応援
今日は娘の通う学校での演奏会。
衣装を持って早めに家を出た娘の後、新木場へ遊びに行く息子を見送って、夫婦で買い物。
それから、舞台に上がる娘を応援するため学校へ向かった。
たまのステージだからこれくらいはと少し大ぶりなアクセサリーをつける。
黒髪に黒のものだから目立たない感じでいいかな、と。
演目は、数百人での大合唱。
同学年と教職課程の生徒と・・・という感じで、かなりの人数が舞台に上がる。これも単位を取るための重要な課題の一つなのだ。
出演者は皆、白と黒のいでたちで壮観。
ホールには私たちと同じく応援に駆けつけたお身内の方がいっぱいだったが、我が子がどこにいるのかわからないという声があちこちから聞こえる。そうなの?
我が家の娘は小柄で埋もれがちだけど、私にはいつもすぐわかる。ほんの少しの輪郭だけ・・・それが頭の先っちょでも、頬の端でもおでこの一部でも、見ればすぐ娘とわかる。
しかしオットは「いや、わからないだろ、これは」と言っていた。
やっぱり男親はダメね!
庭に一面の花。
意図された、あえての自然、という感じが新鮮で思わず足を止める。
いかにも庭園という感じで仕立ててもおかしくない場所なのに、
まるでそこだけ、どこかの本当の自然の中の花畑を持ってきて配置したよう。
ふと、「ハウルの動く城」の1シーンを思い出した。
曲目の中に、高校時代に一生懸命歌ったという曲が入っていたせいで、オットは胸がいっぱいになったという。
そうですか、と横で淡々と適当な相槌を打つ私。
私の周囲には合唱好きな人が多いが、私自身はそうでもない・・・・。
歌うたいは我が家に一人で十分だと思っていたのに、娘が最近そうなった。
幼い頃から結構いろんな習い事をさせてきた割にはボーカルレッスン的なことは一度も考えなかったし、そういうレールも敷く気はなかったのだが、それでも娘はそちらに行った。
それが自分で自分の好きなことを見つける、夢を見つけるということなのだろう。
私には意外な喜びだったし、だからできるだけの応援を今はするつもりだ。
これがオットのように仕事にならなくてもいい。
近い将来、数年後には普通に就職するのかもしれない、それでいいのだ。その就職生活だって楽しい、その気になればどんな風にでも人生は楽しめるということは、私の方でも多少は教えてやれると思う。
今、自分の力でして欲しいのは、とにかく今を楽しく生きること。
先のことばかり考えて今を窮屈になりすぎないように、考えなさすぎて少し先の未来をダメにしてしまわない範囲で、今この瞬間を充実させて欲しい。
それは、若さばかりの特権ではないのだけれど、でもやっぱり若い人は特に、と思う。
良い気持ちで帰宅したら息子の学校が契約している写真スタジオから1学期中の学校行事の写真一覧案内が来ていたので、ネットで見る。
それこそ、全員お揃いの体操服の、何百人もでの体育祭での光景の、何百枚もの写真は圧巻すぎて、この中から我が子の姿を見つけるの?と思うと一瞬、途方にくれる。
と思いきや。
わかる。わかります。さっと流し見しているつもりでもほんのちょっとの気配ですぐに息子が見つけられる私。
クリックして拡大するとやっぱりちゃんと息子が写っている。
その確率100パーセント。
これぞ母の力だと悦に入ってしまった。
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