運命の日だったかもしれない



少し曇っていたけれど、

心は軽く明るい気持ちで見上げた連休初日、2月10日土曜日の都庁。


こういう展示会があり、

息子の書道作品を、

学校の代表5人のうちの一人として出品して頂いていたので、

家族で見に行ってみた。


伸び伸びと屈託のない息子の文字。
親は進路指導に苛立ったけれども、

息子は楽しく、お友達や先生方に見守られ、

引き立ててもらって、

楽しく過ごせてたんだな、と作品を見て実感する。
有難いことだ。


その前日の2月9日金曜日。

私が居住する区で(もしかしたら都内は皆、そうだったのかもしれないけれど)福祉施設利用調整というものの発表がある日だった。
夜になって、公立保育園の入所決定についてもかなり大きくニュースになっているのを観たから、全体的に公的な施設利用の調整結果が出る日だったのかもしれない。

障害ある子を持つ親にとっても本当に大切な日で、

高校(中卒でも可)を卒業したあとの我が子の進路として、

昨年11月に所属の地区の保健福祉課に出した希望施設・・・生活介護施設、就労継続支援のB型施設、

ゆくゆくは企業への就労を目指すための就労移行支援施設、それぞれの希望に対して、答えが出される日であったのだ。

生活介護とB型は継続し続けて通う施設、極端な言い方をすれば引っ越しなどしない限り、一生そこへ通うことになるというくらいの場所になる。

だからというわけではないのだろうけれど、希望は3つまで出せる。

一方、我が家の息子がめざす進路は特例子会社などへの就労なので、そのための訓練施設ともいうべき就労移行支援で通常2年、延長1年をいれても最高で3年通うというものだ。

こちらは二つしか希望をだせない。

親たちの考えは色々で、この2年半あまり、皆、どれくらい悩んだかと思う。さまざまな噂や評判は子供がもっと小さい頃から聞くわけで、早くからうちの子は絶対あの施設以外は 嫌!と決めてしまわれる方もいる。

偉そうなことは言えないけれど、たまたま進路対策委員という会を担当する役員を昨年度したおかげで、ものすごく不精な私が色々な施設や企業を見学させていただく機会を得たが、百聞は一見にしかず、と心から思った。

噂が古い、10年くらい前の伝聞であることがある場合が、私の周りの方達だと考慮にはいっていなかった。

施設も、区の指導も日々変わっているのだ。昔すごく良いと大評判だったところが今は建物も古び、何より施設長さんが変わったり、スタッフが入れ替わったりして雰囲気が全く違っている、方針も変更されているということもある。

頑なな思い込みは禁物だと実感した。

その上で私も息子の進路決めに望んだのだが・・・誰もが良い良いと口々に言い、なんとかそこに我が子をいれたい、どうにかしたいと切望する就労移行支援施設は最初からあえて外すところから始めた。

そしてほとんど誰もまだ知らないというところから息子共々経験を積んで行った結果、あららやっぱりここか、と一番人気の施設を第一希望とするしかないという経験をしてしまった。

11月の利用申請手続の時には保健福祉課の窓口で担当のケースワーカーさんと課長代理の方に、ああまたか、というような苦笑をされ、何しろものすごく狭き門だと覚悟を求められた。

そこがダメで、第二希望のところでも受け入れてくださいね、と。

第二希望のところも人気の施設で、そこでの息子の実習は絶好調だった。スタッフの皆さんも好意的で、申し込みを出したことをとても喜んでくださって、受け付けましたとお電話をくださった。

だからそこに進めば息子がとても楽しく、長所を発揮して褒めてもらって、充実した生活を送れるだろうと想像できた。

ただ。こちらから将来就職をということになった時のその進路のほとんどは、工場t的なところで、都内のオフィスでの事務職としての就労をさせたことがないのだという。

郊外の工場で手先の器用さを生かした仕事をするのも息子にとってはとても良い人生だと思う。

が、せっかく事務をこなせる能力があるのだ。字の読み書きも計算も怪しく遅いし、PCはもちろんコピーもファックスもできないのに希望しているわけではない。申し訳ないけれど、他の方より若干得意なこの分野を1番に推したい気持ちが強い親としては、残念ながら・・・というのも変だけれど、激戦の難関校みたいなその施設を希望するしかなくなったのである。

そこが一番、息子の力を伸ばし、足りない部分(自閉症の子にとって宿命の社会性)を補い、希望の職種での就労を可能にする可能性が高い施設であることは間違いないと認めざるを得なかった。

学校の進路指導は相変わらずぱっとせず、あっちにかけあい、こっちに掛け合いしてみましたがダメでした、もう締めきったあとでした、みたいな返事ばかりがくるのでもう笑うしかなく、このままでは望まない進路に4月から行くしかなさそうですね、と嫌味をぶつけたい気持ちにもなる。

担任の先生方からは、謝って済むものではありませんが、本当に申し訳ありませんでした、全てのことをお詫びしますと心痛むお言葉が連絡帳に書かれ、実際、2年生の時から私が希望を伝えていたのにも関わらず、担任が進路指導主任にそれを伝えずにいたということもあるので、責任は大いにあると思っているけれど、そこを責めても私の気持ちはすっきりしない。

私がもっと学校の進路指導に疑問をなげかけ、攻撃的にがんがん前に出ればよかったと思うし、オットは私任せにせず、自分が率先していればもっと違う進路が開けたのに、と悔やむ感じ。

ただ昨年度までの先輩方の進路指導を見ていると、まさか今年度の先生がここまで適当で、無断で、何もしてくれない人だとは予想もしていなかったのだ。

疑り深い私がうっかりしていた。何より私自身のミスだと思った。

もはや就労はほぼ無理。どこでもいいというものではやはりないから、自宅から通いやすく、何より知的障害者をたくさん採用していているジョブコーチがいるような、知的への理解がしっかりあるところがいいと思うと、学校のいう通り、もうとっくに実習も採用も締め切られているのだ。

第二希望の良き施設に行き、工場就労も視野にいれつつ、なんとか事務職での就労もないかお願いしてみる道を模索しようか・・・それが昨年末からの、私とオットの結論だった。

息子の未来がはっきり見えない、最近では滅多にないほどの不安を抱えた嫌な感じの年越しだった。

まあこれは受験生がいるご家庭はどこも同じなのかもしれないけれど。

いよいよ結果が出るという日を間近に控えた先週からはもう気もそぞろ。

希望より不安の方が大きい割合のなんとも言えない塊が胸にズンとつかえている。

結果が出るまで、これはもうどうにもならないんだと諦め開き直って日々の生活をこなし、気晴らしに家族で鎌倉に行って、美しい海を眺めて風に吹かれて、どんな結果が出たとしても必ず良い未来に繋がっているんだと信じようと思ったりした。

結果は電話で、担当のケースワーカーさんから午後伝えられる。

9日金曜日には仕事も休みをとり、朝から普通に家事をしてやることがなくなったら娘と、Amazonプライム動画で、「まほうのレシピ」というとても面白いアメリカのドラマを楽しむことに没頭した。(この作品は本当におすすめ!子供向けのものだとは思うけれど、全然大人でもドキドキハラハラわくわくできるし、色々学ぶことは多くて、主役の女の子たちも可愛いし大好き作品)

娘と二人、美味しい昼食を作って食べて、良いお天気だなあと窓から空を眺めていた。

13時を3分過ぎた時に電話が鳴った。

とても頼もしいケースワーカーさんの声とは違い、渋い男性の声で、担当のケースワーカーさんが急な用で訪問に出ることになり、代わりに連絡をさせていただきましたという、なんと保健福祉課の課長様である。夏に私が学校の対応に対する不満をぶちまけ、よく聞いてくださった方だ。

思わずあの説は大変お世話になりました、と言ってしまったらいえいえ、と答えてくださり、息子の利用調整の結果は、第一希望の施設に内定ですと言ってくださったのだ。

ありがとうございます!!と電話だけれど、深々と頭を下げ、片手で拳を突き上げたら、横にいた娘が最良の結果と悟って飛び上がった。

よかったですね、と課長さんも言ってくださり、もう感謝の言葉をお伝えして、電話を切ったあと、娘としばし抱き合い、本当の嬉しさで涙が出てきてしまった。

オットに電話するも出ないので、親友にメッセージを送る。

親友から瞬発で大喜びのお祝いの電話があり、彼女も良いところに息子さんの行き先が決まったというので互いに本当に喜びあった。

のちにオットから大喜びの電話があり、次々に色々な方にご報告し、喜んでいただいて。

この3連休、とても楽しく明るい気持ちで過ごせた。

こんなに心が軽く明るかったことはなかった気がする、ということはこの数年、ずっと不安で心配だったんだなあと自分でも感心してしまった。

夜もなぜかよく眠れる。

これが枕を高くして、というやつかとおかしい。

これからも色々あるだろうけれど、分岐点としての現在は最良の結果を得られたと思っている。

これにて私と学校との長らくの戦いも終戦となる。

先生方もどんなにかお喜びだろう。
進路指導主任、きっと祝杯をあげたでしょうね。

おめでとうございました、と、最後まで心の中であっかんべー。


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