いつか猫に会う日まで

猫が主役の、とても素敵な物語を読んだ。


『通い猫 アルフィーの奇跡』


アタマもココロもざっくりしすぎた構造なもので、小難しい本は苦手だ。
その上で言わせてもらうが、私が理解出来る範囲でいいなら、読書は好きで、一番の楽しみの一つ。
一言で言えば読んで幸せな気分になれる本が好きだし、ロマンス小説、ファンタジー、ミステリー、歴史物などなど気分のままに、物語の中に入り込んでしまえる時間は本当に幸せ。
逆に言うとあまりに入り込んでしまうと現実世界の妨げになり、ご飯を作るのも掃除をするのも、洗濯物を取り込んでたたむことさえ嫌になってしまうので、子育て最優先だった数年間は好きに本の世界に入り込むのを控えていたくらいだ。
でももう、そんな気を使わなくてもいいんだなあと最近思えるようになってきたのだ。
ぽつぽつ、読書を楽しむ時間を自分の1日の中に組み込み始めている。

なのに、昔のようにスイスイ読み進まない。
それは確かに、何かをすべき時間の合間合間に読むから集中しきれていないというのもあるのだろうが、それにしても読書ってこんな感じではなかったはず、と自分でも当てが外れたような感じがする。
今は本を読む前にたくさんの方達のレビューを読める。そこからある程度の期待をして読み始めた数冊が、なんとももったり、ノれなくて読み進まないのだ。
これが年をとるということなのかなあ、と思った。
もはや私の感性が鈍り、人がそこそこ楽しんでいるものにももう、私は素直に入り込めないのかと。

でも違った。
面白い本は大丈夫なのだ!

そんな訳で、この『通い猫アルフィーの奇跡』である。
猫が主役、あるいは語り手の物語は今までにも何冊か読んできている。
我が国最初の猫主役はおそらく夏目漱石大先生の「我輩は猫である」なんだろうし、実際これは面白い。だからこれは別格にして、私の中の猫小説の最高峰はリリアン・J・ブラウンのシャム猫ココのシリーズだ。
これは私が最も好きなコージーミステリー(確か、主婦が家事の合間やお茶の時間に楽しく読める軽快なミステリーのことをそう呼ぶ、と昔、何かの作品のあとがきで読んだ)にもなると思う。
新聞記者が出会い、飼うことになった猫が、彼が遭遇する様々な事件の謎解きのシーンで、実に巧みに、事件を解くヒントになるような行動をするという話で1966年に発表されたもの。(日本発売は1988年)
30冊前後のどれもが面白くて(え、この人が!?と思うようなシリーズ中のおなじみの人が割と簡単に次の被害者になるのでびっくりしつつ)今でも色褪せない。
漫画だと大島弓子先生の「綿の国星」が最高すぎる。
絵本では名作が多々あるだろう。
で、この「通い猫アルフィー」はどのジャンルかな・・・ロマンスはある、あるけれどもそれは主ではない。
これはとてもささやかな、でもだからこそ大きな愛の物語だと思うのだ。

愛する家族・・・年老いた飼い主亡きあと、処分の道を免れて逃げ出したアルフィーはしばらく辛い野良生活を送った末、今度飼われたら飼い主は一人ではダメだ、何軒も自分を可愛がってくれる家を持つことが大事だと決意し、実際その通りにする、と単純に話せばそんなお話である。
でもその中に心からの愛情があり、思いやりがあり、感謝の気持ちが溢れていて、そんなアルフィーが選んだ4軒の家に住む人たちの日々の暮らしに寄り添い、しっかり助けていくのだ。
じつに彼は上手に家を選んだものと感心するし、ダメそうな相手も自信を持って懐柔していく手並は見事でとても楽しい。
クライマックスのアルフィーの行動には涙が出るし、その彼のために人間たちが繋がっていく様子に感動もする。

気がつくと夢中になって読んでいた。とても楽しい幸せな時間で、読み終わった後心が軽く、弾む気持ちで家族のための家事もこなせた。
心にエネルギー注入。
良い本の一番の効果はそれだな、と思う。

いつか私も猫を飼いたい。
それは長年の夢の一つでいつ叶うかわからないけど、その日が来たらアルフィーのことを参考にしよう。

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