言いたいこと一杯あるのになんかブログ打つ前に寝ちゃう、
みたいな生活を送っている私ですが、
心機一転、新しい場所に移って色々書いてみています。
(このブログがね、
外から中々ログインできなかったりして、
なんかパワー落ちてる感じで、
使いにくさを感じるようになってしまったのです、
気に入っていたから悲しいけれど・・・)
新しいところでも
今のところまだぽつぽつですが、
週2,3回は更新、
できればまた昔のように毎日更新!を目指して
楽しんでいきたいと思っていますので、
よかったら下記のアドレスまで遊びにきてください。
ブログタイトル変わりません。
実はアドレスは大昔に作って持っていた。
昔から私をご存知の方が見たら苦笑されるかな。
でも今も気持ちは変わってないんですよ〜。
相変わらずな私を見に来てくださいね!
]]>グッズにまでのめりこむまい、と一応理性にセーブをかけているつもり。
だけれど、コンビニでたった一つぽつんと、半額以下のセールになっているのを見たら、
欲しくなってしまった、食玩のフィギュア。
パッと見、かっこよかったし。
箱の横のラインナップを見たら私的にハズレがなかった。
もちろん五条悟先生がでたらそりゃすごくうれしいけどね・・・
たった一個の売れ残りに五条先生が入っていたら、
それはもう私的に吉兆、大吉を引き当てたようなもんですよ、
なんて家族に言いながら、はいはいと受け流されながら購入して
帰宅後開封したら。
大吉だ!ママが大吉を引いた!と家族でどよめく結果に。
この際クオリティはいいのです、そんなに高くなくても。
遠くにいる虎杖を表現したいにしても、この縮尺感変だよね、とは思うけど、
それもいい。
漏瑚が一番出来がいいかも・・・というのもいい。
五条先生が来た、それがもう吉兆。
だから今日、月曜日の朝がとても寒くて、ダイソン出した意味ないじゃん、と感じたとしても
心はグレない。
だって私は暑いの、基本的に嫌いだし。
何よりこの吉兆を喜ぼう。
きっと今日もいい日になると。
]]>私ももらえるんだった!
我が家は結構ガーデナー。ムスコなんて緑の指の持ち主だと思う。
が。毎年、カーネーションの鉢植えの維持には失敗するのだ。
水かげんや風通しの管理がどこかダメなんだろうと思うが、
あまり豆やかな対応もできる自信がないので、
今年はカーネーション以外がいいと、ちょっぴりだけ声にだしてみたのだが、
やっぱりカーネーションで来た。
いや、うれしいです。ありがとう。
しかもケーキまで!
オット曰く、ケーキのプレートに特に希望は言ってなかったのに、
出来てきたらこんなのがついいたという。
まあ、でも気持ちはビシビシ感じるし、美味しいのでありがたく♬
ついていたカーネーションの花束が可愛くて感激。
こういうのも捨てにくい私の性格。
取っておいてもどうにもならない?よね、やっぱり・・・。
素敵なお菓子を頂いて帰ってきた。
南仏プロヴァンス柄の紙の匣。
これ、私が捨てにくいやつ!いえ、絶対捨てない。
中には美味しい焼き菓子がどっさり。
可愛すぎる、うれしすぎる。
ずっとお世話になっていた素敵な美容師さんが出産でお休みされていて、
そのお休み前に心ばかりのお祝いを送らせて頂いたのだが、
この度無事に復帰されて、それで内祝いとして我が家のために持ってきてくださっていたとのこと。
可愛い娘さんご誕生とは聞いていたけれど、
すこやかにお育ちとのことでとてもうれしい。
そして写真はないけれど、姪っ子がこの度入籍したので、
そのお祝いを持って義妹の家に会いに行く。
私の眼にはいつまでも小さくてかわいい姪っ子なのだが
気が付けばすらりと美しい女性になっていて、そう、もうミセスなのだ。
7月にギリシャで結婚式を挙げるとのことで、まぶしい日差しのイメージが、
そのまま姪の幸せに重なる。
生れ出た命も、人生の盛りを迎える若い魂も、
どうかどこまでも幸せに、輝き続けてほしいと願ってやまない。
暑さ嫌いの私は今年度の家族会議の結果、かねてより懸案事項だった空気清浄機と、
エアコン冷房稼働まえのちょっと蒸し暑い日や、
お風呂上りに涼みたい時に備えて、
ついに!ダイソン様を購入。
届いたのは結構前なのだが、なぜかその日から妙に薄ら寒い日が続き、
ダイソン様を梱包材からお出ししよう、という気分になれなかった。
なので蒸し暑さを感じた瞬間、いそいそとお出まし願った。
温風機兼用のものと迷ったけれど、
暖房器具はちょこちょことあるので、
とりあえず冷風のみ。
そよ風っぽくて心地よい。
小さなころから安定の、オットとおそろいソフトモヒカンヘアにしてもらったムスコ。
幾つになっても母の目からは可愛ゆす。
]]>
アウトレットモール内のショップさんの、
お買い得品ばかりの棚の片隅に埋もれていたのを引っ張り出したら、
ビニール素材故に周りの服飾品のホコリを全てあつめたかのような汚れっぷり。
でもこの子は可愛い!と直感して購入。
1100円なり。
でも満足感は高く、すごく気に入って毎日使っている。
色違いの茶色も買えばよかったと今、絶賛後悔中。
それくらい好き。
大荷物を持ち歩く。それが長年私の姿だったが、
この年にしてやっと、バッグ一つに全て詰め込む、という執着を捨てた。
バッグは2個持つ。それが基本でいいのだ。
まず重度のアレルギー持ち、アナフィラキシーショックを起こしたことがある私は、
常日頃からエピペンを持ち歩かねばならない。
喘息の発作時の吸入薬も必携。
この時点でもう、荷物は多いと決まっている。
仕事用とプライベート用の手帳に、化粧ポーチ、
晴雨兼用傘と水筒、そしてお弁当。
これが普段の私の持ち物なのだ。
近代化のおかげでスマホ一つで自在に読書ができるようになった分、
文庫本は持ち歩かなくて良くなったのが嬉しいくらいで。
そんな私はもう、鍵とミニ財布、ハンカチと免許証のみ
小さなバッグに詰め込んでななめがけ、それでいいのだ。
ん?スマホ?
あ、それはダブルホールにショートストラップをつけて
常にミニバッグのように手にひっかけて持ち歩いてます。
ええ、つまり持ち歩く量は減ってません。
ただ分けて持つことによって、その時々でスマートに振る舞える知恵が
ちょっとばかしついた、というね。
これもまた大きな成長だわねえ、としみじみ面倒な我が身を愛しく思うわけです。
で、今日は久しぶりの出勤だった。
2日は休みをもらっていたので、まるっと1週間もお休みしていたわけで、
よく出勤するのを忘れなかったな、とそこをまず褒めてあげたいくらいのものだから、
会社に出かけてデスクに座ると、もうさっぱり何も思い出せない。
頭の中が真っ白で、まずどこから手をつけ、何を始めたらいいのかがもうわからないのだ。
年々物忘れは激しくなっていく一方だけれど、今日はことさらにひどい。
もうダメだと絶望し、目を落とした先のデスクマットの中に、
見慣れた筆跡の付箋が挟み込まれていた。
「5月2日に出勤した私へ。
やることはまず・・・」
なんと4月28日夕刻の私から、
5月2日朝8時20分の私への手紙だった。
そこにはやるべきことが箇条書きで分かりやすく羅列されていた。
えらい、私!
あなたは自分を本当によくわかっている!
こうして過去(ほんの1週間前)の私の配慮に救われた今日の私は、
無事に仕事をやり遂げることができたのだった。
よかったよかった。
今日もワインが美味しいです。
(メルシャンの無添加のやつね)
]]>
今月も氏神様にお参りして鯉のぼりを激写。
ゴールデンウィークに入ると同時に咲き誇った薔薇の花。
なんという美貌かとその女神っぷりにうっとり。
夫婦でよく行く園芸店で先々月から見かけては
いいな、連れてかえりたいな、と呟いていたうさぎ型ゴールドクレスト。
「この形は絶対保てない。俺は面倒みないからな」
というオットに、いいもん、自分でやるもんと言いつつ、
お値段的にも二の足を踏んでいたのだが
別の園芸店さんでこの開いた本型プランターを見つけて夫婦で一目惚れし、
買った瞬間オットが「あのウサギ、買ってもいいよ」と許可してくれた(笑)
大喜びでその足でウサギをお迎えに行き(園芸店の方がものすごい笑顔で渡してくれた。
多分、ずっと私が指をくわえてみていたのを見てらしたと思われる)
無事、我が家の門を開けてすぐのところに設置できたのだった。
地元、氏神様は自慢の美しいお社で
けして有名神社ではないけれど、高貴で清冽なご神気に溢れていて、
私は実はすごいパワーをいつもとても感じるのだ。
本日も、白龍様がお出ましになってくださり、
嬉しい気持ちでいっぱいになる。
私は宗教に心を渡さない。
けれど、いつも神様を思い、善くありたいと願っている。
尚もスマホを構えていたら
急に左上方から白色の光が差し込んできた。
これは先月の写真と同じだが、
そのあとその白色の発光は光を増し、
スパークした。
降臨、と無意識に思った。
まさに天上の高天原から、御祭神様が降り立ってきてくださったのだと思えた。
その翌日の朝も空に龍神様を拝したと思った。
オットの実家に向かう日の、曇りがちなそらに
輝く光の球を持つ大きな手のように見える雲を楽しみ、
ぐうぅっと、龍が目の前の空をよぎって、そのお顔を見せてくれた、と想像した一瞬。
龍神様の泳ぐ空の海に心が漂う。
雲で埋め尽くされた空もまた美しい。
その向こうに天照様のお姿が覗く。
いつしか雲は晴れ、海岸沿いの道を滞りなく進めた。
これくらいの車の数は渋滞のうちに入らない。
嫁して32年。先祖代々見続けてきたであろうこのオットの実家近くの海が好きだ。
人生は色々なことがある。(既に結構色々あった)
でも私はこの一生を楽しむと決めている。
それでいいのだ。
]]>なので家族の誕生日には結構力を入れるし、
その力の源はひとえにオットのパワーだったりするのだが、
明日はその当のオットの誕生日なのだった。
これが困るんである。
私にはオットほどの莫大なエネルギー、行動力がない。
できるのは誕生日のケーキを予約し、プレゼントを考え購入、
ランチかディナーでちょっと贅沢目の外食セッティング・・・
くらいな感じで。
今年はランチにしましょう、とかねてからオットが行きたがっていた
和食のお店に誕生日のお願いとして個室を確保してもらった。
これで限界。
明日はオットが満足してくれますように。
願いながら見た今日の夕焼け。
明日で50代最後の誕生日を迎えるオット。
40代から50代になるときはかなり嫌がってたオットだけれど、
今回は大変静かである。
自信がつき人間としての深みが増した、年の若さが価値が高いことにはならないという
悟りを得た・・・ならいいのだが、そういうわけでもないようだ。
良い年の取り方を目指すのはこれからではないかと思う。
日々の夕暮れに感動する。
毎月、昨日の1日に!というこだわりはなく、
なにしろ月一ご挨拶に伺いたいと思っている氏神様。
もう鯉のぼりが飾られていてうれしい。
写真に撮らせていただいていたら、スマホのカメラ画面の下側から
すーっと白い光が射してきた。
白龍さま、と認識している。
空に輝く太陽。
日の本の国とは美しい国名だなあと思う。
昔々、大昔の方がきっと、こんな風に美しい太陽をみあげて
はろばろと青い田や畑を、海を眺めて名付けたんだろうなあと思ったりする。
彩光。
白龍さまが我が家まで来てくださって、帰宅後の庭仕事をしている私や
オットの周りを泳いでいてくださった。
奇跡は何も特別、大金が転がり込んでくるとか、
超有名人に特別扱いされる、なんてことが起きることではなく、
普通に何事もなく、スムーズに生きていられたら、それがもう奇跡。
そう思っている。
今日も元気だ、ご飯が美味しい!みたいな感じでいいんじゃないだろうか。
この花の青ほど魅力的な色はないなといつも思う。
咲き誇るラナンキュラスさま。
すっくと立つチューリップ。
花が咲く奇跡。
日々目の当たりにしてほっこりしている。
小さな庭を持てることに感謝。
]]>毎日桜並木をある気ながらため息をついていると、
必ず冷たく強い雨と風の花散らしの日があるように思う。
気温が急激に下がって、もう着ることはないと思っていたダウンコートを
また引っ張り出して着なおしたりしている。
そんな今週の始まりだった。
寒くて、まだダウンのコートを着て出勤、と思ったら
翌日には十度も気温が上がり、上着いらずで歩ける日が来たりして、
今年の春は気温差が本当に激しい。
寒の戻りは嘆く声も多かったが、
冬物好きの私はむしろ少しうれしかった。
そのせいか、例年より桜も長く咲いてくれていたように思うのだけれど。
しかしこの春は忙しかった。
会社の人事に運の良しあしはつきものだが、
昨年一年で言うなら間違いなく私の勤務先の事務所の運は悪かった。
ずっとドタバタ、人柄による仕事の放棄やミス、
関連する同僚たちの感情のウェーブの浮き沈みの激しさが半端なく、
なんだか綺麗な空気が吸いたいなあと思うような日々の年度が
やっと変わったのだ。
仕事をやり残して去った人の後始末を、むしろ楽しんでする、
でも分からないことは苦しい、そんなときは素直に分からないと助けを求める。
教えに感謝し、丁寧にその指導に従って手順を進めていく、という
一社会人としての基本に立ち戻れたようなところもある。
色々な人がいて、いろんな出来事はこれからもあるのだろうけれど、
私の軸は変わらない。
他人の言動で一喜一憂する価値を私の中には認めないから、
心の自由と楽しみは確保しながら毎日を生きよう。
残された人生時間は無病息災の願いを神様に聞き届けられたとしても
あと数十年しかない。
うっかり適当に過ごしてしまうのはなんだかもったいないなあと
今更のように日々の時間が愛おしいのだ。
そんなわけでという訳でもないが、
たまっていたポイントで、年度末に失効してしまうものがあったので、
有効活用にワイヤレスイヤホンを購入。
家の中でしか使わないかと思ったので色は可愛くサクラピンクにした。
3coinsで買ったワイヤレスイヤホンのマルチペアリングが上手くいかなくて、
苦心してペアリングにがんばる時間が嫌になったのだ。
私がイヤホンを使いたくなるのはスマホとAmazonfireHDだけなので、
スリコのワイヤレスイヤホンはもう現行のままスマホ専用とし、
ポイントで愛しのfireHDちゃんの方のワイヤレスイヤホンを買おうと思い立ったのである。
fireHDちゃんも何気にピンクなので揃って楽しい。
こちらも外に持っていくことはあまりないので、
乙女なデザインを楽しむ。
ゲッターズ飯田さんが、女性は小物にピンクを取り入れると
恋愛運だけじゃなく運気が全般的に上がると言っていたので、
それに倣ってみた次第である。
元は確かにピンク大好き人間だった自分を今の自分に少し重ねて、
なんだかそれも楽しい。
気持ちを若々しく持つ。
それがやっぱり肉体的にも影響するんじゃないかと思う。
人から見てアンバランスに見えすぎるのはやっぱり嫌だが、
そこそこ年齢に縛られず、自分らしいおしゃれを
これからも楽しむつもりだ。
家の中では特にね。
東京ミッドタウンの桜並木を見下ろせるテラス席で。
大都会でのお花見も楽しい。
新玉葱とサーモンのクリームパスタ!
鴨とレモンとセロリのペペロンチーノ!
鶏ささみとカラスミ、わさびソースのペペロンチーノ!
桜の季節にふさわしいロゼワイン。
不意に近づいてきて、すぐそばにとまった雀。
こんなにそばで見たのは人生初かも、っていうか
雀みるのも久しぶりかもと家族でびっくり。
見上げた空にくっきりと浮かぶ日輪。
この世界を静かにご覧になっている神様の目、みたいな感じだなあ、と思う。
たくさんの人が、それぞれ悲喜こもごもな想いを抱いて
見上げているであろう桜並木。
桜はただ咲く、それだけなのだけれども。
来年もまた、家族でどこかででも桜を見上げ、楽しめたらいいなあ、と、
ただそれだけを祈る。
ここ東京だけではなく、世界中の全ての場所に、
春の花が咲き、それを愛する人たちが平和に、その美を感じられますように。
誰の身にも等しく平和と安全が約束される、そんな日々であり続けますように。
]]>無事に新年度スタートを切られましたでしょうか。
不詳わたくし会計職員末端のおばさんも何とか頑張り、
本日無事、新年度初日の務めを果たすことができました。
まだまだ雑多な用は山積みなので週が開けたらまた全集中で取り組む所存ですが、
今日のところはひとまずこれにて帰宅し、二日間の週末を楽しませて頂きたいと思います。
清々しく見上げた夕空に感謝。
明日も良い日でありますように。
皆様も良い週末を♪
]]>白い綺麗なチューリップ。
心がぱーっと明るくなる。
夫婦で喜んでしまった。
(子らは花に無関心である笑)
通勤の途中の桜並木のトンネル。
花たちのエールをいっぱいに受けて、今日の私は頑張った。
年度末の作業を無事終えて。
途中、常勤の会計担当さんがなぜか午後休をとって帰るという
あまりにも素晴らしい行動に出て、職場全員で唖然としつつも、
どうせそんなことだろうと思ったと内心思いながら、
私はなんとか頑張れたと思う。
フラワーパワーのおかげ。
そう思うことにしよう。
世の中本当にいろいろな人がいるよねえ。
でも私は私でがんばるのだ。
良いことには精一杯の感謝をしながら。
]]>今日は休みで終日家で過ごした。
溜まっていた家事を片付け、心の中身も整理するかのように、
スマホの中のカメラロールの写真や、メールを整理し、いらないものを削除、
記録すべきものを記録し、
家族のボタンがとれた衣類それぞれにボタンを縫い付け。
しばらくぶりの一人きりだったので、大好きな親友と電話でお喋り。
一人のんびり、好きなものを作って食べて。
それだけでもずいぶん心はほぐれ、癒されていくのだけれど、
ついに、前から気になっていたローズクォーツのフェイスローラーも買ったので、
テレビを見ながらコロコロ、コロコロ。
思っていた以上に気持ちいい。
かっさ、というものも持っているけど、こちらの方がぼーっとしながらやりやすい気がする。
四捨五入するとアラカンなので、さすがの私もこういう手入れにちょっと
手間をかけるようになった。
自分自身を労る、ケアをするというのは案外、とても大事で、心を癒す作業だと
今更ながらにわかりつつある。
ムスコの絵が採用された広報誌。
都内の就労支援事業しょなどに7000部配布されるということでありがたい。
裏にはムスコのプロフィールも。
これを見た心優しいSNS仲間のKさんが
はるばるとムスコに可愛いスケッチブックを送ってくださった
正方形の形と、栞がサテンリボンなところがとても可愛い!
可愛くて手元に置かれていたけれど、
断捨離をしていて、このスケッチブックをムスコに贈りたいと思ってくださったそうだ。
いつもね、贈り物は、その人が私や私の家族のことを思い出してくれた、
気にかけてくれた、時間をさき、手間をかけて
それを選び送ってくれたという、その全てのことが嬉しい。
ものそのものよりも、その人自身のお心が本当にとても嬉しい、ありがたいのだ。
ムスコは大きな紙に大きな絵をと言われるのが実はあまり得意ではない。
通常A4サイズを半分くらいのサイズのスケッチブックを愛用している。
広報誌の表紙にとお話をいただいた時は(大体お話をいただくときは大きなものを求められる)
すごく頑張ってA4サイズの紙いっぱいに自分の世界を繰り広げた。
本当はベストサイズは葉書くらいの大きさのもの。
いただいたこのスケッチブックはまさにムスコ好みの大きさで、
それがとてもヒットしたようで、早速ムスコは構想を練り、
まず最初に目次ページを作り始めた。
なんでも「僕のキャラクター図鑑」というものを描いていく予定らしい。
楽しみだし、Kさんのお気持ちが本当に暖かくてありがたい。
ムスコの広報誌を見て喜んでくれた方たち皆さんにも。
色々、心がほぐれます。
感謝。
]]>会計担当として気を引き締めてかからなくてはならない、と
自ら緊張感を高めるようにし始めている。
でも、昨日、庭仕事で新しく植えた鈴蘭の苗に和む。
オットが私の部屋の窓辺にずらりと綺麗な鉢を並べてくれたのだが、
鈴蘭を真ん中に配置してくれて、それが朝日に透けるようでとても綺麗で。
そしてすごく良い香りがする。
よく香水に鈴蘭の香りというものがあるけれど、本当に良い匂いがするのだと実感した。
青い朝顔の種とひまわりの種を植えたいけれど、まだ少し早いのかな。
忙しい日々の中でもほんの少し、花の手入れをすることで心は癒える。
庭仕事は好きだ。
一人で黙々とするのもいいけれど、夫婦で色々相談しながらすると楽しい。
子供たちが大人になって、もうこちらで気をつけてあげることはそんなにないので、
安心して好きなことにかまけていられるのだ。
もう少ししたら仕事をやめて、家でのんびり好きなことをしようと思う。
もっと自分に合う仕事をすることを考えよう。
そう思って働く私は会計担当。
今年度も綺麗に予算内にことを納め、むしろ余らせて本部にお返しする。
面倒な未払金対処にだけ今は集中。
それでもきっと色々まちがうんだろうな。
誰に何をはっきり教えてもらうでもなく、
ふわっと会計担当職員になったことは恐怖だったが、
与えられた仕事に全力を尽くす、逃げないという自らのポリシーに従って
(基本、売られた喧嘩は全部買う)
来年度もがんばる。
職場ではいつも誰かが誰かの悪口を言い、
その悪口に共感することで一体感を持つという嫌な空気が普通になっている。
声の大きな高齢の人が真っ先にその口火を切り、
年下の無責任な人たちがそれに従う中で
私はいつも正義や正解について考える。
全ての人に好かれることはできない。
好かれようとする努力より、筋の通った言動をすることに気を使いたいと思う。
悪口を言い、同調しあって親睦を高め合うのも一つのセオリー、
仲間意識の共有のあり方の一つなのだろう。
悪魔のマニュアル、そういうものだと聞いたことがある。
折しも昨日のアカデミー賞では、プレゼンターのジョークが
妻の病気の結果を揶揄するものだったため、
ウィル・スミスが壇上でそのコメディアンであるプレゼンターを平手打ちする事件が起きた。
いかなる場合も暴力はゆるされることではない。
けれど。
言葉の暴力も許されないのでは?
人を傷つけることで笑いを取る、それがコメディだというのなら、
そんなコメディは私はいらない。
日本のいじめの根底にもまたお笑いの体を装ったものが非常に多い。
一度いじめが問題になると、かなりの確率で加害者本人はもとより
学校側まで冗談の延長戦だったと言い訳するのが通例化している。
笑い・・・傷ついた人の反応、表情を見たい、それが楽しい、
それは笑いなのか?
悪意とそれを防ぐ方法、染まらない方法のことを
この年になってもまだ私は考え続けている。
]]>
まるで嵐のように吹き荒ぶ風と雨は毎年、桜の季節に一度はあるように思う。
きっとまだ、満開になりきっていない桜たちはこの風雨さえも耐え忍ぶだろうけれど、
明日晴れたら一度、ちゃんと家族で今年の桜を見ておこうね、と約束をしていて。
今朝、家族で近所をそぞろ歩きに出かけたのだった。
いつもながらの桜のトンネル。
嬉しい明るいピンクの天井。
こんなに綺麗に咲いてくれて、今年も本当にありがとう、と桜たちに思う。
いや、いつもどんな花にも樹にもそれは感じているのだけれど。
一本隣の通りもやっぱり桜のトンネル。
こちらの方が住民しかあまり通らなくて歩きやすい。
我が家の隣の公園からの眺めも。
今日は空が霞んでいて富士山が見えないけれど。
毎年、桜を見られることが嬉しい。
今年も無事に、桜の花が咲くのを家族で見られた。
それだけのことがとても嬉しい。
]]>オットの免許更新にくっついて二人で神田へ。
オットが更新手続きをしている間、
私は一人でてくてくと神田明神様を目指して歩き出した。
生活感溢れる私の住まいあたりと違い、神田あたりの道路は広く高層ビルが並んで建って
街が本当に都会都会していると思う。
すっきり整備され歩きやすい広い道を、てくてく歩くこと20数分。
遠くに青銅色の屋根が見えてきたときは嬉しかった。
いつも車でぴゅぴゅっと、オットがどこにでも連れて行ってくれるので、
知らない街を歩くということが、実は私はほとんどない。
神田神社様も何度もお参りしているけれど、
その近辺を知らないのだ。
だから一人でいる数時間、自分で歩いて巡ってみたくて、
通称「ニコライ聖堂」正式名称「東京復活大聖堂」も一眼実物を見てみたかったのだ。
たとえ今、コロナ感染拡大防止配慮のために配管停止中と分かっていても。
今日は本当に暑いくらいの日で、太陽が空で強く輝き、
光眩しい1日だった。
強い浄化パワー降り注ぐ中見上げる大聖堂の美しいこと。
天使降臨の姿を思い描いた。
大満足してさらに歩く。
湯島大聖堂はすぐ近く。そこまでの一人歩きも楽しくて、
こんな光景も素敵だなあと思ってしまう。
多分、私は裏側から入ったのだ。
階段を降りて湯島聖堂内敷地に入っていくと、たまたま無人で、
大聖殿を独り占め状態だった。
締め切られていて拝観できる何かがあるわけでもなかったので、
訪れる人も足早にさっと通り過ぎるような。
そういうものなのか、初めての私にはよくわからなかったけれど。
ずっと眩しい光の下。
撮らせてくださいと祈り、スマホのカメラを起動するとまた、
光がザーッと集まってくるのを感じ、撮らせて!とお願いした。
眩いばかりの光の円たち。
後で聞いたらこれが「オーブ」というものだそうで、
ああ、と自分ながらにこの時の手応えに感動した。
光との接触、神様?とのふれあいの瞬間、のような。
この後、観光客が大挙してこられたので、たまたま本当に無人だったのも
良かったのかもしれない。
お庭には巨大な孔子様の像が佇んでいらした。
右横の、見学客の方たちと比べると大きさが分かり易い。
とても優しいお顔にびっくり。
ああ、すごく素敵で賢い人なんだ、と私らしく
馬鹿な感想を持ってしまって失礼だったけれど。
だからこそ、こんなにも広く知られ、影響を与え、崇敬を集め、
慕われ、学び継がれているんだと思う。
正面に最後にくる、という全くの反対方向からの進み方だったけれど、
由緒ある御聖堂は素敵だった。
この中に事務所があり御朱印をいただける。
格式高い学舎の風情を非常に感じる。
そして、湯島聖堂の裏側、道路を渡ったお向かいが神田神社なのだった。
平日だけれど参拝客は多い。
土日祝日に比べれば少ない方かな。
参拝する瞬間、やっぱり無人になった不思議。
ご祈祷の方がいらしたので、神主さんの祝詞を漏れ聴きながら参拝させていただいて嬉しい。
米俵に乗った大黒天様。
敷地の端っこ、裏側にあるスクナヒコナノミコト様。
それからとっても大きく、バラエティゆたかな社務所?ホール?お土産物屋さん?
的建物の中でいろんなウインドーショッピングを楽しんだ後、
さすがに疲れたのでカフェに着陸。
お汁粉とほうじ茶のセットに喜び、しみじみ浸っていたら
オットからもう終わったからすぐ神田駅に戻ってきてと電話が。
残念。
もっとゆっくり一人でいたかった。。。。
駅前の串カツ屋さんで昼飲みする夫婦。
今日は電車で来たからね。
私は常時飲むけれど、オットは運転手なのでいつも飲めない。
だからたまには一緒に飲みたいと今日は電車にしたのだけど、
人身事故で朝から電車に1時間閉じ込められて、
なんだ、いつも通り車にしてたらとっくについてたよね、
と笑えたのだった。
でも。
とにかくとても充実した日で。
今日も感謝。本当に。
]]>近すぎるのも何だなあと思うことがあるので、
勤務先がバスでちょっと行った先の支部であるのはありがたい。
で、たまにお使いで本部に直行してから出勤することもある。
今日はそんな日。
バス停の前から見える富士山が綺麗だった。
空の青さも霞む雲も、世界はなんて美しいんだろうと日々思う。
この空の下がどこまでも平和であってほしい。
あり続けて欲しい。
世界がずっと美しくありますように。
]]>寒の戻りがあるかとは思っていたが、
戻りすぎじゃないの、と思うくらい寒かった今日の東京。
まさかのダウンコートにレインブーツ。
だって空からは霙、そして雪。
手袋を持ってこなかったことを心から後悔した今日。
やけに早く暖かくなったと思ったけれど、やはり冬の将軍様は通例以上に早くはお去りにならない。
誤解しないで。
私は冬がかなり好きなタチですから。
でも、暖かい日続きで確かに油断してた。
何度も、春に降る雪を経験している人生なのにね。
そんなわけで(と、こじつける)
夜は熱燗。
先日、オットと大盛り上がりで買ったウルトラマン五十五周年記念のお酒、
その名も「純米総攻撃」
エレキングやらダダやらのパッケージだけでもう夫婦で一目惚れ。
特撮大好き家族なので!
このお酒ができるまでの様子かあ、丁寧だなあと思いつつ、
裏面を見たら
同じことを怪獣たちがやっている。
きゃ〜。
何だか愛しいわ。
熱い思いを記憶に留めつつ
いただいたこのお酒「純米総攻撃」はすっきりと辛口。
夕食のお刺身にものすごく合って、
思わずたくさん飲んでしまった。
捨てられない箱と瓶。
困ると分かっていても買ってしまう。
ウルトラマンシリーズで育って大ファンのオットと私。
ムスメもかなりの怪獣ファン。
彼女が幼い頃、かわいいものを飾るようにと買ってあげた白い棚に、
せっせせっせと怪獣コレクションを並べていたっけ。
遺伝子が怖かったなあ・・・。
PTA役員としてお話ししていた若いママ友さんが連れていた赤ちゃんが、
タロウとセブンを一体ずつ両手に握りしめていて、
「うちの子、なんでかこの二人だけが異常に好きなんです」
と言われた瞬間
「ああ、レッド族が好きなんですねえ。うちもなんですよ。
あ、私とパパがですけど」
と脊髄反射で言ってしまい、
「レッド族!?それなんですか!?そんなのがあるんですか!?」
と思い切り驚かれた私。
こんな家ですから、このお酒見たら買います、飲みます。
私は基本、お酒を飲んでも別に体温上がらないし、眠くもなったりしないのだけれど、
これは気分的に温まり、楽しい気持ちになるお酒でした。
寒かったけど、もう大丈夫。
ちなみに冬将軍っていう言葉が好き。
強そう。
]]>OLをしていた私から見れば、
ハイブランドファッションに身を包んでいた人たちは別にそう珍しくもないのだけれど。
私自身はほぼハイブランドファッションにこだわりがない。
けれど漫画の「NANA」のおかげで、ヴィヴィアン・ウェストウッドにだけは憧れがあって。
この年にしてついにデビューしたのが比較的安価なミニ財布から、である。
緑ベースのタータンチェック。
ゲッターズ飯田さんのお話では緑がお金が溜まるお財布だとのことなので、
ぜひ貯めたい!という切実な願いを込めて。
チェック柄も新鮮。
この小銭入れの形はちょっと苦手。
でも今はもうほとんど小銭すらも持たなくなったので、まあいいかと妥協。
困ったのはお財布に何もお守りチャームをつけられないこと。
悩んでいたら、私的にはナイスアイデアが浮かんだので実行して、一安心。
(小銭入れの片隅に穴が開いているので
五円玉を用意して、五円玉に通したお守りチャームの紐を外にだし、
外から大きなチャーム部分をつけると、
内側は五円玉から落ちることなく、
外側はお守り自体の大きさで中に抜けることもなく、
ちょうどいい感じでぶら下がってくれるのだ。)
今日は春分の日。
間も無くの今年いちばんの大海運日らしい3月26日から使い始めるために、
今から我が家にしては多めのお金をいれて、
1月にいただいた穴八幡宮の福銭も入れて、
金運のつく演技のいい袋にいれて今日から寝かせておく。
がんばって働きますので、
どうかその分報われますように!
今日も曇り空。
でもとても綺麗だと思った。
もこもこの雲の中に隠れる太陽。
お天道様は見ている。
]]>
オットが町内自治会の役員をしている。
いくつかの役割の中の一つが春の祭りの園芸店販売。
名物は桜の苗木とブルーベリー、小手鞠などの苗木を安くうることで、
他にもミニバラの鉢など良質の苗が安くたくさん売られるので、
毎年非常に人気のコーナーではある。
開店前から長蛇の列ができ、
早々に売り切れた後も諦めきれない人の泣き落としまで担当しなくてはならなくて、
とても我が家のが希望を言える状況ではない。
だから毎年、客足が耐え気味の頃、遠慮がちにオットがかってくるのが、
ブルーベリーや小手毬、オリーブなどの苗で。
その一つがずっと、もう何年も本当に地味にひっそりとあっただけのものが
今日、花開いた!!
え?と一昨日くらいから夫婦で首をかしげていたのだが、
今日、開いた!
うわー。かわいい!!
我が家に桃の花が咲いた!!
なにしろこの3年、街の春のお祭りをやっていない。
だから控えめに見てこの苗は3年以上まえのもので、
本当に地味で地味で、これ一体なんだっけといいながら毎日せっせと
他の庭の樹々や花たちと同じくオットが愛を込めて水を注ぎ続けていたのだけれど。
桃栗三年柿八年というのは本当だったのか!とそのことにびっくり。
何にせよ、非常に可憐なこの開花に心ははずみ、
ひたすらに縁起の良さを感じている。
オットの愛により花開いた樹木。
なんてめでたい。
そうじゃなくても我が家の「ネコのヒタイ庭園」は花が満開。
ラナンキュラスやミモザの華やかさにはため息が出る。
実は花を食べられて困っているので、
お撮りにみかんをおいたら、やっぱり鳥たちが花は食べなくなった。
家の中からそっとバードウォッチング。
毎朝、ものすごく高らかに響くホーホケキョ!のウグイスに
オットはすごく来て欲しがっているのだけれど、
やっぱり強いのはモズちゃんたちのようだ。
庭仕事の後、ブランコに座って空を見上げる。
連休の至福。
陽の光輪は神様からの愛そのもの。
]]>結婚して最初にマンションを買ったのが横浜市中区だったし、
娘が生まれた街でもあるので、本当にとてもとても懐かしいし、
親しみがある。
横浜三塔のキング。上の写真は確かクイーン。
今日の目的は関帝廟へのお参りだったので、中華街へと突き進む。
中華街の華やかさ、楽しさはもう言うまでもない。
山下町公園では、多くの方が太極拳をされていて。
後半は剣のようなものも持たれていて。
これは特別なことなのか、日常風景なのかわからなかったけれど、
通りすがりに見させていただけてラッキーとムスメと喜んだ。
四半世紀以上前、夫婦で初めて買った小さなマンションは、
石川町駅から徒歩10分のところにあり、
ムスメが生まれてある日、お散歩がてら家族で中華街へ行き、
そこで偶然、関帝廟にたどり着いた思い出がある。
当時、私は本当に何も知らず、信仰もなく
(今も何も宗教はやってません。
ただ良いと感じる神社仏閣巡りは好きになってるけれど)
「関帝って神様?え?関羽!?ええ〜!!
あの三国志の、関羽雲長〜〜〜!?」
とめちゃくちゃ驚き、一人大興奮した覚えがある。
高校時代の私はNHKの人形劇三国志にどハマりしていて、
同じ仲間と毎日非常に熱く語り合う日々を送り、
司馬遼太郎先生の三国志を読みふけっていたのだ。
三国志仲間の美晴ちゃんとは好みが非常に一致していて、
ともに大好きなのは諸葛亮孔明と関羽雲長だった。
なのに、関羽さまが中国では神様として祀られていることを知らずにいたのだ。
とにかく喜んだ私は、生まれてまだ数ヶ月の娘、
この日は赤い丸い帽子に、いただいたパンダ柄の赤い上下を着せて、
赤いベビーカーに乗せていたムスメの幸福を、
ただひたすら関羽雲長様にお願いした。
おかげさまでムスメは元気にすくすく育ち、
今とても幸せだと思う。
そのことのお礼もお伝えしたいし、
私なりの信心を持ち、この世の奇跡や不思議を信じるようになった今の自分で、
また改めてお参りしたいというのが、私の前からの希望だったのだ。
行ってびっくりのきらびやかさ。
ひとり五百円の拝観料も昔はなかったと思うけれど、
非常に丁寧にお参りのしかたをガイドしてくださり、
大きな素晴らしい線香をお参りように頂けるので、
むしろお安いかもしれないと思った。
整理されていて、順番と目的?がしっかりガイドされるので、
とてもお参りしやすい感じでいいかもしれないと思った。
とにかく建物の装飾の細やかさにも目を奪われる。
艶やかな龍が空に映えてなんて美しいことか。
外からなら撮っていいですよと言っていただけたので、
心の中で関羽様にお願いしつつ撮影させていただく。
四半世紀前の私が見たのと同じかしら。
思い浮かぶのは当時のムスメの顔ばかり。
あの日のムスメの愛らしさばかりが強烈に記憶に残っていて、
でも確か、関羽様顔が真っ赤じゃん!なんで!?と思ったことは覚えてます(すみません)
何事にも派手でデフォルメがきついのが中華風なのかと思うが、
狛犬にびっくりすぎて、しばらく立ち尽くしてしまった。
やっぱり左狛犬様はお子を抱いていらっしゃるんだけど
やっぱり怖いし、お子も怖いよ。
いや、可愛いけど。
玄徳や張飛は神様になっていないのだろうかと素朴な疑問。
私が無知なだけで、ちゃんとどこかで何かの神様になってるかもしれない。
でもこの中華街にはいなさそう。
なんか、空にいっぱい龍が来てない?と初めてムスメが言った。
確かにそんな気がする空の下。
中華街散策を始めます。
近くで見ると北京ダックちゃんたちはみんな可愛い顔をしていて
ムスメは悲しすぎて辛いと目を背けたけれど、
食べると非常に美味しいことを知っているから
なんだかやっぱり複雑な気持ちに。
ローズホテルのバルコニー手すりの
アジアンテイストさがたまらない。
交番も空気を壊さない!素敵。
そして、開店前から人が行列する素晴らしいお店、菜香新館さんへ。
オットの知人の方のご紹介で、
ありがたくも個室を準備していただいた。
晴れがましい気持ちで思わずテンションが上がる。
いただいたお料理の数々があまりに美味しすぎて、言葉にならない。
これは確かに人も並びもしますでしょう。
行列嫌いの私も次回は思わず並んでしまうかもしれない。
本当に美味しくて、最高の時間、空間、贅沢だった。
山下公園へと歩いて腹ごなし。
曇天の港横浜もまた非常に風情があり、
かつてここの市民だったこと、
まさにこの景色の真ん中でムスメが生を受けた奇跡に改めて感謝したり。
その後、オットの転勤先の名古屋で思いがけずムスコも授かり、
なんだかんだで小さな横浜のマンションは売って、
都内での暮らしになったのだけれど。
今もやっぱり好きな街。
その魅力に存分に浸れた1日だった。
]]>葛飾区立石にある五方山熊野神社様にお参りさせて頂くことができた。
雨の予報ではあったけれど、午前中はまだ降らないでいてくれた。
八咫烏の御神紋。
何度もお参りさせていただいているけれど、数ヶ月ぶりなので懐かしく、
また来させていただけてありがたいと心から思う。
満月の日に来させていただきたくて、今日、夫婦でおやすみを取ったのだ。
狛犬様素敵。
正しく美しい狛犬様だなとなんとなく思う。
お写真を撮らせていただく時はいつも、心の中でお許しをいただく。
石灯籠にもカラス。
三本足には視えないけれど。
ちょうど神社用の御朱印帳を新しくしたかったので、
こちらで2冊目となる御朱印帳を購入。
以前は安倍晴明様柄で、思わず同じものにしたくなったけれど、
やっぱりここは違うものにしようと思い直した。
この柄にして良かったと思う。
御神紋と晴明桔梗の紋が素敵。
彩も美しいし。
最初のページに御由緒を貼っていただけるのがありがたい。
八咫烏さまの印が嬉しすぎる。
満月の日限定の御朱印。
輝くような美しさ。
一番頂きたかったのはこの晴明さまのお札でもあった。
やはり満月か新月の日にのみ授与していただけるものなのだ。
撫で牛さんもピカピカでした。
帰る時も名残惜しくて何度も振り返ってしまった。
今日もオットとドライブを兼ねてのお参りだったのだが、
次の目的地である日比谷に向かう途中、両国橋で回向院の前をとおりかかり、
時間に余裕があったので、是非お参りしようと急遽、車を停めた。
全体の外観を撮り忘れてしまったのだけれど、御由緒に深い感慨を覚える。
数多の無縁の方たちを弔うことを目的とした慈悲深い寺院さまだったのか、と。
とても美しい境内に訪れる人は多く、皆さん新しい卒塔婆を持って墓地に向かわれていた。
そうだ、今日は彼岸の入りなのだった。
このタイミングでこんな由緒あるお寺にお参りさせていただけたのは幸運だったのかもしれない。
一際、丁寧に祀られた墓所があると思い、近づいてみてびっくり。
なんと、鼠小僧さんのお墓だった!
ご由緒にも感動。
皆さんが縁起をかついで削り取られてゆくと言うお墓、
そうさせないために、同じ効果がありますよということで、
お前立ちという石がおかれているのがさすがというかなんというか。
オットが削ろうとしてみたけれど、結構固くて、大変そうですぐ諦めた。
私たち的にはどう縁起をかついでいいのかよくわからなかったし。
義賊と言われた方に敬意を評して深々と頭をさげた。
関西人の私の先祖だってもしかして元は江戸にいたこともあったかもしれず、
小判に救っていただいたことがあったかも、とちょっと想像してみるのは楽しかった。
檀家でもないのに伺ってはいけないのだろうか、と気後れしながらおずおずと入った寺務所では
大変暖かく丁寧に迎えていただき、
御本尊であるたいそう美しくて立派な阿弥陀如来様の像を拝むことができた。
本当に綺麗で荘厳で、しばらく言葉もなくしてただ祈り続けた。
事務所の方は年配の女性だったのだけれど、
私たちが御朱印のことを伺うと、若いお坊様に声をかけてくださった。
とても若くて綺麗なお顔をした青年のお坊様がバーっと身軽に走ってきて、
ぴょん!とジャンプするように寺務所に飛び込まれて、
「書いておきますからその間にお参りをどうぞなさってくださいね」
と女性に教えていただき、お参りしたわけだが、
戻ってくるとお願いしていた御朱印が夫婦二人分2種類書き上がっていて、
御本尊の阿弥陀如来さまと
馬頭観音さま。
綺麗な文字で、後でオットと、あの若くてイケメンの元気なお坊さんが
書いてくれたんだよね、
すごく上手だよね、と感心しあって、そんなことも楽しく嬉しいお参りとなった。
しかしゆっくりしすぎて、今度は時間がなくなった。
慌ててミッドタウン日比谷の地下一階で牡蠣のパスタやワインでランチ。
優雅なるランチ。
たまにはこんな贅沢も許されたい。
生牡蠣大好きなのだ。大変美味しゅうございました。
ペペロンチーノパスタにも牡蠣たっぷりよ。
栄養とった〜っと言う感じ。
そして本日も夫婦で映画鑑賞。
話題の映画「ドライブ・マイ・カー」
静かな悲しみと後悔、焦燥感や焦り、救いが満ちてゆく3時間。
私的にはお約束の眠くなる時間なので中々に過酷だろうと予想していたのだが、
そうでもなく、
オットは非常に感動したと観賞後、何度も言っていた。
私的にはそんなに意表を突かれるお話ではなかったのと、
最近、西島秀俊さん主演のドラマ「真犯人フラグ」も身終えたところだったので、
なんかこう、かぶっている感じがしたりもして。
映像、オットがいうところのカメラワークの良さ、そして丁寧に、丁寧に、
登場人物たちの心の機微を描き出していく過程が評価されている理由だろうか。
悲しい気持ちが私的には浄化されなかったけれど、
主役の二人が救われたと言うならそれでいいかなと言う感じで、
ただ、広島の景色は懐かしくうれしかった。
若い頃の3年間の暮らしを思い出して。
夜は金曜ロードショーで「奥様は取り扱い注意」
またしても西島秀俊さん。
ちょっと私の中で渋滞気味だわ、と笑って
素晴らしい俳優さんの売れっ子ぶりを楽しませていただいた。
]]>亡くなられた方々がいらして本当に残念。
なんというか・・・久しぶりにまた、無力であることを思い知らされた。
あの震災から11年がたち、いつのまにかまた心が緩んでいたみたい。
自身に揺られている間、あれもこれも準備していない、できていないと
後悔することがいっぱいあった。
これを警告と受け止めて、危機感を持っていかなければと思う。
こんなお菓子も買っていました。
はい、「東京リベンジャーズ」も好きです。
自分ではそうひねくれているつもりはないのだが、
少しムキになっていたのかもしれない。
‘’韓流‘’という言葉に。
そのドラマが面白いのは知っていた。
昔々大昔、もう今から20年近く前の事、
突如として起きた冬ソナブームに、私もオットも否応なく巻き込まれた。
号泣とまではいかなくとも興味を持って最後までその恋の結末を見届けたし、
次に「チャングムの誓」ビデオを、レンタル店で借り始めたのも、
やはり冬ソナが入門編となってのことで、
韓国のドラマはみんなが言った通り面白いね、
と夫婦で納得したからに違いない。
それで誰に勧められたのだったか、
次に見るのはチャングムだからね、と言われたということで、
試しに借りて見たら、これがハマりにハマった。
夜中を過ぎても毎晩夫婦で、
小さかった子どもたちを寝かしつけては見続け、
こらえきれずにオットが夜中の3時にレンタルビデオ店に走って
次巻を借りてきたこともある。
ある登場人物が亡くなったシーンでは夫婦で泣いた。
本当に夢中で楽しくも辛い数週間を過ごして
やっとゴールにたどり着いたあとは、
夫婦でもうこれ以上ハマるのはやめよう、と
差し控えることにしたのである。
本気で毎日寝不足状態のオットは、勤務に支障が出そうになったというし、
それはいけない、という結論になって。
その後、世間はさらにヒートアップし、
私の友人たちは、まるで呪文のようにも聞こえる
素敵なスターたちの名前をつぶやき続け、浸り続けている横で、
私はうんうん、それは素敵ね、よかったね、
と静観の構えを取り続けた。
友人と新宿でランチをしていたはずが、
気が付くと何やらそのまま腹ごなしにと歩かされ、
歌舞伎町を横切って新大久保に入り込み、
謎の韓国雑貨店を巡り歩いていたこともある。
いつ電話してもメールしても「今、韓国に来ています」と
返事がある友人もいて、
しまいには家に何やらのアンテナを取り付け、
常時韓国のテレビを見られるようにした、という話に驚き、
自然とハングルが読めるようになった、
聞き分けられるようになったという状態にまで達したと聞いてはのけぞった。
特に申し合わせたわけではない友人二人が、
それぞれ衝動的にソウルに旅立ち、(衝動的にというところが怖い)
偶然向こうでばったり会って驚いた、
なんて話にこちらこそ驚きだった。
とにかくそれなりに熱い熱い韓流ブームの中に私も揉まれていたのだったのに、
入らずに来た、入りそびれた。
理由はただそれだけ、乗り遅れただけのこと。
でも別にそれでよかった。
別に退屈な人生は送っていないので、このままの私でいるつもりだった。
のだが。
不穏な空気にまた圧を感じだしたのは昨年である。
噂だけなら一昨年から観て聴いて知っていた「愛の不時着」なるドラマ。
職場で皆がその感動を口にしている。
当然反感なんかは全くない。
私もぜひ見てみたいと思いながら歳月が過ぎた。
我が家は家族全員大のテレビっ子で、
あらゆるジャンルの番組を常時楽しんでおり、
他に見る暇がなかった、それだけである。
それが今年に入ってすぐ、
その「愛の不時着」で恋人同士として主演した二人が、
現実でも恋人同士になっているらしいというニュースを知った。
それは素敵、なんておめでたいことと思った。
日本でも、あの名作ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」で共演したお二人が、
現実世界でも晴れてご結婚されて、
非常にめでたく、華やいだ気持ちになれたものだ。
それがきっと韓国でも起きて、
だから皆さん本当に喜んでるんだろうなあと微笑ましく思った。
その微笑ましい感情を共有したい。
実はこれが大きな動機になった。
それで、ぜひ今年は話題の「愛の不時着」を観ましょう、
と家族を誘ったのだった。
そうこうしているうちに、そのお二人がさらに結婚を決められたという。
ネットの賑わいは祝福ムードであふれ、
皆がどんなにこの作品を大切に思っているかが判って、私もその渦に心を沈めてみたくなた。
かくて。
ついに私たち家族は、「愛の不時着」というドラマを観始め。
1話目はフーン、だったのだが。
2話目からこれはコメディなの?になり、ちょっと面白いかもと引き込まれ始め、
3話目からはヒョンビンというこの方は、
ものすごくかっこいいのではないかと気になるようになり、
リ・ジョンヒョクとユン・セリ二人の掛け合い、
楽しくかわいい第5中隊の面々に親しみがわいて、
どんどんどんどんのめりこんでいった。
ソン・イエジンさんが演じるユン・セリがまた、たまらなくチャーミングなのだ。
彼女は大財閥の令嬢で、
自身も優れたセンスを駆使して自力で巨大な事業を展開している実業家であり、
ただ可愛い、きれいなだけの女ではない。
しっかりしていて、計算高くて、生まれの良さから自然と高慢、
でもそこに歪んだ気持ちはなくて、素直にただ上から目線、
でもそれが可愛いという人。、
泣くし騒ぐし文句を言いつつ、ただ待ってるだけではない。
常に自分にできるベストを模索し
、薄情ではない素直な心で人の資質も見抜くし、親しんでいく。
彼女が自分で言う通り「黙っていても魅力が溢れてしまって困る」女性なのだ。
そうでなければあのジョンヒョクさんが
全人生をかけるほどに愛さなかったに違いない。
久々のこの感覚。
次の話へ、次の話へと気持ちは逸る。
でも現実世界はなおざりにできない。
断腸の思いでネットフリックスから離れては、現実世界へと働きに行き、
戻ってくると親子でテレビの前に座って、
ハラハラと、ジンジンと、心を震わせながら、
2人の恋を、いや途中から4人の恋を見守り続けた。
かなり早い速度で、私たち家族はこの作品全16話を見終えたと思う。
家族全員もうヒョンビン様の虜となり、
お話の後半は胸がキュンキュンとなるという久しぶりの感動を味わい、
ラストシーンにかけては何度も涙を流し、
最後はムスメと抱き合って号泣した。
ついに、熱い熱い時間を家族で共有することができたのだった。
小説でも漫画でもアニメでも映画でも。
気に入ったものは何度でも繰り返し見て味わい尽くすのが
私の昔からの性分である。
このドラマの最大の魅力はたくさんの人物たちで、
またそれに日本語を吹き替えて命を注ぎこんでくださっている
日本の名声優さんたちのお声が素晴らしすぎる。
2巡目は家族に言わず、私一人の時間を少しでも利用して観始めることにした。
そしてそれがとても素晴らしいものであることを非常に実感。
もう結末までを知っているだけに、
かなり落ち着いて、細部のディテールを楽しみながらゆっくり観ることができるのである。
悪役のチョ・チョルガン役のオ・マンソクさんという俳優さんが、
ミュージシャンの岡村靖幸さんに似すぎていて、
最初から夫婦でざわめいていたのだが、
声は大好きすぎる諏訪部順一さんで
子ども達もざわめく。
リ・ジョンヒョクさんは日野聡さん、あの煉獄杏寿郎さんだし!
ソン・イエジンさんは泣く子もおだまり、という感じの沢城みゆきさんで娘は大騒ぎ。
(崇拝しているのである)
潘めぐみさんや前野智昭さんでも大感動で、
本当に声の出演が素敵すぎる。
2回見ても感動は薄れなかった。
気が付くと家族みんなで2回目も観ていて、
ほんとだ、2回目は安心して観てられるねーと喜んだ。
で、今は私が折々に、好きなシーンだけ再生しては繰り返し見て楽しんでいる。
それを家族に見つかっては「また観てる」と笑われてしまう、
それでも全然恥ずかしくない、開き直って見続ける私。
恐ろしきは韓流沼。
いや不時着沼というべきか。
オットと二人でこのカップル初共演作の映画「ザ・ネゴシエーション」も観たし、
ヒョンビン様を徹底してみようということで「コンフィデンシャル/共助」も観た。
どちらもまあまあ?という感じだけれど、
違うヒョンビンさまである。
かっこいい。
でも私が、私たち家族が好きなのはあの、リ・ジョンヒョクさんという役なのだろう。
素敵な二人の恋物語に出会えて幸せだった。
楽しい気持ちの共有は職場でもできるようになって、
それもうれしい広がりである。
]]>
目に飛び込んでくると嬉しいものがある。
まさかここで、大好きな作品に出会えるなんて。
「銀の匙」の懐かしいみんなではないの。
当然お持ち帰りして、我が家の食卓に上がったわけです。
もともと「よつ葉」さんの乳製品全般、大好きで、
(特にカマンベールチーズは私の大のお気に入り。
見つけると必ず買う。
一時は見つけるのに苦労したけれど、
最近は生協のカタログからでも買えるようになり、喜んでいるところ)
よく買っていたけれど、これでますます好きになった。
消えものの紙のパッケージなところがいいような、残念なような。
さて左足の話。
よく知らない間にいろんな体の部位に青痣をつくっていることが
私には本当に珍しくない。
相当な衝撃だったはずと一眼でわかるすごいアザ、なのに自分に記憶がない。
そういえばどこかで何か痛かったかな?
とかすかに記憶を辿ってもよくわかっていなかったりして、
どうしてこんなに鈍感なのかと思う。
要は雑なのだ。
大人だし女でもあるから一応嗜みとして、そうは見せない工夫でなんとか
自分的には気を付けているのだけれど、
日常的にぼやけた大雑把さは抜けきれていなくて、
それで常になにかしら目測を誤り、打撲しているのではないかと思う。
だから2月初旬くらいから、急に左足のくるぶしの一部を痛いと感じる様になっても、
自分的にまたかという感じで、すぐには気にならなかった。
そのうちきっと忘れているうちに治ってるでしょう、というこれまた雑な認識だった。
その痛みがけっこう強くて、普通にしていてもズキズキいたむし、
触ったり何かを当てたりしようものならかなり痛い、と感じはじめて
あれ?と思った。
見ると腫れているのだった。
それも結構な大きさで。
なんだろうと思いながら半月、触った感じが妙にぶよつき、硬さもあるようになってきて、
ついに近くの外科を受診。
そこで最初は滑液包炎だろうと思う、穿刺してみますか・・・となるまでは
予想の範囲内だったのだが、
実際に先生がよくよく触診されて、固さがある、やっぱりMRIを受けてください、と
きっぱりとしたご指示をされたあたりから、
あれれ〜?と方向性が違ってきてしまった。
その通りにして改めて画像をみてもらったところ、
先生から大きな病院の形成外科を受診するよう勧められ、紹介状をもらって受診。
さらにまた、超音波検査を受けてくださいと言われて予約し、
1週間後に訪れたのが今日。
結果、やっぱりよくわからない、と言われたのだった。
悪性の腫瘍ではないというのは早くから言われていて、
あまり心配していなかったのだけれど、
良性の腫瘍にしてもこの大きさでは結構な手術、入院を必要とするものになる、
という見通しを先週聞かされた時だけは少しびびった。
おお、それは結構な大事だな、と。
日頃、もっと自分の時間が欲しい、
何もしない、しなくても責められない立場になって、
しばしゆっくり休みたい、すきなだけ本とか読んで遊んでいたい、
家事もしなくていいくらいの余裕で!
と心の中で叫んでいた私が、そんな自体を引き寄せたのかとマジで思ってしまったくらい。
お金もかかることだし(保険に入っているにせよ、手続きが面倒〜。
ま、オットがしてくれるだろうけれど)
できればそれは無しの方向で・・・と願っていたら、それはないことになった。
良性の腫瘍という判断すらできなかったから。
腫瘍と断定するには柔らかく、超音波の画像で見てもどうにも実態をつかめないもので、
考えられるとしたら強度の打撲による血腫ということ。
だとすれば痛みとともに塊も次第に体内に吸収されて消えていくし、
腫瘍なら硬さが増して大きくなってくるので、
経過を3ヶ月はみましょうと言うことになった。
つまり何もない。
薬も何もない。
あとで家族に盛大に、それでもなんとかしてほしいよねとブーブー文句を言われたけれど、
私はなんかこういうオチかと納得したのだった(まだオチきってないけどね)
まあ一つ思ったことは、今後はもっと我が身の扱いに注意をしようと言うことかな。
そもそもそれが悪いのだから。
貴重な休日の数時間を通院に使ってしまい、
しかも温かすぎだったので、汗までかいて疲れたけれど。
帰宅後、大好きなラスクの缶を開けてにっこり。
このトリコロールカラー、胸が弾みます(会社は群馬県だけど)
美味しい。
やっぱりこれが好き。
さてさて、「呪術廻戦」
大好きです。ハマってます。
しまむらに行くと、そのキャラクターグッズがざくざくあって、
心騒ぎます、欲しくなります。
だけどぐっと我慢。
もう今更この年で、どんなに好きでもバッグやポーチは使いこなせないわ。
でもふりかけやお茶漬け、
缶コーヒーなら一時の誘惑に身を任せても大丈夫!
消えものだから。
それがいいような、悪いような。
捨てたら釘崎のばらに釘うたれそう。
]]>
今日の朝一にやれば時間的なロスは全くないことにできる、
とは思いながらも、忘れた自分が許せなくてちょっと憂鬱な
月曜、朝の出勤時間に。
見上げた空に「あ、龍神様」と思った。
視えたと思ったのは胴体で、そのまま視線を左にずらしていったら、
あ。龍神様の横顔が。
何度も言うけど、視えた、視たと思えば、それでいいのだ。本当に視てるのだ。
嬉しくなって、気持ちを切り替えて会社に出勤。
案の定、他の人がやってくれてしまっている。
ああ。笑顔でさっぱりと忘れていたお詫びとしてくれたことへのお礼を言う。
時間的に全然、朝イチでやってもさしつかえなかったよ、
どうせ金曜夜から郵便動いてないんだし、と周りの人が言ってくれるが、
うん、まあ、それでもね。
ちょっと抜けるのよくないよね。
人はいいけど自分にはあまり許したくないのだ。
そんな感じで日々を生きている。
些細なことが悔しかったり、逆にとっても嬉しかったり。
その小ささを馬鹿なこととは思わない。
俯瞰し、対極から全体的にみてます、わかってます、
とわざわざ言う人、見せつける小さい人にも私は別になりたくはない。
笑ってよし、泣いてよし、怒ってよしで、
でもそれを全部自己責任として処理したいのだ。
誰かのせいや何かのせいであることは確かに、確かにあるけれども。
結局は自分が選んだり、選ばなかったりしたことが原因だから、
そのエネルギーを原因に向け、償いを求めることよりも
次回はもう同じパンチは喰らわない、同じ穴には落っこちない、という
綺麗なルートで進むことを目指したい。
誰が何をどう批評しようと、また評価してくれようとも。
すべて「ありがとさん」と流したい。
ただ、お天道様がみている、そう思っていよう。
いつも見上げていたマリア様。
幼稚園に通っていたから、娘はいまだにこのマリア様の下で頭を下げる、
手を組んでお祈りする。
それがいい、といつも私も思う。
その慈愛に区別はなし。
もちろん差別も。
光をみて今日もがんばろう。
で、がんばった1日。
在宅ワークだったオットが迎えにきてくれて、
ホワイトデーだからね、と買ってくれていたケーキ。
大好きなサバラン。
酔っぱらっちゃうほどのお酒がたっぷり染み込んでいて、
それでもたまらなく甘くて美味しい。
そんな人生ならいいね。
明日からのおやつに、と私が大好きなガトー・フェスタ・ハラダさんの
ラスクもプレゼントしてくれた。
うれしい〜!!
明日から毎日食べる!
そんなこんなで今日も生きてます。
頑張ってます。
仕事帰りはへたっと畳にへたばっていても。
(やっぱり和室最高)
]]>とはおもっていつつも買ってしまうことがやはりある。
今日のお買い物はこれ。
ずっと欲しかったミニサイズのワイングラス。
昼食時に少し、お酒を嗜むのが好きな私は夜用の(そんなのがあるんかい!)
いえ、
しっかりした普通の大きさのワイングラスよりは、少し小さくて、
でも可愛くて素敵で。
丈夫で食洗機でも洗えるガラスのものが欲しくて。
ラ・ロシェールのワイングラスにほとんど決めかけていたのだけれど、
私が思っていたより大きくて。
そして形が可愛いのはこちらだなと気に入って購入。
ルミナルク。アルコック社。おフランス製。
あ、長年愛用している麦茶用のグラスボトルと同じ会社、と買ってから気がついた。
やっぱり好みの傾向の会社さんなのだ。
割れにくい、と検索するとすぐ出てくる。
そしてお値段がびっくりするほど手頃で、なのにデザインが良い〜。
大好き。
ROMAN ロマン ワイン 140cc アルク社製 グラス/ガラス/デザートカップ/ARC/ミニワイングラス/冷酒杯/業務用食器 価格:616円 |
この形が可愛いのだ。
アイスやフルーツを盛り付けても可愛い、絵になるだろうと
家族分購入。
どうやらグラスは3個セットパッケージだったようで、
それで一番上の写真の様な形で買わせていただくことができた。
早速ランチに白ワインを飲んだら、とても美味しく感じられた。
幸せ。
ミニマムに走ると、本当に全てが不要でいらなくなるんだと思う。
何も無い部屋、それが一番すっきりと美しいのは
引っ越し常習者の私もとてもよく知っている。
引っ越しを決めるための家を見た時の、
その何も無い状態の魅力と、
引っ越していく時に空っぽにした家の、
よく知っているはずの一番綺麗な最上の姿に、
ハッとさせられたことが何度もあるから。
一度全て持ち物をリセットして、
本当に今の暮らしに使っているものだけを買い足しながら、
必要限度のシンプルさで暮らしてみたいと心のどこかでいつも思う。
反面、共に暮らし馴染んだ愛しいものたち、
誰かの創意と工夫、技術の結果生み出されたのであろう
可愛いものたち、綺麗でかっこいいものたちも大好きで、
身近に置いて、使い、愛でながら暮らしていくのも大好きなのだ。
この葛藤に答えは出さない。
両者は私と家族の心の中で、バランスをとりながらあっていい迷いだと思う。
さて。
なにげに外をみたら鳥の姿にはっとする。
どうもいつも黄色いジュリアンの花が妙にちぎれていると思ったら、
この鳥さんが犯人だった。
現場を押さえてしまった。
花食い、花びらを食べてる鳥。
美味しいの?
庭にはオットが置いたみかんやりんごの切れ端があって、
最近我が家のお庭は鳥のレストランだ。
でも大体百舌がやってきて、他の小鳥を蹴散らして独占してしまう。
本当は家の隣の公園で盛大に鳴いているウグイスを呼び寄せたくて
オットはしているんだのにね。
昼食準備をしている時に、事件は起こった。
冷蔵庫から出した食材を、レンジに入れて温めて、
チン!と鳴ってから取り出して、テーブルに置いて。
また振り返って別の品をレンジにいれて。
スイッチをいれたのに・・・音がしない。
灯もつかない。
あれ?あれあれ?
目をパチパチさせて何度かスイッチを入れ直して。
コンセントが抜けていないか確認して、他の家電製品は動いているかみて。
さっと走って洗面所にある配電盤でブレーカーが落ちていないかも一応見てみて。
もう一回、目をパチパチ、スイッチもパチパチ。
あらら。
灯もつかない、動かない。
電子レンジの生気がない。
まさか、さっきの。
昨夜のご飯の残りを温めた、あれが最後のお仕事だったの?
力を振り絞ってしてくれた最後のお仕事?
嘘〜。
どうする?
思わず家族で顔を見合わせてしまった。
が、見合わせても仕方ないのだ。
レンジがなくてはやっていけない。
全ては冷たく、なんでも冷やして、凍らせてもいる我が家である。
新鮮な食材を買ってきて、すぐ調理して、作り立てを食べる、
なんていうことは毎回はしていない。
パンすら冷たい。
レンジなくしてやってはいけない、というのは我が家にはもう絶対なのだ。
とりあえず、お鍋に移してあたためて済むものなどで昼食を済ませて、
すぐに私とオットは大型家電店に向かった。
気持ちはほぼ決まっていた。
オーブンレンジ、買うならきっとバルミューダの白。
素晴らしい万能調理器らしい最新のオーブンレンジに確かに憧れはあるけど、
かつて我が家でどんな家電製品もそれほど多機能を使いこなせたことは一度もない。
単純な機能を最大限に生かして、面倒でないことしかやらないのが私という
ズボラな人間の生き方。
そんな私に高機能すぎる超高級オーブンレンジはもったいなさすぎるというものだ。
機能が特に優れていることより、壊れにくくて、わかりやすくて
シンプルに使いやすいこと。
これが我が家の絶対条件と言っていい。
それでいうなら、どんなに人に「デザインだけ」と言われようとも
5年保証がつくバルミューダ様は最適なのだ。
他にもPanasonic、SHARPの製品で手頃で良いと思うものがあった。
しかしここで1万円の安さでそちらを選ぶくらいなら、
前から夫婦で次はあれがいいねと決めていたバルミューダ様しか選びようがない。
オーブントースターは残念ながら買う直前で気が変わり、
バルミューダではなくアラジン様にしてしまったけれど。
(だって4枚焼き最強なんだもの。
おかげで毎朝、本当に重宝しています、たすかってます。
ルックスも丸こく、可愛くて好きよ)
オーブンレンジはもう迷わない。
そう夫婦で即決した。
あとはお金の問題ばかり。しくしく。
本当はこの秋、このバルミューダ様を買うつもりだったのだ。
それまできっと前の電子レンジが持ち堪えてくれると信じていた。
これを今日買うことで3月の家計は非常に、とってもやばくなる。
(カードの支払いが)
もう他を切り詰めるしかない。
でもその覚悟で今、買おうと、
えい!とその場で買って持ち帰った。
ついに、我が家に、
白のバルミューダ様降臨。
オーブンレンジって大きくて重い。
女一人だったらすぐには買って帰れないなあと思いつつ、
オットがいて動いてくれることに感謝。
生活感ありで恥ずかしいけど、
こんな感じで、
我が家のキッチンダイニングスペースにお収まりいただいた。
こうしてみると、ゴミ箱も白がいいんでしょうね。
でも私は日常的に、この茶色の濃淡とくすんだブルーを愛でていて、
パリのエッフェル塔をリボンで囲んだロゴや
フランス語の文字もかわいいなと楽しんでいるので、
全体が白でなくてもこれはいいのだ。
降臨、満を持して。
そういうことにしておこう。
我が家についにバルミューダ様がいらした日。
亡き叔父の、お誕生日に。
]]>あっという間に月半ば近くになってきたので、氏神様にお参り。
本当に、大変清々しい気が溢れていて、いつ来ても心地よく、ありがたく。
美しい白梅満開。
なんて清らかで可憐、美しいのだろうと思う。
また紅梅の華やかさ。
古来より日本の人たちが愛してきた気持ちが本当によくわかる。
氏神様はありがたい。
今、子供たちは皆、この氏神様のお近くで職を得ていて、
それが何よりミラクルだと私は思っているのだ。
例えば震災などの非常事態が起きても、
歩いて帰れる場所に家族がいると思えることは、私に取っては本当に有り難いことなので。
ことに障害ある息子に関して私がそれを願い続けてきたことは周知のことなので、
本当にそれが現実化した時には、皆が喜んでくれたもの。
だから。
ただただ感謝。
こちらもお馴染み桜神宮。
河津桜が盛りの美しさで、そのためか通常以上に参拝の方が多くてびっくり。
この美しさなので無理もないけれど。
大好きなお社と桜の花。
そして春の青空。
なんて美しい景色かとしばし、感動に浸った。
先月、今月と限定御朱印を楽しんでいる
夜桜を思わせる黒い紙に金色の文字が美しい。
桜にウグイス。
そういえば、我が家の隣は公園なので、
数日前から毎朝「ホーホケキョ!」の鳴き声を聴いている。
幸せなことだと思う。
そのお名前の通り、桜満開の美しい御朱印。
春来たる。
ただただ有難し。
夫婦で参拝したあと一旦帰宅して昼食をとり、
それからまた二人で出掛けた。
息子がお世話になった施設での、保護者の学習会として、
生命保険会社の方から子供のためにできること、
将来への思い、
信託保険のことを学ぶ。
ご自身にも障害あるお子さんがいらっしゃるという方のお話は
非常に参考になり、貴重。
得難い体験、学びになった。
オットと一緒にできることは全部共有して、
温度差を作らないことにして数年が経つ。
元はと言えばやはり、
子供の進路で様々な迷いや問題が生じた時、
非常に夫婦仲が悪化したことが原因になる。
こんなに夫婦ですり減り、悪感情が増えていくのは、
現状把握や情報によって生じる感覚について、
夫婦で温度差がありすぎることが原因だと
夫婦で認識したからだった。
知らないのだけれど、聞く限りではたいしたことがない様に思う。
だから、そのつもりがなくても上から目線で、
いかにも「そんなことは大した問題じゃないんじゃないか、
はっきり相手にいえばいいだけだろう?」
とか言ってしまう様な、
こちらからみたら全て馬鹿げてるよ、俺には全部最善の道が見えているよ、
的態度を取られる不快感に私は耐えられなかったし、
オットはオットで、「実際に知りもしないのに、あなたは一体何様なの?」と、
あからさまに私に不信感を抱かれる原因を潰したかったからだろう。
それぞれの思惑、原因はどうあれ、
オットのあまりある有給休暇は子供のための問題解決はもちろん、
情報収集のために使ってまずはしっかり自分も知るところから始めましょう、
というこスタイルをとる様になったのは遅く、
息子が特別支援学校の高等部になってからのことだた。
ここらが本気の進路の分かれ目だったので、当然といえば当然なのだが。
そうするとうちの場合、前の様ないがみ合いはなくなった。
オットが私と同じ問題や困難さを感じ、「別に大した問題じゃないでしょ」
と言わなくなっただけで私の心はざわめかなくなったからである。
本日の学習会も夫婦で参加しているのは私たちだけだったが、
もはやそのことは論議にもならない。
(前はオットはよく、「他にきているお父さんなんかいないじゃないか!」
と言っていたけれど)
よそはよそ、うちはうちだ。
よその旦那様はきっと、奥さんだけが勉強し、情報収集してきても、
それを素直に受け入れ、自分でもちゃんと感じられる人なのだろう。
うちは残念ながらあまりそうではない。
共感力も個人差のうち。
そこは責めても仕方ないので、
ただとにかく一緒に向き合ってもらうばかりである。
子供たちに、とにかく幸せでいて欲しい。
願う気持ちは一緒だから。
]]>
2022年3月の空の下を今日も生きている。
何日か前の朝の空。
竜神様がお空を散歩していらっしゃる、とカーテンを開けた瞬間思って、
見ていると急にはっきりと竜神様のお顔が見えてきたので慌てて写真。
そう見れば視える。
それで満足。
幸せってそんな感じでいいんじゃないだろうか。
この日は1日気分がよかったりしたから。
合間に家族で焼肉を食べたり。
オットの突然の「今日は焼肉!」宣言で、
もう大人になった子供たちとぞろぞろ歩いて地元の焼肉店へ。
なんかあんまり大人4人家族で連れ立って歩くって
普段そんなにないことかもしれない。
美味しい焼肉に本気で本気の舌鼓。
私が病院に行った日の帰りはオットと二人でとんかつランチを楽しんだ。
もう玄米入りご飯も白味噌をつかったお味噌汁も美味しくて美味しくて。
ゴマをたっぷり擦ってソースと混ぜ合わせて食べるとんかつの美味しさときたら。
(ちなみに私はアレルギーがあるのでいつも塩のみ。
かつてアレルギーになる前はソースを存分にかけて楽しんでいた)
さくさくの衣にジュワッと甘味すらある肉。たまりません。
美味しかった。
断捨離しなきゃと言いつつ、買い物はする。
でも熟考して。
購入した毛玉クリーナー!
私は長年、何十年も前に友人がくれた毛玉クリーナーを
とっても重宝して愛用していた。
(その友人はいつもおしゃれに自信がない、
センスがないから何がいいかわからない、
だから自分でいいと思える実用品を・・・と私のために一生懸命考えて
送ってくれるのだった。
いつも嬉しかった、ありがたかった!)
驚いたことにそれは20年くらい使えていて、
いつしか娘の愛用品にもなっていた(オトコたちはそもそも毛玉を気にしていないので
毛玉クリーナーなるものの存在すら認識していないように思う)
が、それがついに壊れ。
間に合わせと、好奇心から100円ショップの毛玉とリ機を購入。
昔はそこそこいいお値段したものが
今はこんなに手軽に買える値段で結構使えるんだと、
新鮮な驚きと感動に浸ったのも束の間、やはりなんか納得できない。
毛玉が取れるようで取れにくく、うっかり強くすると布地を挟んで切ってしまいそうな。
これはダメだ、やっぱりちゃんとしたものを買おうとしたところでの
熟考の末の購入である。
ざっと色々調べて、レビューナンバーワンではないけれど、
私なりにはベストと思えるものを選んだ。
それがこれ。
単三電池2個で動くコードレスなもの。
充電ケーブルはパワフルで安定していていいのだろうけれど、
やっぱり紐(ケーブル)に繋がれて動きが制限されるのは嫌だと思ったので。
お掃除ミニブラシ付き。
このブラシをなくさないか心配〜。
白いところが好み。
でも、この形。
見た瞬間、ハッと私の脳裏に抗い様もなく思い浮かんだのは、
(画像お借りしています)
古代エジプトの偉大なるラーの一人、
アメンホテプ4世さまのことだった!
ネットで画像を検索してみたときからなんかこの形・・・とは思っていたけど。
もうみた瞬間心は古代エジプト、
アメンホテプ4世が夢見た治世とその妻、美貌の王妃ネフェルティティのことばかり。
まさかそんなイメージを抱きながら、使うことになるとは思わなかったわ〜!!
と思わず一人ブツブツ呟きながら、シャー、シャーっと最初に毛玉を取ったのは、
もうこの数ヶ月気になって気になって仕方なかったソファーだった。
素敵でおしゃれなモカカラーのお気に入りのツイードっぽい生地なのだけれど、
毎日座っていたら毛玉ができ始めたのがショックでショックで、
しかも本気で肌触りが悪いし。
この毛玉をジャーッと一気に刈ってやったらどんなにスッキリするだろうと
いつもソファでブツブツした手触りに触れるたびに思っていたのだ。
このクリーナー様は快調で、
そんな長年私が夢見た快感を存分に味合わせてくれた。
みるみるうちにソファはすべすべの滑らかな手触りを取り戻し、
長年私を悩ませてきた憎き毛玉たちは綺麗さっぱり刈り取られて、
このアメンホテプ4世様・・・もとい毛玉クリーナー様の
あごひげの中もといダストボックスの中に吸い込まれ、溜まってゆく。
独特な形状は手に持って作業するのにまさにうってつけだし、
邪魔なコードがついてないから、ソファのような大物にも縦横無尽に使うことができる。
素晴らしきかな、アメンホテプ4世さま。
独特の形と重さのバランスで、自立はもとより、
何かに引っ掛けたり立てかけたりすることすらも困難だけど、
そこはそれ、なんとか居心地よく普段は横たわって待機していただける場所をお作りしましょうぞ。
ミニブラシも忘れずにね。
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そんなこんなでご機嫌になった3月のある日の私。
何やってるんだか、だけど
とにかく一人ご満悦なのだった。
(あ、家族はいつも傍らにいすぎなくらい居て、
私が一人でいられることは本当に滅多にありません)
]]>毎日働いて、帰り道にほ〜として、月など見上げながら、
あれこれと家でやりたいことを考える。
が、帰宅してお風呂に入って、座り込んだらしばらく放心してしまうのが常。
寒さに震えつつ、そんな冬を心底楽しんでいたのだが、
(私はとにかく断然冬が好きなので)
まだとても寒いうちから気が付くと庭の花々がほころんでいて、
春の訪れの近さを予感していた。
ミモザの木に小さな小さな黄色い蕾が膨らみ始めた時。
ほとんど朱赤に近いほどに濃いオレンジのラナンキュラス、
まあるい大きな太陽のような黄色いラナンキュラスに、
蕾のうちに買った苗が開くと非常に華やかな八重咲だったアネモネ、
達など花々が爛漫。
職場で覚醒を心掛けている分、家でバランスをとるのか反動のように、
ただ生きるためだけのルーティンを繰り返しながら日々を過ごしてしまって、
そのことがちょっと悔しい。
バレンタインはオットとムスコにプレゼント。
仕事で落ち込む気持ちになることがあった日の帰り道も、
明るくなってくると夕暮れの空が綺麗で、
幼かった娘が通わせていただいた幼稚園があった教会の、
前をとおりかかっただけで気持ちが慰められたり、
朝、起きたときの窓からの眺めだけで、
あんなにもう行きたくないと思っていた職場にまた元気に、
おしゃれしてでかけよう、という気持ちになれたり。
単純だけどたくましい、自分の心に感謝した2月の満月の朝。
遠くに見える富士山も元気をくださる。
月に一度は参拝する氏神様。
清らかで、心が軽くなってすっと楽になる。ご利益大。
神様が降りてきてくださってると思えた本殿の上の雲。
雲間から太陽が見えた瞬間の嬉しさ。
もう一つ、こちらも毎月伺いたい桜神宮様。
鈴の緒のお色が変わっているのを見ると嬉しい。
そして今年も飾りました、我が家のお雛様。
いつもとてもお可愛いらしくて華やかで。
桃の花を飾り、雛霰をお供えして、
桃の節句の日はみんな仕事で帰宅は遅かったけれど、
手毬寿司と蛤のお吸い物を一緒に食べてお祝いをした。
娘も今年25歳。
びっくりするような、もう立派に女性なお年頃。
結婚とかはまだ当分ないだろうけれど、
1日1日健康で、楽しく生きていってくれたらいいと心から願う。
普通、という言葉で子供に呪いをかけないよう、
(普通であれ・・・つまり平均以下とみなされるようになるな、というのは割と普通。
子供に普通以上の期待するために使う「普通」は結構厄介。
親はこのどちらかになりがち。
愛故のことなのだが、気づかぬうちにそれは歪んだ干渉になる、毒になる。
どっちにしても、子に使う「普通」は結構危険な言葉かもしれない。
自分周りで使う分には別に構わないんだけれども)
私は今後も気をつけるから。
ただ幸せを祈り続ける。
どんな形であっても。
]]>
もう7,8年前になるだろうか。
当時も2回ほど夫婦で参拝している。
まだスピリチュアルにハマっていると人に思われたくない、みたいな
妙な抵抗感を心に持ちつつも、
神仏に気持ちが惹かれていく一方だった頃だ。
ネットで大変なご利益があるというのを読んで、参拝したのだと思う。
お参りさせて頂いて、
その敷地の小ささにまず驚いたし、
平日でも多くの人が参拝に来られることにも驚きを感じた。
本当にたくさんの方に信仰されていらっしゃる神社さんなんだなあと、つくづく感じた。
それが今、当時以上の大人気で、暦的に良い日となれば大行列、
ご祈祷希望者は引きも切らない、という。
私も観たけれど動画配信で、有名な占い師の方が
ここだけ参拝していればいい、願いが叶います、とおっしゃったからみたい。
ご祈祷を受けると特に、願いが叶うとか。
ご祈祷は受けてないけど、そういえば当時お祈りしたことって・・・
あ、叶ってた・・・!
思い出してびっくりな私。
当時、子供たちの進路について不安を覚え、心配し、
こうなったらいいのに、夢みたいだけどここには入れればどんなにいいか、と
思い描きながら、なんとかうまくいきますように、とおすがりしたと思う。
その後、適切な時期を経て、
いくつかの偶然のタイミングからへえ!と思うような情報を得たり、
良い方と知り合えたり、
逆にもともと信用おけなかった人(当時の先生の一人だわ)と
大変トラブって嫌な思いをしたりして、でも、
そのおかげでたまっていた毒を出せてスッキリし、
相手にも常識的な対応をしてもらえるようになったのでかなりましになった・・・、
みたいなことも含めて、バタバタと大いに揺れ動き、
でも結局は子ども達の進路は希望以上の展開が開け、
今の機嫌のよい日々に繋がっているのだ。
ああ。
何にもわかっていなかった。
感謝もせず、ああ、あそこ行ったね、くらいしか思い出さず。
罰当たりでごめんなさい!
という猛烈な反省の気持ちでお詫びとお礼をしたい、ということと、
やはり今また別のお願いごともさせて頂きたいから、
お参りしたいなあという話を年末からオットにしていたのである。
しかし当時のまだ大らかだったころと違い、今は参拝客がひきもきらず、
ご祈祷の申し込みはわずかの数分で数カ月先まで予約一杯になり、
あきらめきれない希望者の皆さん殺気立っていらっしゃるほどだという。
ツイッターなどでチェックしていても連日、
長蛇の列の様子の写真があげられているし、
Instagramでは神社の方からの切実なお願いが掲載されてもいる。
ちょっと行ってササっとお参りして帰る、というのは難しい。
じっくり並んで、一瞬のお参りになる、それでもいいから行こう、と
夫婦で決めた昨日の夜、
私なりに覚えている小網神社様のお社を思い描き、
神様にお祈りした。
明日参拝させて頂きたいです、どうぞよろしくお願いいたします、と。
今朝は朝から気分がよく、オットとのドライブは快適で楽しかった。
難関は駐車場と思っていたが、まだ探し出す前から、
あと少し、もう小網神社の目の前だよと話した瞬間から、
路上パーキングスペースがぽっかりと1台だけ空いていた。
本当に神社のすぐそばである。
私たちが前に停めて、今回も行くつもりだった公共の駐車場は後で見たら
すでに満車だったので、これがどれだけ運が良いことだったか分からない。
しかも、ど平日なのが幸いしてか
(でも後で見たらちゃんと大明日という良き日だった)
社務所が開いてまだ間もない時間の到着だったためか、
あまり人がいなかった、のである。
少し待つと、こんな状態の写真が撮れたくらい!
嬉しい、ありがたい、すごい、
神様ありがとうございます!!と
もう思いっきり感謝一杯の気持ちで参拝させて頂いた。
嬉しくて気持ちがキラキラしていた。
ご祭神は宇迦御霊之神様、福禄寿様、弁財天様の3柱でいらっしゃる。
なんと福々しいラインナップであろうか。
こんな風に、建物の隙間のような敷地に小じんまりとお可愛らしく鎮座されている。
けれど千年の歴史と、
東京大空襲でもここだけ焼け残ったとか、
出征前にこちらで祈願された方が、全員無事に帰還されたなどの
素晴らしい実績で信仰を集められている。
入ってすぐに有難い福禄寿さまがいらして、にこにこと
参拝の方をお迎えしてくださるご様子。
しみじみとお顔を拝見して手を合わせ、
感謝のお気持ちを伝えさせていただく事ができた。
数人の参拝客同士で志を同じくする者同士、
気持ちよく気を使いあって参拝できたことも幸せと思う。
それからちょっとお金を洗わせて頂ける銭洗い弁財天様。
印度より参られたサラスバティ様ではなく、
日本の水の女神様、宗像三女神の市杵島姫命様であられる。
葉の形の船に乗られて、渦巻く波に揺られつつも
穏やかで福福しいご様子の、とてもありがたい女神様だ。
お足元に流れる水を見守る亀。
ちろちろと流れるお水でお金を洗わせて頂きました。
御朱印は3種類とも頂くことに。
「強運厄除」の言葉が頼もしい。
福禄寿さま。
いつか日本橋七福神巡りもしてみたいです。
弁財天様。萬福の文字が本当にお似合いのお姿。
ちょうど新しい御朱印帳が必要だったオットは
このタイミングが有難いと喜びながら御朱印帳を授与して頂いた。
裏にはお稲荷様と弁財天さまのご神紋。
私は今年ずっと買いそびれていた熊手を!
小さく、シンプルでお可愛らしい。
そしてこの迫力の絵馬を持ち帰らせて頂いた。
おみくじは可愛い繭珠を。
昔は白だけだった?今回はピンクと淡い金色もあり、
夫婦でそれぞれ選ばないようにして手だけ入れて触ったものを引かせて頂いたところ、
オット、大吉!
私は中吉。
でも中吉なのにこんなにも
素晴らしいお言葉を頂いて、感激。
この下の部分も完璧で、唯一「待ち人 おとずれなし」が残念な感じだけど、
別に誰も待ってないので・・・いいかな(笑)
中吉でこれだけのすばらしさだから大吉はどんなのだろうとオットのを見せてもらったら、
運勢すべて良し、ただし心がけ悪ければすべて凶となる、などなど
かなり厳しめのお言葉に「大吉なのに脅されてる」と愕然とするオット。
オットあるあるで、すごく良く大吉を引くのだが、
どれも必ずと言っていいほど厳しめのご注意が記載されているのだ。
こんかいもまたか、と笑いが止まらなかった。
神様はなんでもお見通しなんである。
振り返ると、薄曇りの雲の中に見える太陽が優しく、美しかった。
]]>明けてゆく空に輝く早朝の月が好きだ。
もう何年も前に義妹がくれたスウェーデンのお土産。
もう見るからに可愛いこのパッケージ。
商品がベストに素敵に見える状態はいつも開封するのに忍びない。
(私の好きなドールなんかは特にそう。
だからいっそ、そっけないパッケージが好き、とか思っちゃう)
スカンジナビアン ヘムスロイドのバターナイフとキッチンタオルのセット。
なんて素朴で可愛いセットかとうれしい気持ちで改めて見てしまう。
手描きだろうか。
北欧らしさを堪能しながら、バターを切るのが楽しみ。
やっと週末だとキラキラした嬉しさを感じる。
別に何の予定もないが、ただ家にいられる、
もしくはオットと買い物に出る、などが単純に楽しい。
週4日しか働いていない私。
大体は二日行って一日休むというパターンで
時に週3だけのこともある。
なのに疲れるのだ。
何を言っているのだと怒られるかな。
でもしみじみ、人間って働くのは週3くらいで良くないかい?と思う。
三日働き、四日自分のしたいことをする時間にあてる。
それをベースに後は各自の都合で週5日働きたい人はそれでいいし、とか
自由に選べる世の中になるといいなあ。
週3労働でも皆が十分暮らしていける世の中にするにはどうすればいいのか。
優秀と認められた人だけが入社出来て、
そうじゃない人はあぶれてしまう世界は厳しくて切ない。
マウンティング溢れかえる世の中では心がどんどん疲弊していく。
一つの会社、一つの仕事を半々で分け合って、
誰もが就職簡単な世界、
それでまあまあ暮らせる社会になるといいのになあ、と
子供のような空想をしてため息をつく。
そんな私がコロナになってうれしいことは、
外出が減り、単純に出費も減ってきたこと。
人との距離ができたこと。
私はこれが大きいのだ。
少しでもたくさんの人とふれあい、付き合い、
色んなところに出かける、ということが好きではなくて
得意ではない人間もいる。
人混みがとっても苦手という特徴。
家にいましょうという呼びかけは
私にとっては願ったり叶ったりの風潮なわけで、
なのになぜかそうは出来ない仕事についてしまっていた。
職場にコロナ陽性の人がいても濃厚接触者にならない。
家にいていいと言ってもらえない(涙)
家にいないで出歩いて、
人とたくさんふれあい、付き合うのが大好き!
というオットが在宅ワーク、という悲しい運命の皮肉を
感じ続けてきた日々だった。
週4でも私には多いのだ・・・。
家族のために美味しい食べ物をあれやこれやと
スーパーで選んで買うのが好きだ。
これは夫婦でちょっと仲違いしているような時なんかでも出かける。
何を食べようか、子供達は何を喜ぶかと話しながら食材を選んでいる時、この面倒くさいルーティンだらけの毎日を、それでも私は愛してるんだ、今を楽しみたいんだと実感する。
疫病も恐ろしい残虐さによる事件も酷すぎる事故の話も何もない、有り得ない、起こり得ないそんな世の中でありますようにと、
叶わぬ夢でも見続ける。
幼い子が傷ついた話は特に
]]>
午前中も早くから動き、
基本の家事を全部してしまう。
そのあとしたいのは記録系。
家計簿をつけたり、日記をつけたり。
現在手帳を何冊も用途別に使っているので、
心はいつもそれに何かを記入したくてうずうずしている。
私の心に必要なのはアウトプットとインプット。
手帳はそれを一気にかなえてくれる便利なツールで、
ネットの中でそれを済まそうと試みた時期もあるのだが、
やっぱり私は紙とペンだと開き直った。
自分の記録を付け終わった後は本当にほっとして、
お昼までにはまだ間があるし、とふと食べたくなったポテトチップス。
昨年末、まだ世間がコロナ感染者数の減少に心ほころばせ、
ほっとして出歩いていた時期である。
そんな油断をしていたらまたすぐコロナは蔓延するとわかっていたけど、
今少しだけ・・・と緩みを許して、私もオットと映画に出かけた。
「きのう何食べた?」
名作である。
偏見はないのだが、私はBLを昔から得意としない。
親友たちはものすごく溺れて毎日のようにいろんな作品を貸され、読んだけれど、
なるほど、どまり。
むしろなんか痛々しくて切ない話が多くて苦手な面も多かった。
近年になり、もっといろんなジャンル化して、
現実世界にもたくさんのジェンダーレスな生き方が浸透しつつある今だから、
ふと見たいと思った作品は見ることにしている。
動画配信サービスで観たのだけれど
「腐女子うっかりゲイに告る」
は心に残る作品だった。
やっぱり切なさは高めだったけど。
そんな私がもっと好きになったのがこの作品「きのう何食べた?」である。
タイトルがいい。
観始めてすぐ、ドラマの雰囲気がいいなあと思い、
観ていてどんどんこの世界が好きになった。
西島秀俊さん、内野聖陽さんの演技が素晴らしい。
お二人が演じるカップルがすごく愛しくなる。
この作品の中での二人はかなり大人であり、
日々の仕事と家庭の光景が穏やかに、
でも時々不意の人とのふれあいがハプニング的に起こったりして、
そのはざまでいろんな想いや言葉が生まれ、響いていく。
原作は未読だが、ドラマは秀逸で、
1人で楽しんでいるのがもったいなくなり、
オットにもすすめて一緒に見たら、オットも気に入って。
映画になった時、ぜひ二人で観に行こうねと決めたのだった。
ドラマでも、私が愛してやまないポテトチップス、
山芳製菓さんのわさビーフが出てきて当時の私を激しく喜ばせたのだが、
映画でもでてきてうれしかった!
時期的に貴重なこんなものを見つけたオットとムスコが、
私のためにわさわさと買い込んできてくれた。
これを食べつつゆっくり動画を見たり、読書したりする時間が至福。
私の休日の仕上げになってます。
]]>私の仕事というものが確立してきたし、
それを他人にどう評価されようとされなかろうと、
私がすること、考えること、
実行することは決して無駄に空に浮くわけではなく
ちゃんとそれで事務所の仕事は回っている。
それが私を安らかにさせる。
時々、やり忘れた?やり方を間違えたかも!?と家にいる時に思い出してぎょっとする。
大体はお風呂でシャンプー中の時か、
夕食に野菜を刻んでいる時だったりして、
ぎゃ〜、すぐ会社に行って確かめたい、
もしミスってたらどないしょ〜と涙目になる。
それが金曜日の夜だったら最悪だ。
折角の週末休みが悶々とした非常に苦い気持ちを加えたものになって楽しみ切れない。
以前、3連休直前の夜にそんなシーンがあった時は最悪だった。
自分のミスで多くの人に迷惑をかけるかもしれないと怖くさえなり、
ろくに心を楽しませられず。
なんということだろう。
明けてすぐ確認を取り、2か所の相手にも連絡を入れた結果、
ミスしていなかったとわかった時ほど、天を仰いで神に感謝したことはない。
以後、その件に関しては非常に注意深くなって、
我ながらミスが減ったと思っているので、有益な経験ではあったけれども。
こんな日々の内心のジタバタが私だけではないことが同僚たちとのランチ時にわかって、
それはなんだか楽しかった。
ある人はお風呂から飛び出してすぐスマホで、自分の会社のメールにメールを送ったりする
という。
出勤後忘れてしまっていないようにだ。
すごく仕事を好きとは言えない。
でも雇って頂いた恩義は感じる。(特にこんな状況下でも影響がない仕事ということには感謝しかない)
だからきちんとやるべき仕事の責任は果たしたくて。
それができないとしたら自分的にはとても悲しいから。
さて、今日もいくつか買い物をした。
価格:2,970円 |
こちらは家に届いたネットショッピングもの。
無添加温泉化粧水で、昨年良さそうと購入したら、
私的にはとても良かったので、リピート買い。
本当に肌に柔らかく優しくしみこんでくれて、変な癖が全くない。
私の中では無添加というのが絶対条件で、
それでローズウォーター化粧水で探していた時に出会ったのだが、
日本三大美人の湯といわれている榊原温泉源水を100パーセントで
不純物を完璧に取り除いており、ミネラル豊富だとあったので、
試しに購入、使ってみたら、すっかり気に入ってしまったのだ。
薔薇の香りも私にはうれしいし、
ボトルのこの可愛さにもうっとり。
並べて置いているとすごく素敵だねえ、と家族にも好評である。
帰りに買ったのはこれ。
オットへのバレンタインのプレゼント用に!
うっかりしているとすぐシーズン真っ盛りになる、というのは私が得た教訓で、
我ながらバカみたいと思うが、
昨年も一昨年も準備を直前までやっていなくてかなり慌てたのだ。
これは実は地元の文房具屋さんで買った。
これはいい!と思い、オットが横にいない今日の内に買っておきたかったのである。
残り2個しかなかったので危なかった。
ムスコにはカルディでカメラ型缶入りのチョコを!
この可愛さにも一目ぼれである。
おひとり様2個までと限定されていたから人気商品なのだろう。
かねてからカルディの商品には弱い。
私にアレルギーがなければ全種類ためしてみたいくらい、商品が魅力的。
ことにお菓子類のバラエティ豊かさとそのパッケージの可愛さにはうっとりしてしまって、
よくこれだけ上手にセレクトして集めて置いてくれているものだなあ、と
感謝してしまうほど好きなのだ。
そこそこのお値段でなければ集め続けたいクリスマスの缶とかも本当にやばかった。
バレンタイングッズに関しては今後も時々チェックに行くつもりだけれど、
オットにもムスコにもこれで基本のチョコは抑えられたので安心。
それにしてももう1月も終わり間近である。
節分を越えてもうひな祭りに関する商品の広告がちらちら見えだしているし、
ファッション広告はもう春のものばかり。
時の流れの早さを感じる。
早すぎるわ〜。
]]>抗原検査キットで騒ぎ、集まり、密になっている人たちもいるし、
生活が成り立たないから何とかしてほしいと、
仕事を探さない状況で相談に来る人もいる。
(つまりはなんとかうまく不労所得にありつけないかと狙っている訳)
適切にしかるべき対応をし、双方で確認し、ご説明する。
そこにさほど苦労がある訳ではないのだけれど、
精神的には自分が思っている以上に疲れているようで。
そんな時に、きっと時間がかかるだろうと覚悟していた昨日のPCR検査の結果は
マイナスでした、つまり陰性ですと電話があり、
素直に喜んでしまった。
そういえば私の今までの人生で、
マイナスとか陰性という言葉で喜ぶことはほとんどなかったなあ、とそれも少しおかしかった。
帰宅したら、ポストに素敵な郵便物が届いていた。
愛を感じる優しいラッピングに、優しいお手紙まで。
こちらはあるとても素敵な作家さんのアクセサリーである。
先週、ブログにアップされていたのに一目ぼれしてお願いしたもの。
いつも出された瞬間売り切れるので、
今回私が手にできたのは大きな幸運だったといえる。
今年の運気は悪いとあちこちの占いで出て要るっぽい私の星回りなのだけれど、
今のところ問題なし。
昨年は最悪の運気の年だったらしいのだが、
幸いにして気が付かなかったので、なんだかんだでうまく過ごせてしまった。
むしろ良い年だったような気がしている。
今年もきっとなんとかなるでしょう。
こんな素敵な、天使の翼のイヤリングが来てくれたのだから。
インカローズの天然石ビーズの色合い、暖かみにも癒される。
なんて綺麗な可愛い波動、と胸がキラキラする。
ピンクはけして嫌いな色ではなく、むしろ好きなのに
最近日常からピンクがなんとなく減っていたなと今、気が付いた。
これからまたちょくちょく小物なんかに取り入れて
この綺麗な色を楽しんでいこう。
]]>それに関する写真はないので、まず、
先月、つまり令和3年12月に参詣したお寺の記録をここにとどめておきたい。
私がどうしても行きたかったこちらは新宿区若葉町にある西念寺さま。
四谷の駅から歩いて大都会だなあと思っていたら、
普通の住宅街になったその一角に在られる。
服部半蔵のお墓があるお寺様だ。
あの服部半蔵である、と字を太字にして言いたい。
門に立派な葵のご紋。
紋としては日本一有名じゃないだろうか。
徳川家康の旧臣で徳川十六将に数えらえるほどの武将だった服部半蔵(正成)が
家康の長男信康が切腹する際の介錯を命じられながらそれを果たせず、
(信康をめぐる物語を思えばその心中察してあまりある)
信康を供養するため仏門に入り、西念となった。
それほどのことだったのだ。
家康から寺を立てて信康の供養をするよう命じられたが、
果たせないまま55歳で没した。
その後、建てられたのがこの西念寺様である。
元は麹町の方に合ったそうだが、江戸城の外堀拡張工事の際に、
この地に移られたとのこと。
ここでオットがやっと、「え!服部半蔵ってあの忍者・服部半蔵!?」
と気づいた。
その後、オット、「すげえ!すげえ!」の連発。
お御堂。
ご本尊様をガラス越しに拝して参詣。
そして私は念願の御朱印帳を授与して頂いた。
じゃーん!
かっこいい!!
墓所周りの碑文には「忍者・服部半蔵」とは一言も書かれておらず、
ただ勇猛な武将だったのかなあ、と思ったりしたけれど、
この御朱印帳でぱ〜!!っと気分が上がった。
忍者よ!やっぱり忍者です!
裏もこのカッコよさ。
涙でそう。
御朱印帳は黒字に白の絵柄もあります。
とてもありがたい御朱印。
お守りは夫婦で色違いで授与して頂く。
これを授与して頂かない手は絶対なかった。
裏にもシビレまくりです。
もう内心興奮しっぱなし。
ああ。私はこんなにも忍者が好きだったのね。
忍者ハットリくんの前に実は先にカムイを刷り込まれている。
そして近年はもちろんナルト。
忍者と聞くと血が騒ぐ遺伝子。
敬愛する磯田道史先生も忍者の研究をなさっていらっしゃるし。
こうして私は大満足の参詣を終えて、新しい年を無事迎えることができたのだった。
さて、今朝の私たちの予定では、
順に社の指定医のところにPCR検査を受けに行くつもりだったのだが、
この週末で状況は悪化し、病院ではとても対応しきれないとのこと。
急遽、本部の係長が希望者分の検査キットを持って我が事務所に来所し、
説明を受け、それぞれが指示に従って頑張ることになった。
つまり、割と大きなガラスのスポイト?試験管?みたいなものの2のメモリのところまで、
唾液を溜めるというもの。
いや、なかなかに大変な苦行だった。
唾液なんてそう出るものではないし、出たとしても結構泡になるのが、
女として絶対人に見られたくない光景である。
皆、各自、事務所の中に散ってなんとかプライベートスペースを作り出すことにまず工夫をした。
私は隣で壁を向いて頑張っている先輩との間に衝立を立て、自分のロッカーの扉を開いて、
中に顔を突っ込むようにして場所を作った。
なんか動物が巣穴を探す、作るときの作業なんかがふっとイメージに浮かぶが、
とりあえずすっぱいものを連想しながら
黙って静かに唾液を垂らした。
レモンとか梅干しを空想すると確かに唾液がよく出た気がするけど
私はそれだけでは限界があった。
ふと思い出したのはムスメとムスコが乳児のころの、かわいい小さな口だった。
ぱかっと開けた可愛い口からこぼれる涎の、なんて透明で可愛かったこと。
それさえたまらなく愛おしかったことを思うと、
不思議と私も唾液がわいて、無事ノルマを果たすことができたのだった。
結果はいつ出るかわからない。
通常なら翌日らしいが、今は非常に検査機関も混んでいるため、
そんなに簡単ではないかもしれないと聞くと納得しかない。
とりあえず、自分的には抗原検査で陰性なので安心はしている。
その抗原検査キットを買えたことも運がよかった。
今はもうそれも手に入りにくくなっているとのこと。
コロナのために一体あとどのくらい、
わちゃわ茶と何かしら踊り続けなければいけないのだろう。
私もしっかり御仏に祈りたい。
ニンニン♬
]]>家族で西早稲田まで行く。
10年以上前にも霊験あらたかという噂を聞いて、授与していただいたけれど、
その当時も人は並んでいたけれど、普通に一列の行列だった。
それすらもういいやと思って(自分的にそれほどご利益なかった・・・むにゃむにゃ)
それ以降は、毎年話題になっていても、ああ、と思うだけで気にしなかったのに、
今年はなぜか無性に欲しいと思えて、
節分までの日数が残り少なくなってきたことを思い、
今日あたり授与して頂こうかと出かけたのである。
甘かった。
この時点ではまだわかっていないのだが、この後階段を上りかけて
すぐ止まることになる。
もうそこまで参拝の行列はできていた。
階段を上り切り、寺院のような壮麗な門をくぐってからもこの行列。
やっと本殿の全容が見えてきてこんな感じ。
密なところが心配なようだが、
やはり神社にご参拝の方々はお連れの方がいらしも、
ぺちゃくちゃとはお話にならない方がほとんど。
我が家も4人、黙りこくってお参りさせて頂いたけれど、
なんだかお参りできたことがとてもうれしかった。
本当なら、並ぶの嫌い、待つのが嫌いな私なのに、
今日は一体どうしたんだろうかと思う。
狛犬さんウォッチングも忘れない。
こちらは右が玉、
左が子狛ちゃんを抱かれている。(っていうか足のせてる)
気に入ったのは本殿脇、授与所の手前にある神武天皇遥拝陵を守る
狛犬さまたち。
頭に球を乗っけてるあい〜ん。
烏帽子を被ってる(?)あい〜ん。
なんてキュート!
お手水の左隣りにいらした大黒天様?も思わず撫でたくなって
失礼します、ちょっとだけすみません、と謝りながら
お腹や手をさすさす、なでなで。
なんだかすごくほっこりした。
帰りは北参道の鳥居をくぐらせて頂いて外に出た。
一礼して見上げた空が美しいなと写真を撮ったら、
綺麗な日輪が映っていたことに後で気が付いた。
この鳥居の足元を支える玄武様に夢中になりすぎていたので。
なんて長い蛇の尾でしょう。
今日これたことを幸せに思う。
後でカレンダーを見たら、節分前の日曜日だからというだけではなく、
一粒万倍日という良き日でもあったらしい。
だから余計に参拝の方が多かったのかも。
無事に授与して頂けたお守りの数々。
今年の金運爆上がりを願います。
…せめて。出費だけでも抑えて頂けますように!!
]]>なんとなくか明確にか・・・いずれにせよ、ある程度の回答、言葉、態度を
相手に望んでいるのだと思う。
こういうことを言ってほしいという期待している返事、それに付随する表情や声音まで・・・。
それはつまり、自分も相手に同じように望まれているということだ。
つまり人は日常的にテレパシー、シンパシー能力を駆使しているわけで、
そこに才能があるのかないのかは、誰もがなんとも言い難い。
伝えるのが上手い人もいれば、受け取るのが上手い人もいるだろう。
その両方を兼ね備えている人は少ないように思う。
その両方が無い人はとても多いけれど・・・。
さて、無事に受け取ったとして、それで相手の望むものを与えるかどうかは、
また別問題である。
時に人は意地悪をして、わざと相手の期待に応えない言動を選ぶ、
そんなことも少なくない。
それは自分にとって傷つけてもさほど差し支えない相手で、
信頼しているといえば聞こえはいいけど、実はそう大切さを実感しないくらい、
当たり前のような存在になっている人であることが多い。
つまり夫婦とか親子とか。
一昨日私はオットとぶつかり、
昨夜はムスメがチチであるオットとぶつかった。
(私とムスメがぶつかることは日々の暮らしの中でほとんどない。)
どちらもオットが相手への言葉のチョイス、言い回しの工夫をなおざりにした結果だ、
と私は断じたい。
声音もいい方も憎らしかった。
相当カチンと来てしまったのは、言葉だけならそうでもないこと。
声音と言い方、表情、醸し出す空気って大事だ。
それだけで幾らでも相手を貶め、傷つけることができるのだから。
それでも。
長年互いの性格とその癖に向き合ってきた夫婦はいいけれど、
柔らかな心と感受性を持つ若者のムスメにはいまだ許しがたいことらしく、
一晩経った今朝もまだ、トゲトゲしい空気を醸し出してくるので、
今朝思い切って家族焼肉を提案してみた。
今月末で切れるお店の500円割引券とデザート券があったからだ。
焼肉の力は偉大で、さすがにムスメも断らず、行くと素直に頷いてくれたので、
大いにホッとした私だった。
多分オットもうれしかったと思う。
(そもそも、話し方に気を付けてという私のアドバイスを
一向に取り入れてくれる気が無いところが問題の根深さなんだけど)
お肉は美味しかった。
店内は十分な距離が得られ、
もともと非常に高い仕切りでブースが囲まれているお店なので、
まあまあ安心して食べられたけど、以降はしばらく慎もうと思う。
しばらくお肉を焼いては食べるのに夢中の家族。
火が燃えているのを見るのは楽しい。
「カルシファーがんばってるね」
なんてムスメやムスコと言い合う。
ほっと和んで、眠くなりながら帰宅して。
今度は夫婦だけで外出して、買い物をして、
ホームセンターや大きな園芸店で花の苗を幾つか買って。
眩しい夕焼けに日々の息災を感謝。
この圧倒的な光を、熱を、崇めたであろう古代の人の気持ちはすごくよく分かる。
今だって日々、いろんな人が思わずのように崇めているだろう。
今の私のように。
土用の期間なので本当は土を触ってはいけないと誰かのブログに書いてあったなあと
ちらっとはよぎりつつ、
オットの機嫌最優先で私はこの後、
暗くなるまで庭仕事に精をだしたのだった。
花が好きなのは私の方だからいいのだけれど。
]]>さっさと使ってしまったので、
代わりに先日ダイソーで見つけて買ったスプーンを。
ブナの木でできていて可愛い。
塩壺、佐藤壺で使用している。
さらっとして使いやすいお気に入りになった。
さて、今朝、考えてできる限りのことはしようとアマゾンで、
抗原検査キットを注文した。
それでもし陽性と出たら直ちに自力でどこかの医療機関に行き、
PCR検査を受ける。
昨夜は家族と離れて一人食事し、入浴時以外はマスクを外さず、
あまりしゃべるな、マスクをしていても飛沫が飛ぶとオットに言われるので
黙りこくって、
そして眠るときもマスクをつけたままで。
全然よく眠れなかった。
熱は出ない。他の症状も全くでない。
不安だけど仕方ない。
出勤後いつも通り勤務。
私の職場は今日も平常運転。
でもついに、自宅待機中の上司から
自分自身も陽性だったと連絡が夕刻に入った。
PCR検査結果が出る時間は日増しに遅くなっているようで、
それだけ感染者が激増しているのだろう。
くだんの上司の発症日から考えるに、
私の事務所内の人間は皆、濃厚接触者にあたらないことになった。
が、希望者は来週月曜日にPCR検査を受けることができる、ということで、
私はもちろん希望して帰ってきた。
調べると今は無料でPCR検査を受けられる場所が増えている。
地元の薬局でも可能なようで、
会社帰りに寄ってみたら
今日の分の検査はもう終わっているとのこと(キット数の問題らしい)
明日の朝10時から整理券を配るといわれ、
ホームページにそれを載せといて欲しいなと思いながら帰宅。
(ホームページには予約なし、直接店舗へと書かれているのだ)
すると今朝アマゾンで頼んだ抗原検査キットが届いていたのである。
ドキドキしながら、生まれて初めての検査を試みた。
極細の長い綿棒を鼻の孔に2センチは入れろとのこと、
怖かった…いやだった(涙)
でも何とか検査の結果、陰性。
これで陰性でもPCR検査では陽性なことがよくある、と知ってはいるが。
それでも、かなりうれしかった!
自覚症状がないだけに、抗原検査で陰性ならもうそれで確実なんじゃないかと、
信じていい気がするから。
なんでもないことの有難みを、今日またさらにしみじみと知る。
あとは上司とその息子さんのご回復を祈るばかり。
(どちらもそんなに苦しまれていないそうだけど)
]]>目覚めた街の家々の窓に明かりが、星が瞬くようにきらめき始める。
空にはまだ、夜に取り残されたように月が輝き、
その満ち欠けを教えてくれる。
何かいいことありそうな、
ううん、特別何もかわったことはなくていい、
ただ穏やかならそれでもう十分だから、と。
ささやかな希望だけを胸に抱いて仕事に臨んだのだけれど。
早々に聞かされてしまった。
ついに職場にコロナ感染濃厚接触者が出たことを。
高校生の息子さんが、学校でのコロナウイルス感染拡大で、
休校で家にずっといるとは今週に入ってから伺っていたのである。
その息子さんがつい先日まで一緒にいた友達が陽性になってて、とも
ちゃんと聞いていたのだ。
だけどさほど危機感がなかった。
そこまでの話は最近、とても良く耳にしていたから。
だから本当に、その上司の方の息子さんに陽性反応が出たと聞いて、
ショックを受けた自分に驚いてしまった。
ああ私。
いつの間にかこんな今の世の中に慣れ、
何とはなく油断する気持ちがあったんだな、と。
そして職場は何も変わらなかった。
誰も別に怖がらない。
まあ大丈夫でしょうとのんびり言う。
誰が濃厚接触者化といえば、一緒にランチを取った二人だ。
その日(その上司の息子さんが陽性と判断された日)私は昼当番で、
ランチを一緒に取ることはなく、ずらしてとった。
1人で食べた。
その後もその人とはずっとパーテーション越しにしか話していない。
だから私は濃厚ではない、ということになる。
デルタ株ならともかくオミクロンだというのでこんな感じらしい。
皆、普通に仕事を続け、特に外部との接触を避けることもしなかった。
でも私はやっぱり不安で、帰りに迎えに来てくれたオットに話したら、
直ちに仕事を休むべきだと強く言われた。
でも。
誰も休んでいないものを、濃厚接触者と認められない私が休むのは、
ちょっと会社の立場的に苦しい。
だから、休むことはできない。
そういうと、オットは怒ってしまってとても嫌な空気になっている。
なんで私が怒られるのか。
私に何の罪があるのか。
働かなくていいのならとっくに希望の専業主婦に収まっている。
それではやっていけないから働いている訳で、
そこでこうなったことになぜ、まるで私が好き好んで突っ込んでいったかのように
とがめられ、無茶を言われて責められるのか。
一旦仕事に入った以上、その職場環境への責任とか連帯感がある。
みんなが怖いからもう仕事をやめよう、
休んで家に閉じこもって居ようと言ってくれるなら全然それに従うのにやぶさかではない。
それと反対の行動、考え方であってもやはり私は従わざるを得ないのだ。
すぐ会社辞めていいならやめるけど。
そういうと、なぜそうなるんだとさらにオットは冷たい目で私を見た。
コロナより辛い、オットの無理解。
こんな苦しみも結婚にはついてくるんだよと、
独身の子供に思わず言いそうになる口を押えた。
]]>と家族に怪しまれないかなあ、と不安になる程度に
スピリチュアルに関心を寄せている。
今までずっと生きてきて、理屈ではない何か、
見えない力、それもある程度意識で調整できる何かがあると
いつからか感じられるようになった、そのあたりから。
始まりはふと、目についた美しい絵柄の手帳からで、
その手帳の発案者である方がスピリチュアリストさんだったわけで、
その方のブログを読むことから始まって、
色々思いが深まり、広がるようになった。
人気ミュージシャンの藤井風さんも毎朝瞑想することを欠かさないと聞いたけれど、
今は普通に、ビジネスマンの講座なんかでも取り入れられるくらい普通の事で、
もはやこれくらいはスピリチュアルとは言わないのかもしれない。
何事につけ、私は一人で楽しめるものが好きである。
人とかかわることが面倒、できれば勝手に一人で喜び、満足して終わっていたいのだ。
そこに人と繋がりたいとか、ましてや認められたいという願望はないので、
なんか一人で楽しめるものが好きなのだ。
そこでカードである。
気が付くとこんなに持っていた。
自分でも驚く。
これらがオラクルカード(カードの一枚一枚に意味があり、
何かを尋ねる気持ちでカードを切り、引いたカードの解説書などを見て占う)
この三つがタロットカード。
最初のカードはドリーン・ヴァチュー氏の大天使ミカエルのカードで、
もう10年以上前にお迎えしたものだ。
当時、私はかなり夢中になった。
自分的にかなり当たってる!と感じたからだ。
しかし。
当たったから同、という、自分的に次に起こすべきアクションを読み解くことまではできず、
結果、うまくカードのアドバイスを生かせなかったのではないか、
と今は思えている。
それでもなんとかかんとかやってきたわけで、
人生に色々あるのは当然のこと、浮き沈みあるのも世の常なのだが、
やはり積み重ねた努力が実るようにと祈る気持ちがまた
スピリチュアルに向き、
今更のように日本の神々様に惹かれていくようになったのだと思う。
まさよさん、が手掛けられた日本の女神様手帳が美しかった。
だからそのままのオラクルカードはどうしても欲しくて、
ただただ持っていることがうれしく、
それでも手慰みのように一人何かを尋ねてめくるのが楽しかった。
大天使ミカエルのカードは時に厳しく、はっきりとしたアウトもメッセージにある。
それがいいところでもあると思う。
少なくとも私は的外れ、と感じることはなかった。
まさよさんのカードには一切否定的な意味合いの言葉はない。
あくまでも優しく、流れるように柔らかな意味合いを含む言葉がカードに意味をつける。
不思議だなあと思うのは、
一つの事を尋ねて、カードを良く切り、
いろんな違うタイミングややり方である一枚を選ぶのに、
何度も同じカードが出るようなことだ。
これはやっぱり神がかりじゃないのかしら。
そんな思いもよぎったりして、
これはさらに訓練と研究を重ね、自分が納得するまで向き合ってみたいと
近頃ますます思うようになってきた。
菊田信子さんのイケメン御影絵カードも大好きで、
こちらのメッセージもかなりハッとさせられ、グッとくるものがある。
やはり何度も同じカードがお出ましになり、
強い存在を感じる気がした。
ヤマモトナオキさんの絵がまた美しい。
妖艶さもある素晴らしい日本の神々のお姿にうっとり。
こちらは時に怖いと感じるカードメッセージもある。
エレマリアさんのGaiaカードは他の方お持ちなのを見て、
余りに可愛い絵柄にほれ込んで購入。
まだちゃんと使ったことがない。
なんでもカードは最初にあいさつし、お香などでお清めをし、
それからきちんと綺麗な布の上に並べたりするものだそうで、
そのための時間をまだ私は作っていないのだ。
買ってから何カ月にもなるのに申し訳ないことである。
タロットカードは難しいと思う。
でもやってみたいなと思うように最近なった。
なぜなら絵柄が好きでついつい3セットも購入してしまったから。
自分に特別霊視能力があるとは思っていないが、
まんざらゼロでもないような気が、昔からしていた。
何かの拍子で扉が開けば、何かを私は知ってしまう。
そんな不安と希望を何となく、この年になり持ち続けている。
ちょっと真面目にやってみようか。
そう思案する今日この頃。
]]>
切り替えを、とは思うがどうしても一日、仕事でのことを反芻してしまう。
タイムカードを押して会社を飛び出し、バスに向かって小走りに、そしてバスに乗ろうとした瞬間。
夜空に浮かぶ月の美しさをはっとした。
そういえば、明日は今年初の満月のはず。
満ちきるには一日足りないお月様。
だけどなんて美しいことか。
おかげさまで気持ちが切り替え、自分的にワクワクすることを考え始めた。
週半ばの明日に調整休を入れているので、何をしようか、とか。
したいことはたくさんあるのに、その日になると、
したいことをするより、何もしないことを楽しむ気持ちも強く出てくる。
何もしない、と言っても基本の家事はせずにはおれないので、
それをやり終えた上で、ということだけれど。
やりかけの編み物や読みかけの本など、最後まで仕上げてすっきりしたいというのが
まずあり、
そのうえで新しいことに手を付けていけたら、
自分的にわくわくする気持ちはあがりそうである。
まずは自分の脳内整理か。
やっぱり手帳だなあ、自分と向き合うには。
]]>パタパタ家の中を走り回る、そんな瞬間でもふとした時に窓から見える空にハッとする。
やっぱり月曜日の朝が晴れて美しいのは有難いことだ。
気持ちが晴れ晴れとする。
美しい1週間の始まりを予感した。
のだけれど。
今日はまた際立って個性的な方々との対応に追われ、
くたびれ果てた一日となった。
個性すらもある意味、あるある、となりがちな世の中ではあるけれど。
生きることに目標を見つけるのは難しいだろうか。
ただ働き、懸命にその日のことをしているだけで終わってしまう一日を
私も時にむなしく噛みしめることがある。
もっと好きに生きたいのに、と。
好きなことだけをして楽しんで生きるために必要なことは
やっぱり心の断捨離と、自己の生活に責任を持てるくらいのお金であると思う。
そのために働くのなら、きっと目的が明確な労働で楽しいのだろう。
仕事でなければ取り組まない、直面しない世界あり、人達がいる。
その中で学び、心に掴む何かと実際のお金のいくばくかを手にしながら
はっきり自分は目標に向かって進んでいる、
きっとそこの到達できる、と確信があるなら、
生きること、何より働くことに飽いたりはしないだろうに・・・
と自分を振り返って思う。
そんな一日だった。
いきなり疲れてどうするよ〜。
でもそんな日もある。
(っていうか、そんな日の連続)
]]>昨日、夫婦で、今年初めて参拝できて心華やいだ。
いつも鈴緒の水色の布が綺麗だなあと思うのだ。
左横にある木にたくさん結びつけられている恋おみくじの
ピンクのリボンと目に楽しい対比で。
真冬でも春の香気匂い立つような、華のある神社様と思う。
オットと色違いで頂いた月替わり限定御朱印。
今年は毎月頂くのが目標。
そして今日はオットと二人で家の近所を散歩した。
帰ってきてうれしかったのは、
クリスマスに注文したカバーが届いていたこと。
Amazon fireHD8のだけれど、
お気に入りの商品は楽天で見つけて(笑)
取寄せで半月くらいの予定だったが年末年始を挟んだので、
20日たっての到着だった。
薔薇の演出効果高くていいな!
実物を見て予想以上に気に入った。
基本持ち歩くつもりがなく、家でだけ楽しむ予定なので
これくらい派手でもいいんじゃないかと思って選んでみたのだが、
柄の大ぶりさ加減が新鮮でまず気に入り、
蝶のあしらいもいいなと満足し、
ピンクとブラウンの組み合わせが思っていた以上にしっくりする。
当たり前だがサイズぴったりでうれしい。
多分使わないけど、カード入れがあるのもお得感あってよし。
なんだかんだで持ち歩くようになるかもしれないし。
あ。これもピンクとブルーである。
偶然だけど。
家の近くの橋の上から見えた富士山。
近所にお庭を開放していらっしゃるお宅が数軒あり、
そのうちのひとつ。
1人ではいるのに勇気がいるので、オットがいる今こそ、
という感じでお邪魔させて頂いた。
可愛い素敵なお庭。
アンティークなお家と合わせて目に見てとても楽しくて。
やっぱり冬が好きだなあ、と空を見上げてしみじみ。
だから今を楽しみたい。
冬の光もまた、とても美しいから。
]]>消防士さんたち?放水訓練か、何かかな?
珍しい光景を見られてちょっと嬉しかった我が家。
お正月も松の内というのでそれもとうに過ぎた今、
(でも関西は15日までだった、今は違うのかな?
遠く離れてもう四半世紀以上になるので自信がない)
だんだん新年感も薄れてきた。
ピリッと身も心も引き締まるような新年という区切りは好きなのだけれど。
ちょうど良い感じで日常感が出てきた今ぐらいが普通でいいのかもしれない。
縁起なのか風水なのか、暦には色々良い日悪い日が記されている。
六曜とか色々あるものらしい。
私は参考にはするけど、本気ではそれに縛られない。
気にした時期もあるにあった。
でも私的には、どんなに良い日を選んでも
例えば引っ越しなら、もっと大事な面では方角とか、
その年その月その日の、家族が持っている運気だとか気にすべきことがありすぎて、
大真面目に全部選んでいたら、滅多に動けるものではない、と面倒になってしまったのだ。
そんな暮らしをできる人がどこにいるのだ!
あ、いたか。昔の平安貴族がそうだ。
なるほどね・・・と、つい自分の雑念に感心してしまうけれど。
とにかく、
占い番組も本も面白く見るけれど、参考程度で本気にはしない。
でも信じないわけでもない。
運命なんて曖昧で、いかようにも変わるものだと思う。
現時点から推測できる未来は決まっているかもしれないが、
それはいくらでも変更可能なはず。
今の時点から何も変わらずに行く私の未来と、
何かを見たり聞いたりして心と思考が変わった私が行く未来は
同じではなかろうと思う。
例えばもう、占いを聞いた時点で運命は変わり始めている。
何かに出会い影響を受け、
前なら選ばなかったものを選ぶようになったり、
絶対こだわったであろうものにこだわらなくなったり。
だから例えば、
現時点の私が占いなり霊視なりされるのは愉快に受けるけど、
そうなるんだわ、私!とは思わない。
私なりに人生を振り返り、自分の体験経験から見て予測するに、
最初から全てが決まっていてもう動かない、ということは、ない。
ものすごい霊視?予言?透視?可能だったり
占い(これも言葉を変えれば予測ではないか)能力の高い人なら、
私の環境や心境の変化、それによる路線変更?なども
全部視えている、ということがあるだろうか。
あったらすごい。
でもそれも、試すにしても私が人生の幕を引く瞬間、
いや引いた後でないと評価できないだろうと思う。
さて、
よく勿体ないと言われることに「伊勢神宮参拝」がある。
というのも私の実家のある神戸周辺の小学生の修学旅行先は昔から
三重県伊勢市で、必ず伊勢神宮に参拝しているからだ。
何もわかっていない小六の児童を伊勢神宮につれてい行って勿体ない、
と、本気で思う人、それを口にする人が私の周りにはとても多いのだ。
そういう私も白状すると、最初の頃は誰よりもそう思っていたクチだ。
私自身はその1回だけではなく、何度も伊勢神宮に参拝している。
なにしろ関西人なので。
神戸からも伊勢は手軽な旅行範囲内である。
友達や家族と、社員旅行としても、
非常に気軽にわいわいと、伊勢神宮のなんたるかもろくに知らずにお参りしてきた。
だから近年になり、神社や仏閣を訪れ、神仏の導きを願い祈る時、
かつてを振り返っては何の神仏のありがたみも知らず、
ただ本気の物見遊山だけで方々を参拝して
勿体なかった、なんにもわかっていなかったと後悔しまくっていた。
今ならどんなにか有り難さで涙し、感動に心震わせただろうに、と。
が。
神仏についての私なりの感性が増し、知識を深めるごとに思いは変わった。
神仏と人がいうもの、尊い存在は時間の枠に縛られていらっしゃらない。
過去生から未来の全てまでを見渡した上で、
例えば私という個人を見守り、導いてくださっている、と思う。
来れるときに自然な流れで参拝すること、それが生まれて100日の赤子であろうと、
いや胎児であったとしてさえ効果があると私たちは知っているはずではないか。
赤ちゃんには何の信仰心もない。
むしろ光そのもの、信仰そのものなのかもしれないけれど。
親としてまず最初に祈るは神様の御加護なのだ。
赤ちゃんは何も願っていなくても、
それでも神様が寿ぎ、御守りくださることを私たちは感じている。
世界中の宗教で同じようなことがあると思う。
何も知らない小学生だって、青年だって中年だって、
何も神様のことがわかっていない、有り難さを感じていなくても、
神社仏閣に参拝することになる流れ、タイミングは。
それはやっぱり神様が呼び、お導きくださったことなのだ。
今の私はそう思う。
だから伊勢神宮に何度も参拝した私、
中学時代にいつも地元の神社の灯篭の根本に座ったりしながら友達とくっちゃべっていた私、
オットとただただ楽しく旅行するためだけに、
赴任先だった広島を起点に、名古屋でも福岡でも
とても多くの神社仏閣に参拝させていただいていた私を神様はその時なりに
こっちにおいでと招いてくださっていたからだ、と今は思うようになっている。
神様は私たちの人知を遥か先をみて、
来れる時に今、おいでと導いてくださっているのだ。
私がまだ若くて、本当に何も知らなかった頃。
神仏を崇める=宗教=たちが悪い=金儲け、洗脳
くらいの思考しかなかった頃。
今、振り返ってもすごいところに行かせていただいていたなあと思う。
なぜあんなに何もわけがわかっていないのに、ただなんとなく、
行ってみようかということになったのかと、むしろそれが不思議でならない。
当時は私もオットも、その親兄弟も誰も
何の知識も思いも神社仏閣に持っていなかったのだ。
今のように「ブーム」以前の神社仏閣は
むしろまめに行く人は変わってる、酔狂扱いだったと思う。
よほどの有名で価値の高い美術品などがあるところ以外は、
何か有名なものがなければ、
あるいはよほど壮麗な建物でなければ
神社仏閣が雑誌やテレビで特集されることもほとんどなかった。
御朱印っていう言葉も聞かなかったような時代。
パワースポットなる言葉すらなかった。
たとえば広島、宮島の厳島神社。
何度参拝させていただいたかわからない。
オットと二人で広島にいた3年、
東京からも神戸からもたくさん友人たちが遊びにきて、
その度に案内していったし、
単に夫婦でドライブがてらランチでも食べようかと
広島市東区の自宅から車でそのままフェリーに乗り、ついでだから(!)と
厳島神社に参拝させていただいたことも何回あっただろう。
当時、派遣社員で仕事させていただいていた新聞社には、宮島から通勤して来られる方もいた。
それくらい距離は遠くなかったのだ。
こんなに気軽にフェリーに乗れて島で遊べるって今しかないよね。
若い私たち夫婦の意識はそんなものだったので、
それでも、じゃあこれも今だけだよね、といつもついでに(重ね重ね申し訳ありません)
厳島神社様にお参りしていたのだ。
もちろん礼儀も何も知りません。
とにかくお賽銭いれてお鈴を鳴らして、柏手を打ってお祈りして、
ぺこんと頭を下げればいいのかなあ、って。
そんな感じの参拝だった。
あの超名所に、社内に、私たち夫婦しかいなかったことも何度もあった。
ドラマの撮影ができそう、なんていいながら朱い欄干、木の渡り廊下で写真を好きなだけ撮り、
海が引き潮の時にはとことこ歩いてあの大鳥居の根本まで行き、
ぺったぺたぺたと鳥居に直接触らせていただいていた。
潮が満ちて海の中にたたずむ大鳥居の景色も何回も見た。
おバカさんでも絶景さと尊さは感じていた。
胸元に錠前のついた観音様と抱っこされている赤ちゃんの絵をみて
夜中に絵の中の赤ちゃんがお乳を欲しがって泣くので、
観音様の胸元に錠をつけた、なんて言い伝えを読んで、
そんなことしないでおっぱいあげればいいじゃん!と憤慨したことをなぜか強く覚えている。
当時の私は25、6。
そろそろ自分も子供が欲しいと思っていたのだ。
宮島には弥山という山があって、
ある日オットの友人が遊びにきた際、宮島観光に飽き足らず、
夕食まで時間があるからちょっと登る?となったこともある。
これがどうにも不思議なのだが、
私は白いブラウスとスカート、ローヒールだけどパンプスだった!
なのに、ちょっと小高い丘に登る、くらいの感覚で歩き始めてしまったのである!!
下山途中の人たちとすれ違った時に驚かれたが、当然だろう。
思ったよりきつい登山でした、と今は言うにとどめたい。
恥ずかしいから。
気候が良過ぎて全てに恵まれていたから、暑過ぎず、寒過ぎず、
ただ疲れただけで登ることができた。
上まで行けば展望台と喫茶店があるだろう、
そこでお茶を飲もうねと3人で話しながら登った。
ああ、なんて馬鹿な若者たち!
よくぞ登った、なんで登った、と今も本当に首を傾げる。
それでちゃんとどこかにたどり着いたのだから凄過ぎて、怖いくらいだ。
そうして登ったところに展望台も喫茶店もなかった。
ただ御堂があるだけで、まあ、がっかりしたこと、腹立ちさえしたこと!
恐れ多くて涙が出ます、今の私は。
超がっかりだけど仕方ないので(!)お参りして、
なんだかゆらゆら揺らめく炎がなんだかとってもありがたいものなのだと、
その場に居合わせた数人のご老人たちがいうので、
そうですか・・・とご老人たちの気を悪くしないためだけに、
教えられるままにお参りして、やれやれとため息まじりに下山した。
至極無事に。
おろかにも程がある無知な私とオットとその友人を、空海様は笑ってみてくださったばかりか
無事に登山下山させてくださったのだと思う。
あの炎が消えずの霊火と呼ばれるありがたい火、たどり着いたのは霊火堂だったのだと、
あとで知った。
この火が1200年消えてないって、そんなことないよねえ、と
大声で言っていた私たちを、苦笑いを浮かべてみていたご老人たちの表情を思い出す。
すみませんでした。
さらにはオットの出張にくっついて、山口県にも島根県にも鳥取県にも行った。
出雲大社にも行きましたとも。
何も考えずに。
それ以前に、立ち寄ったところがなんか古事記の伝説があるんだって、
と先にガイドブックを読んだオットがいうので、
いいじゃない、行きましょうよと盛り上がった私は一応、
小学生最初の頃の愛読書が岩波書店の「古事記」だったのだ。
スサノオノミコトが八岐大蛇の戦ったという川沿いをあるいた。
大きな龍の頭の遊具がある公園に座って、本当にここら辺りが
あの稲田姫さまと須佐之男命が出会われた場所なのかなあと首を傾げた。
序盤のイザナギノミコトがイザナミノミコトを迎えに行き、
追われるようにして帰ってきたという黄泉平坂を
「全然イメージと違う。普通にあるわけないよね」と眺めた。
この時にはもう夕暮れで薄暗くて、
周りに全然人がいなかったので、少し怖くはあったけれど、
そして出雲大社。
ここはさすがに観光客が多かったと記憶している。
オットは私が稲葉の白兎の話をしたら、あれってここなの!?と
大声ですっとんきょうに叫んでいたが、他にもそうなんだと言ってる人がいっぱいいた。
早く可愛い赤ちゃんが生まれますようにとお祈りして帰ってきた。
岩国の錦帯橋を歩いて渡り、渡っているところを通りすがりの人と写真の撮りっこをした。
岩国白蛇神社さまにお参りしたのだと思うが記憶が薄い。
白蛇館は鮮明に覚えている。
白蛇さんたちをたくさんみて、その赤い目と見つめ合った。
岡山県尾道市の千光寺も記憶鮮明。
とても可愛い御守りを買って嬉しかったから。
そして罰当たりにも私とオットは思ったのである。
なんだかずいぶん神社とか行っちゃったから、もう当分いいよね、と。
そんな私たち夫婦だが、その数ヶ月後のクリスマス、いつもと予定を変えて、
私の神戸の実家にいた。
いつもならクリスマスは自分たちだけで過ごし、年末年始はオットの実家、
そして成人の日に神戸の私の実家に戻ることにしていたのだが、
1994年のクリスマスに神戸で過ごしたので、
成人の日にかかる連休はのんびりと広島の家にいたのである。
行動パターンを変えた初めての年だった。
だから、阪神淡路大震災に、私たちはそこに居なかった。
私の家族知人は皆無事だった。
今日、なんでこれを思い出したのだろう。
間も無くその日がやってくることに今気がついた。
神様はお守りくださっていた、と後になってから気づいたことを書こうと思った今朝、
全然そのことと日付が結びついていなかった。
これもお知らせなのかしら。
あれほどの震災を体験しながら、元気だった母と妹は、
私たちが難を逃れて広島にいたことをとても喜んでくれた。
ライフラインが復旧するまで母には広島にいてもらうことができた。
当時、私たちは夫婦二人でかなり広い4LDKの戸建てに住んでいたのだ。
(なんでだろう・・・)
そして2年後、結婚後7年目にして初めての子供を授かった。
ムスメである。
ずっと後まで気がつかなかったが、当時私がしていた大きな願い、
ずっと夫婦として暮らせますように、
可愛い子供を、できたら女の子と男の子を授かれますように、
という願いはちゃんと叶えていただけていた。
私のひ弱さを含めても不思議なくらい家族皆元気で。
その後もオットの転勤は続き、
横浜生まれの娘のお宮参りはオットの祖父母の信仰が厚かったという
川崎大師でお願いし、
名古屋で生まれたムスコは近所の人に教えられて、
全然知らないけどいいらしいよとまだ不遜な恐ろしいことを夫婦と、
私やオットの親御さんたちと言い合いながら熱田神宮様でお願いした。
娘の七五三は福岡から「まあせっかくだから有名どころに行く?」
とやはり私の母とオットの両親、オットの義妹家族まで揃って
太宰府天満宮に。
よくぞ行った、なんで行けた、と今も本当に不思議である。
ここ数年で私の中身は、神仏に関する知識と思いは大いに変わった。
そして涙ながらに神様仏様に感謝する日々。
あんなに無知な私とオットを、よくぞお導きくださいました、と。
神仏は微笑まれているように(勝手に)思う。
私が知識をもったかどうかの時間の後先は関係ないのだ。
いずれ私が信仰にめざめ、
心から崇敬の念を抱き、祈りを捧げる日がくるのは
もうわかりきったことでいらしたから、
だから今のうちに来ておきなさい、と呼んでくださっていたのだろうと
今の私は思うにいたっている。
ちなみに関西人なので奈良や京都の神社お寺には他にも相当お参りしている。
オットなんて箱根神社のお足元で生まれ育ったようなもの。
学生時代は芦ノ湖のボート乗り場でバイトをしていて、
毎日のように箱根神社九頭龍神社の御神気を浴びまくっていた環境だ。
無自覚だけど。
世の中には私たち夫婦のような方は大勢いらっしゃるだろう。
ご本人は何も思っていなくても、
お母さんやお父さん、兄弟や友人などが代わりに祈り、守ってもらっている人も
たくさんいるのだと思う。
神様仏様は厳しいと聞く。とんでもなく優しいとも。
人の心の行いにどう良し悪しをつけるのかはわからないが、
はっきり悪意で誰かを傷つけたりしている人以外は、
きっと神様仏様は皆を等しく大切にみてくださっているほどに
お心が広いと私は思っている。
バカな私もさんざん守ってきていただいているから。
スピリチュアル、という言葉は近頃では普通にだれもが口にするようになった。
取り込み具合に大なり小なりの差はあるにしても、
日常的にずいぶんたくさんの方に神仏が身近になって
神社やお寺は国宝級の美術品などないところでもお参りされている方が必ずいる。
パワースポットという言葉は浸透し、
だから行こうと思う、実行することは気軽で
いろんなお守りも持たれている。
良いと思う。
昔の私なんかより、今の方達の方がよっぽど知識も信仰心もお持ちなのは
素晴らしいことだと素直に思う。
ご利益は・・・長年、私は別に神社仏閣にお参りしたからって何も叶ってないよね、
と思っていたのだ。
ごめんなさ〜〜〜〜い!
叶えていただいていました。
こんなにもいろいろなことがある世の中で、今この瞬間元気でいる私と家族。
これが奇跡でなくてなんだろうか。
よくわからないが、私たち家族は、よく人に
ツイてるね、よかったねえ、すごいねえ、と言われることが多い。
がんばってる。その結果が報われ易かったからか。
棚ぼたはほとんどなく、がんばっているつもりである。
かなり愚直に。
だからまあ、結果がだせてよかった、みたいな感じだ。
でもまあそれがよかったよね、いろんな人のおかげだよね、
タイミングもよかったんだよね、
あれ、考えたら不思議だねえ、というくらいの話によくなる。
こんなボケ具合がもしかしたらいいのだろうか・・・
真偽の程はわからないけど。
結論としてもったいなくない、と最後に言いたい。
いつのどんな時でもお参りできること、できたことは、
何も無駄になっていない。
ご縁があること、そのこと自体がもう
非常に素晴らしいことなのだから。
日常のごくごく普通の景色が好きだ。
美しいと素直に思う。
]]>
朝食後から家族でディズニープラスチャンネルを楽しむ。
その前に、ムスコの発案で久しぶりにポップコーンを作る
色々映り込んでしまっているけれど、可愛いマシン。
「ミラベルと魔法の家」は楽しい映画だった。
結局ミラベルの魔法って。。。と思ったんだけど、
ポップコーンの出来上がりを覗き込むムスメとムスコの顔が幼い頃とダブり、
そちらの方も楽しくてにこにこしてしまった。
魔法が当たり前の世界で自分だけその能力がない、というと、
最近だと「僕のヒーローアカデミア」かな。
でも私はピアス・アンソニイの「魔法の国ザンス」シリーズ第1作の主役、
ビンクのことを思い出し、久しぶりに読みたいと思い始めていた。
分厚くてもあっという間に読めた好きな作品で、10数冊は買っていたと思うが、
途中で終わってしまっている。
まだ売られているといいけれど。
ずっと昔のブログにも書いたが、
オットは何か生まれてすぐ、悪い魔女にでも呪いをかけられたんじゃないかとおもうくらい、
すぐ靴下に穴を開ける。
毎回同じような場所で、今までどんな年齢の時にもどんな靴を履いているときにも
そこに違いはなかったからそう、ふざけて思うのだが、まあ歩き方の癖である。
とにかく、定期的にオットの靴下を買い足すことになる。
(繕うのにも限度があるので)
安くて可愛くて見栄えがするもの、ということで、
今回は以上をセレクト。
普通に履いていると他の人にはわからない楽しいオシャレ。
オットも可愛いと気分が上がるようで、にこっとしている。
]]>
見慣れない駅だった。
街の雰囲気も違う。
私の生活圏とは違っている。
使ったことがない沿線の、見知らぬ土地の名前。
バスに乗り、振り返ったところで目が覚めた。
私にしては珍しい。
随分はっきりした夢だったのだ。
普段の私は起きた時にもうほとんど夢を覚えていない。
切れ切れの場面が鮮やかでも、起きて数分経つごとに消え、忘れていく。
でもこの夢の事は覚えていた。
なので戯れにネット検索してみたら、
当たり前のようにすぐ出てきて、びっくりした。
私は出不精の方向音痴で、毎日家と会社の往復しかしない。
地元の駅も家から最短の西口しか使わないので、
もはや東口やら南、北の光景も判っていない。
たまに行動範囲を広げて見て、なくなっている建物や、
新しくできた建物にかなり驚いている。
そんな私にとって、車で30分の距離はかなり遠く、
ましてやそこと繋がる直通の交通手段がないとあっては、
どう考えても接点がなくて、その沿線には一度も乗ったこともないし、
友人知人がその近辺にいるということも全くなくて。
つまりはだから、本当に知っているはずもない沿線と駅名だったし、
近々で何かテレビの番組とか雑誌で見た覚えもない。
申し訳ないけれど、何かすごく人を集めるような感じの駅ではないみたい・・・
でも神社様があるのが分かったので、
伺ってみようよ、という話に家族でなったのだった。
冬ばれのあたたかな今日、初参拝させて頂く。
六郷神社様。
非常に素晴らしい立派な神社様。
混んでいるということはないけれど、絶え間なく参拝の方がいらっしゃる。
地元の方たちの深い愛を感じる。
ご祭神は誉田別命(ほむたわけのみこと)応神天皇様でいらっしゃる。
八幡様だ。
写真を撮ったらそれが写っていた。
明るくて綺麗な光だからきっとお怒りではないと思いたい。
お参りの折には太鼓の音も響かせてくださったし。
(つまりどなたかのご祈祷のタイミングだったということ。
いつもその辺運が良い我が家)
御朱印をいただき、
おみくじも引かせていただく。
おみくじは神様からのメッセージ、アドバイスと伺っているので、
いつもワクワクしながら引く。
よければ嬉しいし、悪くても貴重な注意をいただけたんだと思うので、
何が出てもありがたいと思うから。
今年初めて引くおみくじなので、どんなお言葉でもありがたく頂戴します、
と思いながら引いたら、
大吉をいただけるなんて。
それも「おもうがままになる運です」
なんてありがたすぎる。
でも慢心せず、用心深くまいりますね。
私の初夢に付き合い、ここまで家族を車で連れてきてくれたオットにも、
別の番号での大吉、しかもオットが一番望んでいた言葉のおみくじ、
ムスメは吉、ムスコは末吉。
しかしながらムスコにも「次第次第に運が開けて盛んになります」
という非常にありがたいお言葉を冒頭にいただいているので、
焦らずゆっくり時期を見ることを気をつけながらがんばります。
(何を?たぶん、ムスコの好きで得意なことを・・・)
オットとムスコが前厄なので、お守りを二人に購入。
八方にらみ御守り。
綺麗なブルーが一瞬、波のように見えたけれど、
よく見たら本当に八方に目を配っている4組の目の絵!
今年も神社にたくさん参拝しようとか、お寺をめぐろう!とか
実はあんまり思っていない。
それはいければいいのだろうけれど、行けなくても、神仏を思う気持ちに、
神仏は差をつけられはしないだろうと思うからである。
行けるタイミングで行けたら行く。
無理をしない。
今年も私はきっとそんな感じだ。
それでも神様はやっぱり要所要所でお呼びくださる、導いてくださるのだ、きっと。
素直にありがたく感じる。
]]>元来人混み嫌いが相当なうえ、こんなコロナのご時世なので、
これ幸いとお参りする日は空くまでずらそうと家族に提案した。
(お参りそのものはしたいのである。
ただ、一年で一番混むとわかっている日にわざわざ行きたくないだけだ)
氏神様から、年末にご案内を頂いたので、
予約させて頂いたご祈祷も家族で受けさせて頂いた。
オットとムスコが前厄なのだが、
とりあえず「家内安全」でお願いしてあった。
昨年も同じく家族でご祈祷をお願いしており、
(それでご案内をくださったと思うのだが)
場所も宮司さまも同じなのだけれど
(今年は、宮司さんの奥様にお顔立ちの似てらっしゃるお若い方もいらした。
おそらく宮司さんの息子さんだろうなと微笑ましかった)
幣で頭上を祓って頂いた時、すぅっと気持ちよくなった感じがあった。
気のせいといえばそう。
でもあえて、私の感じる力が強くなったのだと思うことにする。
急にぶわっと涙が盛り上がってきて、本当にありがたいなと心が震えたので、
きっとそうだ(加齢によるもの…イヤイヤ)
我が家が長らく暮らす地の、ご祭神様は素戔嗚尊様である。
ご祈祷後に頂いたものにはオットの名前を書いた紙で包んだお札と
神社のお守りとお守り鈴のキーホルダー、
梅昆布茶3個セットだった。
昨年末と同じく、本殿の横から写真を撮らせて頂こうとiphoneを向けたら、
足元からサーっと、白い光が昇ったので慌ててパチリ。
しっかり撮らせて頂けた。
遅めだったけれど、ゆるりとお参りさせて頂けて良かったなと思う今日の初詣。
帰りに可愛いプードルを連れた女性とすれ違った。
その少し後に、
私たちは鳥居をくぐって、本殿の方に向かって一礼するため、
振り返ったのだが、すると、
手を合わせて頭を下げ、おそらく目を閉じてお祈りされているであろうさっきの女性の横で、
プードルちゃんが後ろ足で立ちあがり、かなり長い間、
飼い主の女性と同じように、前足を合わせんばかりにしているのを
見てしまった!!
感動した。
(のちに、ずっと犬を飼っている犬好きの方に聞いたら、
それは単に早く帰りたくて飼い主にアピールしていたのだろう、
犬は案外簡単に後ろ足で立ち、2足歩行を結構する、と教えられた。
そうなのか〜。
いや、でもせっかくお正月なので〘もう松の内も過ぎたけど〙
あえて、ワンちゃんもお参りしていたと思うことにする。
昨日で外したしめ飾りや門松を、氏神様にお渡しできたのもうれしかった。
大好きだった黄色いお花と黄色い組みひもを蝶結びにした可愛いしめ飾り。
受付の所に置いてあったしめ飾り用の箱に入れる時に見たら、
私のと同じように可愛い綺麗なしめ飾りがいくつも入っていて、
奥でボランティアの方か、年配の男性が一つ一つ不燃系のものを取り除いていらした。
来年は、シンプルな、全部綺麗に燃えそうなしめ飾りを買おうと新たな決意をした私だった。
帰宅後、のんびりお茶を飲み、
家で動画配信の映画などを見る。
お気に入りのシラサギ模様のカップをお皿を分けて使ってみる。
繭の形の最中。
大変美味しゅうございました。
]]>
今年は早めにオットが買ってきてくれていた七草。
とても新鮮で良い七草で見るだけで福運を感じられて良きかな。
オットが在宅ワークの日であったことは今日という日の行幸で、
朝は本当にデンジャラスな道のりだった。
我が家の前はちょっとしたスキーができるんじゃないの?くらいのスロープで、
かなりの人が行き来するので、どうなることかとハラハラしたけれど、
数少ない区の除雪場所になっているらしく、
昨夜のうちにかなり雪は除かれていて。
凍りついた路面は我が家を始め、近所の方たちの努力で安全化をはかり、
おかげで今朝は家族全員オットに車で送ってもらえて出勤。
人が責任を持たない、誰もケアしない路面の凍結は危険で、
だから車は時速15キロくらいでしか走れなかったけれど。
そんな中、非常に道が細くて交通量が激しい、
普段の日でも危険な道の脇を、
真っ赤なニットに身を包んだ小さな赤ちゃんを後部座席に乗せて、
車に「当たれるもんなら当たって見なさい!」と言わんばかりの
自転車走行をしていたママを、嘆かわしい気持ちで見ながら、
ゆっくりと追い抜いた。
気になってミラーでその親子をみていたら、
最悪の場所で転倒しているのが見えた。
通りがかりのご老人が、必死で救助している。
小さな子をまず助けおこし(ヘルメットも被らせていない)
安全な場所に確保。
倒れた自転車を支えに母親がよろよろ立ち上がる姿に、
よかったとか大丈夫?と思う気持ち以上に怒りが湧いた。
自分の子供の命をおざなりにする行動。
何に遅刻しようが誰に咎められようが、
自分の子供と自分を、轢いてしまうことになる人の不幸を
誘発する権利なんか1グラムもないから!
兼ねてから、朝の自転車暴走のママさんたちには眉を潜めて見ている私がいる。
大事なのはなに?
遅れないこと?
怒られないこと?
それは自分と子供の命ばかりか、誰かの不幸を誘発してない?
そうしてまで守る何かは、
例えば必死の早起きとか効率のいい家事をがんばることとかで
誰にも迷惑をかけない守り方ができるのでは。
と。
育児が死ぬほど辛い時があった私でもそう思うのだけど。
(子供は常にいつもすごく可愛かったけれどね、
それと家事育児の辛さは別物だった。
特に今ほどオットが何も協力してくれなかった頃は・・・
当時のオットは頭と心に小人の靴屋さんが住んでいて、
全ての家事はその小人たちが
自分が眠ったり出かけている間にやってくれているのであって、
ツマの私は何もせずにぐうたらと、
ただ楽をして家にいるのだと、
信じて疑っていなかったから)
昨日私が休んでいる日に会社の人たちは、帰宅命令どころか
雪かき指令がくだって大変だったそうだ。
今朝もろくに喋るもない中で、雪かきのために飛び出していった。
そういう私も銀行や交換便のやり取りのために
凍結した路面の上を非常に神経を使いながらそろそろと歩いて往復。
途中、ツルッとなっている人を何回も見て、
その度に自分もひやっとしたし、
ついには辺りに救急車のサイレンが鳴り響くことに。
会社の前にまず消防車が止まる。
救急車がすぐに来れない場合はまず消防士さんたちがきてくれるのだ。
それから救急車。
でもしばらく動かない。
おそらく受け入れ先の病院がない感じ。
そうしてついにはお巡りさんが。
どうやらかなりの事故なよう。
どうか、被害にあわれた方がご無事でありますように。
オフィスの窓からハラハラしながら見守ったりして。
帰りはもうほとんどのところですっかり雪が溶けていた。
普通に歩けることの幸せを感じる。
オットは家の前の坂道を雪かきし、水で流して綺麗にしていたら、
近所の方や通りすがりの見知らぬ人たちに労われ、
ありがとうといっぱい言ってもらえたとニコニコしていた。
数年前はなんで?おれが?おれが雪かきするの?今?
と不思議がる人だったオット。
今朝は、近所の人がみんな見てるし、
雪かきは誰か他の人への奉仕になる、
徳を積む行為だからやると素敵、
とお願いしておいた甲斐があって私も嬉しい。
七草粥でしみじみ幸せを感じた後は、
テレビの金曜ロードショーで「千と千尋の神隠し」を見る。
もう何回見たかわからない。
子供たちが小さい頃からずっと見ていて、
dvdだってある。
でも、見るたび、年をとるほどに、面白さがわかり、心にしみる。
ああ、いいお話だ、すごいアニメだなあって、
今までで一番思った。
我が家の玄関にある龍の置物の名前は
ムスメが名付けて「ニギハヤノコハクヌシ」
ハクだよね!と母子3人で格別の思い入れがあるのだった。
(お安い金ピカちゃんですけどね)
]]>朝の天気予報で少し雪が降るかもとは思っていたので、
お願いしていたネットスーパーさんの配達の人が来られて、
インターホンのモニターを覗いた時に初めて
あ、雪が降ってるとは気がついた。
その時点でこんな感じ。
お願いしていたのはアマゾンフレッシュ。
届くパッケージがおしゃれ。
大きな紙袋は頑丈で、シンプルカッコ良くて、
絶対何かに使おうを思って捨てられなくなるパターン。
大好きな私つにおこたを出してぬくぬく。
炬燵布団はニトリでみつけたグレー地に白の星模様。
案外和室に合っていてお気に入り。
ひとり昼食を食べる頃、景色はまだこんな感じだったのに、
うわ、つもりそうじゃない!?なんて喜んでしまっていた。
13時すぎ、すこし不安になってき始めた頃。
14時すぎにはここまでの景色に(でもまだ甘かったわけだ)
30分後、ムスコから「もう帰ります」と連絡があり、
あ、会社側が障害ある人に配慮して早めに帰宅させてくれるんだと感謝した。
つまり事態はそれほどになってきているということ。
あらあら、大変かも、とちょっと焦り始める私。
クリスマスシーズンの象徴のようなポインセチアは
実は寒いところが苦手ということで、
我が家では日中、日当たりのいい和室のオコタの上で、
燦々と陽を浴びているのだけれど、
今日は一緒に雪見する。
我が家の目の前は自然保護団体と区が力を入れて守ってくださっている緑地なのだけれど、
そこがどんどん冬景色に染まっていく。
変わって暖かな室内は私が私に還る場所。
昭和の乙女が和室の個室を自分なりに、
西洋かぶれで入り混じってる、みたいな。
昔は嫌だった中途半端な和洋折衷を、あえて今楽しんでいて、
この部屋を家族全員が好き。
大きな本棚は大好きなハヤカワ文庫や創元推理文庫のミステリと、
竹宮恵子先生、萩尾望都先生、大島弓子先生の漫画をぎっしり。
見てるだけでテンションがあがる。
ムスコが帰ってくるのを待ちながら、ゆっくり手帳会議。
無事帰ってきたムスコと熱いココアを飲みながら眺めた冬景色。
オットとムスメが帰ってきた夕刻には、
2年前まで毎年行っていた那須塩原の景色かと見まごう通りになっていて。
明日無事に出勤できるかどうか怖い。
行かないわけにもいかないし。
公共の交通機関が止まらない程度の悪天候って嫌だなあ。
絶対絶対怪我はしない。
そう誓いつつ、お鍋を囲んで温まった我が家。
]]>可愛い虎さんたち。
自由が丘蜂の家さんのお菓子。
頂き物はいつも嬉しい。
いただくとハッとして、嬉しい驚きをしみじみと感じる。
わざわざ我が家のことを考えて、
時間と手間とお金をかけて品を選び、
届けてくださったんだと考えると、
そのお気持ちの価値が計り知れない。
ただただ感謝する。
相手の方の幸福を願う。
贈り物って素敵だ。
いつももらいたいわけじゃないし、あげたいわけでもないのだけれど、
ふと、そうしたいと思い合える気持ちが素敵で。
そういうことが幸福のタネになっていくんじゃないかなあと思う。
幸福は天下の回りもの。
自分と自分の身内、仲間と認めた人だけ(←この辺傲慢)
よければいいという考え方はこの世に悪を蔓延らせる。
そんな心根を愛す魔物が確かにこの世にもあの世にも存在するのだと思う。
出勤二日目にして早くも疲れている私だが、
仕事の内容はそうでもないのに妙に消耗してしまうのは、
まだ馴染まない、リズムが合わない空なんだと思う。
そう言う時はなにかやっぱり気分を変える。
私が今日、守護天使に守られたなと思ったのは、
この可愛い虎のお菓子のデザイン、パッケージや、
オットと何気なくスーパーで見つけてかったビールの(私は嫌いで飲めないのだ)
デザインだったりする。
世に美しい、楽しい、かっこいいデザインは溢れている。
世界は数多のデザイナーたち、アーティストさんたちによって形作られ、
影響しあい、様々なイマジネーションをさらに沸き立たせる。
私のような一般の凡人にさえも。
武士、かっこいい。
牡丹の花、美しい。
日本語、素晴らしい。
武士の宴、って言葉だけで広がるイメージ。
とても楽しい。
値段330円はお高いと思ったけれど、パッケージ買い。
オットに言わせるとこの値段なら当たり前だなあという感じの美味しさらしく、
そうか〜、とビールを飲まない私は思う。
高ければ美味しいのは当たり前だよね、は私の持論。
安くてそれ以上の価値があるもの、それを見つけるのが私の喜び。
でもこの缶のデザインは好きなので、
捨てないで大切に何かに使おうと思います。
現時点では小さな植木鉢にでもしてみようか、と。
缶切りで口を切って、底に穴を開けて、小砂利と土を入れて、
何かの種を巻いて、やってみよう。
何かが育って咲いたり実ったりしたら、きっと私はすごく楽しい。
]]>(私の遊びとは好きに本を読み、駄文を書き散らし、映画やドラマにおぼれ、音楽に聞きほれ、
眠くなったら転寝をして、また好きな本を読んで・・・を繰り返すこと)
出勤日である。
ちゃんとした大人なので(中身はどうあれ、外見的には)しっかり気を引き締めて出勤し、
会う人会う人に新年のご挨拶をした。
気持ちを引き立てる一役を買ってくれたのは新しい靴。
フェリシモのカタログで一目惚れして購入。
黒と茶色と白の3色展開で、どの色からくるかとハラハラしていたが、
一番欲しかった黒がきてくれたので幸運だった。
履くのを楽しみにずっと取っておいたので、
新年最初の出勤日にお供してもらった。
ストラップを後ろにして、くるぶしにかけて履くのがお気に入りだけれど、
こうして前に寝かせておいてアクセントにして、
ささっと気軽にひっかけて履くのも楽しい。
基本冬場はショートブーツ一辺倒で通しているので、
足首がめったやたらと寒かったが、
まだお休みのオットが帰りも迎えにきてくれたので助かった。
明日からはまたブーツ生活に戻ることにする。
今日、ものすごく寒かったから!
帰りのバスを待っている間に足から凍えて氷漬けになってしまいそうだし。
春が近づき、まだちょっと冷えるかなくらいの頃になったら
楽しんで履こう。
単純な私はしばしば、心だけではどうにも足りない部分のエネルギーを
物からもらってしのいでいる。
それは素敵な手帳かもしれないし、ペンや食器、時計や毛布だったり
アクセサリーだったりいろいろだけれど。
”好き”に囲まれた生活が、だから自分には心地よくて、
それで家から出たくないのかもしれない。
いえ、屁理屈。
単なる出不精でした。
]]>結局、かなり掃除したので、そこに時間は取られてしまったのだが、
できてよかったしなあ、とは思う。
本当はもっともっと遊びたかった。
読もうと思っていた本もろくに読んでおらず、
やろうと思っていた手芸に至っては何一つできていない。
料理もなるべくしたくなかったのに、なんだかんだでずっと作って片付け、
片付けては広げて作って・・・キッチンにずっと立って、
家族が見たいテレビを優先して見ていたら、
なんだか振り返るとこの6日間、我慢ばっかりしてたじゃんか・・・と自分で呆れて
嫌になってしまった。
今更のようにオットが「ママの好きなテレビ見ていいよ!」と言い出したのだが、
連休最終日になってやっとそれ・・・
あなたの実家で尽くしまくった私へのお礼が好きなテレビをみる権利、ってわけですか、
と皮肉の一つも言いたくなる。
録画しておいた「東京藝大で教わる西洋美術の見方」という番組を堪能したが
オットは寝ていた。
よかったのは年末ジャンボ宝くじがあたっていたこと!
・・・5等と6等ですけどね。
でも3000円で買ったものが1万円と3千円、そして三百円の計13300円になったのだから
うれしいではないか。
オットも6等をあてていた。
オットは二組もかっていたので、6000円農地の半分余りが返ってきたことになる。
まあまあ?という感じ。
夫婦の差し引きで言うと、まあ家族ですこ〜しだけ贅沢なランチできるかな?という程度ではありますが、
福だと思おう。
新しくしたiphoneのケースはシルバー。
私のiPhoneケースへの絶対条件はホールが二つあり、
ショートストラップをバッグのようにして腕にかけて歩けること。
数年前にたまたまそのタイプのケースを使ったらすごく便利で、
以来この形にこだわるようになってしまった。
ホールが上下にあるなかで、好みの色、形と消去法で探していくと、
好みのシルバー、ちょっと多機能、というこのケースがぴったりだったのだ。
外側に小さなファスナーのついたポケットがあるのだが、
意外に嵩張らず、すっきりしていてとても気に入った。
そして、このiPhoneケースにつけると決めたわけではないけれど、
大好きでずっと飾っていた羽海野チカ先生オリジナルの根付をついに開封。
マニーちゃんというにゃんこの寝付け。
招きにゃんこ。
可愛い!
羽海野チカ先生のお造りになるものが可愛くないわけは絶対ない。(断言)
でも箱までおもしろ可愛いすぎるのは反則すぎでしょ!
こんな可愛いめかぶの箱仕様のケースにちんまりはいっていられたら
もったいなくて、
1年明けられなかった。
つまり買ったのは一昨年の11月頃(たぶん)
ついでにさらにもっと前にガチャで出した羽海野チカ先生のにゃんこ根付も出す!
このツーにゃんこたちをどうするか。
やはりお財布か?
お財布もそろそろ買い替えたいタイミングなのだ。
悩む・・・。
]]>(渋滞を見越して早めに出る。
すんなりいけば1時間ちょっとだけれど、人気の観光地のそばなので、
祝祭日には2.5倍の時間がかかる)
曇りがちな空を見上げたら、雲がフィルターの役割を果たして、
太陽がその輪郭を白く見せてくれていた。
美しい!とスマホのカメラでパチリ。
もうこれで気持ちは上がった。
かなたには淡く天使の梯子もおりている。
クリスマスの朝に続いて新年だから
天使たちも地上に降りてきてくれるのかな。
冬の木々と空、雲、光の光景が昔から好きなので、
助手席から繰り返し空を眺めて楽しんでいた。
道路は断続渋滞。
止まってしまって動かない、ということはなかったので、家族全員リラックスして
音楽を聴きながら、ドライブを楽しむ。
(いつも思うけれど、運転好きなオットに感謝している。
ま、向かうのはオットの実家なのだが)
冬の海の輝きも素敵だった。
オットはラジオで聞く箱根駅伝中継に夢中で、それなりに楽しかったらしい。
今ではどうか知らないけれど、
私がオットと結婚した30年前まで、
私は実家の神戸のお正月で、箱根駅伝を見たことがなかった。
中継はしていたのかもしれない・・・でもそこに家族がチャンネルを合わせたことはない。
私が高校生の頃、母が不意に長距離走観戦にはまって、その流れで駅伝を観ていたようにも思う。
けれど、家庭内やもちろん外で話題に出た記憶がないのだ。
だからオットと結婚した当初、
ただでさえ居心地よくないオットの実家で、皆でじっと見守る箱根駅伝時間が苦手だった。
仕方ないので本を読んでいたら、どうして本を読むのだろうと訝しがられた。
今は私も普通に、それなりに駅伝を楽しむ。
姪っ子が通った大学を応援したり。
オットの実家は過疎化していることが問題になっているけれど、
今日は何人も若いご家族をみかけた。
帰省かもしれないし、新たに越してきた方たちかもしれない。
小さな子がよちよちと歩き、それを見守る若いママやパパの姿がなんだかうれしい。
私も本気でそろそろ、この田舎と今の住まいとの二拠点生活を考えなくては、と思う。
昔は本当に辛かった、オットの実家でのお正月。
義母との会話が辛かったのは否定できない。
とにかくすさまじい負のオーラを放つ方だったので、
実の家族は無視したり馬鹿にしたりしてかわしていたけれど、
ヨメの私が同じことをできるわけがない。
延々と終わることのない義母ワールド(ほぼ悪口と恨み言)を聞くお正月は本当に辛かった。
けれど、今はその義母も施設に入り、
義父が一人で暮らしている。
義妹の心遣いで義父に贈られていたおせち料理が綺麗だった。
箱も綺麗なお重のような発泡スチロールで、一人サイズのおせちなのだろう、
こぢんまりしていて可愛い。
それでも義父全く全く食べられないという。
食が細くなって辛いのだと。
冷蔵庫を開けるとこのおせち料理がばーんと入っていたのだが、
箱に大きくムスコの名前が書いた付箋が貼ってあり、
「○○くん、食え!」
と書いてあった。
ありがたくペロリと平らげたムスコだった。
親戚の叔母や近所の方に買っていたお菓子を持参して
お年賀のご挨拶。
お墓参りをして、義父の話し相手をして、
もちこんだすき焼きの材料を使って夕食を賑やかに過ごした。
この30年の間にいろいろなことがあり、
素直にいいヨメぶるつもりは全くないのだが、
子供たちの心に残るであろう家の記憶の一つを
私が大切にしないわけにはいかないと思う。
オットの墓に入りたくない、
実家のお墓に入りたい、という人の気持ちもわかる。
私なんか別に実家もそう好きではないので(笑)
もう明らかに、結婚前の姓より結婚後の姓での自分の方が長いし、
お墓参りもこちらの方によほどしているし、
子供は二人ともオット似、つまり通りすがりの地元の人にも
どこの家の子かわかったと言われるくらいオットの家の顔をしているので、
だから私はもう全部受け入れて私なりに親しんでいたいと思うのだ。
子らが先祖代々から受け継ぐべき場所を雑にしたくない。
お金と時間と手間をいっぱいつかって、
お正月二日目は終わる。
帰りも断続渋滞。
でも思ったより早く帰れてよかった。
]]>生協のカタログで、これはなんとおめでたげな、と思った箱のお酒を
鏡餅と飾って。
無事、お正月様をお迎えできたでしょうか。
令和4年、明けましておめでたい。
今年も無事に新年を迎えられたなんて、幸せだと本当に思う。
飾るお花も華やかなのがいい。
いつもなら500円以上の花束は買わないけど(貧しいので)
お正月は少しだけ奮発した。
一昨日、4軒のスーパーを梯子した中で一番見栄えとお値段バランスがよかったもの。
今年もこんな感じで上手にお買い物できますように。ナムナム。
私も子供の頃からそうだったのだが・・・我が家はみんなおせち嫌い。
全然いらないとみんな口を揃えていう。
そんななのでお重の必要性を感じたことはないのだが、これはI3coinsさんで
オットが私より先に一目惚れして、いい、いい!と感心するので私も喜んで購入したもの。
中に4つの仕切り箱があるものを二つ購入。
たまたまネットで見かけたけど、今年(というか昨年?)は白いお重がちょっとした流行りだったのかな。
他でももっとちゃんとしたお値段のもの(これは800円だった)で
真っ白な素敵なお重をいくつか見かけた。
natural kitchenさんの限定の角皿、帯柄。
素敵で衝動買いしてしまった。
同じくナチュキチさんの、めっちゃ可愛いカルタ風小皿も!
今朝、初おろし。
お正月のテーブルらしく飾りたくて、でも安さと可愛さのバランス重視で
ほぼ100円ばかりのお箸やランチョンマット、紙ナプキン。
賑やかに食卓に並べて、朝から明るく、楽しかった。
形だけ、縁起物なので一口だけ食べようと、
少しだけかったおせちせっとをお中に詰め込み、
お煮しめと海老の塩焼き、伊達巻嫌いなのでだし巻玉子を大量に作っただけの
でも家族に大好評だったお正月の我が家ごはん。
快晴の今朝、富士山も綺麗だった。
今年も家族でつつがなく暮らせますように。
祈るのはそれだけ。
一年の計は元旦にあり、というけれど、
そのあとオットが会社の人に勧められたからとネットフリックスで
レオナルド・ディカプリオ主演の「ドントルックバック」という映画をみてしまった
我が家の1年はどうなるのだろう。
元旦に観る映画じゃなかったわ〜。
嫌だわ〜。
もう、相変わらずずれてて絶悪タイミングのオットだ。
先が思いやられる・・・。
]]>あまりすることはないと言いながら、
始めて見たらあれもこれもと欲が出るのは大掃除でも同じらしい。
昨日は夜になってからもさらに、家のエアコン4つの全ての掃除とあらたなフィルター取り付けを夫婦で頑張ったので、
今日はもうあまりしないと思っていたけれど。
玄関周りの掃除とガラス窓もやはり拭いておきたくて、
結構半日働いてしまった。
でも。
掃除をするとやはりとても気持ちがいいのだ。
これで良いお塩をいれたお風呂に入ったらさぞ気持ちいいだろうと、
ほくそ笑みながら、クリスマスイブの日に届いた星ひとみさんの福袋「梅」の中身を広げてみる。
ほぼ塩。
でもすごく浄まりそうではある。
これだけあったら当分、悪いものは寄ってこないだろうと今後に期待。
オットはこの金と銀の虎の箸置きが気に入ったとのこと。
ネットで調べたら660円くらいだけど・・・。
ディープグリーンの瑪瑙のコースター?らしきものと、
アクリルの透き通った虎の根付、たぶん天然石な、アラゴナイトと水晶かなと思えるものの根付。
虎の置物(600円しない感じ)
コロナの、オミクロン株の感染拡大は非常に気になるのだが、
年老いた義父のためにも帰省したくて、本日そんな計画を話していたらムスメが、
じいじのところに行くのはいいけど、Wi-Fiをなんとかして、というのでハッとした。
そうだ、先々月は1日スマホが全く使えなくて、私ですら苦労したのだ。
子供たちに耐えられるはずもない。
それで急遽、楽天にポケットWi-Fi契約をしに出かけることになり、
貴重な時間が2時間潰れた・・・。
でも無事にポケットWi-Fiゲット。
これで安心して帰省できるというもの(車で1時間半だけど)
しかし、そのバタバタで星ひとみさんの塩をお風呂で使うのを忘れた!
いつも通りの普通のお塩は子供達が入れてくれていたけれど。
2021年大晦日の太陽。
雪が降ったというけれど、私は見られなかった。
ただ、キーンと澄んだ空気に浮かぶ太陽がとても綺麗だった。
明日のごはんの下ごしらえをして、新しい手帳の準備をして
今年を終えていく。
紅白が楽しい。
大掃除が終わった後、和室に炬燵をだして、
年越し蕎麦を家族で食べた後リビングから移動して、
みかんを食べつつ紅白鑑賞の我が家。
私はこうして今年最後のブログを打っている。
すごく普通の一般家庭すぎるが、私には幸せだ。
本当に今日で2021年は終わりなのかな、とここにきて思えてしまう。
あっという間の一年で、でも見えない力になんだかとても助けて頂けていたと感じている。
なんでもない日々が愛おしかった2021年。
2022年もなんでもない日を楽しみ、生きていきたい。
良いお年を!
]]>
ただ、とてもたくさん買い物をしたという、今日はそういうお話。
毎年、素敵だなと憧れていたお花屋さんがある。
クリスマスあたりから並ぶお正月のしめ飾りが、
とりどりの色・デザインでどれもとても素敵で、
来年こそはあそこでお正月の飾りを買おうと決意していたお店だ。
先日、平日休みに病院に行き、その帰りに今年も素敵なお正月飾が、
とてもたくさん並んでいるのを見かけた。
その時、9時まえ。お店の回転は10時。
1時間も待っていられない。
こうしていつもタイミングを逃すのだと思いつつ、
買えるならどれがいいだろうとうっとりと眺めていると、
お店の方が外に出てこられて、よかったら今の時間でもお売りしますよ、
と声をかけてくださった。
ありがたい!
それで思わず聴いたのは、これってクリスマスのリースのように、
毎年飾るためのものですか?ということ。
だってあまりに素敵で凝っていて(お値段もすごくて)
とても1シーズンの使い捨てとは思えなかったから。
でも「いえ、やはり縁起物ですので・・・」と言葉を濁されて、
結構なお値段がするリースコーナーから離れ、
せめて短い間だけでも愛でて、愛でて、
1月中ばのどんと焼きに出しても良いと思える値段の方にすり寄った。
そして選んだのはお日様色の飾り。
つい先日まで、赤いクリスマスのリースを飾っていたので、
今回はこの黄色にしたくて。
最低限シンプルなものを選んだけど、これでも燃やすのは惜しい。
なんて儚い芸術だろう。
昨日仕事納めだったオットが買い物に連れ出してくれ、
今日はなんとスーパーを4軒とコンビニ一軒、ドラッグストア1軒を回るという強行軍。
どうしてそんなに回るかというと、まずは相対的に非常に安いお店で年末年始の食材を買い込み。
働き方改革により、もうお正月は4日までどのスーパーも営業しないというので、
相当に買い溜めが必要と踏んだのである。
しかも私もオットもお酒が大好きなので、お酒も安いスーパーというのは貴重なのだ。
そのスーパーは朝8時開店で、8時24分に私たちが、
今日が仕事納めのムスコを会社に送り届けて駆けつけた時、すでに駐車場満杯になって、外に車が並んでいる状態。
それでも並ぶことが許されるうちはまだ軽症で、
幸いほどなく入店できたが、店内の人混みと熱気は普段を凌ぐ熱量だった。
なれないムスメは怖気付いたが、女たるもの、これくらいの修羅場に怯んでどうすると指導する私。
本当は私も嫌だった・・・が頭をフル回転させ、年末年始に家族が飢えないメニューを組み立て、
必要と思われる食材を極力厳選して購入。
その後、また別の、私が大好きな鮭イクラ弁当のあるスーパーに移動。
ここはおしゃれで品質がいいのに意外にお値段が安い穴場で、
最初のスーパーに比べるとまだ優雅に買い物できた。
肉、野菜、魚(これは少し高め)とお惣菜の品質の良さ、美味しさは私の中では一番ランク。
次に、お正月に飾る門松と花が欲しくて勤務先近くのスーパーへ。
どこより立派で素敵な門松と花が、他のどこより安価で売られている。
この立派さで880円は、近隣のスーパーの中でも破格だった。
大型ドラッグストアで年末年始に必要な生活用品を買い、
私が大好きで、中毒のように食べ続けているデザートのあるコンビニで年末年始分購入、
オットがお気に入りのスーパーで他店で買い損ねたものいくつかを購入。
途中、昼食を食べ、冷蔵庫や電子レンジの掃除と整理に奮闘しつつも
午後の買い物も充実。
大体これでお正月の準備はできたと満足した帰り道の、
この夕焼けの美しさ眩さに、なんだか涙が出そうになった。
]]>
朝の冬空に、置いてけぼりの月。
昨日で仕事納めだったのは私とムスメだけだったので、
今日は二人で朝から多少大掃除めいたことをしたあと、
早々に熱い紅茶をいれて動画タイムに突入した。
アニメの「みえる子ちゃん」「テスラノート」を最終回までの2、3話分見て大満足。
どっちも面白かったな。
「みえる子ちゃん」は原作の漫画を買おうかと一瞬思ってしまった。
それから米ドラマ「サブリナ」を見てみる。
結構なダークファンタジーなのかな?
ヒロインがエマ・ワトソンに似ていてとても可愛い。
お腹がすいたら小さな頃から娘が好きな卵焼きを作ってソーセージやサラダと一緒に、
スープと玄米ご飯でランチ。
美味しい、と笑う顔が小さな頃と変わらない。
三日前まではこれくらいの長さがあった髪を肩につくかつかないくらいかに切って、
とてもスッキリ、軽くて気持ち良いそう。
これからもっとさらに、大人になっていくのであろうムスメと一緒に過ごせる時間は、
なんだか少し眩しくて尊い。
これが、夫婦で悪ノリしてしまった「突然ですが占っていいですか」カレンダー。
運気の良い日、悪い日がわかるカレンダーというのは良いようでよくないような。
だって運気が悪い日ってなんだか嫌じゃん。
どちらかというと、「毎日がスペシャル」と思っていたい私なので。
(いえ、スペシャルっていうか、普通が一番すきなんですけれどもね。
でも。普通、が一番難しい。だから、普通の日というだけでそれはスペシャルなのだ)
だから、まあまあ良い日悪い日は参考程度にしておこうと
思いながらも来年の、たとえば9月はどんな自分になっているだろうかと
早くも楽しみにしている。
来年もおそらく暑くて仕方ない夏を乗り切り、
秋が来る〜、と浮かれていられる自分でありますように。
毎日が平凡で構わないので。
]]>例えば皆様ご存知のカルディさんとかそうだろう。
食物アレルギーの関係で、今の私が実際に口にできるものは非常に少なく、
そういう意味ではカルディさんの魅力ある品々もなかなかすぐには試せないのだが、
カルディさんのお店で感じる季節感がとても好きだ。
クリスマスは缶ものが可愛くて悩まされた。
あれもこれも欲しくて、でも家のものを減らしたいし、中身はあんまり食べられないし。
いらないよとオットに却下されながら、涙涙で色々諦めたけど、
そんな悩みも楽しいお店で大好きである。
手軽なのは100円ショップさんたちで、いろんなショップさんの季節のグッズが侮れない。
100円だからと気軽に買って、でもあまりに好きで何年も大切に飾り続けているものが、
家にはたくさんある。
だから毎年季節のイベントごとにいろんなお店を覗くのを楽しみの一つにしているのだが、
一般にあまり100円ショップとは言われないけど、お店のもののほとんどが100円の
「natural kitchen」さんが本当に好きだ。
特にフエルトの飾り物に魅せられて久しい。
ハロウィン、クリスマスとたくさんグッズを買ってきたが、
そういえばお正月ものはどうだろう、と先日除いたら、
やっぱり惚れ込むものがたくさんあった。
このおめでたさ。
素晴らしすぎて感涙。
クリスマスが終わった後、即、玄関ドアの内側に飾った。
縦型も素敵なのだ。
二つならべてフレンチドアタイプの冷蔵庫の扉に。
(家族皆で絶対何回も眺めるから)
こんな美しいモチーフは窓辺に飾って。
他にも色々お正月ものを買ったのだが、日々バタバタしているので
なかなか写真に撮れない・・・
クリスマスものもあったのに、アップし損ねて今に至る。
変な時期にクリスマスものをアップしていても許してください・・・。
毎年会社では、人より早めに年末休みに入るべく、最後の日、
つまり今日を年休にしている人たちがいるのだが、
私は庶務の要なので、絶対最初と最後はしっかり頑張ると決めている。
(1秒たりとも残業はしないですぐ帰りますけどね。
不思議なんだけど、ずっと仕事がなくて暇なのに、
終業後なおもぐずぐず帰らない人はなぜなんだろうか。
少しでも忙しかった感をだすため?
私がいなくなった後に私のワルグチをいうためかしら。
きっと後者ね!)
しかし、家もそうだが会社も、日頃からちょこちょこ掃除して、整理して、
整頓するよう心がけているので、
(私はとんでもないズボラでヘタレなので、ことが大きくなると気が挫けて
もう対処なんてできなくなるのである。
大掃除なんて絶対無理。そんな事態になったら鼻から泣いて、挫折するのが目に見えている。
そんな惨めさを味あわないための最前にして最大の防御から、
普段からちょこ、ちょこ、っと気が向いた時にいやじゃないレベルで
綺麗をキープすることを心がけるということなのだ)
今日特にすることはなかった。
ご挨拶だけ丁寧にして、無事仕事終了。
今年も納めました。
これからの年末年始の休みが尊い。
家族と自分のために大切に使おう。
そしてやっぱり普段よりはちょっと念入りに掃除と片付けはしよう。
気持ちよく新年を迎えられるように。
]]>冬も深まり、今の夜明けは6時30ぷんすぎ。
7時前にはやっと西向きの窓から見渡す景色が明るくなる。
今の家から見える富士山は小さい。
かろうじて見える(笑)
でも見えるだけいいかな。
真白の雪をいただいた綺麗な富士山。
街中を歩いたりしているとすごくお正月を身近に感じるのに、
会社で仕事をしているとなんだか年末の実感がぼやける。
不思議と皆が同じことを言っていて、
そういう空気が会社にはあるのかもしれない。
ずっと同じことが続いていく感じ。
でもまあ考えてみれば。
会社の年末は本当の1年の末ではない。
年度末・年度始めが大きな区切りだから
仕事納め間近とはいえ、いつもと変わらない感じで確かに合ってるな。
カドカワストアで購入したまさよさんのカレンダー。
クリスマスイブに届いて嬉しかったものの一つ。
サカモトセイジさんの絵が予想以上に素晴らしくて、
あ、素敵・・・と見た瞬間から何か癒されるような感じがした。
スピリチュアリストまさよさんの不思議な力が、
ううん、祈りがこめられているからかもしれない。
家族皆で楽しめるように、リビングのソファ横の壁に飾った。
オレンジ色のリボンで吊るようにして。
自分では占い好きな方かと思ってきたが、そうでもないのかなと思うのは、
いつもなんとなく自分が鈍いという自覚があるから。
いわゆる占いの流行にうまく乗っかれていない。
その昔、細木数子さんの六占星術が大ブームで私の母自体狂ったようにハマっていたというのに、
私自身は自分がなんなのか長い間調べもしなかった。
ようやく、何かで調べたら前年にかの有名な天中殺というものが終わっていた。
無自覚のまま、なんとなく普通にくらし抜いたわけだと我ながら感心した。
今はゲッターズ飯田さんの五星三心占いというのも昨日初めて知った。
自分のタイプ?は何かと調べたら「金のカメレオン」
タイプに順位はない、運気が一番悪いとかないとおっしゃるゲーッターズさんが好きだが、
それでも強いていうなら、用心した方がいい運気を「裏運気」というそうで、
順位を無理につけるなら最下位になるという。
その最下位が今年の私だったらしい。
なんとまたしても、もうすぐこの1年が終わるという時期にそれがわかったのだが、
それにしてはまあ普通に良いこともたくさんあった1年だったかと思うので、
裏運気でこれなら、来年も引き続き注意すべき年だとしても
そう悪くないんだろうな、でも気をつけよ、っと軽く心にメモしておく。
あ。でも。
フジテレビの「突然ですが占っていいですか」は大好きな番組で、
ご多分に漏れず、星ひとみさん、シウマさん、木下レオンさんなどなど
番組に出られる占い師の方達が大好きだ。
それでボーナス直後の出来心で星ひとみさんの福袋を買ってしまったし
(中身はほぼ『塩』・・・後日、写真撮ってみます)
オットもノリで「買って」というので、
運の良い日、悪い日が一目瞭然という番組のカレンダーも買ってしまっている。
なんだ、あんまり占いに鈍いわけでもないなあ。
ただ迂闊なだけだわ。
それは私の人生全般にいえることなので、
もうしようがない。
笑って生きよう。
]]>クリスマスの飾りを片付けるためだ。
クリスマスの後に、いつまでも飾り付けが残っているものほど興醒めなことはないと思っているので、
(お正月にしても節分やバレンタイン、ひな祭りやイースター、ハロウィンにしてもそうだけれど)
家の外で人目に触れるものからオットが真っ先にはずしていった。
私は家の中の飾りをかき集め、埃をぬぐって、分類しながら丁寧に収納していく。
クリスマスは楽しかった。
飾り付けを外すときはいつもちょっと残念な気持ちになる。
ムスコなどは小さいとき、「クリスマス、かたづけちゃだめ〜」と泣いたものだ。
お気に入りの黒馬のぬいぐるみの鼻面をクリスマスツリーにおしつけて、
「くりしゅましゅ・ちゅりー」と教え混んでいる様子が可愛かった。
いつも椅子に登って、ツリーを見上げていた横顔を、今でも鮮明に思い出す。
キラキラだったりふわふわだったり透きとおっていたりするツリーのオーナメントを
目を輝かせて手にしていたムスメのちいさな丸っこい手とその感触のことも。
大きくなった子供たちが気怠げに、クリスマスツリーを片付けるのを手伝ってくれる今も、
私は彼らを昔を変わらず愛しく思っている。
そのムスメがもうずっと何年も伸ばし続けてきた髪を切りに、
美容院にでかけた。
4年ぶりだそうだ。
本当に長くて、面倒だった髪をそれでも頑張ってのばしていたのは、
ヘア・ドネーションというボランティアに協力したいため。
癌などの病気などでウィッグを必要とする方たちのために
髪を提供できる機会を、ムスメも持ちたかったのだ。
ほんの少し、誰かの助けになれますように。
クリスマス寒波の到来は東京は思ったほどではないけれど、
それでもやはり足先が寒くて、
最近ぱたぱたと足の温もりを守ってくれるものばかり買った私。
3足1000円ソックスが大好き。
それ以外で靴下を買ったことはほとんどないが、
冬物も好みのシックな色をまず3足購入。
雪の結晶モチーフがすき。
アラン編みのようなニット感も。
そしてもこもこのルームシューズ。
これが最強で、フローリングの足元から感じる寒気から完全に足を守ってくれて、
もう冬の朝、ベッドから足を下ろすのも怖くない。
ムスコにも色違いのネイビーを買ったら、彼も足から離さなくなった。
(ムスメはピンクのふわふわのルームシューズを前から持っているし、
オットは全然寒さを感じないそうなので不必要と判断した)
寒いのが嬉しい。
冬の空の青さとぴりっと澄んだ空気が、
冬物の色合いやふわふわもこもこのグッズたちが
熱々のお料理やお菓子、ココアなどがとても大好き。
さあ、これからが本番だから楽しもう。
でもどうか誰も不幸になりませんように・・・人の命が奪われるほどの
大雪や災害だけは起きませんように。
それも切に願う年末年始。
仕事に行くにもあと二日。
がんばろう。
]]>食物アレルギーの私に配慮してくださる本当に優しい洋菓子店さんの、
今年のクリスマスケーキのサンタが明るい。
なんかきゃっほ〜♪な感じで笑ってしまった。
可愛くていい。
そしてクリスマスの今朝、家族でプレゼント開封大会。
オットが一目惚れして、ずっと欲しい欲しいと囀っていたもの。
汗水垂らして働いは私のお金で買いました!(笑)
思っていたより少しだけ多めにボーナスをいただけたので、気が緩んで。。。
ヴィヴィアン・ウェストウッドマークをスライドさせると文字盤が現れる。
もう一生この時計を大事に使うと宣言したオット。
ええ、ええ、是非そうしてくださいよ。
私とムスコはお揃いでAmazonのFIRE HD 8の64Gを購入。
ブラックフライデーで買ったのでうんとお買い得だった。
もうずっと前からタブレットがほしかった私とムスコ。
ムスコはYouTubeとゲームの中毒だし、
私はKindleだいすきなんだけど、iphoneで読むのに限界を感じていたので、
手軽なタブレットが欲しくてたまらなかったのだ。
最初はiPadが欲しかったけど、よく考えたらそうつかいこなさない。
調べてAmazonのタブレットがいいじゃない!と気が付き、
オットと相談して、色々調べて、最新のHD10の前の8で64Gがベストと決めて購入。
32Gなら本当に呆気に取られるほど安かったけれど、
オットがそれは絶対すぐ容量がいっぱいになって後悔すると断言するので。
正直この後はもう、私もムスコもそれぞれがこの新しいおもちゃに夢中になってしまった。
私はKindle読むのが最高にたのしくなって、ご機嫌です。
娘へのプレゼントはバロン!
ジブリの「耳をすませば」そのままのオルゴール。
うわ、イケメン・・・と思わず家族で呟くかっこよさ。
前からすごく高いと思っていたけれど、
これだけ丁寧に作り込まれていれば、
確かにそれなりのお値段をつけなくては採算がとれないだろう、
と素直に納得してしまう。
シンプル好きで、母の私を反面教師に、
極力雑貨も買わない娘だけれど、
これは嬉しい、大切にすると喜んでくれた。
ジブリの「耳をすませば」ではヒロインがこのオルゴールをイメージして、
小説を書く。
失われたバートナー、ルイーゼとの恋物語を。
というわけで、ルイーゼのオルゴールもあるのだ。
ついでなので、もう買ってあるのだがそれは半年後の娘の誕生日に渡すつもりだ。
難は、このオルゴールの曲が映画のテーマ曲「カントリーロード」なのだけど、
ルイーゼも同じ「カントリーロード」だということ。
変えればいいじゃん!と、この二つが届いたとき思ってしまった私だった。
クリスマスの朝のプレゼントに満足して今度は家族でランチに繰り出した。
コロナ、また流行り出してる。
オミクロン株、重症化はあまりしないというけど、油断はできない。
土曜日のクリスマスだというのに下北沢は人出もまばらで、
私たち家族も、もうこれを最後にしばらく外出は控えようねと言い合った。
前からオットが予約しておいてくれたお店のボックス席で、
最高に美味しいリブステーキを頂いて、至福。
思わず無言で、ただお肉の味を噛み締めた家族。
帰りにまたもお参りさせていただいた桜神宮。
今日までの限定のこの御朱印をいただきたくて。
神社だってクリスマス!いいと思う。
帰宅後、2階の寝室の窓から何気なく空をみてあっと思った。
なんて美しい天使の梯子がおりていることだろう。
クリスマスの日に、神は日の世を祝福してくださっていると本当に思った。
美しくてただありがたかった。
来年はもっと楽しくクリスマスを過ごそう、と早くも誓う。
あら、私はこんなにクリスマス好きだったかしら。
幸せを色々考え、自分なりに総括する年末のこの空気が、
良くも悪くも好きなんだと思う。
もっとがんばる、夢をかなえる。
そう思う自分の気力を大切にしたいから。
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