パネェ…?

今年購入したワンタッチテント。
毎年、海水浴で着替えがちょっと不自由で、
昨年、これを使っているご家族を何組か見かけて
来年はうちも是非買おうと思っていたのだった。
結論から言えば便利。
結構大きい・・・でもコンパクトな方かな。
大人1人と中高生1人が同時に着替えが出来る割には。
透けなくて、UV加工というのが良く、
災害時にも使えるという・・・
なるほどなるほど。
風にあおられてすぐ傾くのはご愛嬌。
ちゃんとしっかり止める杭もついているけれど、面倒だからしなかったのだ。
使って便利、でも今年の浜ではこれを使っている人が他におらず変に目立って若干恥ずかしくないこともなかった。しかし、この年になるともう、利便性も大事である。自分にとってのメリットと、世間の目的なものを考えて、大きさもあるし、浜の端っこの、あまり若人たちがこないような後ろの方に設置した。
後ろにはトラックや何かしかなく、華やかな海の家当たりからは相当離れているから誰に迷惑をかけることもない。
気楽に居られると思ったら。
直後、18歳くらいの女子二人が、このテントのほぼ斜め後ろになぜか座る。
そしてずっと、別に海ででなくていい事をしゃべっている・・・いや、もう、オタクとしか。
見た目的にもひどく残念すぎる感じの・・・
なんだか痛々しかった。
私のようなオバさんが、こういうテントを持ち込んで、オットと子らが泳いでいる間、荷物を見張っているのはまだいいが年頃なのに華のなさそうな生活感だけかんじさせる女子二人だけで、
こんな隅のへんてこな場所に、他人のテントに非常識なくらいくっついて座るなんて、それはもう、ある意味自虐ではないのか。
なんだかあまりにいたわしい・・・なぜ来てしまうの・・・周りはとにかく、イケイケの恋する男女だらけという場所である。
二人は長々とずっと、盛り上がらない話を続け、時々とぼとぼ海に足を浸しに行った。そして戻って来てまたきちんと並んで座り、めりはりのない会話を続ける。すぐ帰るのだろうと思っていたら2時間以上いて、水着になどなることもなく、ただ短パンでTシャツで、ゆるふわというよりはぼさぼさの髪で、海に足をつけに行って浅瀬でじっと立っては戻ってくるをくり返した。
私は浜の端っこに居たが、とはいえ広い。彼女らが適当な距離を明けて陣取る位置ははっきりいってすごくある。彼女らみたいなタイプの人があと30組来ても大丈夫そうな感じだ。
なのにぴったりとそばにいる・・・たとえていうならそれはガラガラに空いた電車かバスの中で、他の席すべてが開いているのに、わざわざ隣にぴたっと座られる感覚と同じだ。
誰もいない映画館でわざわざ隣に他人がすわる気持ち悪さ・・・広大な駐車場ですべての場所が空いているのに、わざわざ隣にしかもドアがろくに開かないほど近くに駐車される感じ・・・
なんというデリカシーのなさだろうと、ただでも暑いのに気分的にも暑くてイライラしながら思っていたのだが、気がついた。
いや、そうか。この子達は夏の海に来たかった、でも、色んな人の目に触れたくないのだ。
だから格好の隠れ場所、人の良さそうな家族(私はよく善人に勘違いされるのだ。こんなに意地悪なのに!!!)の空気を隠れ蓑にして、こっそり雰囲気だけ味わいたいのだ・・・哀れな。
まずダイエットだな。それからファッション誌を、たとえチンプンカンプンだとしても観なさい、己を磨け、人生はスタイリングだ、演出だ、女はいつもどんな時も勝負するものだ・・・・!と言ってあげたくなった私の海辺での、昨日の時間を今日、思い出していた訳である。

とはいえ、昨日は楽しかった。美味しいしらすと小海老のパスタを食べながら暮れなずむ江ノ島の見える海の景色を眺め、運転手だから飲めないオットを尻目に、1人悠々と赤いワインを味わった。
疲れたけれど、よかった。
でも疲れていて、今朝は起きるのがかなり辛かった。しかも夏期講習のあと部活のある娘には今日も今日とてお弁当を持たせねばならない。

暑さによるお弁当のいたみが心配なので、抗菌シート必須。
(最近はその抗菌シートも可愛いものが売られていて楽しい)
その上で保冷剤で周りを包んで娘に持たせる。

連日の猛暑でぐったり・・・でも、オットと娘を無事に送り出せば、あとはコンタクトレンズをはずして眼鏡になって、お化粧なんかもすぐに落としてさっぱり洗顔して、楽な格好をして家で息子と寛いでいられる。
エコ?夏にそんなこと言ってられるか!
妹の誕生日なのでお祝いメールを送り、オットは娘と待ち合わせして、人気のラーメン店に寄って帰るというから、私は息子の好物だけ今日は作ればいいなあ、なんて思っていたら。
とんでもない音が鳴ったのだ。
地震警報だと気付くまでに4秒かかった。息子がさっと観ていたDVDの画面を切り替えてテレビのチャンネルをNHKに合わせる(こういう面があるから人に、とても知的障害があるように思えないと言われるのだが自閉症スペクトラムは色々なので)奈良に震度7の地震だとそれで知る。
とっさに娘の事を考えた。今頃学校では即座に先生方が子供達の安全の確保に動いてくれているはずだ。そのご加護を信じよう。そして揺れがおさまったらオットがきっと娘の元に駆けつけるから、そこはもうそういうものだと任せよう。私は今この瞬間の我が身と息子を守らなければ!
ちらっと脳裏に浮かぶ恐怖は万が一、私だけが傷つき倒れて意識を失い、障害ある息子が残った場合だ。数日前、地元自治体から息子にもたせるようにとヘルプカードなるものを送って来てくださっていたのに、私はまだ何も記入しておらず、持たせるようにしていない。
バカだった・・・万が一・・・万が一・・・いや、とにかく私も元気で乗り切り、息子も当然守らなくては!!
と、以上がざっと頭の中を駆け巡った内容の一端である。
誤報ではないかという疑いは最初からあった。体感するものが何もなさすぎたからだ。数週間前に山中湖あたりで揺れた時には告知より先に体が感知していたことを思うと、この何もなさはもしかしたらもしかすると思った。
それでいい。誤報であって欲しいと祈った。
願いは叶った。

神戸の母に電話しても繋がらず、芦屋の妹(実家との距離は徒歩15分ほど)にLINEで電話すると繋がった。妹は怖がってパニックになっていた。
それを慰め、慰め・・・しばらく話していたらまた、精神的に辛い、理由は自分でもわからないけど、幸せなのは判っているけどそれでも気が晴れない苦しいと言い始めて、私も辛くなる。
あまりの悲劇のヒロイン的口調に私もイラッとしたのだろう、悲劇と呼べるものはあなたの人生に存在していない、強いて言うなら、その幸福を実感できずいつも何か刺激を欲しがる退屈しいな部分が悲劇かと指摘したら妹激怒。私を否定しないで!と叫ばれ、電話を切った。
いや、たぶん一生肯定できない。薄情ですまぬ。でも無理。
みんなに私が悪いと言われると泣いていたが、皆に言われるなら反省しなよ・・・と思っちゃうからね、お姉ちゃんは。
実の妹とよりオットの妹との方がよほどウマが合い(二人とも丙午年なだけに)仲がいいのもなにやら皮肉。

どうなることかと思ったけれど、今日も無事に終えられそうでその事をつくづく感謝する。
誤報でもいい。誤報でよかった。
色々なことを思い、考えるきっかけになった。またちゃんと災害時の事を考えようと心に誓う。

ところで私はなるべく時代の流れに乗る努力を怠らないようにしているつもりなのだが、それでも時々わからない言葉がある。
1昨年「ぱねえ」という言葉がわからなかった。そして中村光先生の名作「聖☆おにいさん」で
ペトロのセリフで理解した。
「半端ない」「半端ねえ」「ぱねえ」という推移から来たのだろうと推察される。
新しく覚えた言葉は使ってみたいが、私のような年頃で、私のような環境では使う場所も機会もほぼ皆無。だからずっと心の奥にしまいこんでいたままなのだけど、そこでこっそり呟くくらいはいいのだろう。
なんだか今日はいろいろ「パネェ」と。

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