涙もろくて困るから

息子が、二泊三日の移動教室にと旅立った。
朝、大型バス2台で出かけていく姿を、他のたくさんのお母さんたちとおしゃべりしながら見送ったのだが、いよいよバスが発車する寸前、窓際に座った息子がじーっと私を見る表情に、不意に胸が詰まり、絶対大丈夫だし、楽しい時間を息子は過ごせるに決まっているとわかっているのに、なんとも言えない感情がこみあげてきた。
とたんに両側から友人たちに、大丈夫!?泣きそうになってるよ!?すぐ帰ってくるから平気よ、今日は飲み会よ!?と支えられ、うんうん大丈夫大丈夫、そうだよね、と頷きながら、鼻をすすった。


涙もろくなってからもう18年になる。
どうも娘が生まれる辺りから、いろんなことが胸にズシンズシンと響きやすくなった。命の重みや、人の心の光と闇の恐ろしいほどの深さに、もう鈍感ではいられなくなってしまったようなのだ。

わかりやすい自分の中の変化として思い浮かぶのは、例えば以前なんでもない気持ちで読み流し、見逃していたものが、今はいちいち気になり、心が震えるという状態である。
例えば子供の頃、繰り返し読んだ「赤毛のアン」なんて今読むともう冒頭から涙涙である。
生まれたばかりのアンを残して死んでいった、アンの母親父親の気持ちはいかばかりだっただろう。
幼いアンが知り合いの間を転々とし、ついには施設に入るくだりは、あんなにカラッと淡々と、そう珍しくもない話のようにユーモラスにすら書かれているのに、かつてはその文章通りに受け止め、受け流していた私が、今はこれが我が子だったらと思うと、切なくて辛くてたまらなくなった。
同じくモンゴメリ作品で、アンシリーズよりもっと好きなエミリーシリーズだってそうである。
主人公のエミリーの父が亡くなる冒頭の部分でもう胸が詰まってたまらなくなる。彼女の親友イルゼのお母さんのこともそうで、愛する我が子を遺して逝かれる親御さんの胸中は察してあまりありすぎる。

子供の頃から馴染んできたロボットアニメだってそうで、ファーストガンダムを子供たちと見ていて、1話目からあまりに多くの非戦闘員の方達が亡くなっていく情景に衝撃を受けた。
自分が中学生の頃だって見ていたのに、ああ、大変なことになってるよ・・・くらいの感覚でしかなかったのだという、自分自身を振り返ってもまた、そんな過去の自分にも衝撃を感じた。

幼い頃、父の涙を初めてたときのことも覚えている。
日曜日の夜だった。ずっと観ていたシリーズの一環として「アルプスの少女ハイジ」も観ていたし、ハイジの長い物語の、その日はとてもクライマックスだったのは確かだ。
叔母の強引な連れ去りで(今だったらこのやり方は犯罪だと思うが)、フランクフルトに連れて行かれたハイジが、クララやその優しい父親、祖母、執事やお医者様などに親しみながらも心の病になり、クララの父親の英断(というほどのこともないか)でアルプスの山に戻った日のお話である。おんじとハイジが感動の再開を果たし、幼心に最高によかった!と大喜びし、その気持ちを両親に伝えようと振り返ったら、泣いていたのだ。母も、父も。さんさんと涙を流し、鼻をぐすぐすいわせている父を観て私は本当に驚き、まさかこのアニメで!?と幼心にも不思議だったわけで、それが記憶に深く残ってしまったのだが、今ならもう全然わかる。
あれは泣くわ。

娘と息子を授かってからの私は、涙腺がとてもゆるくなった。
まあわかるけどね・・と、今までは横で頷いていたりしていただけのオットが、今日は一緒に泣いた。
ドラマ『コウノドリ』をついうっかり観てしまったせいである。

綾野剛さんが産婦人科医なのでお産を巡るいろんな事件を描いたものなのだが、なんというか、胸に詰まる。
赤ちゃんたちのいじらしさ・・・あまりに無力で罪がなく、けれどどうしようもなく運命を背負って生まれ、周りに大きな影響を与えていくその存在感に心を揺さぶられ、その赤ちゃんを守り助けようとする主人公のコウノドリ先生や病院のスタッフの人たちの活躍に引き込まれてしまう。
今期のドラマとしての面白さは『下町ロケット』が一番だなと思うのだけれど、とにかく泣かされるのは『コウノドリ』だ。
親になる以前の、昔の私とオットならここまではきっと泣かなかったんじゃないか。
でもだからこそ、できれば子供ができる前の人たちにこそ観て欲しいなあと思うお話でもある。
確かにドラマだから、エピソードはどれも綺麗にまとまりすぎるな、と思わないでもないけれど、そこはまあフィクションとわかってみるものだし、まとまらなければカタルシスがない。それはやっぱりちょっと嫌かなと思うから、終盤がいつも都合よくまとまっていくのは良いものとして、出産の実情や妊産婦さんたちとその家族の様子、かかる費用のことに、風疹ワクチン接種の必要性などとてもリアルできちんと描かれていると思うし、そういうことを出産と育児に直接関わりがない人たちにも本気で知っていて欲しいと作り手の方達が願っているものが伝わってくる。

『下町ロケット』も予想以上の面白さで胸にぐっとくるシーンが結構ある。個人的には主人公佃の工場の中に、仮面ライダーガイムとドライブが一緒にいるところに嬉しさを感じた。吉川晃司さんもライダーだしね。


息子がいないと時間が余る。それは仕方ない。
ほぼ毎日時間は家族優先で使われていて、中の誰がいなくても多少の調子は狂うものだ。
せっかくなので、本でも読もうとKindleを開いたら、今日はジャンプの新刊単行本の発売日ではないか。
じっくり読む時間ができるまで・・・ととっておいた「3月のライオン」11巻と合わせて、
漫画を読む時間に浸った。


で、涙腺がまた緩むわけである。
昨年終わった「NARUTO」に続くのか、もう「BLEACH」も「銀魂」も終わりが近いようで、その雰囲気がすでに寂しい私だ。

今回の「BLEACH 70」では涅マユリがメインで描かれていて大変大変素晴らしい。
マユリ様かっこいいわ〜。
護廷十三隊の隊長方は、もちろんどなたも心身共に優れた力を持っていらっしゃるけれども、涅マユリは一際異彩を放つ存在でいて、
底がしれない。そんな彼の内面が、彼がいつも付き従えているネムとの過去が、今回初めて物語られていることが私にはとても感動的だった。素直ではない状態が普通のマユリ様だけれど、素直になるときはとても彼らしくそれを宣言するものだな、とおかしくもあり、とにもかくにも彼の勝利を願って止まず・・・あっという間に読んでしまって「もう終わり!?」と思わず声をあげた。
続きが気になる・・・

「銀魂 61」なんて『さらば真撰組』だもの。
息つく間もないような気持ちで戦闘シーンを読み、あのキャラクターを見送って、でもまだ終わらぬ不安な情勢の中で、一旦決別していく直前、銀さんと土方が並んで互いのスペシャル丼を交換して食べるシーンに涙してしまった。私もちょっとどうかしていると我ながら思いながらも、可笑しくて、感動的で。
こういう泣かされ方は嫌いじゃないけど、続きが気になる・・・。

「3月のライオン 11」
これはかなり覚悟して読んだ。
私じゃなくても誰でもそうだと思うが、あの可愛い3姉妹の父親である誠二郎という人が、たまらなく嫌いだ。
リアルに、真に迫って嫌い。あの笑顔と理屈が、喋り方が、圧倒的な自己中心なスタンスと、自分を非常に賢く抜け目ないと思いながら見事なまでに滑落していく生き方が、ぞわぞわと髪の毛を逆立たせ、肌が粟立つほどの嫌悪感を、私の中に呼び起こしてやまない。
こういう人は確かにいる、ということを私はとてもよく知っている。
ある意味、本気で人の姿を借りて行きながら周囲に悪を垂れ流し、歪め、引きずり落としていく妖怪のような存在な人を。
だから前巻で初めて誠二郎が出現したとき、あまりの恐怖で思わず一瞬、ページをめくる手を止めたほどだったのだ。
身近に誠二郎みたいな人が皆無という人は幸せである。そして彼の異様な怖さがわからないかと思う。逆に、私のように彼みたいな人を見知っている人はやはり、怖さと名状しがたい気持ち悪さでいっぱいになったのではないだろうか。
羽海野チカ先生がそれでも彼を描いて見せてくださったのは、そんな彼を封じ、祓い、遠ざけながら自分たちを守り、平和に大切に行きていく術の一つを、その解答パターンを、3姉妹と零君とで見せてくれるためだったのじゃないかとすら私は思う。
もちろんこれは幸せなパターン。普通はこんなに、零君みたいな力強いサポーターは現れないから・・・。
その零君も分厚い孤独の膜に覆われていた世界の中から自力で出てきて、自分自身の力で誰かを守り、幸せにしてあげたいという強い意思を動機に、いろいろ活発に動くようになった。
将棋ももちろん頑張っているけど、今回それでハラハラするような部分は全くなくて、むしろ零君を見守る側の人達の方が色々心配である。
こちらも終着点に近づいているのかな。それともまだ物語は膨らむかしら。
続きがきになる・・・


おかげさまで息子の不在をあまり感じることなく楽しんで過ごすことができた。
今夜は飲み会。
楽しむ気満々。
テレビ  c.0  t.0

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