ファインディング・ドリー

家族で、ディズニー映画「ファインディング・ドリー」を観てきた。

 

人混みが嫌いである。

いや、普通に落ち着いている人たちならいいのだが、人がたくさんとなると妙に変なテンションの上げ方をしている人がいるではないか。通路にたってしゃべる人、やたら道に広がったうえにゆっくりゆっくり歩く人、もしくは異様にせかせかして、それが理由になるかのように人の体に触れるようにして(おしのけて、ともいえる。そういう人は屈強な男性にはそうしない。ちゃんと女子供を選んでしているのだ)不快感をまき散らす人。大声、嬌声、子供の泣き声。

どうしてもというときは仕方ないけれど、わざわざ狙ってそういう場には行きたくないというのが、私の正直な、偽らざる本音だ。嫌なものがあるのは仕方ない。それは、嫌なものを非難し、消えろと願ったり呪ったりするよりも先に、自分で気を付けて避ける注意をするべきことだ。

つまり私は、夏休みのディズニー映画なんて露骨に阿鼻叫喚が想像できるようなところに出かけたくないわとオットに行ったのだった。

 

で、8:45分開演の映画を観ることになった。

この時間帯なら夏休み最初の日曜日とはいえ、まだそう人はおるまいというのである。

確かにそうかも・・・。というわけで、平常通りに5時過ぎに置き、7時過ぎには家をでて出かけたのだった。

 

お蔭様で快適に映画を観ることができた。

そこそこ大きな人がほとんどで、少しは小さなお子様もいるが、お子様方も周りがゆったりしていると興奮しにくいものなのだ。

何より始まった映画の中の美しい海の底の世界に、心はすっかり引き込まれてしまった。

 

本当に美しい水の中だった。

この映像だけは大画面で観たほうがいいと思う。そして躍動感が素晴らしい。泳ぐ、ということの心地よさを、水泳嫌いの私ですら感じる。

子らが小さいころ夢中で観て、大好きになった懐かしいニモとマーリン、そしてドリーにまた会えて本当にうれしかった。

思いがけないほどに嬉しくて、昔のネタが今回の作品で回収されているのが面白かった。ドリーのくじら語は本物だったのだ、と。

忘れっぽいドリーの生い立ち、その後を考えなかったことはない。大丈夫かなあと思っていた。今までどうやってきたのだろうとも。

それが分かったことが今回一番大きなうれしさだ。

ドリーは大丈夫。ドリーの魅力に気づかされて、ああそうだ、これでいいんだなと心から思えた。

親が子を想う気持ちは本当に世界に、いや、生き物の世界に共通なんだと思う。実際の魚はどうかはよくわからないけど、今はそれはいいのだ。

ドリーの両親の言葉に、行為に、やはり私は泣いてしまった。

 

テンポが良くて楽しくて、一瞬だってだれない、飽きない。予想がつくことであってもそれがいいのだ。安心する。

タコのハンクの幸せを祈る気持ちに途中からなって,彼のことが大好きになった。

冒頭に出てくるニモの先生、エイのことも心配していたので(あなたは里帰りしなくていいの?と)納得だった。

なるほど!と。

 

アシカの関係がいやだったね、とオットと話し合った。弱い者いじめの構図が・・・いくらラストがああであっても。

 



映画館のガシャポンでだした、イソギンチャクの間から顔をだすドリー。

小さいのに300円は高すぎ。

あまりカーブのきつくないこっぷのふちにつけられます。

安かったら、もういくつか出してみたのにな。


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