精進する着付け

  • 2006.01.17 Tuesday
  • 15:08

1月のうちに何回か着ておきたい玩具柄の小紋。本日は息子の園で音楽会があったので、また着てみることにした。

寒いので、道行にショールを合わせる。毎度のことながら、着付けで大汗をかくので、皆に首筋あたりが寒そうと言われるのだが、ほとんど気にならなかった。
着物を着てつくづく感じたのが、人間の体温てお腹!?ということだ。着物って普通にしていてもとにかく色々重なっている。お腹アタリにそれは集中するのだが、お腹がしっかり何重にも巻かれていると暖かいし、なんだかすごく保護されているような気がする。布の1枚1枚の重みを感じて安心できるような気が、私はするのだ。
最近、もう私の着物姿は周囲に認知されていてそう珍しがられないけれど、もう一人の着物好きの友人も着物で登場したので、なんだか場が華やかになった。音楽会に着物、ってやっぱりいいものだ。
が、音楽会の方はちょっと期待はずれだった。毎年この時期、プロの人を招いて、子供達に本物の音楽を聴かせるという趣旨で開かれるのだが、なんかすごく自己満足的な演奏をする方達だった。昨年のピアノ、一昨年のハープの演奏はとてもよかったのに残念である。
まあ別に何もなくても着物は着る。好きだと思うからだ。が、それで上手に着られるかというとそうではないから難しい。あ、こう着れば良いんだと判ったとしてもまたその日によって調子が違う。まあ20分くらいでお太鼓結びまで出来るようになった辺りは進歩かな、と思うけれど、一通りの手順を覚えたらあとは野暮に着るか粋に着るかの違いである。野暮ったさとの戦いが今、最大の課題。洋服を着るのより全然難しい。
けれどなんて素敵で綺麗、可愛い世界が和服という衣装の中にはこめられていることか。着物、帯、帯締め、帯揚げ、半衿や草履、バッグ、もしかして髪飾り、羽織やショール。色んなものを駆使してそこに一つの絵や物語をさらっと現わしてみせることができるというこのオシャレさ、面白さ。そんな様式美を愛すればこそ、手間をかけて着こなしたいと思う。しかし着物は体力である。そして上半身の筋肉がしなやかでなければ、とてもではないが自分の背の真後ろで帯を結ぶ、なんて芸当はできない。
どうして誰が何のために、ここまで難しい衣装を考案し、またそれがなぜ日本中に浸透したのかしらん?と思うことが実は時々ある。どうも江戸時代に確立されたものらしいのだが、それまでは例えば着物は身長に合わせた着丈で、おはしょりというものがなかったらしい。大奥あたりから始まったというのだが、家事労働をしなくて良い身分の女性が、そのことを知らしめ、さらに衣装を華やかにみせるために丈の長い着物をつくるようになったというようなことをどこかで聞いた。城内ではその長い裾を優雅に引いて過し、外に出る時はさすがにそういうわけにいかないので、上にはしょって結んで…という今の和服として定着した着方をするようにした、と。帯のお太鼓結びが登場したのはもっとあと、日本橋ができたのを記念して、ある芸者さんが考案したものでそれが大流行したのち、すっかり正装として定着したとか。その話をわりに早くにきいたため、今でも私はお太鼓結びの練習をするたびに「日本橋…」と呟いてしまうし、その歴史がなければ着物の着付けは今でもずっと楽だったのではないかしらね。
いくら洋服が便利とはいえ、この国のオリジナルの服装が、ここまで廃れる…というか、まあ一般的なラインから下げられてしまっているのは、着にくさもさることながら、それにさまざまな決まりがあるからで、知らずに着てあとで「あれは間違ってる」と言われる恐れがある、となると誰でも多少は腰がひけるというものだ。
昔はいけないとされた小袋帯(半幅帯)も今では外着で全然着てOKという時代になり、洗える着物も出て来て、今やっと和服が消え行く伝統の影から日の射す場所へ出て来たように思う。若くて可愛い日本の女性にもっと着物を着て欲しいし、女性が着物を着て過せるような、そんな優雅でおっとりした空気をまた、日本自体が取り戻してくれたら良いんだけれど。

着物で歩く母を振り返り振り返り、走る息子。

元旦は着物

  • 2006.01.01 Sunday
  • 23:42

新年になり、いきなりオットとDVD「世界の中心で愛を叫ぶ」を鑑賞した。寝たのは3時。7時間後に起きた時にはまだぼんやり。
一年の計は元旦にあり,などという言葉がちらりと頭をよぎってちょっとまずいとは思う。けれどもこういう年末年始もまた楽し。
早速着物生活ではじめてみた。
娘には,私の幼い頃のウールのアンサンブルを着せる。母からついこの間送られてきたばかりなのだけれど、ひさしぶりに目にした幼い頃の想い出一杯のウールの着物に、
「え!?こんな朱赤だっけ!?」と少し焦ったのだ…私は朱色がちょっと苦手なので。
けれど娘に着せてみたらぱ〜っと映えること。
ああ、この色は幼い女の子をより可愛く見せるんだなあと納得した。いつもいつもそうなのだが、祖母が選び、縫ってくれた着物や浴衣は最初、「なぜこんな柄…」「どうしてこの色?」と当惑することが多い。ところが半信半疑の不承不承で着てみると、どうしたわけかすごくいいなあ、これ、とストンと腑に落ちるのだ。祖母は色々変わったセンス、思考、感性で生きた人だった。母の祖母への憎愛の深いこと、いつも色んな想い出(祖母に振り回された)を聞くたびに母に同情を禁じ得ず、祖母に非難がましい気持ちを抱かずにはいられなかったけれど、それでも祖母から母へ、母から私へ受け継がれた物の中にはすこしは良い物もあると思う…。母が頑に潔癖に、神経質に拒否したのは「快楽を享受すること」「女であることを楽しむこと」だった。本当に生真面目で、地味すぎるくらい地味にしか装わず、いつもいつも人目を気にして窮屈そうな母の姿は、奔放で自己中心だった祖母の生き方への反発だったのだろう。その血をひく3代目の私は母にも祖母にも通じるものを持ち、そのどちらにも反発しながら生きている。まことに親とは、乗り越えなければならない山のようなもの、と思う。
とはいえ、そんな母も私も、祖母の着物とその趣味にだけは結局いつも敗北するのだった。

本日の私の着物は洗える着物でポリエステル100%。渋い赤紫地に牡丹の柄。地模様にしぶく菊模様も入っています。帯も洗える袋帯。黒地に小さく白銀の花篭の模様。本当は白っぽい帯を合わせたかったけれど、まだ持ってません。。。

知り合いにプレゼンとしてもらったクマのバッグ、なんとなく使いそびれていたけれど、このウールのアンサンブルに合わせて娘に持たせたら可愛いこと。
娘も大喜びで、すっかり着物好きに。

着付教室3回目、そして保護者会

  • 2005.12.06 Tuesday
  • 18:50
新しく買った洗えるお着物。

アイボリーの着物を最初からイメージしていたので、これは即決。模様が薔薇で、八掛の色がぼかしの黄色なのが可愛い。

会わせる帯としてイメージしたのは木綿の茶色系、薔薇模様のもの。でもそんなのは持ってない。いずれ買うにしても何かないかなあと思っていたら、20年近く前に買った半幅帯が出て来た。これがたぶん、私が人生で初めて買った最初の呉服だ。当時通っていた着付け教室で(〜〜学院というやつで色々お道具を使って着るのだ。帯なんか専用の台があってそれを下において形を作ってからよいしょ、と背中に回して締める。簡単だったけれど、ちゃんと着物を着ている気がしなかったのは不思議)なんとなく買う羽目になったもので当時、私の母が「こんな安っぽいしかも婆くさいものを買うなんて!」と憤った代物。しかし締めてみるといい感じだ。着物も高級じゃないから格があってるのだろうし、色のトーンも合っていて、何より私がおかげさまで20年分婆になったのでしっくり来るようになった模様である。
昨日より気温が低かったので、道行きを着た。

亡き祖母が、私の母のために縫い上げ、手を通さず、しつけもはずされぬまま、まさに箪笥の肥やしでいたものである。これを着てくれるなら有り難いと母が大喜びで送って来てくれたものだが、着られる私も嬉しい。受け継いで身につけるものって、洋服でもバッグでもアクセサリーでも嬉しいのはなぜなのかしらね。
やはり祖母から母へ、母から私へのつながりが、単純にうれしいのか。
よく喧嘩するお互いに欠点だらけの母子でも、やはり繋がりは永遠のものかな。

 という訳で着付け教室に行く。これがまた相変わらず楽しい。先生がいてくださると、着付けがきれにピシッと決まる。当たり前のことだけれど不思議。半幅帯の魅力に感じ入った。先生がちょっといくつかの変わり結びをしてくださるだけで、同じ帯でも着物でも大変表情が変わり味が増し、本当に面白いのである。
次回からは名古屋帯。気合いが入る。
このあと昼食を食べ、幼稚園児を託児室に預けたら小学校の保護者会に行くと言うと、先生が着付けを整えてくださったので大変安心して出向く。


 人には色んな意見があり、誰もが自分の主義主張に従って生きている訳であるが、自分自分と言い立てるだけでは済まないのが育児である。子は自分の分身のようでいて分身ではない。れっきとした一個、自分とは別の人間だ。
が、それを育てるのは自分である。だったら自分と言う人間性を押し付けて育てることになっても仕方ないじゃないの、それが子が背負う最初の運命でしょう。否、と自分の中の自分の言い分に首を振る。私はかなり母の意見を押し付けられながら育ったと感じていて、それが実に迷惑だった。成長して母の呪縛からかなり逃れられるようになって今でも母の価値観に染められた部分が時々私の中で分裂して困っている。
自分らしく、というのはごまかしに使うのにとても良い言葉なのだがやりたくない努力を正当化するとき「自分らしくない」と言うのを母にしょっちゅうやられていた。子供だから的確な言葉で母の言動の矛盾を突けず、いろんな可能性を母に押さえられて、ただものがなしかった。私が悲しいと言っても母は「悲しくない!それを悲しいと思うのは変!弱さの証拠!」という。それもある程度は真理だけれど、極端は何事もバランスを崩す。母は母で祖母にそれをやられて悔しかったと言うから奇妙な話…と思っていたら、私も娘に同じような言動をしがちではっとする。
昨年、娘がストレスによる偏頭痛で身悶えして苦しんだ後、娘が学校の男子の些細な言動を気にしてめそめそする点を取り合わず、気にする方がおかしい、そんなことを気にしていたらこの先やっていけないとつっぱねていた自分を、猛烈に、ものすごく反省した。
気になることを気にしない、なんてたいていの大人ができない難しいことだったのに。
本当に娘には可哀想なことをしてしまった。
私自身ができないことをまだ生まれて7年にしかならない幼い子に要求していたなんて馬鹿だった。
あの、急な頭痛に頭を抱えて、助けてよ助けてよママ!とソファの上から床に倒れて転がり回り、苦しんでいた小さな娘の姿を忘れない。あんな風に追い込んではいけない。

自分のクローンではないものを一人前に育てる、という仕事には愛情だけでは補いきれないプラスαがいる。自分で自分のことが好きで、子も自分のようになってくれればそれで最高、と思える人はきっと育児道も単純に違いない。が、私は自分を優れていると思っていない。一人でなんでもできる人間と思っていない。もう少し、ううん、たくさん、なんとかなれればといつも思っている。物理的には小学校と幼稚園、託児と習い事の先生以外に誰かの手を借りて子育てはしていないが、子にたくさんの人との接触が必要なのを痛感している。私が常識としてわきまえていることを子がわかっていない場面にたまに遭遇すると、私が今まで環境を固定しすぎたかと反省せざるを得ない。色んな道の達人になるには場数を踏むのが大切であるのと同じ、人が成長するためにも様々な出会い、情景、関係が必要になのだ。
親の価値観ばかりではない、他の人の価値観にも触れて欲しい、学んで欲しい。その中から自分らしさを掴んで欲しい。親が言うことが正しいんだなと判ってくれるのはまた、他の人、他の子のお母さんも同じことを我が子に注意している姿を見聞きした瞬間であることも多い。学校の先生のみならず、習い事の先生もその習っている内容のものだけでなく、習い事を通して心の持ち方や、その場を共有しているお友達との関係について指導してくれるし、託児のシッターさんもそう。
子をめぐる毎日の慌ただしい生活の源はそこに尽きる。
閉塞するのは簡単である。
閉塞することは私には得意中の得意だ。自分の好きなものがたくさんあり、自分の居心地の良い場所を持っている。あとはひきこもるだけなのだから。(特に今はパソコンがあるから本当に退屈しないしね。パソコンがない時から退屈しないタイプでしたが)
だから、それは最後の手段で良い。
いずれどこかで人との縁が切れることもあり(学校が変わる、引っ越しする、転勤するなど可能性は色々ある)体力とか資金とかが切れることもある。そんな時に社交生活を停止してもいいのだ。それまでは人付き合いもこなして頑張る。子供の世界を早くから囲い込まないためにはそれくらいの努力は親としてしてあげたいと私は思う。
そう思うのは私が根暗で引きこもり好きで、いつも家でぐうたらしていたいからだ。
子は親の鏡。
この一言に集約されているものは深い。子供の何気ない振る舞い、話し方にその親の人間性がにじみ出るのは怖いくらいである。子は親をベースにして新たな花を咲かせる種のようなものだ。遺伝子は受け継がれる、けえど別の花が咲く。
だから面白くて、ちょっと怖い。

学校で、問題児と噂されていた別のクラスの子の話を聞いた。要は暴力傾向のお子さんなのだが(口も手足も)最近噂をきかないと思っていたら、なんだか精神修行をさせてくれるお寺にこもっていたらしいという…かなりびっくりである。そんなところがあるんだ!?
が、それで戻って来たけれどやはり変わらないそうだ……だめじゃん!という話なのだった。皆が噂するには根本的に親も人間性を考え直さなくちゃだめだという。自分が好きで、自分はとても才能があり(何の才能かは不明)聡明で独身時代も人気者だったと自ら語る人らしい(すでに聡明さを感じない)。自分は自分の生き方に迷いはないのに、子供でこんなにケチがつくなんて…というようなことを心底憤慨した様子で話す方だそうだ。ナルシストの育児って考えると確かに怖い。
先日観た「チャーリーとチョコレート工場」に登場するチャーリー以外の子供達はみんな相当ナルシストだった。古今東西、物語の中に登場する敵役は皆ナルシズムに浸っているのだからそれで正しい訳だけど、つまり自己愛が過ぎると醜いし、道をふみはずしますよと諸々の物語が伝えている訳である。幼少時からあふれるほどのそのテの物語を本やテレビドラマ、映画を見聞きしている現代人が、なぜその人間が陥りやすい穴に簡単に落ちるのか不思議といえば不思議だ。
人は許したり許されたりしながら助け合って生きて行くしかない。だから暴力はもちろん言葉ででも人を傷つけてはいけない。自分の自慢をしながら他者を蔑み傷つける幼稚さから、親が抜けられないなら子供だって抜けられないだろう。
人を傷つけ蔑む権利を有する人間はこの世にいないのだ。そのことを常に認識新たにし、学ばなくてはならないのは大人も一緒。死ぬまで修行すべきことなのである。

娘は独自の解釈をして、独自のやりかたで学校生活を送っている。かたつむりなみのマイペース。大変じれったいしハラハラするし、先生に謝ったり感謝したり、それをお友達やそのお母さんにも繰り返したり、本当に疲れさせられる。悪気がないし誰かに物理的迷惑も精神的傷も負わせていない点だけはいつも確認している。今のところ、娘の言動はピュアだ。
娘に私のキャラクターを移植するつもりはない。だからといって放任もしない。
前に育児の先輩が「つかず離れずの距離から目を離さないことが一番大事」とおっしゃった。その通りだと思う。今はまだ小さいからかなり側にいる私だけれど、娘の要望をききとりつつ子離れ親離れをめざしていきたいと思っている。
とはいえ、それにしても世情は暗い。保護者会の後半は、ここ最近の一連の事件を他人事と思わず個々が危機感を持って安全に留意してほしいという、先生の熱心なお話でいつになく会が長くなった。
やはりお友達と一緒に帰宅するということに甘えないで、とおっしゃっていた。途中で別れるし、仮に玄関前まで自分の子は誰かと一緒だから安心だとして、ではその先のお友達はひとりになるのでは?皆で協力し合い、子供がひとりで危険に遭遇することがないよう努力工夫して…との旨(はっきり、親は自分の子の安全を自分で確保しろとは言えないから)子供達自身はニュースをテレビの向こうのお話としか受け止めていなくて大変危機感が薄い、自分だけは大丈夫と鼻から信じ込んでいて、そのくせ見知らぬ大人から話しかけられても全く警戒しない。親切そうに話しかけられると生き生きと会話し、愛想よく人懐っこいから、可愛いけれど困るんです、本当に危ないんです、と先生が力説されていた。みんな本当に暗い顔をして真剣に考え込んだ。通常、どこの子供達も家庭の宝として愛されて育ち、悪人に接したことがないのだ。オオカミを知らない子羊そのものである。
そういうのが本気で一番危ない。
防犯ブザーがどれくらい役に立つか…。毎日あちこちでピーピー鳴っている。子供同士、ふざけて本当によく鳴らしているから、私自身もはや警報ブザーの音で動じなくなっている。先生もそうだとおっしゃって、それで集まった母親一同でため息をついた。
 前半の勉強面、生活面に付いても疑問で2年ぶりに学力テストが復活し5年生が受験、結果、私達の区は全国でも上位、その中でも私達の小学校は上位だったという。
そのくせ、小学校2年生の勉強が遅れがちで大変で、名古屋に転校して行ったクラスメートは算数が先に進みすぎていて勉強についていけず、大変困っているらしいという。
2年生から5年生に進むまでの間に飛躍的に学力がつくのだろうか?そう、つくのである、塾通いによって。
塾通い…費用も高額、時間帯は夕方から夜にかけて。親の送迎必至。育児道がまた一つ困難になること確実。
塾なんか通わなくていい、ずっと公立でいいんだから、と言い放つ人も最近減って来た。
公立に入れないなら中卒で就職!!と断言できる親は少ない…できれば高校には行ったほうがいいよねえと曖昧に言いよどむ。公立にしても高校は受験。
何よりも、学力があがった高学年の子供達の中で塾に行っていない我が子だけぽつんと残される姿を予想して悩まないでいるには鉄の心臓がいる、というかもはやその時点で育児放棄に近い無責任さがないでもない。皆と同じように塾に通って同じ程度の学力が維持でき、交際範囲も保てるなら(進学に興味がない子でもお友達がみんな行っているから塾に行きたい、という理由も少なくないのだ)それに越したことはなく。
人並みでいる、ということにも努力はいるよね…そう思って母達はまた頑張るのだ。
どのお母さんも本当にアクティブで元気で、そして綺麗である。
疲れてる、いつも眠いよと言いながら自分の子ばかりかよその子の面倒までみていたりする。
必要とされ、愛するものがあるってパワーを生むんだなあと思う。
そう、こんな私でも子供達にはすべて。私が諦めたら子供達の世界も縮小を余儀なくされる。頑張れるうちは頑張ろう。子供を通して私の世界は逆に広がっている。とても豊かに。
そう思うことが浅はかなナルシズムでないことを祈ろう。

手芸店は楽しい

  • 2005.12.05 Monday
  • 23:45
七緒 (Vol.4)
七緒 (Vol.4)
読み応えある着物雑誌。半衿のつけ方が載っていて先日着付けの師匠に教わったのと同じ方法だったので、忘れないためにもいいやと購入。予想以上に楽しいので、眠る前の私の絵本になりつつある。

着物が楽しいけれど、まだ全くうまく着られない。理屈とやりかたが判ればいいというものじゃないのだ、数をこなして体得するしかないらしい。となれば今日も着るしかあるまい!と頑張って朝からテキパキ動く。一番私の集中力を妨げるオットを見送った後に一気に洗濯し、息子のお弁当を作り、息子の身支度を済ませる。髪型がすんなりまとまったのもよくて、着物に袖を通す。
着物のいいところは暖かさで、人間てお腹周りが暖かいとかなり寒さに強くいられるものだとわかった。今日の寒さくらいだと、袷の着物に毛糸のショールをかけるだけで十分しのげたから。
 友達と一緒にお茶をしていたらそのまま思いつきで新宿のオカダヤに行くことになり、一気に楽しくなる。
 私が住む町には極端に手芸店が少ない。イマイチな品揃えの中でウ〜ン???と悩みながらチマチマ小物を買う不自由な日々を送っていると、都会の大きな手芸店は嬉しい楽しいテーマパーク。ボタンからコットン、毛糸からネイル用品、そして和布までめいっぱい楽しんだ。
 手作りは安い、という幻想は根強いけれど、うっかりすると買った方が安いということがままある。ニットなどは特にそうかなと思うのだけれど、見るなり可愛い!編みたい!と思う素敵な毛糸玉は1個600円〜なんと1000円くらいまでと、お値段は実に可愛くない、素敵じゃない。自由に自分のイメージ通りのものを生み出せる技術が自分にあるうなら、その時は手作りは安い!と言える気がする。
そうはいっても可愛いレースや布、モチーフなど目を奪われるものがたくさんあって、色々本当に欲しかったのだが、漠然と買い込むより、家に帰ってじっくり作りたいものを考え、プランを練り上げて計画的に資材を買い込みにきましょうとぐっと我慢。
気がつくと、一昨日のしつこい腰痛も感じない。着物効果だと思う。やはり姿勢が大事…つまり普段姿勢が悪いということね。
あと、ストレス解消もかな?

午後からはなぜかオットが帰宅。最近、あまり効率的に休日を消化できていないそうで半日有休というのをとったらしい。別にいいのに…と思っていたけれど、本来明日である子供達の英語教室を今日に振り替えていたので、車で送迎してもらえて助かった。さらに夕方、インフルエンザ2回目の予防接種で、子供達が激しく怯え泣いたので(前回の感じ悪い看護婦はいなかった…私の来襲に備えてシフトをはずしたのかしら)、オットがぎゅっと抱っこしてくれていて助かった。が、帰宅後、オットが子供達と入浴している間に夕食の下ごしらえをし、洗濯物を畳んでアイロンをかけやっと少し一休み、とパソコンの前に座った私にすかさずオットが「もう飯喰おうか」と声をかけて来た。
その間、オットはずっとのんびり椅子に座ってテレビ鑑賞を決め込んでいたので彼的には一休み時間はもう十分、という案配だったらしく、では妻は?という処まで考えつかないのが彼の欠点である。オットは私といると「さあ飯を食おうか」「さあ家の中片付けようか」「さあコーヒーでも飲もうか」「さあ、なんか一口軽いもの喰おうか」「さあ撮りためたビデオでもみようか」とずっとさあさあさあさあ言っている。耳について仕方ない。
それはつまり全部私に行動を促しているのである。本人はお気に入りの大きな円形の椅子に深々と埋まったまま動かない。大きな目だけがこちらを観察して、私が一休み体勢に入った瞬間に「さあ〜〜〜〜」と声をかけてくるのだ。
かくて今宵もオット教育。いってもいっても右耳からはいって左耳から抜けて行く様子。言わなければ私の容認ととるだろうし。子は育つのにオットは育たず。ちぇっ!!
解消したはずのストレスがまた新たに生まれるオットとの時間であるふぅ〜んふぅ〜んふぅ〜ん

着物日和

  • 2005.11.30 Wednesday
  • 23:09

気に入らなければ買わない。たとえ箒一本であっても自分の理想を追求する。
これが私のポリシーであり、それにはオットは協力的である。したがってオットの折り畳み傘がずっとなかった。ありふれたオジサンくさいものは私はもとよりオット自身が断固拒否だったからだ。それでおざなりな貰い物でしのぐこと数年。運命の出会いは街角でと突然でした。
黒い空を白い雲と、飛んで行く飛行機の小さな柄。

持ち柄は透き通るクリスタルのブルーアース。2千円しないものに出会うまでこだわり続けた数年を思うと、出会った瞬間夫婦で「これだ!」と叫んだ時の嬉しさは大きかったです。
色違いは地色が白のものがありました。今、たくさん生産され、売り出されているところなのかな?


 今日は着物を着ようと決めていた。朝、お弁当を作らなくて良い日だし、お天気がよい。しかも気温、下がってます。うん、いい感じだ。
 オットと娘を送り出し、息子の支度もすっかり済ませてから着付けにとりかかる私を、息子が固唾をのんで見守る。また手間取ったら僕は幼稚園に行けないけど!?と言いたげな思い詰めた顔だったが、彼の祈りが通じたのか、今日は最初に髪のアップが決まって、それが調子を上げたのか着付けも20分でとりあえず出来た…でもやはりじれったくて途中で泣きたくなったけれどね。

着物を着ると、背筋がしゃんとのびる。足袋をはいた足がきりりとしまって、草履で歩き出すと、もう何も急ぐまい、ゆったりいこうと、いい意味で(いい意味なのか!?)開き直れる。
人は誰でも着るもので気分が変わった経験を持っているだろうし、私だって今まで何度もいろんな経験をして、時には気分を自分の思う方向へ導くための服選びをするけれど、着物が私にもたらす変化は劇的で自分でもびっくりしてしまう。
それは限りない落ち着きなのだ。
しっくり、しっとりと、ほっと一息。それでいてぴりりとした緊張感。
これが本来の日本女性の魂だったかと思ったりして。うーん、気分は夢路か一葉かな。

 紅葉が綺麗で、落ち葉が敷き詰められた道も美しい。青く晴れた空の向こうに、冬が見える。ぴりりと冷たい風が肌をさし、心地よく心身を引き締めて行く。
秋から冬へ。そして真冬へ。私が一番好きな季節である。

 幼稚園でも小学校でも、着物というだけで人が騒ぐほどに、着物が珍しいようだ。こんなに美しいものを廃れさせてしまうなんてもったいない。若い綺麗な女性が着物を着こなし歩くようになったらどんなにカッコいいだろう。
着物は高い、決まりが色々あって面倒という先入観がある。私もこの間までそうだった。
友人に洗える着物に付いて詳しいレクチャーを受け、初めて思い込みで塞がれていた目が開いた。そして、決まり事も今はさほどうるさくなく、たいていの場合は自由に楽しんでいいんだということを。
半幅帯で外出できるなんて、それだけで幸せ。
足袋も今まで真っ白なものしか履いたことがなかったけれど、柄足袋はもちろん、足袋の形のソックスまで色々試してみるつもり。
ああ、楽しみ!!

着物で外歩き

  • 2005.11.24 Thursday
  • 23:28

本日は幼稚園の親睦会。無事終わったバザーの成功を祝い、同じクラスの皆さんと労をねぎらいあうためにもうけた席であるディナー美味しい中華のお店を予約して朝からみんな食べる気満々、お天気もよく、陽気も暖かめ。
よし、これなら着物を着ていける。
朝、起きた瞬間からほぼ決意は固まっていた。
一昨日、着付けの先生から学んだことをとにかくしっかり身につけたかった。それにはひたすら何度も着て数をこなすしかないのは明らかなのだ。
息子を園に送り届けてから一旦帰宅。家事をざっとこなして支度にとりかかる。
ところが時間に余裕を見たつもりが、意外に髪をあげるのに戸惑い、すっかりおせおせになってしまった。そうすると余計になんだか慌ててしまう。
髪なんていつも、好きにアップにしてるのに、どうして今日に限ってまとまらないんだろう。
それに着物の大きいこと。もうどんな誘惑にも惑わされない、やはりL寸はだめだと本当に思う。何より、長襦袢の着こなしがどうにも自分で気に入らない。襟元と衿の抜きかげんが、我ながら垢抜けずにイライラしてしまう。なんじゃこりゃ、な世界である。
何度着直したか判らない。気がつくと遅くとも20分で終了予定だった着付けに倍の40分かけていた。
どうにかこうにか着終わったものの、遅刻である。役員なのに…。
とりあえず仲間に電話をいれて詫びる。それから駆けつける…と言いたいところだけれど、着物じゃ駆けられましぇ〜ん。
腹をくくるとはこのことだなあ、と思いながら一歩一歩踏みしめるように丁寧に家をでて目的地に向かった。いつもならひとっ走り12、3分のみちのりが遠く感じる。足袋と草履で外を歩く、いや、浴衣以外の和装で外を歩くのは実に20年ちかくぶりの私なのだ!!
…それを思うと何もかもよくやったではないか、と、ついいつもの自画自賛癖がでる。
でもうまく歩けたし、みんなにも褒めてもらい、いい刺激を与えられたのでよかったか。
お着物仲間で今回着物倶楽部立ち上げのリーダーである渋可愛の友人は、まさに友人らしいお着物姿で登場。
私達二人並んで歩くと異様だった…女落語家?

幼稚園お迎えにもその姿で行き、結局そのまま小学校にも行った。着ているうちに、着物がどんどん身体に馴染んでくるのが判った。
そして、自分の姿勢がよくなり、立ち居振る舞いにも変化がでていることに気づく。
カジュアルな街着ですら、着物は女を女らしい気分にする。魔法の衣装だと思った。
身にまとい、それで生活することが、私にはとても新鮮で好ましかった。
単純に、着る、という行為そのものが楽しくて好きでもある。
着物の柄合わせの楽しさは私なんかがわざわざ言うまでもないくらい、素晴らしく、そして奥が深い道である。
着物ででかけると、たくさんの人が「結婚する時に何枚も持たされて、一回も着ないでずっと箪笥の肥やしなの!やっぱり…着たいかもしれないわ〜」と話しかけて来てくれた。すごいすごい。世の中には本当に眠っている着物がたくさんいるのね。そんなお着物達を救わなくては!
それで今日も着物倶楽部員勧誘にいそしんだ私である。

サイトの更新しようと思っていたのに、一日中着物着物で明け暮れちゃったよ。すみません(って、誰に謝っているんだか。でももしかしてちょっと、このサイトの更新を愉しみにしてくれている方達のために。ごめんなさい、明日がんばります)

実家からの着物の箱

  • 2005.11.19 Saturday
  • 23:09
前からうるさく神戸の母に頼んでいた荷物が午前9時に到着した。何十年も箪笥の中で眠っていた着物の一部である。
まずは私のウールのアンサンブル。とにかく冬休みの間に着たいもの筆頭だったので、これだけでも早く送ってと母をせかしていたのだ。なんだか黒字に赤の柄があったような…とうろ覚え程度だったけれど、見てみたら赤と白の椿がならんだような柄。可愛いので嬉しくなった。やはり祖母の趣味は可愛いものだったなあと思わず微笑みがこぼれてしまう。
つづれ織りの帯が2枚、古風でいてちょっとモダンな感じも祖母らしい。両方ともオレンジ色なのは祖母の好みの偏りで、そういえば祖母がひ孫である私の娘に縫ってくれた初めての着物も可愛いオレンジが地色になっているちょっと珍しいものだった。娘にはすごく似合っていたし、他に着ている人がいないタイプだったから8年前でもとても嬉しかったものである。
それから私が20年近く前に通っていた着付け教室で買った安っぽい半幅帯、でもこれも数のうちと思えば嬉しい。今はとにかく気楽に着られるものがたくさん欲しいのだ。何しろ目標は週に1度は着物でおでかけ!なのだから。
さらに着付け小道具色々に、草履(これは前回おくってもらった玩具柄の着物と同じ生地で祖母が注文して作ってくれておいたものである)も嬉しい。本を見ながらなら、一人で見よう見まねで着られると思う。さらにシックな落ち着いたピンク色の、しつけがかかったままのコート。これは母のために祖母が縫ったもので、箪笥で眠っていた歳月は40年近いというから怖い。私が着ると言い出して母が大喜びしたのも無理はない。
想い出が深くてわ〜、とうれしくなったのは母の訪問着だ。
それは綺麗な明るい黄色で扇が重なって蝶に見えるような柄なのだけれど、私の幼稚園の卒園式、小学校の入学式のために母が特に選んであつらえたものだったのだ。
さすが、というか当たり前なのだけれど、正絹の手触りのあまりの良さに、しばしうっとり。これを私も来年の3月4月と着るつもりなのである。すごく嬉しくて、何度も数枚の着物を出して広げて眺めてしまった。自分で集めた洗える着物も好きだ。
昨夜は市松柄のモノトーンのモダンな着物セットが届いたから、またホクホクだった私なのである。
母からの荷物の中には、薄い小豆色に小花の刺繍をしたありふれたものと、黄色にレインボー???な染めの微妙に変な半衿も入っていたモグモグ一瞬、どうしましょう?と思ったけれど、着物の面白さは洋服とは違う意外な組み合わせが思ったより粋だったり、可愛かったりすることである。。えっ!?と思うようなものも組み合わせ次第でものすごく色んな可能性、魅力が広がるところがわくわくするほど楽しいのだから、半衿も楽しんでみようとニヤリとしてしまった。
今日も子供の習い事で忙しく過したけれど、着物のおかげで心は豊かだった。
猫柄がものすごく可愛くて気に入って新品として購入した名古屋帯。ポリエステル100%で6千円ちょっと。

これが私が人生で初めて自分で買った帯。オークションでアンティークを購入。下手なジェニーやリカちゃんよりも安いお値段。
一枚の着物に帯3枚、というけれど、同じお着物でも帯で印象ががらっと変わるのはもちろんのこと、帯締め帯揚げ、半衿ひとつでも印象は変わる。
可愛い感じの着物を大人っぽく着こなせるようになりたいかな。地味目の着物を着て過す余生の方がうんと長そうだから、可愛いものは今のうち、今のうちと思っているこのごろ。
おばあちゃんが用意しておいてくれた着物ほとんど全部、仕付け糸がかかったままだったことを今更ながら本当に申し訳なく思っている。
ごめんね。そしてありがとうおばあちゃん。
おばあちゃんの遺伝子はやっぱりかなり強かったみたい。顔はおじいちゃんクリソツの私ですがパーまだ実家の箪笥には着物が眠っているので、発掘して着ていくわ〜凧

着付教室 第一回♪

  • 2005.11.15 Tuesday
  • 23:34
 何かが楽しみでワクワクするラブという感覚が、年齢とともに………減るということが私にはないようだ。たぶん、「楽しみ尽くして生きてやるグー」という信念がそういう運命を呼ぶのだと思うのだけど、ついに着物道楽への道も歩み始めて本日めでたく着付け教室に通いはじめた。
 もう先週から楽しみで楽しみで仕方なかった。いい年して、まだこんなに色んなことに楽しみを見いだせる自分と、そんな自分と引き合ってくれる友達の存在が、なんだかとっても面白い。でも本当に和服の世界は本当に素敵なんだもの花
 教えてくださるのは地元の商店街で古くから呉服屋を営まれている女将さんである。目新しい道具よりも着付け本来の、紐だけで着られる着方がお好きだと伺って、私もこの方に習おうと決めた。本来、夜の7時からの着付け教室だが、その時間帯では子育て中の母達には厳しい。なんとか幼稚園、小学校に子供達が散っている間の午前にお教室を開いてもらえないか、と友人がかけあって、5人程度生徒さんが集まればそういう風にしてもいいでしょうとのお返事を頂いたのが9月のこと。以来、友人と私とで「着物、着ない?」「着物、いいわよてれちゃう?」「家にあったりするでしょ、着物。着ないともったいなくない?」とちょっと誰かと親しく立ち話したり、しまいには目が合うだけでも誘い倒してまわった。全然興味なし、という人は意外にいなかったのは、着物本来の魅力と、日本人遺伝子を持つ人たちであることを考えるとさほど意外ではないことなのかもしれない。
結局、私と同じく役員をしてくださった人達、バザー委員として協力してくれた人達が面白い見解を示して賛同してくださり(年齢的に喪服を着る日もそう遠くない、親類に危ない方が数人いる、喪服は和服、自分で着られたらそれが一番!たらーっ)、見事5人そろってお教室開催の運びになったのだ、嬉しい拍手
 第一回目の本日は、「衿芯を半衿に、その半衿を長襦袢に縫い付ける」というものでした。先生は、最近流行りのメッシュになった薄手プラスチックの襟芯がお嫌い。着物をきたとき固くて身体に馴染みにくいもの、着物の一番の持ち味である凛とした中にも独特の柔らかみがある部分が台無しになるものはお好きではないらしい。心から着物を愛していらっしゃるのだろう。
 実は私もそれにすごく賛成する。祖母もきっと同じことをいっただろう。20年前に私が習ったのはメジャーな着物学院で様々な便利お道具を使うやり方だった。着方を忘れた今となってはその道具もどうやって使うんだっけ?という感じだけれど、また覚えるなら本当に紐だけで着られるようになりたいと思っていたのだ。
 衿芯からこだわるなんて素敵ラブラブ昨日はワクワクして、長襦袢と衿芯、半衿、肌着、裾避け、紐数本、それから簡単なお裁縫道具を準備し、まだ実家から母が着物バッグを送ってこないので風呂敷に包んだ。風呂敷を出す事自体、ものすごく久しぶりである。もう気持ちがこの辺からぐんぐん盛り上がっていたのだが、本日、先生の判りやすい丁寧なご指導で、衿芯付けから、半衿つけをしていたら、もう楽しくて楽しくてラブラブラブこれが簡単ながら案外手間がかかり、しかも最後に半襟を長襦袢に縫い付ける時には固くてかなり大変で「こんな固さがあるものを縫ったのはいつ以来かな?」と新鮮な感動だったのだけれど、本当に、皆で打ち解け、お喋りしながらも、熱心にチクチクチクチク縫い続けるのが、これほど楽しいとは思わなかったくらい楽しかったのだてれちゃう2時間のお教室は、これだけで終わって着るところは来週から始まり、ということなんだけれど、終わる頃には「これから長襦袢を何枚も買って、色んな半衿を縫い付けよう」と決心していた。これだけの手間をかけたものをほどくのはもうイヤですからパーでも色んな半衿を楽しみたいしね。
 昔は一枚の着物を仕立てると、長襦袢もそれにあわせたものを作っていたけれど、今はたもとの長さが統一され、どの着物にも着られるように作られている長襦袢。半衿も色んな素敵な意匠を凝らしたものがあって、楽しみ方は色々。半衿をつけるのにここまでこだわらなくてもいいのも判っているけれど、せっかく教えて頂いたことだからしばらくその流儀で行きたいと思ったのだ。何より楽しいしね、チクチク縫うの。
 これでまたさらに深い野望が育った。前から友人と「いっそ和裁を習って…モゴモゴモゴ」なんて呟いていたのだが、ぜひ浴衣くらいは縫おう!と決心したのである。浴衣が縫えれば長襦袢が縫えますよ、と先生がおっしゃった。まあニコニコいいわ、自分で長襦袢が縫いたい!!
 お稽古終了後は、お教室の階下にある店舗(というか、これが先生の本業ですが)で皆できゃいきゃいウィンドーショッピングを楽しむ。お店の2/3くらいが洗えるお着物関係コーナーで、値段が手頃なのだ。
 それから真向かいの古くからある人気の食堂で昼食。それから子供達を迎えに幼稚園に駆けつける。4時間ぶりに会う息子はまたとっても可愛く見える。
幼稚園から子供を連れ帰ったら軽くおやつを食べさせ、それから小学校へ娘と娘のお友達を迎えに行く。同じ英語教室に通っていて今日はその習い事の日なのだ。二人を送り届けて一旦帰宅。ネットの呉服屋さんを巡り歩いて、念願の市松柄の洗えるお着物、とってもお手頃なお値段のものを見つけて注文(人形より安いです。往年のmomokoや現在のスペシャルなプライスよりも)PCもうウキウキ。娘を迎えにいって連れ帰った後は、お夕飯作りもなんだか楽しかったし、帰宅したオットも笑顔で迎えられた。(いつもはまあ普通の機嫌で迎えておりますわよ、おほほ)
 先月半ば、昔のお友達とランチをして近況を報告し合った時に、「なんだか人生楽しんでるねえ」と感心されたけれど、本当にそうだと思う。そうできる巡り合わせに、心から感謝するばかり星


友人が「遅くなってごめん」と送ってくれたバースデープレゼントプレゼントボディーシャンプー、ボディーローション、ボディーウォーター、ヘアローション、などなど。佐藤えりこさんがコマーシャルしているのを見て、薔薇と薔薇の香りが好きな私はとても興味があったものの、自分で買うに至らなかったもの(っていうか、何にもない町なので日用品でもオシャレなものより、実用的でメジャーな中年受けするものしか身近で売られていないのだ。。。あっびっくり私も中年じゃん!?冷や汗…気は若いんですのよ、オホホホホ女

着物〜街着に恋してる

  • 2005.11.14 Monday
  • 23:08
幼稚園のバザーで気分がぴりぴりしたり逆にうきうきしたりしていた秋の初め頃(といても気温的には毎日夏だったけれど)、和服好きでもある親友がいよいよ着物にのめりこみはじめた。そうなると私の中の元々の遺伝子がじっとしていない。ずっと前から着物道楽にハマるなハマるなと母に言い聞かされて半ば封印されていたに等しいけれど、我が家は代々着物道楽な家系なのである。
昨年の夏から極端に、私は和に惹かれるようになっていて、それを小物雑貨で紛らわしていたのに、一番親しい友人に一緒にこの道を突き進みましょうよと誘われるとひとたまりもない。もしかしたら不治の病と知りつつ、ずぶずぶと私は手を染め始めている。

パソコンがあるのがいけない。そもそも人形道楽にハマったのもパソコンの魔力によるものが大きい。世にたくさんの同志同胞がいて、そのニーズに応えるメーカーがあり、しょっちゅう新鮮でめくるめくときめきがつまった可愛い、綺麗な人形に出会える喜びが、いけないいけないと思いながらも私を地獄の道楽の深みに誘った。
着物も同様。
着物なんて、縁がない人にとっては無用の長物に等しく(人形もこれは同じ)、考えるに数十万円単位のお金を必要とするもの、とてもとても…ということになるだろう。
しかも手入れが大変だ。一度二度着るたびに専門家に頼んで洗い張り!?オー、NO!
が、洗える着物があるという。ポリエステル100%で、自宅でネットにいれて洗濯機で洗えると。値段もぐっとリーズナブルですって。
そう聞くとちょっと調べてみたくなる。かくてネットが大活躍。
洗える着物、で検索してみるとたくさんの、素敵な、そしてお手頃価格の着物の世界が開けてくる。遺伝子元の祖母や母から、着物についてさほどレクチャーされたわけではない私は全く素人。夢中になってしまう。まず自分の着物の好みの傾向を我ながら新鮮な気持ちで知る。私が好きなのはアンティ−ク調のものだけではなかった。レトロでモダン、そんな雰囲気の着物が大好きだったのだ。
洗える着物は初心者には本当にいい。私が買ってみたのはこれ。
全体の雰囲気に一目惚れのこれはadakinu店さんより購入。全セットで1万円ちょっと。でも届いてみると、着物が安っぽく感じて冷や汗まあ安いんだからそれで正しいのだけど。でも羽織と半幅帯はそれなりにいい感じ。こんな赤を身につけられるのも、よくてここ10年が限度だろうし、これはこれでまあいいかな女
こんな風に、私は気楽にカジュアルに着られる着物が本当に好きだと思う。
いわゆる街着だ。さらっと普通に着物を着て、自分が住む町をのんびり歩きたい。着物だって普段着にできる。そう思い始めている。
そうしてネットの世界をさまようと、いるんだなあ、やはり同じ志しに燃える方々が。
ああ、この新しい趣味の世界にのめりこんでいくときの感じ…ふみしめた足元がなぜか妙にずぶずぶと柔らかく、いくらでも身体が沈んで行き、不思議の国のアリスが最初に兎の穴に落ちて行くように、次々に新しい世界が開けて奥が深くて楽しいので、二度と引き返せなくなる感じ…似てる。心当たりがありすぎる。あの、人形にハマり始めたころのようだわピピピピピピピピピ
明日からついに着付け教室に通うのです!!ラブラブ

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