっと似た女優さんだなって思いながら観ていたのである。ってことはつまりアノヒトの好みは実は昔から一貫していて、なにか潜在意識に刷り込まれた雛形があるってこと?いやそれは仮面ライダーと関係ないけど、人の心理の神秘!?・・・・・・などなどと脱線して心はちぢに乱れたが、まあそれは仕方ないのだろう。本筋をあきらめている以上、些細な枝葉ででも刺激を受けないと、元がとれない気がするではないか。
ただやはり、久しぶりに観るメンバーが懐かしくて予想以上にまた彼らに会えてうれしかった。少し見ない間に皆さんが前よりしっかりと大人びて見える。みんな偉い、立派だよ!とまた母の気持ちになれてしまった。仮面ライダーキバーラも可愛くてかっこよかったし。
杉田智和さんは「がぶっ」とあの一声だけ出演されたのか、それともあれくらいはテレビのときの録音の使いまわしかしら。
あいかわらず、ライダー達の扱いが軽く、なんだか一山幾らで大安売りされているように感じたが、それに対する不満に慣れてきた気がする。もうそれはそれとして、切り離してみるしかないという達観に至り、初登場のタックルのベタベタぶりにも違和感を感じつつも耐えた。
仮面ライダーアマゾンでライダーから離れ、ストロンガー時代は完全にふりかえらなくなっていた私にはタックルは全然思い入れのないキャラクターだった。それでも彼女の存在の真相がわかるととても気の毒で、ディケイドの中でその彼女の居場所を作ってあげ、その一生にきちんと結末をつけてあげられたのならよかった、と素直に思えた。

ダブルは文句なく面白かった。
そして私はまた人生はわからないものだなあと思った。ここにきて、急に吉川晃司さんを好きだと思ったからである。
これまで「別に・・・」だった方である。ただ、私が最も愛するアーティスト大澤誉志幸さんと親しい方、ということでは確かに忘れたことはない方ではあった。が、まさか今更ここで、それ以上の気持ちになるなんて。こんな気持ちの逆転はキーファー・サザーランドとだけだと思っていたのに、まだその先があったとは。
昔、好きだと思えない、さほど魅力を認められなかった人を認められるようになる、というのもまた、うれしい意味での老化現象なのだろうか。
吉川さんとはほぼ同世代の私、吉川さんの隆盛を観てきたが、ときめいたのは今回が初めて。ふーん、吉川晃司さんねえ、なんか微妙・・・と油断していたらうっかりやられた。スカル、かっこよかった!

かっこいいおやっさんがいるからこそ今の翔太郎達が生きる。ひどくすんなりおさまる理屈なのである。光写真館の店長にしてなつみのおじいちゃんの彼がいきなり死神博士になっていて、それについて自分でもよくわかっていない・・・という謎も、まさかだったがダブルの方で謎解きされていたようだ。園咲家のお父様となつみかん祖父は屋台のおでん屋さんでの飲み仲間で、それでいつの間にかああなってたらしいというオチ・・・「ドーパントでいいんかい!?」という激しいツッコミはさておくにしても、ドーパントになるためのコネクター処置って本人に気づかれずにできるものなの?と悩ましい。
お父様・・・いやいや琉兵衛さんにはたやすいことなのか。
ではつまりはディケイドの裏幕、ネオショッカーはドーパントだったってこと?と・・・首を傾げつつスクリーンをみつめる。
翔太郎とフィリップの出会い、フィリップの名の由来を知り、園咲家の皆さんの名前についてまた思い悩む。テラー・ドーパントとナスカ・ドーパントって・・・そんな。お父様?霧彦さん?どういうことかしら・・・、と。

ラストにディケイドとダブルの話が一致する。やや・・いや普通に強引だけれど、こうして一緒に映画になるのだから一致しなければ祭りらしくないのだろう。許される強引さ、の範囲としよう・・・私も大分性格が丸くなってきたようである。けれど、いまひとつしっくりこなかったディケイドの世界観、設定ゆえにラストシーンでのダブルである二人とスカルの良い場面があるのは本当だ。
なるほどなあ・・・と思えたことは、予想以上の大収穫だった。

映画館で買った塩味のポップコーン、バターオイルを溶かしかけたものが大変美味で、映画を見ている間中、心豊かだった。やっぱりこういうことも楽しかったりするものだ、とも思った。
若い頃は映画館で売られている食べ物も飲み物も邪魔なだけで、映画鑑賞の集中を欠く、などと考えていたのに、今はむしろそんなこだわりもない。
帰りは家族で映画のことをああでもない、こうでもないと話し合って盛り上がり、つまりは皆楽しめた、良い映画だったということなのだった。
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